ケアマネさんから簡単なアンケートだからと言ってアンケート用紙をもらった。設問は簡単なものだったが、役場への要望の記載ができるようなので、水曜日にpapasanが出かけるとき渡すと言って、置いて行ってもらった。
「町民のみなさまへ 意見を聞かせてください」と言う見出し。眼鏡をかけて、よくよく読んだ。内容の趣旨は、真鶴町診療所は現在、建物は、1階は診察所、2階は社会福祉協議会が使っている。これは町民周知のことだろう。3階は当初は入院施設として作られていたのだが、平成18年に入院を休止して以来12年間有効利用されていない。この3階部分を有効利用で、高齢者向けの介護事業に使ってははいかがか、と言うもの。もちろん趣旨には賛成。
診療所の建設当時は現職だったから、建設当時の生々しい出来事をよく知っている。大道に再建する予定だったのが、土地の買収が出来なくて、今の場所になったのだが、大道の人たちからは約束違反だとずいぶんそしられた。とはいえ、真鶴診療所が小さな町にとって大事な診療所であるという認識は今も変わりがない。
出来上がって、まだ開所前に施設案内は受けている。当時としては細かいところまで配慮された施設だったように思う。でも私自身は健康で医者にかかることもなかったので、診療所のご厄介にはあまりなっていないし、入院などは全く経験がない。同僚の故野中律子さんが足の骨折で入院したことがあったので、お見舞いに行ったことはある。個室だった。窓から我が家がよく見えた。当時は新しかったからきれいで木の香りもしてたような気もするが、あれから30年近く現状はどうなんだろう。ましてや12年間も使われずにいたとなれば。入院休止後、町民から「入院は必要」と言う声を聞いた。「わかるよ。私だってそうしてもらいたいよ。だけど、入院患者を受け入れるのは、費用がかかるんだよ。入院患者がいれば、3食準備しなければならない。入院患者が一人でも、食べさせないわけにはいかない。材料費や設備費はまだしも、調理などの人件費、この費用を全部食費として入院患者に負担させるわけにはいかないでしょ、赤字が累積するんだよ。で、訪問看護をしているんだよ」
当時はまだデイサービスも始まっていなかった。訪問介護でも、寝たきりを作りやすい。だから要介護の人たちの面倒を見てくれるサービスは町民にとってはありがたい存在だろう。むしろこちらに力を注いでほしいとは思っている。
そういう経緯のある3階の有効利用、町民だれしも反対する人はいないだろう。入院施設は町民に直接影響のあることでもないので、知らされないから知らないままにいたのだが、むしろ12年間も放っておいた怠慢ぶりの方が文句言われそうだ。
私としてはアンケート内容に文句はない。ただこのアンケート、よく読むと多分に誘導的である。「高齢者の方が利用する介護事業として活用することが、望ましいのではないか」と言う意見が多く出ている、となっている。
そこで役場の健康福祉課へ電話して聞いてみた。まず「町民のみなさまへ」となっているが、どういう人たちを対象にアンケート用紙を配布したのか、と。担当は若い人らしく、町の高齢化率43%等々現状の説明をしてくれた。「それは十分知っている。この内容には賛成だけど、アンケートをやる以上は目的があってやるんだろうから、どういう人たちを対象にしたのか教えて」「本来なら町民全部に諮るべきことですが、65歳以上の介護保険対象者で、介護サービス講座の参加者、介護サービスを受けている方々です」
あらまぁ、それぽっち。う~ん、こんなものでいいのだろうか。もっと多くの声が必要ではないのかな。良いことだから後押ししてもいいのだが。まぁ町の行政ってこんなものだろうけど、もっと未来を見据えなけばいけないよ。そこで知人たちに電話して聞いてみた。有効利用はだれしも賛成だが、会議室など、一般町民にも使わせて、と言う意見もあった。と言うのは町民センターの会議室は予約を取るのが大変なほど混んでいるのだそうだ。3階じゃなくて2階はどなっているんだろうね、診療所の受付の上あたりさ。あそこは使えないのかな。
議会傍聴をしていると、国保関係で過去にこの問題が取り上げられ、当初の目的通り、入院施設として使うべきだと言った意見も出ていたのは覚えている。しかし、単発での質疑だけで、議会としてどのように取り上げているのか、どういう方向に進んでいるかは聞こえてこない。
診療所への要望もあったら書いてくれと書いてある。で、担当に電話で話した。診療所がよそよそしいよ、もっとアットホームな雰囲気でもいいんじゃない。大道に診療所があって、井上先生が担当していた当時、診療所は老人のたまり場だった。若い私は子供を連れて行って、横目で、老人サロンだね、なんて言っていたが、いつも楽しそうに常連さんが集っていた。年寄りの会話は、健康問題が一番話題が弾むことは、自分が年寄りになって痛感している。それでも当時の診療所会計は黒字だったと覚えている。
待合室の近くに空室があったら、大きな声でしゃべってもいいような空間を作ってやってほしい。と同時に、待合室の一角に子どものプレイルームを作ってやってほしい。サークルを作って中に積み木なんを置いて。北欧へ行くと、公共の場は当然、電車や船、空港にもプレイルームは作られている。大半のプレイルームは衆人の目の行き届く場所に。電車は座席の後方に、子供たちは楽しそうに遊んでいた。でも大声や奇声は聞いたことがない。躾が出来ているんだろう。後ろの車両には身体障碍者用の個室もついていた。さすが福祉国家だと思って眺めてきた。
うちの町はバリアフリーじゃないし、車通りはあるのに道が狭いから危険だし・・最近障碍者を連れて歩くので実感している。、
モットーはいっぱしだが、日本の福祉行政は半世紀、いや1世紀は遅れている。