Cogito

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1月も終わり

2011-01-31 22:01:20 | 日記・エッセイ・コラム

寒い寒いとぼやいていたら、あらまぁ、今日で1月も終わり。早いものだ。毎日冬型の晴天が続いている。今朝もまた氷が張った。これで2回目。とはいえ、昔はよく霜柱が立って、洗濯物を干すとき、土が靴についてしまい払うのが大変だったが、今では霜柱を見ることもない。寒い寒いと言いながらも、手袋をはめることもない。自分が高齢化して寒さの抵抗力がなくなってしまっているのだろう。なまってしまっているのだ。もっとも、この寒さを乗り切れば、春が来るのだと思うと、うれしくなる。冬来たりなば春遠からじ、ですね。

                                                                                                                           

寒いのもいいことがある。知人たちからハンバを頂いた。磯に行くことはないから、大感謝してこの季節の恵みをいただいている。

                                                                                        

朝、起きると、先ず台所のカーテンを開ける。Papasanが私が起きだすまでカーテンを開けずにおいてくれているのだ。窓の外で、私を待っている野鳥たちのために。カーテンが開いたのを目ざとく見つけて、ヒヨドリやイソヒヨドリが朝食をもらいに枝にやってくる。これが一日の始まり。

外のジョウロウグモもさすがに持ちこたえられなかったようだ。洗濯機の上のBは姿を消した。玄関の庇にいるジョロウグモCは固まったまま。澤っても動かないから死んだのかと思ったが、かすかに足を動かしたから、まだ生きているようだ。それにしても大きなお腹のまま、子孫を残せなかったのか、気の毒。

                                            

PapasanがiPadを買ったので、私がそれで遊んでいる。立ち上がりが早いので重宝なのだ。このノートの調子が悪いので、デスクトップを持ってきてもらった。それにwin7を入れてもらったら、いろいろと不都合でまだまだやりにくい。だからあれこれ使って、それで忙しい。

                                                

アラブ諸国の民主化運動。長期政権国家は独裁者を生みやすい。一党独裁は批判勢力を排除してしまうので、野党が育たない。ここが一番弱点だろう。だから独裁者を追放しただけでは政情は収まらないだろう。イラクがいい例だ。

野党が育たないという例では、程度の差こそあれ、日本も後進国だ。

チュニジアもエジプトも行ったことがある。エジプトは貧富の差が大きく、職もなく、国民は厳しいだろうとは、旅人ですら感じられた。ムバラクの写真がいたるところに張られ、なんか感じ悪かった。エジプトは同じアラブ国家でもイスラエルよりのアラブなんだ。アラブ諸国はどう動くんだろう。

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1月17日

2011-01-18 11:56:07 | 日記・エッセイ・コラム

冬型の乾いた晴天が続いている。

                                                                                                                           

1月17日といえば、淡路神戸大震災。あれから16年経っている。もうひとつ熱海っ子には「今月今夜のこの月・・」金色夜叉の熱海海岸のシーン。そしてミンスクのアンドレイさんの誕生日。出かける予定があるので、昨日のうちにアンドレイさんにHappy Birthdayのカードをつくり、午前中に送るように手配しておいた。地震災害のニュースを見て、デニスが心配して、Mamasanたちをミンスクに引き取ろうよ、と親に言ったそうだ。かわいい。あの子達もいくつになったのだろう。どうしているだろうか。もう一度会いに出かけたいものだが・・・

                                                                                                                           

昨日は庭の水浴び場に薄氷が張っていた。ペンタが水を飲もうとして困っているのを見つけ割ってやった。

                                                                                                                           

玄関の庇にいるお腹の大きなジョロウグモAが動いている。よく見ると、もう一匹、いままでお腹の大きなクモのいたところに、ジョロウグモがいる。お腹の大きなクモAが、そのジョロウグモに近づいていく。襲うのか、追い払うのか。しかしお腹の大きなクモの接近を感じたクモが逆襲に出た。お腹の大きなのは、諦めて庇の先っぽに移動した。お前のショバだったのにねぇ、でももう卵を産んでもいいんじゃない?と声をかけている。洗濯機の上を見ると、ジョウロウグモBがいない。あれ?と辺りを見回すと、ちょっと離れたところに糸を丸めるようにしていた。昨日、配線を直してくれたので、そのとき網が払われたらしい。ごめんよ。

                                                                                                                           

裏のシフォンのお客様が増えた。メジロ、アオジ、ウグイス、スズメ、ヒヨ、シベリア帰りのシロハラ、はでな姿の相思鳥、そしてイソヒヨドリが加わった。去年も来ていたから、覚えていたのかも。

                                                                                                                           

午前中、ロビンソンに行き、買い物をして、小田原でおろしてもらい、女性学集会の新年会に出た。中には1年ぶりの人もいる。オレンジビルの2Fの優味というステーキハウス。ワインを選んでというので、キャンティ クラシコを選んだ。美味しかったし、たのしかった。おしゃべりをしすぎて、ノドが痛い。次は箱根の温泉だという。集まることが元気なこと、往年の猛者たちもそういう世代になってきた。もちろん現役で頑張っている人たちもいる。

                                                                                                                                       

新年になって、、アルコールを飲んでいないので、まして昼間から飲むことはないので、ワインがきいたらしく、家に帰ると寒気も手伝って頭が痛いし、さらに眠くて、うたたねしてしまった。やれやれ。

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初雪

2011-01-10 15:29:15 | 日記・エッセイ・コラム

朝方、雨の音に気がついた。ここのところ乾いているからいいお湿りかも、と思いつつ、起きだすとなんと山は雪。さすがにここは雨だったが。

ちゅんが現れず、ちょっと心配。

アルファーとエンデと二羽の雄鶏同士、戦いが始まった。二羽とも血だらけで戦っている。今まであんなに仲良しだったのに、とうとう始まったか。エンデを捕まえてケージの中に押し込んだ。二羽とも血だらけだが、白いアルファーはまるで赤い鳥みたいだ。ケージの中と外でつつきっこをしている。ケージに新聞紙をかけると、今度は雄たけび合戦だ。けっこう、チャボの血かな?チビの癖に、エンデの方が強いみたいだ。

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ローレライ

2011-01-07 22:57:11 | アート・文化

チャンネルをまわしていると、ハイネという文字に目が止まった。「いまどきハイネなんてめずらしい」ちょうどハイネが従姉妹の何がしに失恋した話だった。はじめハイネは商業をめざしたが商才に恵まれず、次いで法律家を目指したが、そちらにも才がなく、師事したヘーゲルの影響で詩作や評論を書き始めたのだそうだ。そして詩集「歌の本」を発刊。抒情詩人として有名になる。

高校生のときだったろうか、この「歌の本」を買って、さかんに暗記したものだが、だれの訳だったかは覚えていない。「歌の本」のローレライの詩にはタイトルがなかったそうだが、私もローレライを目当てに詩を読んだわけではなかったので、そんなことはまったく知らなかった。ハイネを愛読した世代は私よりずっと前の世代である。

番組は「歌の旅」というもので、今回のテーマが「ローレライ」だったので、その詩の作者でハインリヒ ハイネが取り上げられていたのだった。

                                              

私にとって「ローレライ」は、ハイネの詩というより、ジルヘル(ジルヒャー)作曲、近藤朔風訳詩の愛唱歌としてなじみ深い。私の世代の人たちは、「なじかは知らねどこころわびて・・」という歌い出しのこの歌を知らない人は少ないだろう。だが、この歌の詩の作者がハイネであったと知ったのは、ずっと後のことであった。ローレライの歌詞をドイツ語で覚えたとき、その作者がハイネであると改めて知ったのだった。ハイネのこの詩にはリストをはじめ、多くの作曲家たちが曲をつけているということだ。

                                              

以前、ライン川を遡ったことがある。船がローレライの岩山の前にさしかかると、船内に大きくローレライの女声合唱が流された。でも乗船客はまったく無反応だった。ただ二人乗っていた日本人、私たちだけが反応して、いっしょになって歌ったのだった。ローレライの伝説は有名でも歌は愛唱されていないのかと不思議に思ったものだ。もっとも今ではローレライはヨーロッパの三大がっかりの一つに上げられているが。

                                              

かつてローレライの岩山のあたりは川幅が狭く、急流で、しかも水中には岩も多く、流れの近くに顔を出していて、とても危険で、航行の難所といわれ、実際あまたの遭難があったそうだ。現在は河川改修で川幅も広く、岩も爆破してとりのぞかれ、ラインはゆったりと流れ、航行も安全である。航行の難所、魔の淵ともなれば、人は想像をたくましくする。ハイネにはセイレーンの故事も頭にあったのではなかろうか。同様、プレンターノの創造的伝説もある。

                                              

番組の解説だと、ローレライのこの詩は、ローレライ伝説にのっとったように書かれているが、実はハイネの想像の産物で、ローレライ伝説はなかった。しかもハイネの失恋が大きく影響しているという。もとより、伝説の多くは、だれかの想像に尾ひれがついて、伝えられてきたものだ。その伝説の出自がハイネであっただけのことと考えればおかしくもない。ハイネは後年、彼の詩が伝説として取り上げられていると聞いて、喜んだという。

                                              

ハイネはその後、ドイツを去って、パリに居を移している。ナチスドイツの時代、ハイネの本は焚書処分にされた。しかし、ローレライの歌だけは、作者不明として残されたのだそうだ。それがなおのこと、伝説となったのだろう。                                              

         

                      ローレライ
                                              

  なじかは知らねど 心わびて
  昔の伝説(つたえ)は そぞろ身にしむ
  寥(さび)しく暮れゆく ラインの流(ながれ)
  入日に山々 あかく映ゆる

  

  美し少女(おとめ)の 巖頭(いわお)に立ちて
  黄金(こがね)の櫛とり 髪のみだれを
  梳(す)きつつ口吟(くちずさ)む 歌の声の
  神怪(くすし)き魔力(ちから)に 魂(たま)もまよう

  

  漕ぎゆく舟びと 歌に憧れ
  岩根も見やらず 仰げばやがて
  浪間に沈むる ひとも舟も
  神怪(くすし)き魔歌(まがうた) 謡(うた)うローレライ

                                             

         Die Loreley

  Ich weis nicht was soll es bedeuten,
   Das ich so traurig bin;
   Ein Marchen aus alten Zeiten,
   Das kommt mir nicht aus dem Sinn.

 Die Luft ist kuhl und es dunkelt,
   Und ruhig fliest der Rhein;
   Der Gipfel des Berges funkelt
   Im Abendsonnenschein.

 

 Die schonste Jungfrau sitzet
   Dort oben wunderbar;
   Ihr goldnes Geschmeide blitzet,
   Sie kammt ihr goldenes Haar.

  Sie kammt es mit goldenem Kamme,
   Und singt ein Lied dabei;
   Das hat eine wundersame,
   Gewaltige Melodei.

 

 Den Schiffer im kleinen Schiffe
   Ergreift es mit wildem Weh;
   Er schaut nicht die Felsenriffe,
   Er schaut nur hinauf in die Hoh.

  Ich glaube, die Wellen verschlingen
   Am Ende Schiffer und Kahn;
   Und das hat mit ihrem Singen,
   Die Lore-Ley getan

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ききみみ頭巾がほしい

2011-01-02 19:39:28 | 動物記

数日前から、妙に人懐っこいスズメが来るようになった。ヒヨにシフォンをやっていると、すぐそばまで来て自分にもくれとねだるのである。庭の方には鳥の餌台がつくってあり、そこは雀たちに占領されてしまって、他の野鳥は割り込めないでいる。だから、なげあたえるシフォンぐらい、スズメには遠慮してもらおうと思っていたのだが、人間の思惑を察知したのか、行動的にそばに来るのである。見ていると、このスズメは一羽、仲間を連れて来るわけでもない。スズメ以外にもヒヨの声を聞いて集まってくるのは、アオジ、メジロ、ウグイス。

                                                

ガラス窓の脇に自生のイヌビワの木がある。その枝に止まって顔を覗き込むのだ。チュンとなずけた。チュンと呼んで、シフォンを投げると、フライングキャッチして持っていく。フライングキャッチが出来るということは、去年の春、DNAに組み込んでやるんだと言って、子スズメにフライングキャッチを教え込んだから、あるいはその一羽かもしれない、なんて勝手に想像している。シフォンをくわえると一目散に一定の方向へ飛んでいく。前の餌台に来ているスズメたちとは方向が違うみたいだ。それにしても群れを作るスズメが一羽でいるとは。果たして生きていけるのかどうか心配してしまう。ハヤブサも来ていることだし、かっこうの餌になる。      

春孵った子コスズメたちは、親元を離れ、新しい縄張りを作るのだと読んだが、このスズメは新しい縄張りにここを選んで帰ってきたのかも知れない。聞き耳頭巾があったら、経緯を聞いてみたいよ。

目が悪くなってしまったので定かには見えないが、このスズメ、口をあけていることが多いみたいだ。どこか悪いのだろうか、コンパクトデジカメの拡大で口元を狙ったが、ぼけてしまってよくわからない。kissを用意してみよう。もっともわかってもいかんともしがたいのだが。                                                 

                                              

聞き耳頭巾があったら、聞きたい話はもうひとつ。

カラスのカポたちは肉をくわえられるだけ口に詰め込んで、専祖畑の方に飛んでいく。だからねぐらは専祖畑か、もっと遠く、岩の山の方だろうと思っていた。しかし夕方、カラスたちがいくつにもの群れに分かれて、時間差で、西の方に飛んでいくのを見た。真鶴を超え、さらに西の方に飛んでいく。泉の山か、それとも箱根に向かう方になのだろうか。聞いてみたい。

                                                 

窓の向こうの桐の木についていた蓑虫。

ハシボソカラスが根気よくつついて、とうとう枝からはずして持っていった。それが2ケ。最後のひとつは引っ張ってもしごいても取れない。どうするかと思っていたら、下がっている先端をつつき始めた。片足で蓑を押さえ、動かないようにして突付いているのだ。賢い。でも蓑虫もさるもの、ちっとやそっとでは破られない。穴が開いたように見えたが、中を取り出せなかったらしく、翌日また来て、同じように足で押さえ、先端をつついていた。なにやらほそい物を引っ張り出した、そしてもっと太い部分を引っ張り出した。ついに蓑虫も陥落。中身を食べられてしまった蓑虫は、軽くなったのだろう、風に舞っている。

私が見つけた蓑虫は全部食べられてしまったが、生存競争を生き抜いて、この木のどこかに隠れて残っているのもいるかも。

                                               

まだ確認には行ってないが、お腹の大きなジョロウグモはまだ健在だと思う。去年、2月過ぎまで自然に生きていたから、まだ大丈夫だろう。暮に大風の吹いた跡、ジョロウグモの幼体を見に行ったら、風に飛ばされたのか、寒さにやられたのか、姿は見えなくなっていた。網をかけていた茶の木には丈夫な糸が残っていた。

Jorou2

玄関の庇のジョロウグモA

Jorou1

洗濯機の上のジョロウグモB

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