This is Christmas, and Happy New Year!
ジョン・レノンの歌だねぇ。
60年近く前のクリスマスを思い出した。
大学3年の時、肺門リンパ腺結核になり、初期だったので、夏休み薬を飲んで、静かにしていると治ったが、電車通が無理という診断もあり、知人の紹介で1年弱、イタリア系のカトリック修道院に寄宿することになった。修道院には信者の女子学生たちと東京で仕事をしている信者さんたちが寄宿していた、
私の部屋はお御堂と呼ばれる礼拝堂の2階にあったので、修道女たちの讃美歌で目を覚ますような毎日だった。でも、朝の祈りには一度も参加したことがなかった。
隣の部屋は音大生、その前の部屋が上智大学でフランス語を教えている先生、その隣、私の部屋の前はこれまた音大生の部屋だった。
上智の先生が、私が聖書はマタイしか読んでいないというと、一緒に英訳の講読をしてくれた。その時読んだのはロマ書。今教会で結婚式を挙げると、このくだりが朗読されているようである。しかし当時は何も知らないから、「いい言葉ですねぇ」と感激して読んだ。先生は「これをラテン語とギリシャ語の対訳で読みましょう」と言ってくれ、大いに食指が動いたのだけど、これは実現しなかった。
この先生に、クリスマスのミサに誘われた。隣の部屋の音大生の堅信礼にも誘われていた。しかしキリスト教徒でない私にはミサの儀式を何も知らない。どうせわからないなら立ちっぱなしでいようと聖歌隊に入れてもらった。1月ぐらい前から練習をした。私以外は全員歌いなれているけど、私は初めて。でも歌詞はラテン語だから、何とか読めるし、意味も分かる。で、どうやらみんなについていけるようにはなった。
12月24日、いわゆるクリスマス・イブの夕方から、隣の音大生の堅信礼が行われ、先生に連れられて、この式に参列した。両手を組んで祈りの態勢を作り、目を閉じて祈った。
で、目を開け、隣を見ると先生はじっと同じ姿て祈っている。慌ててまた目を閉じた。目を開け、隣を見、また祈りの形をし・・2,3度繰り返していると、院長様がやってきて「あなたはそんなことをしなくてもいい」と言って、座らせてれた。その後も先生は陶酔したかのようにじっと祈り続けていた。祈りとはこんなに深いものなのか!驚きだった。
隣の音大生は堅信礼を受けるために公教要理に通っていたので、少しばかり教わっていた。代母には院内で翻訳の仕事をしている女性がなってくれたようだった。式は滞りなく終わった。
真夜中近く、礼拝堂にお客様が入ってきた。皆さんきれいな服装で白いレースのベールをかぶっていた。祭壇はきれいに飾られていた。
司祭もお供を連れて入ってきた。お供の顔を見たとき、アテネフランセで同じクラスの人だとわかったが、とても挨拶には行かれなかった。私は白いブラウスと黒いスカートで、聖歌隊に加わったいたから。
12時きっかりにミサが始まった。司祭が祈りのさなか、「何とか~」と呼びかけると、信者たちは「ドミネ~」と言って椅子を立つ。「ドミネ」は「主よ」という呼びかけだ。それが何度も。よかった聖歌隊に入れてもらって。
ミサ曲が始まった。」はじめは「キリエ、エレイソン」(主よ、憐みたまえ)だ。この曲好きだったので、いろいろキリエを探したのだが、いまだに、だれの、なんの曲なのかわからない。後のグローリアとかサンクトスはよく聞く曲なのだが。
ミサは厳粛な雰囲気で終わった。別室で大きなケーキと紅茶がふるまわれた。緊張していたことでもあり、この紅茶は美味しかった。司祭を送り、客もそれぞれ帰って行った。寮生たちとおしゃべりをし、自分の部屋に戻ると4時近かった。これからみんなは仮眠をとって、
朝の礼拝に参列するために教会へ行き、午後からはそれぞれが、知人たち友人たちと楽しむのだ、と。