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エジプト

2005-05-15 17:21:22 | 旅行記 アフリカ

menphis
メンフィスのレストランで、エイシを焼く女性

1999年

カイロ空港に下り立ったのが午前2時近く、ひっそりとしているかと思いきや、空港は混雑している。私たちの姿を見るや、「タクシーか」と何人もが声を掛けてくる。エイジェンシーの呼び込みもかなり強引だ。様子が分からないので、値段は高いがリムジンに乗って、ナイル・ヒルトンまで行く。さすがに道路は空いている。3時近くだというのにホテルもざわついている。 
  到着早々から洗濯。いつも旅行で私が持つのはカメラバッグがひとつ。カメラとレンズが中心に手帳、筆記用具、スティック糊、千代紙などの入った袋と本が一冊。これにワープロが入っていたのだが、フロムカードが使えなくなったので、今回は置いてきた。次からは軽いPCを持っていけるようにしようと思う。サイドにはゴミ袋が一枚。雨の時すっぽりバッグを覆うためにいれてある。夫はキャリー付きのバッグだけ。フィルム50本はこれに入れて貰うので、私の物は極力減らす。私は着替えは一組しか持っていかない。だからこまめに洗濯する。ヨーロッパの時は音楽会用にドレッシーそうなブラウスとスラックスが余分に入る。石けん、シャンプー、リンス、歯磨きは合成洗剤を使わないので持参。でも消費量は分かっているから、余分には持っていかない。洗濯の仕方は、洗濯した物を最後に熱湯ですすぎタオルに包んで絞る。バスタオルにくるくるにくるみ、足で踏んで水分を取るとラク。ホテルには悪いが浴室の電気をつけ、ファンを回しっぱなしにしておくと、乾きが早い。

ナイル・ヒルトンに宿をとったのも、先ずはカイロ考古学博物館から行動開始しようと考えたのだったが、イスラムでは金曜日は安息日、入ってもお祈りで11時半で出されてしまう。ホテルの窓から博物館の様子がよく見える。観光バスが並び、人々のすごく長い列が出来ている。持ち物をX線検査するため。2年前のあのテロのせいで、治安回復を狙ってのことだろうが、エアポートはもちろんホテルに入るにも、駅でも、博物館でも、例外なく金属探知器の下を通らなければならない。博物館など二回は通らなければならない。ホテルだって出たり入ったりの度に探知機をくぐる。くぐると必ずピーと警音が鳴る。私は「ピー」と言いながら入る。係員が笑っている。

 発展途上国の問題はなんといっても貧富の格差が大きいことだ。貧しい人たちは富を求め、職を求めて都市に集中する。エジプトの正確な人口は知らないが、半分近くがカイロに集中しているようだ。貧しい国々(GNPの判断で)をずいぶんまわり、物乞いの多さも知っているが、(ヨーロッパだって乞食はいる。スーパーで買い物をしたり、切符を買ってお釣りがあるとすぐ手を出すのはイタリアが多かった)、私の知っている限りの他の国と比べるとここはかなりせちがらい。日本人と見ればふっかけるし、親切そうに道を教えてくれたと思ったらチップを要求する。入場料を払って入ったモスクでも、更に更にチップを要求される。
 
 町中、いや国中、治安のためだろうが小銃を持った警官があふれている。警官の給料を払うだけでも、国はかなりの予算が必要だろう。しかし警官の低賃金には驚いた。低賃金でも安定しているからだろうか、この数の多さは。さぞかしワイロが利くだろうな。国中どこへ行ってもムバラク大統領の顔写真が貼ってある。そういえばこの国は社会主義の洗礼を受けている筈だ。いまの制度がどうなっているか勉強不足でしらないが、このせちがらさは社会制度が充実しているとはとても思えない。
 
 とはいえ、町中車があふれかえっている。結構、HYNDAI(韓国車)が幅を利かせている。タクシーは多い。タクシーに乗るには値段の交渉から始まる。何回も行っているところは運賃の相場が分かっているからいいが、初めて行くところは、フロントあたりで情報を貰っておく。
 
 一流ホテルにいるリムジンはかなりの割高だが、英語が通じる。町中で拾うタクシーの運ちゃんは英語が出来ないのが多い。こんなことがあった。
 歩くにはちょっと遠い所だったので、タクシーを拾い、「ラムセス セントラル ステイションに行ってくれ」と頼むと、運転手は傍らの店の親父さんに何か言って、OKと車を走らせた。この国の車は交通規則などあって無きが如しで、車を押しのけて走る。もっと恐いのはそういう車の間を平然と歩行者が横切ることだ。そのうちには馴れてしまったが、はじめは「ヒャー あぶない」と思わず声をあげた。
 
 地図を見ていた夫が「道が違う」と言い、運転手の肩を叩き、「私の行きたいのはここ」と地図を見せると、頷いている。しかし車は反対方向に走っている。「一方通行じゃないの。大回りして行くんじゃない」と私。大回りまではよかったが、ついたところは考古学博物館。「違う違う」と再度地図を見せると、運転手は外に出て、警備員を連れてきた。彼は英語が話せそうだ。「ラムセス セントラル ステイション」とゆっくり地図を見せながら言うと、「ラムセス セントラル」と頷いて運転手に指示した。タクシーがその方向に走り出し、やれやれと思ったら、すぐ止まった。今度はなんとラムセス ホテル。再度地図を見せ「私たちの行きたいのはここ。でももういい」と約束の料金に回った分をうわのせしてもいいよ、と言って夫がお金を出すと、その意味も分からなかったのか、約束の料金しかとらなかった。それからは英語が出来るかどうかきいてから乗ることにした。
 
 英語ができても、エジプト英語はすごい。30はセルティ。夏はサマル。とまどったが馴れてくると勘で分かる。分かるのはいいが、マネしてしゃべるから自分の英語もおかしくなってしまう。白人女性に「Can you speak English?」と声をかけられた。「Yes」と答えると、「イスラム博物館を知っていますか」と。「今私たちは行って来たのだけど、電気のトラブルで今日は入館出来ないと断られた」と言うと「急いで30分もあるいてきたのに」とがっかりしている。「そこを左に曲がって数分だから行ってみたら」と言って別れた。彼女も英語が通じなくて苦労してきたのだろう。

弥次喜多道中記 2
 
gizapi
ギザのピラミッド

 予定を変更して、タクシーとガイドを頼み、ギザの3大ピラミッド、スフィンクス、サッカラ、メンフィスと1日かけて近郊の名所をまわった。 ギザに近づき、ガイドから「ほら、ピラミッドが見える」と指され、「わぁピラミッドだ」と子どものように叫んだら、なんでこんなものに感激するのかといった顔をされてしまった。ピラミッドもスフィンクスも人、人、人でごった返していた。学校が休暇にはいったとかで、子ども連れの家族が多い。加えて外部からの観光客。いろんな言葉がとびかっている。
 
 アムステルダムから飛行機が一緒だった日本人ツアーの人たちとも出会った。彼らは聴覚障害者の一団。空港でも活発に手話で話し合っていたが、残念ながら私にはアラビア語以上になんにも分からなかった。挨拶はニコっと笑って会釈するだけ。以前手話で「こんにちは」を覚えたのだが、使うことがなかったので忘れてしまっていた。どこの国でも、こんにちは、ありがとう、さようなら、ぐらいは、そこの国の言葉ですると喜ばれる。今回もアラビア数字を覚えて、ルームナンバーはアラビア数字で書くと、ことのほか受けた。だが、同じ日本人なのに手話の一つもできずコミュニケイション出来ないのはなんとも残念だ。
 
 クフ王のピラミッドは入り口までは登れる。中学生くらいの男の子達がわいわい話しかけてくる。調子に乗って私も写真を撮ったりして一緒に騒いでいる。 ピラミッド、初めて見る者には大きくて存在感がある。吉村作治さんによれは(彼の著書は殆ど読んでいる)、ピラミッドは王墓ではないそうだが。ガイドにピラミッドの石を指さし、「この石は何」ときくと、「アラバスター」だと答えた。アラバスターは白い筈なのに変だなと「アラバスターは固いのか」と聞くと「固い」と言う。 私の住む真鶴は小松石の生産地。石にはちょっと知識がある。この答えはどうもおかしい。旅が進むにつれやがて、ピラミッドの石はグラニートで、アラバスターは私の思っていたとおり白くやわらかい石であることがわかった。
 
 公開しているピラミッドの内部通路は背をかがめても頭がぶつかりそうに天井が低い。真っ暗な中を下を向き向き歩いていたら、いきなり前方をふさがれた。さっきの男の子達が、もそもそ上がってくるオバサンを見つけて、通せんぼをしたのだった。こんなところ人なつこくてとてもかわいい。
 
 3つのピラミッドが一望に出来るところに連れていってくれた。さらさらとした砂というより泥の乾いたような細かい砂の上を歩いていくと、遠くサッカラのジェセル王の階段状ピラミッドも見渡せる。「これから行くからね」とピラミッドに呼びかける。96ものピラミッドがあるそうだ。スフィンクスにも寄る。
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 サッカラに行く前にパピルスmuseumに連れて行かれた。パピルスの製造過程を見せ、土産物を売っている。運転手とガイドはここに私たちをおき、15分くれと言って、近くのモスクにお祈りに行ってしまった。今日は安息日、お祈りの日だからしょうがない。町中にイマームの声がスピーカーを通して響き渡る。コーランなのだろうか?

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サッカラの警官

 サッカラまでは田舎道でのんびりしていて居心地がいい。川沿いには麦畑が青々と続き、泥づくりの家々のまわりには山羊、羊、水牛、牛、馬、ロバ、鶏、あひるの姿が見られる。小さなこどもたちがロバに乗ってかけまわっている。動物は生活の相棒であり、食料にもなる。生活の相棒である限り、この種が生き残れるのも確かだ。ロバは車代わり、自分の背に牧草を積んでもらい、荷物を運んだり、荷車を引いたりとよく働いている。
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エイシを焼く

 お腹が空いたので、「みなさんにもご馳走するから、どこか食事に連れていって」と頼むと、「美味しくて安い店がある」とレストランに連れていってくれた。入り口の左の窯で、女性が二人、薄くてきれいな円のナンのようなパンを焼いている。傍へ行って「これはなに」と聞くと、答える代わりに焼きたてのパンをポンと投げて寄こした。 裏にフスマがついていて香ばしくて美味しい。ガイドに聞くと「エイシ」という。「ラジーズー(美味しい)」ほどなくエジプト料理が並ぶ。エイシにディップや野菜をはさんで食べるようだ。これがまたいける。ケバブは二人で一人前でいいから、一皿は二人にまわし、夫は専ら水みたいなステラビールを飲んでいる。私は紅茶。どこもリプトンのティーバッグ。ミルクは入れないらしい。デザートまでついて4人で125ポンド。

さすが疲れた。二人は明日の予定を聞く。明日は博物館へ行く予定だというと、午後はどうかと聞く。空いていたら、砂漠にベドウィンを訪ねて、お茶を飲んでこようと誘う。私は「行きたいなぁ」と乗り気。夫は明日はのんびり市内を歩こうと反対。「私たちは年寄りだからね。明日はフリーにする」と断ると、気が変わったら電話してと名刺を置いて行った。 ホテルで一日延長を頼むと、値段がちがいますがいいですかという。予約していくと1泊17,000円。延長は1泊250ドル。予約の方が遙かに安い。

 旅での私の日課ははがきを書くこと。一日平均10枚は書く。5枚ほど書いて、のどが渇いたので下にお茶を飲みに行くと、結婚式の披露宴が行われていた。 2階から父親に腕を取られてウェディングドレスの花嫁が下りてくる。階段の下では黒のタキシード姿の花婿が待っている。ライトがつけられ、大きなビデオカメラが回っている。花婿は花嫁のヴェールをあげ、キスすると手をとり、ホールを進む。ここに上下白に赤いベストと赤い帽子をかぶった楽団が待ちかまえていて、演奏が始まる。実にたのしげなリズム。民族衣装をつけた踊り子達もお祝いの踊りを踊る。腰までスリットの入ったスカートで激しく踊るのでなんともなまめかしい。ホールを一回りすると、花嫁花婿を先頭に一団は階段を上っていった。この先ものぞきに行きたかったが、遠慮した。

 と、次の花婿が同じように下に立ち、花嫁を待ち受けだした。今度の花婿は白のタキシード。もう一回式がある。カメラがほしい、というと夫が部屋に取りに行ってくれた。楽団は同じく白装束だが帽子とベストは青。太鼓とラッパがにぎやかに響く。巻き舌でラーというかん高い女声が響く。彼女はプロで、儀式にはつきものだそうだ。花嫁の母親が辺りに金のコインのようなものをまく。今度は踊り子はいないが、花嫁花婿と親族が輪になって踊っている。ほほえましい。柱の横からカメラを向けていると親族が前に出て写真を撮れと押し出してくれた。ついでに記念にまいたものも拾ってくる。コインのようなもの、手形に青い目がついているものなどがある。きっとそれぞれに意味があるのだろう。

エジプト弥次喜多記 3

 私の体内時計は日本にいると7,8時間狂っているから、こちらに来るとちょうどいいらしく早起きになる。アザーンも聞けるし、日の出も見られる。
 
 ホテルの朝食はどこもすっかりビュッフェスタイルになってしまった。エジプト食の方を物色すると、エイシもある。取ってきたが冷たくて、焼きたての美味しさを知ってしまったので、小麦粉の持つ甘さも香ばしさも感じられない。まずいと言って夫の皿の上に載せる。うんちくを披露すると、パンの歴史はエジプトから始まる。小麦の歴史はイラン高原の一粒小麦から始まる。因みに私たちが使っている粉には薄力粉、中力粉、強力粉、セモリナ粉などがあり、グルテンの強さが違うのだが、これは小麦そのものの性質によって分けられている。薄力粉は薄力粉用の小麦の粉なのである。

 フェタに似た真っ白な出来立てのようなチーズがある。塩辛いし、フェタのようだ。ボーイさんに「このチーズはなんて言うの?」と聞くと「ビアンコチーズ」だという。「ビアンコ、白いチーズ?なんでここでイタリア語になるの」と言いながら、ちょうど出てきたコックさんに同じ質問をするとフェタだという。フェタはギリシャのチーズ、地理的にも近いから製法が入ってきているのだろうか。もうひとつもっとクリーミーな、チーズスプレッドのような白いチーズも美味しかった。固いチーズも何種類かあったが、私は朝食はあんまり食べない方なので、さすがの食いしん坊も味見はしなかった。ただ、生野菜がたくさんあるのは実にうれしかった。

今日の予定はまず旅行社に手配を頼みに行くこと。夫はいつものように弥次喜多が良いと言うが、地方に行って英語が通じないと困るから、今回はエイジェンシーに頼もうと説得する。ホテルにある旅行社でルクソール、アスワン、アブシンベルをまわり、帰りは列車でと頼む。午前中博物館に行って来るからと午後1時に航空券が取れたかどうか結果を聞きに来ることにして、すぐ目の前のカイロ考古学博物館に行く。

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ツタンカーメン

 博物館は、なんでこんなに人がいるのかなと思うほど大勢が押しかけている。でも、中は広いので、東京の特別展のような押し合いへしあいはない。展示品の量はすごい。まるで倉庫といった感じ。エジプト学に興味のある人はこたえられないだろうな。ロンドンやパリやベルリン、ニューヨークにずいぶん持って行かれてしまってはいるけれど。
 ここのメインはツタンカーメン。日本にも黄金のマスクをはじめ埋蔵品がやってきたことがあるお馴染みのもの。何度みてもすばらしくきれいだ。切手にもツタンカーメンの立像が使われている。コンシェルジェでエアメールの切手を買っていると、そこにいたエジプト人が「アクエンアトン」だと切手の絵をさして言った。アクエンアトンにしては顔が丸いなとは思ったが、眼鏡を持っていないとよく見えない。「アクエンアトン?サンキュー」あとでよく見るとツタンカーメン。一般の人にとって、ツタンカーメンに比べたらアクエンアトンはメジャーじゃないのに。

1時に旅行社に行くと、行きの航空券は取れなかったと言う。すべての順序を入れ替えてもう一度組み直し料金を支払い、チケットやバウチャーを4時に受け取りに寄ることにする。ホテルにある旅行社でもカードは使えず現金払い。夫が銀行に行って引きだして来た分厚い札束を支払っている。ここのお姉さんの英語もrをちゃんと発音する。

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ムハンマド・アリ・モスク

ムハンマド・アリ・モスクへリムジンで行く。リムジンは市内はすぐ近くでも遠くても
29ポンドと協定料金になっている。空港までは61ポンド。そのかわり運転手が英語で説明してくれる。私は都市の車通りの喧噪は嫌いだが、路地のごちゃごちゃしたところは大好き。
 
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 ムハンマド・アリ・モスクは高台にあり、シタデルに続いている。ムハンマド・アリは
フランスのコンコルド広場にあるオベリスクを贈った人だ。大きなモスクだ。モスクに入るには靴を脱ぐ。中は絨毯がひきつめられ、シャンデリアの光の蔭がドームに映って微妙な雰囲気をつくっている。メッカの方向を示したミフラの前で数人が(必ず一人が前に立ち)祈りを捧げていた。このモスクからの眺めはすばらしい。
 外を歩いていると、カメラを持った人に声をかけられた。シャッターを押してくれと言うのかと思ったら、子どもと一緒に記念写真に入ってくれというもの。私は写真は撮るが撮られるのは大嫌い。一瞬ためらったが、快く子ども達と写真におさまる。その代わり私にも写真を撮らせてくれと、二人の男の子を撮らせて貰う。ムハンマド・アリ・モスクで会った日本人として彼らの記念になるのだろうな。残念なことに折り紙を持ってこなかった。握手して別れた。
 今度は夫が声をかけられている。どうしたのと聞くと、あの男の子達、話がしたいんだよ、という。帰り道でも一緒になったので「May I?」とカメラを向けると、喜んでポーズを取ってくれた。「バーイ」。子ども達にはもてるなぁ。

 ムハンマド・アリ・モスクからホテルまでタクシーで20ポンド。チケット等を受け取り、部屋に置いてカイロタワーに行く。ここもすごい行列。チケットを買ってその列の最後尾に並ぶと、係員がこっちに来いという。エレベーターの前は2列。私たちの連れて行かれた列はほんの数人。優先的にこちら側から乗せてくれる。外国人は優先されるのだそうだ。おかげで待つこともなく上にはあがれたが。
 その時は分からなかったが、だんだん分かると、外国人の入場料は、博物館でも、エジプト人の3倍位以上高い。そういえば他の國でもそうだった。
 
 高いところから市内を見るのは地理を頭に叩き込むにはいちばん。夕日の方向にギザのピラミッドが見える。あっちが西。タワーの横をナイル川が悠然と流れる。夕日に映えてすばらしい景色だ。タワーのあるところはナイル川の中州、ゲジラ島。ホテルは目と鼻の先。車でゆれる橋を渡り歩いて帰る。

 夕食はワインから。関税が高いらしく輸入ワインはすこぶる高い。昨夜賞味済みの赤、オベリスク98年をとる。のみやすい。私は赤しか飲まないから、エジプトワインのオベリスクとオマール エル カイヤンの2種類をたのしんでいた。値段はボトルで47から55ポンド。オベリスクの方が高い。でも私はオマールの方が気に入った。
 帰り、出発が午前4時なので、空港近くのノボテルに泊まったら、オベリスクが79ポンドだった。

弥次喜多記 4
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メムノン 

 いよいよ南への旅が始まる。
「カイロには2つ駅があり、これはギザ駅からの発車ですからくれぐれも間違わないように」とエイジェンシーのお姉さんがアラビア語でギザ駅と書いてくれた。ギザ駅列車到着はたぶん7時5分くらいになるだろうから、少なくとも6時45分には着いていて欲しいとも言われた。 私も気が早いが、夫は更に気が早い。5時半でいいというのに、モーニングコールを5時に頼んだ。朝は車も空いているから、6時半にはギザ駅についてしまった。でも、もう人々でごった返している。例によって金属探知器を受けフォームに入る。ギザ駅はフォームが2つしかない小さな駅だ。どこを探してもアラビア語以外の表記はない。警備の人に聞いても英語が通じないからさっぱり分からない。南があっちだからたぶんこっちのフォームから出るんだろう。大体どれが駅員さんだか、それすらわからない。日の出前なので、すこぶる寒い。私はコートの裏ポケットに必ず手袋とマスクとレインハットがいれてある。「オーバーだよ」と言われてもマフラーをし、手袋をはめ、それでも寒いとぼやいている。
 
 反対側のフォームに列車が入り、荷物がいっぱい下ろされる。ポーターがとんでいく。ぐるっと見渡しても通路らしきものは見あたらないし、路面から高いフォームに段差もスロープもない。どうして運ぶんだろうかと見ていると、線路に下りて荷物を持って往復している。こちら側のフォームにはキャリーを持ったポーターもいるのだが、請負らしく手伝いを断って一人で運んでいる。
 
 10歳ぐらいの男の子が重そうに荷物を背負ってきた。のぞくと新聞がぎっしり。これは重い。男の子がポンと線路に下りると、近くにいた列車を待つ人が彼の荷物を渡してやった。向こう側でも手伝っている。自然に手を出していると言った感じ。まだここには助け合いの精神が生きているんだなぁ。夫が「子どもの権利条約」は必要だなぁとつぶやく。
 
 7時過ぎ列車が来た。でもどう見ても長距離利用の列車ではない。と、商社マンらしき人が切符を見てくれ、これではない。たぶん7時半頃になると教えてくれた。ずいぶんアバウトだなぁ。7時半近く列車が来た。「来たよ」と叫ぶとまわりの人たちが「ノー。ノー」と×印をする。こんな時間に観光客が立っているので、どこへ行くのかわかっているらしい。言葉は通じなくても、みな親切だ。
 
 「中国人か?」と声をかけられた。「日本人だ」と言うと、日本人が 列車で旅行なんてめずらしいと言う。でも、彼も列車が何時に来るかは知らなかった。待つこと1時間半、8時にルクソール行きの列車がやっとやって来た。もう一組、外国人旅行者が乗った。本当は何時発だったのだろう。 座席はとても座り心地がいい。これなら長距離の旅も大丈夫そうだ。すぐに車掌さんが来て検札していった。ユニフォームがないので車掌さんの区別はつきにくい。

 飛行機ならカイロからルクソールまで1時間 だが、列車だと10時間かかる。10時間以上の列車の旅はマレーシアでしたことがあるから、そんなに大変だとは思わない。10時間の運賃が一等で56ポンド、嘘みたいに安い。ほどなく朝食の注文取りが来た。朝食を注文すると網棚からなにやらとりだしていると思ったら、ごそごそとテーブルをはめ込んだ。夫が汚いというので、ウェットティッシュで拭いてやる。彼は大きめのハンカチをテーブルクロス代わりに敷いている。かまわない私はそれを見て笑っている。 運ばれてきた朝食はきれいなトレイに載せられ、まるで機内食のようにパンもチーズもみんなパックされている。おまけにウェットティッシュまでついている。お茶も頼めば何回も持ってきてくれる。お茶代は2ポンド。
 列車はナイル川に沿って走る。これは快適だ。
nile

 「エジプトはナイルの賜」というヘロドトス(BC5世紀)の言葉があるが、まさにその通り。川沿いはエジプトの国土の97%が砂漠だという言葉が信じられないくらい緑豊か。車窓からは人々の暮らしもかいま見られる。農作業も家族そろっての手作業だ。トラクターの姿も見たが、圧倒的にロバや牛、馬が農作業を手伝っている。家畜の傍にはアマサギも多い。ツバメは川面すれすれに飛び、クイナやバンがゆったりと泳いでいる。青々としているのは麦、牧草。オレンジもたわわに実って、本当に豊かな風景だ。 そうこうするウチに、どこまでもサトウキビの畑が続く。刈り取ったサトウキビをロバが荷台一杯に山積みして歩いている。   

 ランチはチキンとグリンピースのピラフ。チキンそのものが美味しいから、骨までしゃぶった。ピラフはちょっと米の芯が残るところがあったが、日本人にはあう。時間にゆとりがあれば、列車の旅はおすすめ。

 ルクソールに近づくにつれ、畑は広いトマト畑になった。コンテナいっぱいにつみ取られた真っ赤なトマト。美味しそうだ。
日が西に傾くと、遠くの禿げ山に夕日があかあかと燃える。刻一刻と移りゆくその色彩の美しさ。今思うとあの禿げ山は王家の谷の辺りだったのだろう。

暗くなった駅に待っていてくれたのはエイジェンシーのハマダさん。なじみやすい名だ。そういえば、ピラミッドの運転手はタナカさんだった。今日のホテルはナイル川沿いのイシス ホテル。客がいっぱい。日本人団体客もぞろぞろいる。部屋は通りに面している。この国の車はやたらとクラクションを鳴らすのでとてもうるさい。夫が部屋を代えてくれと言いに行くと、今日は満杯だから明日の朝にしてくれと言われた。
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ミナレット

 このホテルには何軒ものレストランがある。「中華に行こうよ」というと「こんなところで中華に行かなくても」と夫は渋い顔。でも中華にいく。飲み物は?夫はステラビール、私はチャイニーズティを注文すると、チャイニーズティはないという。中華料理店のくせにチャイニーズティがないなんて、それならやめるとわがままな私は席を立つ。 夫はイタリアンにしようという。ガイドブックに美味しいと紹介されているからと。ガイドブックなんて信用しない方がいいよ、と私。この辺、ギリシャもトルコも、イタリアの近所のくせに、パスタの茹で加減がアルデンテでない。イタリアだって茹でたパスタを使うところがかなりある。「日本のスパゲッティはアルデンテなのに、イタリアのスパゲッティはアルデンテでない。どうして?」と訊いたことがある。そうしたら、主人答えて曰く「お客様を待たせないためのサービスだ」と。 でもここならワインは飲める。ここのミネストローネは美味しかった。野菜が美味しいんだろう。パスタはやっぱりアルデンテではなかった。だから後はお茶だけ飲んで出てしまった。

エジプト弥次喜多記 5

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朝のナイル川

ルクソールの一日。アザーンの声で目が覚めた。部屋が東向きなので、朝日が昇るのが見える。ナイルの岸辺を散歩する。ナイルはたっぷりとゆったりと流れている。ボチャンと音がしたのでそちらを見ると、キングフィッシャー(カワセミの仲間)が魚をくわえて飛び上がった。大きさもヤマセミに似た黒と白のキングフィッシャーだ。 車窓から見た畑の作物を確かめたくて、近くの畑まで歩いていく。

 西岸に行くには以前はフェリーを利用していたようだが、今では立派な橋が架かっている。ルクソールはエジプト第一の観光地。国の力の入れ方も違うのだろう。

 西岸は古代は「ネクロポリス(死者の町)テーベ」といわれ、ルクソール住民の墓所だった。有名な王家の谷があるところだ。今日のガイドはアリさんとシャバさん。シャバさんは日本でアラビア語を教えていたのだそうだ。日本人のためにわざわざ日本語の出来るシャバさんをスタッフに入れてくれたのらしいが、このシャバさんの日本語がこれまた大変。シャバさんがつまると、そっと隣のアリさんに英語で説明して、と頼む始末。

 王家の谷にいく途中の丘の上に早稲田ハウスがある。「寄りますか?」「隊員がいるときは旗があがっているそうだ。旗がないから今日は留守」と断る。ここでは吉村作治さんはヨシムラセンセイと呼ばれて有名。「吉村先生の本、みんな読んでいるよ」、というと「それでは歴史にくわしいでしょう」と。
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王家の谷入口

 王家の谷は草ひとつない河岸段丘にある。しろっぽい丘の上の空は真っ青。もうすでに大型観光バスが押し寄せ、駐車場はいっぱい。土産物屋が所狭しとならび、観光客に声をかける。シャバさんが、2年前のテロ事件で、日本人観光客が来なくなって、本当に困り、時計を売ったりした、という。
 
 公開されている王墓の前は行列が出来ている。なんのことはない、団体客にガイドが説明しているので、入り口に人だかりができているのだ。団体客は結構こんなことで時間をとられる。ピカソのゲルニカの前で団体客に、ガイドがながながと説明したのには腹がたった。団体が完全に作品をふさぎ、見えなくしてしまった。説明をきく人たちは作品を見ずガイドの方を向いている。説明は離れたところでしろ、と文句を言った。だから迷惑にならないように、二人だけで見学してくる。
 
 色鮮やかな壁画。表面はガラスで覆ってあるが、こんなに大勢の人が入れ替わり立ち替わり入って影響ないものか、とその一人であるにもかかわらず、心配している。近くにツタンカーメンの墓もある。夫が ぜひ見たいというと、ここは別料金だという。「チケットはどこで買うの?」と聞くと、いくらだからアリさんにはらってくれという。入場料を見て、夫が「アリさん、料金上乗せしているよ」とささやく。ツタンカーメンの墓は小さい。副葬品はカイロ博物館にあり、ここには彼のミイラだけが眠ってる。ツタンカーメンの時代は宗教的に大変な時代。案外、暗殺されたのかもしれない、と当時をしのんでいる。
シャバさんがツタンカーメンの奥さんは「ティティ」「違うでしょ」と私。「そちらの方が詳しいのでした」「まったく。嘘おしえちゃだめだよ」と笑って言う。

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 ハトシェプスト女王葬祭殿。ここも二人だけでほっつき歩いてくる。今は修復中でテラスまでは上がれない。ここの警備もすごい。あのテロで撃たれた人が小田原にいるが未だに後遺症が残っている。

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ケニア旅行①

2004-08-07 23:02:58 | 旅行記 アフリカ

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サバンナ風景

ジャンボ ハバリ

はじめに

サファリとはスワヒリ語で「旅」を意味する。それは単なる旅だけでなく、「人生」をも含む。人は何で旅をするか、そしていかに旅するか。今のサファリは野性動物を見るだけの旅の意味に使われているが、日ごろ絶対にあうことのない野性動物に出会い、彼らの日常生活の一環をのぞかせてもらい、そのドラマに一喜一憂する。その環境、彼らの生活ぶりをしるだけでも、感じ考えさせられることは多い。それこそが、私たちの人生の旅に寄与してくれていることなのだろう。
旅は常に自己を、世界を考えるものである。

写真は
http://photos.yahoo.co.jp/minyonnechat

http://photos.yahoo.co.jp/ninapendadoma

ケニアの基本情報

面積:58.3万平方メートル(日本の約1.5倍)
人口:2,868万人(1999年国勢調査)
首都:ナイロビ
言語:スワヒリ語・英語
政治:共和制
特産物:農(コーヒー、紅茶、サイザル麻、綿花、とうもろこし、除虫菊)
     工(ビール、タバコ、セメント、石油製品、さとう)
     鉱(ソーダ灰、ほたる石)
部族:42部族
日本との時差:6時間(夏時間)

 荷物はこれで2回目使用の布製濃紺の買い物用の1000円のキャリーバッグに下着1組、長いニットのズボン下1枚、靴下1足、長袖の綿シャツ2枚、綿パン1枚、Tシャツ2枚、ハンドタオル2枚、スウェーター1枚、白い帽子1。遠近両用のメガネ。
洗面用具バッグ(薬も糸も針も入っている)、鉛の袋に入ったフィルム50本。袋に入ったサスコムと変圧器。プラスチックのハンガー1本。サンダル1足。電池式の蚊取線香1個。

このバッグに目立つように、赤いベルトをつけ、このベルトが2000円した、手のところに化繊のピンクとブルーのネッカチーフを結んだ。施錠もした。手荷物預けで測ると5.3kgだった。

機内持ち込み用は、大きな布製のカメラバッグ。大きさはキャリーバッグとほぼ同じ。35~105mm、100~300mmのレンズをつけた2台のカメラ。強力ストロボ、リチウム電池2個、ウェットティッシュ2包、サングラス。ふたのポケットにモバイル、両サイドに新書「日本の農業のゆくへ」、ミネラルウォーター1本とスリッパ。後のポケットに書類一式と筆記用具、電子辞書、スティックのり。アメ1袋。粉末緑茶1袋。(私は水を飲む習慣がないので、水にこれを溶かして飲む)。表のポケットには雨のときバッグがすっぽりと被えるように45?用のゴミ袋が2枚。黒の靴墨もちゃんと入れてある。カメラバッグの重量は7kg

服装はタンクトップに、長袖綿シャツ、黒い網のポケットがたくさんついたチョッキ。パスポートとドルとユーロはここに入っている。一重の厚地の綿コート。これもポケットはたくさんある。内ポケットに革手袋、レインハット。サイドのポケットにはマスク、スカーフ、ミニタオル、ティッシュ、アイマスク。尤もコートは着ないときはたたんでカメラバッグに入れる。靴は革のウォーキングシューズ。もちろん、トレイドマークの大きなポシェットはつけている。いつものより大きめ。目薬、頭痛薬を数個切ったもの、清涼油、ヘルペスの軟膏、筆記用具、ツメきり、バラ水、日焼け止め、メガネ、時計。

2004年7月1日(木)

いつしか成田前泊が当たり前のようになってしまった。たしかにラクである。まして今日のように出発が早いと安心でもある。

7時半のシャトル・バスに乗る。8時前に空港に着き、「風の旅行社」のチェックインの列に並ぶ。今回も手配はおなじみの風の旅行社に頼んだ。
ほどなく二人がやってくるのが見えた。あと一人が来ない。電車にも乗っていなかったという。
「もうひとり来なくても3人で出かけますか?」というから、「来なければ置いてでも出かけます」といってチェックインをすませると、もう一人が歩いているのが見えた。ひと電車早く着いたので、2時間前ぎりぎりにくればいいと思って、食事をしていたのだという。今回の仲間は4人。60代は最年長の私とMさん、50代がHさんとNさん。いつものメンバーだ。

もらったシートナンバーを見てpapasanが「窓側がないじゃない、黙っていると4人だと真ん中に押し込められるんだよ」と係りに交渉に行く。結局2人ずつ分かれるが窓側を1席確保できた。ヨーロッパ初めてのNさんにその席は譲る。満席。やっぱり夏だなぁ。KLM10時25分発。15時アムステルダム着。

機内販売でブラウンの電動歯ブラシを買った。45ユーロ。同じものを家で使っているので、旅行用にヨーロッパ用のプラグがついているこれを買った。

アムステルダム・スキポール空港。トランジットまで5時間近く時間がある。機内冊子にComfort roomがあると載っていたので、それを探す。2階、カジノの上ぐらいにそれはあった。リクライニングできるイスが何台も置いてある。2ケ所あり、ひとつは窓の近く、もうひとつはトイレの後方に灯りを落として静かな雰囲気。トイレに行き、顔を洗おうとしたら水が出ない。人が入ってくるのを待って使い方を聞くと、蛇口の下のほうに手をかざして、読み取らせる。

階下でマッサージをしているのが見えた。でもお客がいっぱい。ゆうべマッサージをしてもらったから、いまはいいか。
そこで隣の美術館に入る。レンブラントと仲間のアニマル展、無料。
5時間はなんなくたって、ナイロビ行きにチェックイン。席は各自ばらばら。私は窓際。といっても20時40分発じゃぁ、すぐ夜が来るから窓際も意味はない。明日があるから寝るとしよう。しかもお隣は体の大きな白人ご夫婦。ぐうぐう寝こんでいる。起こすのも悪いのでとうとうナイロビまで9時間トイレを我慢した。

KLMとの共同運行にはなっているけど、機体は赤と白に塗られたケニア航空機だ。スタッフもケニア人。アフリカに行くんだという実感がわく。各シートにはモニターはついているので、ゲームを始めたが、ゲームのルールがいまいちわからない。やむなくマップを見ていると、アドレア海沿いにバルカンを南下していく。
いつしか眠ってしまった。

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7月2日(金)

窓から空を見ると、空に光の矢印が下をさしているのに驚く。惑星に恒星が重なって、空につけられた矢印のように見えるのだ。矢印の下の地上にはなにがあるんだろう。まるで何かの啓示のようだ。
午前5時42分ナイロビ、ジョモ・ケニアッタ空港着。

空港の名前のジョモ・ケニアッタはケニアの初代大統領の名。ケニアッタという名は私でも知っている。イギリスの植民地であったケニアで反政府運動をして捕らえられ、たしか7年ぐらい投獄されていたと思う。歴史に名高いマウマウの反乱で反政府軍、政府軍、双方とも多くの犠牲を払ったが1963年ついに独立。外交的には柔軟路線を推し進めていたようだ。亡くなるまで大統領の座にあった。

イミグレをとおり、外に出ると、迎えのA&Kのガイド、ダンカンさんがカタカナで私たちの名前を書いた紙を持って、待っていてくれた。「ジャンボ!」「ジャンボ!」先ずは50ドルをシリングに代える。1シリング=?

専用車はNISSANのワゴン。荷物は後に積んでしまうし、4人だから、ゆったりしている。私は運転席の後に席をとる。カメラバッグを足元に置くので。
ナイロビによらずに一路アンボセリ国立公園をめざす。空港を出ると、そこはもう広大なサバンナだ。アカシアがサバンナ独特の風景をつくっている。
アカシアには種類がたくさんある。アフリカとオーストラリアが原産。日本でおなじみのアカシアは同じマメ科だが、白い花のハリエンジュ(ニセアカシア)で北アメリカ産。アフリカ産はおなじみのミモザだ。乾燥地帯に適応して葉は細く、小さい。オーストラリア産はもうすこし葉が広いそうだ。

そのアカシアを食べているキリンたち。草原にはガゼルもいる。シマウマもいる。
うわ~、キリンだぁ~。シマウマだぁ~。国中が自然公園なんだ。と車内はうるさいことしきり。
途中、トイレ休憩のため、マサイのみやげ物屋に寄った。トイレは水洗できれい。タチアオイの花がいっぱい咲いている。
頭上からいろんな鳥の声が響く。いい声だ。どこだろう。嘴の赤い、キングフィッシャーだ。
ハタオリドリの巣がたくさん木にぶら下がっている。時折、鳥がその巣に出入りしている。下についた出入り口は横に曲がるようになっていて巣が作ってある。そうだよね、でなかったら、卵が落ちちゃう。

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ーハタオリドリの巣ー

褐色と青い羽の鳥がいる。それを追って写真を撮る。これはムクドリの仲間でごくごく普通に見られる鳥だったが、そのときは
めずらしいから、カメラで追いかけた。

マサイの黒檀で出来たペーパーナイフを買った。10ドル。気に入ったんだけど、これはどこかへ落としてしまったらしく、片づけをすると荷物の中にはなかった。お茶を飲むと1杯100シリング。店の人たちも結構片言の日本語を話す。日本人客が多いのだろう。

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アンボセリ国立公園まで空港から4時間ぐらいかかる。毎度のことながら、ダンカンさんからスワヒリ語を教わっている。ダンカンさんは日本語も上手だ。
ジャンボ、これはおなじみ、挨拶はすべてジャンボ。
アサンテ サーナ(ありがとう) サーナはvery much
タム サーナ(おいしい)、
ズリ サーナ(very good)
ウズリ サーナ(very nice)
ジュンボ(大きい)
ポレポレ(ゆっくり)
クワヘリ(さようなら)・・・

道すがら、キリマンジェロがうっすらとだが見える。おお、ラッキー!日本で「運がよければキリマンジェロが見えます」なんて言われたけど、キリマンジェロはずっと見えてた。私たちは運が強いんだ。幸先がいいぞ!

まじかで野生動物を見るなんて、日常にはない経験だ。動物園では見たとしても、野生動物が勝手気ままに生活しているなんて、そんじょそこらにあるもんじゃない。あっ、シマウマだ!キリンだ!と大声をあげ、興奮気味にしゃべるので、みんなすっかりのどが痛くなってしまった。

タンザニア国境(50m先が国境)の町から左折してアンボセリに向かう。タンザニア国境までの道は舗装されていて走りよかったがここからは石ころだらけの未舗装の道に入る。ラテライトの赤い道。ほこりが舞う。ときどき、牛をつれたマサイの人々とすれ違う。カンガを着て棒を持っている。被写体にはいい。だけどガタガタ道だから車中からは撮れない。

きっとこの道は自然公園だから、舗装しないのだろう。あとで確認すると、やはり舗装はしないのだという。理由として私は水の滲みこみを考えたが、ここは暑いところなので、動物がアスファルトやコンクリートでやけどをしないように、という配慮もあるのだそうだ。アンボセリに近づくにしたがって、大きな木も見られるようになった。木にはハタオリドリの巣が鈴なりにぶら下がっている。

アオノリュウゼツランの花が何本も高くのび、うす黄色い花をつけている。リュウゼツランの仲間もいろいろあるが、一番ポピュラーなのがギザギザ葉っぱのこのアオノリュウゼツラン。小田原・早川の道沿いに咲いていたので、おなじみの姿だが、こんなにあるのはお目にかかっていない。ケニアの特産物にサイザル麻がある。サイザル麻はこのリュウゼツランの繊維でつくる。日本ではサイザル麻の縄を稲を束ねるのに使っているそうだ。ついでにメキシコではリュウゼツランでお酒をつくる。テキーラがそうだ。

アンボセリ公園入口でチェックを受け、広い広いサバンナを通って、キリマンジェロの方に向かい、昼近く、アンボセリ セレナ ロッジに到着。ホテルの前をバブーン(ヒヒ)の群れが平然と横切っていく。フロントでチェックインしていると、ウェルカムドリンクが出た。でもね、口をゆすいでからもらいたいなぁ。なんせホコリだらけの道を走ってきたんだから。
ロッジの通路は木造、左手にレストラン、テラスは喫茶室、外に出て客室へ行く。
途中、サバンナが見渡せ、動物たちの姿が見える。近くには水場がある。サバンナ モンキーがやたらと歩いている。
サバンナ モンキーは全身銀色の毛だが顔だけが黒い。長い尾っぽ。目を引くのはオスの睾丸が美しい青い色をしていることだ。

木に囲まれたロッジは平屋の赤い土を連想させる、いく棟か軒を連ねたつくり。部屋は広くはないが、ベッドが二つ。壁にはシマウマとマングースの絵が描いてある。洗面所にはバスタブもついている。うんうん、なかなかしゃれたロッジだ。
ただ水は色つきでにおいがきつい。さっそくサンダルに履き替える。初めてサスコムで3本足を作ってさしこんだ。これに変圧器をつなぎ、さらに机の上のモバイルをつないだ。よし、出来た。次は買ったばかりの電動歯ブラシ。洗面所はヨーロッパタイプのCだ。そのまま差し込んでOK。備えつきの電化製品としては電気蚊取器がある。蚊はいるんだろうか。でも蚊の姿は見えなかった。

12時すぎ食事に行く。No Smokingというと、下側のレストランに案内された。窓際がいいと席をつくってもらう。No.88、その席が滞在中の私たちの席になる。私は窓側。ガラスのすぐ向こうからサバンナモンキーがじっとこちらをみている。サバンナ モンキーの姿はかわいい。これは子どもかも。パンをやりたいところだが、立て札に「餌をあげないでください」と書いてある。

バイキング形式。ロングウェイだといいながら、料理を取りに行く。料理の品数は多い。用心してサラダは取らずに、ケニアの主食ウガリとスクマをまずは試食。ウガリはとうもろこしの粉を蒸した、白い蒸しパンのようなもの。味に個性はない。主食だからこれでいいんだろう。スクマはホウレンソウにボディビルさせたような感じの野菜。炒めてあるが塩コショウもきつくない。ちょっと物足りなくて醤油をかけた。これとウガリといっしょに食べる。ついでに取ってきたチキンやソースをかけて食べるとなお美味しかった。チキンは美味しいと聞いてきたが確かに美味しい。他の人たちは魚を食べている。テラピアだそうだ。ビクトリア湖のものだとか。ここも果物は豊富。マンゴー、パイナップル、スイカ、パッションフルーツ、メロンetc.と種類も豊富。これはご機嫌。 

テラスでお茶はいつでも自由に飲める。マサイの若者がカンガ姿でロッジ内にいる。どうもサルを追っ払っているようだ。ところがサルもさるもの、大きなパンを盗んで逃げた。追いかけるマサイ。サルがパンを放り出して屋根へ。ときおり下をのぞく。マサイがいると顔を引っ込める。「サルの勝ち!」と私がはやしている。結局そのパンはサルに与えられた。
オバサンたちがマサイに写真を撮らせて、という。伝統衣装にタイヤでつくったゴムぞうりをはいている。撮影はOKだが、モデル料を一人1ドルずつ請求されている。うふ、モデル料を払って撮るなら、場所を選んだ方がいいね。

4時からゲームドライブ。私たちは乗ってきた専用車に4人だけ。ガイドもドライバーのダンカンさんが勤める。ほかの車も4時にはみんなそろって出かける。夕方にならないと暑さを避けて茂みにいる動物たちが出てこないからだ。ルーフがあげられ、天井のついた展望車になっていて、立ってそこから外を見る。サファリは車から降りることが禁じられている。4人だから、どの方向も自由が利く。余裕だ。これはいい。この車でのゲームドライブは6人までと言っていたが、6人ではきついかも。

広い広いサバンナ、ドライバーの勘と、無線で情報交換をしながら車はそれぞれサバンナに散っていく。まず会ったのは1頭の大きな象。これはオス。象は普通、オスは単独で暮らしている。サバンナは広い、が動物はたくさんいる。初めは何を見ても喜ぶから、ダンカンさんもそれを心得ていて、ゆっくり楽しませてくれる。トムソンガゼルとグラントガゼルの見分け方、さらにキリンガゼル、インパラとの違いなんて丁寧に説明してくれる。ほどなくみんなも覚えて、判断できるようになった。
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トムソンガゼル

それにしてもダンカンさんの目のよさには感心する。視力は測ったことがないから知らないというが、私たちが双眼鏡で見て判別するのを、彼は肉眼で判別してしまう。私も目はいい方だったが、とてもとても足元にも及ばない。そこで「双眼鏡」とあだ名をつけた。小さな鳥の判別にはさすがの彼も双眼鏡をかけた。双眼鏡が双眼鏡をかけたら何になるんだろう?
マサイキリン、象の群れ、ライオンの親子、トムソンガゼル、グラントガゼル、キリンガゼル、インパラ、ブチハイエナ、シマウマ、ヌー、ジャッカル、野鳥もたくさん見た。ヌーの数は多い。まだ移動前らしく、おとなしく草を食んでいる。

草原にヌーが1頭ずつ座っている。これはオス。縄張りを守っているのだそうだ。象の群れにはたくさん出あった。比較的大きな群れが多い。メスたちは子象を真中にはさんで守りながら歩いている。水場近くでは、草の上に横になって、寝てしまっている子象もみかけた。象のまわりにはアマサギがついている。象が歩くとき、飛び出す虫をとるのだそうだ。

叢にはライオンの親子。メスが時折顔を出すが、全身をだしてはくれない。
「お~い、遠来の客にもうちっとサービス精神を発揮しなさいよ~」
ダンカンさんが「ライオンには日本語は通じない」と笑ったけど、近くの草むらから子ライオンが顔を出した。
「ほら、通じたじゃぁ~。」
草の中に、子ライオンが3頭いる。

キリンや象やヌーたちに会い、ご機嫌でホテルに帰る。夕日が草原を染めている。だけど、夕日が落ちる様子は雲が邪魔をした。ホテルに着くや、風呂に入り洗濯をし、夕食を食べ、売店で鳥の図鑑と絵葉書と日本までの切手(1枚90シリング)10枚ずつ買い、便りを書こうと思ったが、何もせずに寝てしまった。

7月3日(土)

ゆうべ早く寝たので、3時ごろには目が覚めてしまった。しかも寒い。毛布1枚では足りない。今夜はもう一枚貰おう。
起き出して長袖の綿シャツにスウェーターを着こんだ。

鳥の声がし始めた。6時半、朝のゲームドライブに出発。コートも着た。手袋もした。キリマンジェロ(5895m)がはっきりと姿をあらわした。一番の朝日を受けて頂上の雪がピンクに染まる。と見る間にピンクは消え、朝日が上り始める。朝焼けの中にぽつんと立つアカシアの木がかすむ。朝日を斜めにうけて遊ぶヌーの群れ。まさにサバンナの風景だ。
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キリマンジェロとヌー

ライオンに会う、一頭はオス、2頭はメス、彼らの吐く息が白くあがる。外気温と体温との差が大きいのだろう。ライオンは草原では保護色になっていて、全体がくすんだ枯れ草色だ。ダンカンさんによればライオンのオスに会えるのもラッキーなことなのだそうだ。キリマンジェロにも会えたし、ライオンのオスにも会えたし、幸先は良いとよろこんでいる。バッファローも近くで見られた。水牛はアジアン・バッファローといい、ここのはアフリカンバッファローという。角が印象的だ。

アカシアの大木があちこちで倒れ、朽ちている。でも若木は目に付かない。
「どうして木が枯れてるの?」
「象が木の皮をむいてしまうからですよ」
「象のせいなのか。公園内でもある程度区切っての再生は必要だろうなぁ。」
私が知らないだけで、もうとっくに試みられているかもしれない。

ガゼルも多い。お腹に黒と白の腺がくっきりとついている。たえず尻尾をふっているのがかわいいので、「おしりプリプリ」と名前をつけた。朝はプリプリが少ない。寒いときはプリプリしないのだそうだ。シマウマのお尻も、もっこりしていてかわいい。シマウマの縞は人間の指紋と同じで個体差があるそうだ。お尻写真家だといいながらお尻を狙っている。でも、変質者じゃないですよ、念のため。

朝食に戻る。部屋の窓から、枝に邪魔されているが、キリマンジェロが見える。

セーターを脱いで、薄着に着替え、10時からのマサイの村をたずねるべく車にのる。そこへ情報が入り、今朝ライオンに会ったところに、チーターがいるがどうするかときく。もちろんチーターを見たい、村はあとでいい。サファリで私が一番会いたい動物はチーターなのだ。さっそくライオンのいた場所へ行ったがチーターの姿はない。がっかりしながら戻り始めると、ダンカンさんがブッシュの前にチーターの姿が見えるという。望遠でのぞき、どうやら見つけると2匹いる。兄弟だそうだ。

彼らは悠然とブッシュの中に入っていく。そこでブッシュの反対側に車を移動して待つ。反対側には数匹のガゼルが草を食べている。チーターはガゼルを獲物にするから、きっとあのガゼルを狙うだろう、とダンカンさんがいう。数匹のガゼルの中に子ガゼルがいる。狙われるとしたら、きっとあのガゼルだろう。かわいそうだがそれも自然の摂理だ。

ガゼルの親が緊張して立ち上がった。チーターが近い。と、そのときチーターの姿が現れた。次の瞬間、もうガゼルを追っている。そのスピードのすばらしく早いこと。慌ててシャッターを切ったが撮れたかどうか。ガゼルの行く手をさえぎり、チビガゼルを引き離し、あっという間に襲いかかった。子ガゼルが倒れた。ガゼルは一巻の終わりだ。ガゼルをくわえて戻るチーター。
もう一匹のチーターもブッシュから出てきた。2匹はブッシュの陰に見えなくなった。きっとガゼルで朝の食事をしているのだろう。興奮さめやらずのシーンだった。こんな場面に遭遇できるのは滅多にないことだ、とダンカンさんが言った。うん、私たちはついてるんだ。

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豆粒みたいだけど

そのままマサイの村へ行った。マサイの村はロッジからさほど遠くない。村に入る前に村人総出の歓迎の儀式で迎えられた。カンガを着た男女に取り囲まれ、歌と共にマサイダンス、高く飛び上がるダンスが行われた。私はとてもできない。マサイの人たちって、手足が長いから、背がうんと高いと思っていたら、日本人並。入村料は一人20ドル。各自その場で払う。英語を話せるマサイが案内役となり説明してくれる。名前はジョエル。写真は自由に撮っていいという。
茨で編んだ垣根を通って中に入ると、先ずはマサイの火のおこし方を実演してくれた。木をこすり合わせての火おこし。簡単に火がつく。今もマッチは使わずにこれで火をおこしているという。食事は肉やミルクに家畜の血を入れて飲む。テレビで見たことがある。牛の脚に少し傷をつけてしたたる血をミルクにまぜて飲んでいた。家の中にも案内された。壁や床は牛糞で固めてある。暗くてよく見えないが中にはベッド、真ん中に炊事用具があった。

マサイは一夫多妻、5人ぐらいの妻がいるそうだ。もともとは自然崇拝だったが、いまではクリスチャンも多いとか。ジョエルも妻帯者でクリスチャンだというから、「クリスチャンが多妻はいかんよ」とからかった。
家の中から子ヤギが出てくる。あれは家畜小屋だというが、家畜小屋も人の住む家も同じつくり。
「ねぇ、お年寄りの姿が見えないけど、どこにいるの?」
「年よりは他の村に住んでいる」

広場でイスに座って、マサイの薬草について教わった。マラリヤの薬、痛み止めの薬・・・草や木を上手に使っている。
南米アマゾンのシャーマンたちの植物についての豊富な知識を思い出した。

その後で、マサイのマーケットを見てくれという。行くと青空マーケットだ。各人が作ったものを並べて売っている。それぞれが自分のを買ってくれと売り込む。おつきあいにビーズの腕輪を数個買った。ついでにつけてくれというと、はめてくれて、マサイママだという。じゃぁ、足にもつけるか、でもジーンズじゃねぇ。
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おしゃれね

Hさんがさっき薬のとき使ったマサイのイスがほしいとジョエルに言った。20ドルで売ってくれと。
ジョエルはオーナーに聞くからと言って、持ち主に話している。
「マホガニーだから70ドル出して」
「それは高い。20ドル」とHさんが粘る。
21ドルで決着。Hさんはうれしそう。入ったときからイスに目をつけていたのだと。へぇー。よく見ると1本の丸太をくりぬいて作ってある。なるほどね。しかし持って帰るのが大変だ。

ロッジに戻るとテラスに人だかりがしている。PCを置いてなにやら映像をアップしているのだ。見るとさっきのチーターの狩のシーン。「あっ、これ、私が教えてやったんだよ」と叫ぶと、振り返ったインド人が私を認めてにっこりと「そうです。さっきはありがとう」と礼を言った。そうなんだ。チーターがブッシュにひそんでいるので車を移動させるとき、すれちがう車に私が大声で「チーターがいる。」とやたらと教えた。それを聞いて「Thank you.」と言ったのはこのインド人だけだった。

昼食後、洗濯をしようと持ってきた石けんをあけた。緑色のぶつぶつが入っている。洗濯物につけると、ざらざらのぶつぶつが溶けて緑色の水になった。なんだぁ~これ。緑色の部分を擦り取ってもざらざらは残る。するとNさんが「mamasan、それは入浴剤ですよ」と言った。いつも洗濯用に化粧石けんをひとつ持ってくるのだが、電池蚊取を買いに行ったついでに大きさがちょうどいいと買ったのだった。仕方がないので、シャンプーを使って洗濯した。シャンプーは石けんシャンプーだから。ついでに、リンスも使った。あ~あ、大失敗。

午後のゲームドライブまで絵葉書を書いている。午後からはミニ キリマンジェロと呼ばれている110数mちょっとの小さな丘に登る。上り口にキリマンジェロの噴火で出来たと由来が書いてある。

上り始めると斜面を下りて来る日本人男性に会った。
「上に行けばビールが売っているとガイドが言うから上り始めたんだが、売っていないと分かったから行くのをやめた」と。
「すぐだから一緒に行きましょうよ」と誘ったが、のぼりはいやだと降りていく。私みたいな人がいるんだ。のぼりがきらいなこのオバサンもどうやら頂上へ。見晴らしはいい。さっきのオジサンの奥さんに会った。
「ご主人、ビールがないからって下りて行きましたよ。いっしょに行きましょうって誘ったんだけど、オバサン連れじゃぁダメみたいよ」というと、笑っている。二人は大阪の人で、関空からエミレーツできたのだそうだ。
その二人のガイドが、Nさんたちに「ほら、うしろにサルがいる!」って言ったのでいそいで後ろを振り向いたら「わ~引っかかった!」とからかわれていた。このガイドも日本語が流暢だ。

後ろにはキリマンジェロ、メル山(メルシャンと覚えた)、とタンザニアの山が見える。前は広大なサバンナ、しかし池があり、川があり、水場は緑に覆われている。水場には象をはじめ多くの動物たちが集まっている。池にカバが顔をのぞかせている。

キリン、ヌー、象、シマウマ、鳥たち・・みんな一緒にいる。サバンナに夕日が落ちていく。

夕食後、南十字星を見に行った。空が開けているところはホテルから公園にでる門辺りがいい。そこでそろって夜道を歩いていると、懐中電灯の光が足元を照らしてくれた。警備員が心配してついて来てくれたのだった。「南十字星をみるだけ。門の外には出ないよ」というとにっこり。南十字星はキリマンジェロの右手にあった。「1月に見たばかりだから覚えているよ。天の川はこう流れている」とみぶりてぶりで説明する。

部屋に戻ろうと思ってテラスを通ると、火が燃やされ、そばでギターを弾いている。ウチのオバサンたらは覚えたての言葉を使いたがる。使うから上手くもなる。「ジャンボ」はケニアの人のみならず、外国人にも使える。
9時からここで演奏するのだという。9時からでは眠いから来れないというと、ギターを弾いて歌ってくれた。
「ジャンボ、ジャンボ ワナ(こんにちはMR)、ハバリ ガニ(ご機嫌いかが)、ウズリ サナ(元気です)・・」
すぐに覚えて一緒に歌い始めた。これはいい。覚えて帰ろう。

7月4日(日)

起床5時45分、荷造りを済ませて6時半朝食に行く。
朝食前に絵はがきをフロントへ出しに行く。ヒョウタンをくりぬいたようなポスト。
人目がないのを幸いに、私もサルにパンをやった。
えへへ。サルは両手で上手に受け取った。

7時半出発。一度ナイロビに戻り、ナクル湖へ向かうのだ。一昨日通った道を元に戻る。みやげ物屋でのトイレ休憩も同じだ。
ここで昨日の大阪のご夫妻に出会った。二人はこれからマサイマラへ。明後日は私たちもマサイマラだから、再会したらビールで乾杯しましょう!ダンカンさんが、彼らが泊るのはムパタサファリクラブだという。
「ムパタサファリクラブって有名なところね」
「日本人には有名。マラ シンバとは6kmも離れている」
「あはは、じゃぁ、ビールで乾杯は無理だねぇ」

ハタオリドリの巣の写真を撮る。一番小さなシカの仲間ディクディクを見た。
ダルマワシ、草原ワシ、大型の鳥が悠然と飛んでいる姿は日本ではめったにお目にかかれない。大喜びしている。
ダンカンさんの鳥類図鑑を見せてもらうと、ローマ字で日本名が細かく書き込まれている。うーん、勉強家だなぁ。こんな日本にいない鳥の和名をどうして調べたんだろう。辞書には詳しい鳥の名前は載っていないはずだから。

ダンカンさんは移動の時は私たちにシートベルトをしめさせる。
「どのくらいのスピードで走っているの」
「普通120キロ、道がよければ140キロ」
運転が上手いんだろうな、そんなにスピードは感じない。でも長距離だから、ときどき手をぶらぶらさせている。

ナイロビに入る。ナイロビはさすがに首都。高層建築が立ち並ぶ。街中もきれいだ。でも渋滞もひどい。
それにしても緑いっぱいの都市だ。サバンナから戻ってきたのでほかの国に来たかのような錯覚を覚える。
街路樹になんとハゲコウがたくさんとまっている。
「あっ、ハゲコウだ!」とカメラを構えると、
「ナクルにたくさんいる」とダンカンさん。
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ハゲコウ

中華レストランでK&Aの現地日本人スタッフのAさんが迎えてくれた。Aさんはまだ若い女性。
でも気さくに話をする。彼女は奈良の出身だそう。
「なんだ、Aさんが女性だと分かっていたら、お土産持ってきてあげたのにね。」
「ダンカンさんはすごい勉強家ですね」
「ええ、職人気質のガイドです。だから大勢のツアーではなく、少人数や個人旅行に
まわってもらっています」
「彼はご指名だなぁ」
お昼は中華料理。

Mさんがトイレに行ったまま戻ってこない。心配してのぞきに行くと、お腹をこわしてしまったという。程なく出てきたMさんは青い顔をしている。スープや消化のいいものだけ食べておいたら、といって下痢止めを飲ませた。
Aさんに見送られて、ナクル湖へ向かう。Mさんの下痢はそれだけで幸いおさまった。よかった。

ナイロビ郊外、キクユ族の地。キクユ族はケニア最大の部族。故ケニアッタ大統領もキクユの出身だ。ダンカンさんもキクユの出だそうだ。

途中、大地溝帯の展望台を横目に見ながら行く。帰りに寄るから今は通り過ぎるだけだという。そのあたりで、サボテンのような木を見る。ユーホピアという木だそうだ。ユートピアって覚えればいいんだよ。

ナイバシャ湖、エメンタイタ湖の横を過ぎる。湖岸になにやら光るものがある。
「あれは?」「花のビニール栽培です。見たいですか」
「見なくてもいいけど。ここはなんで電力をつくっているの?」
「水力と地熱です」
「地熱って、火山があるの」
「ええ、あの山は火山です。ナイバシャには温泉もあります。」
「そうか、キリマンジェロも火山だったよね。ミニキリマンジェロは
キリマンジェロの噴火で出来たんだって書いてあった」

湖面にピンクのボチボチが見える。フラミンゴだという。トイレ休憩のため木彫をしているところで止まる。
4時、ナクル湖国立公園に着く。そのままゲームドライブ。ナクル湖はフラミンゴで有名なところだ。
しかし最近、フラミンゴの数が減ってきているという情報は知っている。原因は湖の汚れだとも。
最近のテレビで魚の養殖が原因だと報じていたが、見渡す限り、魚の養殖場は見当たらない。

湖がピンク色に染まっている。フラミンゴとおもいきや桃色ペリカンの群れ。車を降りて水辺近くまで歩いて行く。
すごい、すごい、ペリカンを見るのも珍しいが、その数のすごさ。それが舞い上がり、模様を作り飛ぶ様はまるで空中ショーのよう。岸辺近くにはハゲコウもたくさんいる。アフリカガンもいる。岸辺を移動すると、フラミンゴがいた。コフラミンゴだ。
ダンカンさんは最盛期の5%だとはいうが、それでも私たちにはたくさんのフラミンゴだ。きれいだなぁ。
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ーコフラミンゴー

続いて草原で白サイを見る、5頭が草を食んでいる。すぐ近くまで車を寄せても平気で草を食べている。サイの耳と尻尾の先はブラシのような茶色い毛が生えている。チトワンでも野生のサイを見たことはあるが、あっちは草の中だから、気がつかなかった。サンショクウミワシが木の上に止まっている。ここは猛禽類も多い。

草原でセグロジャッカル、ウォーターバック、インパラ、バッファローを見る。
湖の回りは林に覆われている。木の上に登っているヒョウが時には見られるそうだ。私たちは運が強いからと探すが、時期的に無理なようだ。アヌビスバブーンの群れを見る。アンボセリであったのはキイロバブーン。アヌビスという言葉に反応してバブーンの顔を見る。なるほど口がとんがっている。

今日のホテルはレイク ナクル ロッジ、バンガローのような三角屋根の棟が軒を連ねる。庭園は広く、遠くナクル湖が見下ろせる。木もいっぱい。いいねぇ、のんびりとするにはもってこいのところだ。部屋のドアをあけると内装はすべて木、ベッドが二つ、蚊帳がレースのように垂れ下がっている。さっそく蚊帳をおろして見る。雰囲気はなかなかいい。おほ、お姫様みたいね。
ただ洋服かけがない。それにシャワーだけ。まぁ、一泊だからいいとしよう。ここで初めて日本から持ってきた電池蚊取器をつける。用はなかったけど。

食事に行くと生演奏でジャンボ ワナを歌っていた。演奏が軽快なので、この人のCDを買った。1枚、1000シリング。あとで歌詞を書いておいてあげるからフロントで受け取ってと言われたが、貰うのを忘れてしまった。

7月5日(月)

5時半起床。まだ暗い。
6時半朝食。鳥たちも起き始めた。
木の上に大きな鳥がいる。シルエットのくちばしの格好からトキだとわかる。つがいでいた。ここで夜をすごしたのだろう。よく見ると、クロトキだ。

Sunbirdの仲間や尻尾の長い中型の鳥が盛んに密を吸っている。ここは野鳥の多いところだ。

7時出発。一路マサイマラへ。
昨日の道を戻る。エメンタイタ湖、ナイバシャ湖から湖にそって走る。左手に大地溝帯の東の壁、右手に西の壁、どちらも火山、の間にある平地を走っている。ということはいま私たちは大地溝帯の中を走っていることになる。来る前から大地溝帯(Great Rift Valley)を見たいと思っていた。東アフリカを北から南へ走る断層でつくられた大陥没地帯。幅30~60kmある。いまでも1年に3mmずつ開いている。5万年後にはこの地溝帯は海になる。そこを走っているとは、私たちは5万年後のモーゼなのだ。

後でもう一度出てくるがカレン ブリクセンがコーヒー農園を経営していたのも、地溝帯の近くのはず。映画「愛と哀しみのはてに」(原題Out of Africa)の著者だ。

トイレ休憩にまたしてもおみやげ物屋さんによる。すぐそばにパラボナアンテナがある。衛星ステイションだそうだ。この店もサテライトステイションも地溝帯のなかにある。とうもろこしの広い畑もある。主食だ。とうもろこしは二期作とのこと

地溝帯から東の壁を上り、峠を過ぎると、あらふしぎ、一面緑の麦畑。のどかな風景だ。しかもトラクターが動いている。「へぇ~、トラクター」というと「金持ちの畑」と答えた。しかしトラックがやたらと行き来する。道路沿いの麦は赤くホコリをかぶっている。道はすこぶる悪い。土ぼこりがもうもうとたつ。前面が見えないくらいに。

もうひとつトイレ休憩した。ここもみやげ物屋だ。きれいな水洗便所が設置されている。有料にしても良いと思う。そこで4人分と言って50シリング置いてきた。

マサイマラ到着。公園の入り口から入ると大回りになるので近道を行く。マサイマラ・シンパ・ロッジ。木立の中にある、もちろん木造。私の部屋は39号室。ここの部屋はちょっと広い。ベッドがふたつ、その間にスタンドがある。反対側の机の上にはライトがない。スタンドをはずして持ってくるが、コンセントが合わない。机のコンセントはPC専用になる。洗面所のコンセントはCだから電動歯ブラシは差し込めるが通電しない。窓の外はテラスがあり、その下をマングースが何匹も移動している。縞模様のマングースなので「シマシマ マングース」と呼ぶ。
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しましまマングース

顔を洗い、まずは食事に行く。
「ジャンボ」「ジャンボ」従業員はどこも愛想がいい。レストランはここもビュッフェ形式。マングースはレストランの下にパンをもらいに来ている。ボーイがパンをやっている。餌やり公認となれば、こんなうれしいことはない。よろこんで投げてやる。スズメやブルブル、ほかの鳥たちもパンをもらいに来ている。ほんとに野鳥の数が多い。図鑑と首っ引きで眺めている。ケニアには1086種類の鳥がいる。ちっとやそっとでは覚えられない。

お腹が空いたのでいっぱい食べた。食堂から見える下の川にワニが砂地にねそべっている。流れにパンを投げると、大きな口の大なまずがぱくりとくいついた。レストランのすぐ下の地面を大トカゲがのっしのっしと歩いていく。体長1mは有にある。「Lizard!」と叫ぶ。周りの客が飛んでくる。

洗濯をし、干しているともう4時だ。4時からはゲームドライブ。

広い広い草原を車は走る。キリンに会った。イボイノシシ、ヌー、ガゼル、トッピ、インパラ、バブーン、野鳥の数も多い。ご機嫌で立ってみている。来る前右腕の関節が痛かった。きっと大陸に行けば乾燥しているから治るだろうと思っていた。ところがかえって痛くなっている。しかも両腕が痛い。どうもゲームドライブのとき、しっかりと車につかまって立っているのが原因のようだ。ましてお調子者だから、私だけは立ちっぱなしで外を見ている。カメラはぶつけないように、網のベストのなかに差し込んでいるが。腕もとんでもないところにあざが出来ている。よく見ると足にもある。気がつかないだけであちこちぶつけているみたいだ。

車が集結している。ライオンがいるらしい。ライオンの前にしとめられたヌーが足を上にあげてひっくり返っている。そしてそのすぐそばの叢からタテガミだけがのぞいている。オス・ライオンだ。草の間から目だけがこちらをうかがっている。ライオンと目が会った。怖い目だ。ほんとうは決められたルート以外車は走っては行けないことになっている。罰金は2000シリング。
だけど、千載一遇のチャンスだからどの車も中に入って寄ってくる。すばやく写真を撮り、ルートに戻る。少しはなれたところにジャッカルが骨をくわえ、ハゲワシやハゲコウが死肉をあさっている。ライオンがしとめたのを早くも察知したらしく空にハゲワシが舞い始めた。いや~、すごいシーンだ!
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シンバ=スワヒリ語でライオン

「ねぇ、シンバってライオンの意味じゃない?」と聞くと「そうだ」という。インドの王様のシン、シンガポールのシン、シンハラのシ

コメント
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