日本では、明治から2度の大合併が行われている。明治の合併は単位を小学校が出来る程度にしたのだった。徴兵の目的もあった。2度目の昭和の大合併は中学校が出来る程度。これで3300余りの自治体が出来た。今回の合併で自治体の数を1000にしようという話もある。しかしこれは先ず無理のようだ。
税金の配分を簡単に言うと、所得税等、国税はいったん国に集められる。それを国が地方に分配する方式が取られている。これが本来なら1:1であるべきだが、まだまだ格差がある。国の取り分が多いのだ。
地方への分配の重要なひとつに地方交付税というのがある。交付税には普通交付税と特別交付税があって、普通交付税は交付金として配分、特別交付税は災害などの時に配分される性質のものである。交付税は財政力豊かなところと豊かでないところとの格差を少なくすると言う目的である。
自主財源のあるところは地方交付税不交付団体という。神奈川県は不交付団体が多い方だ。それでも交付団体へなってきている自治体もある。
自主財源の少ないところは交付団体、わが町も交付団体である。交付税の算定基準はいろいろある。それにしたがって、自治体ごとに配分額も違う。この交付税は各種補助金と違って、ひも付きではないので、自由に使え、自治体にとってはあてに出来るお金である。国の地方財政が赤字なので、これを減少させるためには交付税を減らす、というのが、政府の打ち出した方針である。交付税を減らすためには自治体の数を減らさなければならない。自治体の数を減らせば、必然的に配分は少なくてすむ。そこで地方分権とか、権限委譲とか格好いいことを言いだした。地方自治を発展させるためには分権は不可欠だ。自治体という名のごとく、自治とはそこに住む住民たちので意志で行うものである。合併で大きくなることは自治の破壊にもつながる。
長らく中央集権で地方を押さえつけてきた官僚はなかなか権益を放したがらないのは当然である。ここに大いなる矛盾がある。本当の地方分権は財源移譲もなければならない。
地方分権という声が高くなると、むしろ地方分権とは建前だけで、更なる中央集権に利用されるのではないかといった危惧もないわけではない。
国は、なんとか自治体の合併を進めようとした。しかしなかなか埒がいかない。そこで打ち出されたのが、アメとムチ方式だ。
17年3月までに合併したら、交付税をすえおき、特例債として自治体に見合った借金をすることが出来、さらにその特例債の70%を交付金で面倒みようというものである。これがアメ。ただし、この特例債は建設費にしか使えない。民生とか教育には使えないのである。しかも残りの30%は借金として返済しなければならない。そして10年後には交付税は減らされるのだ。さもなくても財政上苦しい市町村が無理をしてハードなものを作ったら、ランニングコストもかかり、またまた借金がふくらむことになる。
ムチはもちろん交付金を減らすというのである。自主財源に乏しい交付団体はお上のご機嫌を伺いながら、もらえるものは貰おうと、あちこちでばたばたと合併協議会を発足させた。しかもまず目的が特例債ありき、である。
交付税交付金の割り当てが少なくなることは予想できる。しかし日本の税制が根本から変わらない限り交付税制度そのものがなくなるとは思えない。
しかし、それ以上に心配なのはこういうばら撒きのの結果である。さもなくても赤字のたまっている国が、大盤振る舞いして大丈夫なものか。
まなづるToday No.145~ 合併問題
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