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萩・長門をたずねて3

2012-10-11 14:04:04 | 窯元をたずねて

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9月28日

                                              

朝までぐっすり眠ったらしい。目を覚ますと外は明るかった。朝風呂に出かけた人もいる。起きだして、不要になったものを全部段ボールに詰めた。ジャンパーも入れたかったが、まだ不安がるのでこれだけは残しておいた。残ったのはジャンパーとカメラとipadだけ。

庭をハクセキレイが歩いて行く。「ほら、ハクセキレイ」というと、みな「きれいですね」と見とれている。「セキレイは水辺にいるんです。真鶴でも見られますけどね」
静かで気持ちがいい。

                                               

9時お迎えが来た。大谷山荘、若いスタッフたちがきちんとしつけられていて、お客様に親切で居心地よかった。また来る機会があったらお世話になりますよ、と挨拶してホテルを出た。今日もいい天気だ。藤本さんも「みなさんの日頃の行いがよろしいのでしょう、お天気が続きですね」という。

                                                 

車は田舎道を下っていく。山の上に何か施設がある。「あれな~に?」「石灰を掘っています。ベルトコンベアーで海岸近くまで運ばれています」「そういえば宇部セメントがありましたね」「宇部三菱セメントです。」

                                               

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官庁街に入った。広い道に欅の街路樹が美しい。駐車場で車を降りると、山口県立美術館は地下道を渡って、反対側にあった。赤レンガの建物だ。
美術館は広い階段をのっぼっていく作り。どこかにスロープがあるのだろうが、ちらっと見ただけでは見つからない。バリアフリーじゃないね.

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階段を上って入口まで行く、と、横に壊れた車につながれたゴミの塊のようなオブジェがある。何を意図しているものかわからないし、美しいとも思えない。
受付の右がミュージアムショップ、そして正面上が喫茶コーナーだが、喫茶はやっていないようだ。展示室は右手奥。
                                                                                                                        

松田正平の小品が並んでいた。これは見ていてたのしかった。小品ながら油彩もいい。

続いてやや広いワンルームに香月泰男のシベリアシリーズの数点がかかっていた。今回は色を重点にしているとかで、日本海の青とか、業火の赤などが取り上げられていた。しかし展示されている作品は9点しかない。シベリアシリーズは57点あるはず。展示もタイトルがあるだけで、説明はない。
たとえば入り口近くにある「日本海」というタイトルの絵は、画面上に青、その青の上に白でイポーニア・モーリエとロシア語が描かれている。そして手前の黒い大地に横たわる白い骸骨。あのロシア語、キルリ文字が読める人は多くはないはず。「あのキリル文字はイポーニア・モーリエ、日本海と書いてあるんですよ。わかりますか、日本海の向こうは帰りたい、家族の待つ日本がある。帰りたくてもここで息絶えた人・・どんな思いでここの土になったか・・その思いを感じてください」と説明する。仲間がどこかに置かれていた作者の言葉という冊子をとってきてくれた。おそらくこれは展覧会の時のキャプションから抜粋したものだろう。それにしても香月のシベリアシリーズに込められた思いはこの展示では伝わらないのではないか。香月の思いを十分受け止めている私だって、肩透かしをくらった感じだ。はるばるシベリアシリーズに会いたくてやってきたファンは、がっかりした。

ここはアンセル・アダムスのオリジナルプリントも所蔵しているんだが、今回はその展示もない。県立美術館だからと思ってきたんだが、山口の文化程度を邪推してしまいそうだ。ここでゆっくり時間をかけるつもりだったが早々に出た。期待はずれだ、消化不良だ、とぶすぶす言っている。

山口県立美術館:http://www.yma-web.jp/

                                                

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瑠璃光寺の五重塔:五重塔は国宝、建造は室町時代。大内文化の最高傑作と言われている。来たことがない人がいたので、ここを選んだのだが、存外喜ばれた。文化財を見るたびに、よくぞ建ててくれた、よくぞ残しておいてくれた、とつくずく思う。

瑠璃光寺:http://www.oidemase.or.jp/tsuredure/yamaguchi/rurikouji.html

                                              

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公園を歩いていると、「この木なんの木?」と書かれた看板に気がついた。矢印の方に進むと、サルスベリの枝が分かれている間から松が育っているのが見えた。宿り木が大きくなっちゃったんだ。そう、もう数十年前になるが、この地を訪れた時、毛利家の墓所の境内で「アミガサダケ」がいっぱい生えているのを見つけた。アミガサダケなんて私には珍しいから他のことはそっちのけで、大喜びをして見ていたが、どこだったんだろう。

                                              

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瑠璃光寺の境内から、遠くに藁ぶき屋根が見える。雪舟の雲谷庵だという。雪舟は備中の生まれだが、大内氏の庇護を受けていたので、この地方には残っているものが多い、死んだのは益田と聞いている。山口には雪舟が設計した庭園があるのだが、お寺の式典の都合で、この日は公開されていなかった。さて、その雲谷庵に行った。再現されたものなので、無人である。雪舟の流れをくむ画家たちを雲谷派というが、この雲谷庵に由来している。

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中原中也の記念館。彼がここの出とは知らなかったな。中原中也もまた暗記している詩人のひとりである。彼の詩がかくべつ好きなわけではないが、独特のリズムがあるので覚えやすいのだ。そのせいか彼の詩には曲がつけられているものが多い。展示は友人との書簡の往来が主体だった。はがきに書かれた細かな文字は読むのがしんどい。

                                                                                                                               

中原中也記念館:

http://www.chuyakan.jp/00top/01main.html

                                                   

車が駐車場に止まった。「「ここは?」「豆子郎の本店です」そうなんだ、豆子郎の本店に連れて行ってくれと頼んでおいたのだった。店に入ると豆茶と小豆外郎のサービスがあった。
以前、瑠璃光寺を訪れた時、近くのお店で「試食をどうぞ」と外郎が差し出された。「これな~に?」「外郎です」「なんで山口が外郎なの?」当時はまだ外郎は名古屋の名物だと思っていたのだ。しかし試食すると名古屋の外郎とは違って、さっぱりしていて、美味しかった。「あら、美味しい」これが山口外郎との出会いであった。その外郎はたぶん御堀堂のものではなかったろうか。だから今度も山口外郎を土産に買ってきてあげる、と宣言していたのだった。
豆子郎の名前の由来は面白い。素人の「トーシロー」をもじったものだ。

                                                                                                                           

豆子郎:http://www.toushirou.info/

                                                                                                                        

小田原にも外郎はある。「外郎」さんというのは名字である。頼めば、小田原外郎で蔵を案内してくれる。その時聞いた話だと、外郎の発生はもともと京都だった、というのは外郎家は宮中に薬剤師として仕えていたらしい。今でも小田原外郎では「ういろう」という薬を売っている。宮中での折、もてなしの菓子を依頼されて、餡に餅子を入れて作ったのがういろうだった。小田原の外郎さんは京都の分家だそうだ。

                                                                                                                            

そのとき、「どうして日本中に外郎があるのですか?」と質問した。すると外郎さんは「当時、京都には日本国中から職人が集まって働いていました。その人たちが国に帰り、それぞれのういろうを作り上げたのでしょう」ということだった。なるほど、身近にある材料を生かしての努力の結果が地方の外郎というわけなのだろう。数あるういろうの中で、小田原の外郎は元祖と言った感じで好きだが、次を選ぶとなれば、私は山口を選ぶだろう。山口のは米粉の代わりにワラビ粉を使っている。もっとも今ワラビ粉の入手は困難だろう。

                                                                                                                         

外郎は生のも真空パックのも買い込んだが、菓子好きの野次馬は一つ一つ物色している。と「大内菱」というのを見つけた。桃山らしいが、中の餡に白小豆を使っていると書いてある。「白小豆」のことは知っている。栽培が難しいので、収穫量が少ないことも。「ねぇ、これ試食できない?」と言ったが、売り子さんは仲間たちの応対で忙しい。じゃ~味見に新幹線の中で食べようと、人数分買った。うしろの喫茶室に行くと、広々としていて感じがいい。「仲間がね、店先でお茶を頂こうと言っていたけど、こっちの方がいいから連れてきて」とお姉さんに頼んだ。
                                                                                                                        

藤本さんが陳列棚をさして、ここにやきものもあります、と教えてくれた。色絵の大皿が飾ってある。発色はあまり美しいとは思わなかったが、伊万里かなと思ったら、萬壽焼と書いてある。隣の大皿は須佐焼、これも色絵だ。どちらも陶器だ。へ~、こんなやきもの初めて。
白玉ぜんざいをとった。甘みを抑えていて美味しい。運転手さんが「西のお菓子はいかがですか」という。「お菓子もお料理も西にはかないません。関東は直接的ですから。でも、寿司は絶対江戸前、関東ですよ」というと、「お蕎麦もね」と誰かが言った。「うん、でも、そばは出雲そばがありますよ。でも切りそばとつけ汁は江戸のもののようだけど」

                                              

白狐 が見つけた温泉というかわいい狐の絵の湯田温泉の案内板があった。あれ、白狐の見つけた温泉、以前泊ったことがある。その時おかみさんが、白狐の伝説を説明し、今は白化粧した狐に気をつけて、と冗談を言ったのを思い出した。他と間違えていたがここだったんだ。

                                              

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新山口駅、ふり出しに戻った。売店は左がかまぼこやさん、右が外郎、と藤本さんが教えてくれた。3日間、ありがとうございました。藤本さんのおかげでたのしい旅ができました、と礼を言って別れた。
新幹線は、名古屋と熱海で乗り換えるだけだ。たのしかったね、来年はどこにしよう?

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萩・長門をたずねて2

2012-10-08 16:02:04 | 窯元をたずねて

9月27日(木)
今日もいい天気だ。海辺に行くので、冬支度のままだ。外を見ていると浜辺を散歩してる人たちの姿が見える。しかし仲間は珍しく誰も散歩に出ないみたいだ。館内をぶらぶら歩き、昨日のロビーから、外を見ている。ただしスリッパで来てしまったので外に出られない。朝食を済ませ、遊覧船から戻るまで荷物を預かってもらい、外に出る。豆子郎のお店が8時からだと聞いていたので8時きっかりに店の前に立つ。開いていた。喜んで中に入り、すずし(生外郎)の栗と抹茶を人数分買うと味見用の小豆外郎も人数分入れてくれた。船の中で味見をして、お土産は帰り山口で買うというと、本店のパンフもくれた。宿から船着き場まで15分もあれば十分と聞いているが、足に自信がないので、一足先に船着き場に向かう。道はわかりやすい。

                                              

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日差しは暑い。川べりにピンクの優しいコスモスが咲いている。

                                                                                                                         

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川面に石垣が映ってきれいだ。船着き場は川向こうなので、見えていても橋を渡ってぐるりと回っていかなければならない。一人来ない。どうしたんだろう。電話をすると逆方向に歩いて行ってしまったらしい。毎回ハプニングはある。

                                                                                                                           

                                               

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萩遊覧船は川めぐり40分。もう少しシャッターチャンスはあるかなと思っていたが、それほどのことはなかった。それでも5,60枚撮ったかな。船上で外郎を食べた。うん、美味しい。これは買って帰ろう。

                                                                                                                              

                                               

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船着き場に戻るとジャンボタクシーの藤本さんが出迎えてくれていた。せっかくだから萩城址や町並みを見てから旅館に荷物を取りに行きましょう、菊屋さんに電話して、季節限定なのですが、特別にお庭を見せてもらえるようにし手配しておきました、という。ありがたい。城址に行くと、何匹ものカメが甲羅干しをしていた。

                                                                                                                        

菊屋さんは通りに面している。右に曲がろうとすると、「こっちです」と言って左に行く。お庭だけ見せてもらうのかな、と、ついていくと明治の元勲たちの記念物を回っていく。
                                               

開いている門の前に来た。藤本さんが先導する。「ここは?」「高杉晋作の銅像があります」「高杉晋作の銅像なんてどうでもいいんだけどなぁ」なんて悪口をいうと、次の瞬間段差に躓いて転んだ。前のめりになったので、カメラは守り切れなかった。カメラは音たてて地面に落ちた。今のカメラはショックに強くなっているとはいえ、大丈夫か、膝の打ち身よりそっちが心配。で、すぐシャッターを切った。今回のお伴はEOS5D MarkⅡ、ポシェットにコンデジもある。EOSが駄目でもなんとかなる、と思ったが、EOSは大丈夫のようだ。ほっとする。銅像の高杉晋作に「悪口いったら転んじゃったよ、もう悪口は言わないよ。でもハンサムじゃないよなぁ」とやはり悪口を言っている。

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「ねぇ、お庭はまだ?私、お庭だけ見るんだと思ってた」というと、「それはすみません。では菊屋さんに行きましょう」と言って、右に回った。一回りしてきたことになる。チケットを買うと、案内がつく。以前入館したことはある。座敷から庭を眺めながら、ここが季節限定の庭なのかと訝っていると、係りが来て、鍵を開けて奥の庭に案内してくれた。珍しく芝生が植えられた庭である。

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荷物を受け取り、萩を後に長門に向った。長門市はみんな初めて。30分ほどで三隅に着いた。温泉場なんだけど、良い意味で田舎っぽい。

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小高い丘の上にある香月泰男美術館の建物が不似合いだ。自宅を美術館にしているから木造だと聞いていたんだが、この美術館は‘93年建設となっているからこっちに移ったのかも。香月泰男美術館は前々からぜひ訪ねてみたいと思っていた美術館のひとつだったが、展示もたのしいといえばたのしいが、わざわざ寄るほどものじゃない。ちょっと当てが外れた。
私は、香月のシベリア・シリーズを東京で2回、横浜で2回見て以来のファンである。あのキャプションは立花隆が書いたものだそうだが、絵と相まって胸に残った。香月の若い時の作品も、シベリアシリーズ以外の作品も見てはいるが、私にはシベリアシリーズが強烈な印象を残している。

                                              

香月泰男美術館の係りに聞くと、「シベリア・シリーズは全部山口美術館が所蔵していますから、山口県立美術館で見られると思います」という。美術館の2階は展望室になっていて、町の様子が見渡せる。ただし壁にはホロンバイル、ガダルカナル、インパール、サンフランシスコと言った地名が書かれている。もちろん私にはわかるが、10歳ぐらい下のおばさんたちは「わからない」と答えた。「や~だね」と言って説明した。

香月泰男美術館:http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/~kazukiyasuo/                                              

                                              

香月泰男美術館で、金子みすず記念館などを含む4館の共通券を買った。
仙崎の金子みすず記念館に向かう。車の中で盛んに私がみすずの詩をそらんじていると
「よく覚えていらっしゃいますね、みすず、お好きなんですか?」とkさん。「いえいえ、テレビのCMで毎日聞かされますから覚えちゃったんですよ」「私はテレビをみないので」「あはは、私はテレビを見るほうなので」と漫才をしている。
みすず記念館に寄りたいと言ったのは、仲間の一人である。ちょうど少し前にテレビでみすずが26歳で自殺するまでの短い人生がドラマ化されていた。一応見ておいてとは連絡しておいた。

                                              

車が止まった。あわてて共通券を取り出し、車を降りる。「ここは無料です」と運転手さん。ドアを開け中に入ると、薄暗い、がらんとした空間。電気をつけてくれた。壁面いっぱいにみすずの詩が書いてある。大漁の詩だ。テープが回って朗読が流れるしかけになっている。無人なので,あけておくとネコが入るから閉めてあるのだそう。

                                              

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記念館に着いた。「金子書店の方からお入りください」と言われて、書店のレジで共通券に判を押してもらった。書店はみすずの生家が経営していたもの。2階にはみすずの部屋も公開されている、が、靴を脱ぐのがいやなので中には入らない。庭を回って本館に入った。結構、入館者はある。テレビの影響なんだろう、一部屋は撮影の時の写真が飾られているよう、というのはちゃんと見なかった。記念館を出ると、目の前の郵便局の傍らの壁にみすずの姿と詩がモザイク画に仕立てられていた。みすずさん、町おこしに一役買っているのですね。

金子みすず記念館:http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/

                                               

仙崎で昼食。ウニどんぶりを注文した。道路サイドにやたらとウニどんぶりの旗がはためいていたからだ。ウニは小粒だが、甘みがあって美味しかった。関東の人間には醤油の甘いのがちょっと。

                                               

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車は橋を渡って、青海島に入った。「少し歩きますがとても景色のいいところがあります」と藤本さん。歩くという言葉に反応して「どのくらい歩くの?」と聞くと「20分程度」だという。駐車場の管理人らしき男性がのべつまくなしおしゃべりしている。傍らに大きなネコが首に募金箱をつけ寝そべっている。ネコのためにカンンパしてもいいと思ったが、その男性がやたらとおしゃべりするので、やめて歩き始めた。平地を少し歩くと入り江の浜に出た。海水浴場のようだ。右手に階段が続いている。お勧めの美観スポットは階段を上っていくようだ。上りにたじろいだ。ここで待っている、と駄々をこねたが、みなに悪いので、意を決して上り始める。上り口に杖が何本もおかれている。その1本を借りた。右手に杖、左手は手すりにつかまりながら、のそのそと上っていく。藤本さんが付き合ってくれる。
                                               

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Img_1824 見島が見える

ここは観光名所らしく、観光客がひきもきらない。確かこのあたりの海岸は国定公園だったはず。やっとのぼりが終わると、今度は下り。下りの方が滑りそうで怖い。やっと仲間たちと合流。下を見ると、奇岩が立ち並び、波が白く砕けてとても美しい。上から見てこれだけきれいなら、船で下から見るべきだった、失敗!失敗!萩の遊覧船をやめて、こっちを選ぶべきだった、と後悔しまくっている。下り始めると団体さんがやってきた。

ふ~は~言いながら上ってくる高齢の女性に、私は下るだけだからと杖を貸した。あ~、疲れた。これで2年分歩いた。

                                                                                                                        

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さて萩焼のもう一つの里、今夜泊る大谷山荘の前を通り越して、深川窯を訪ねた。小さな谷あいに4軒の窯元が集まっている。この里の雰囲気は心やさしい。

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坂倉新兵衛窯。階段を上ると、右手に登り窯、まずはお窯を拝見し、それからギャラリーに。三重の方で個展を開いているとかで、作品も少ないということだった。でも素敵な茶碗が並んでいた。豆茶をだしてくださった。お茶碗は赤い地に細い白い線が、まるでダリアの花のように描かれていた。細いので描いたのかと思ったら象嵌だそうだ。

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友人への土産に温かみのある、びわ色の湯のみを買った。

                                              

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田原陶兵衛窯は入ってくるとき表札を見た。橋を渡ってすぐだ。歩いて行こう。川沿いの道を川を覗き込みながら下る。水は澄んでいて小さな魚がたくさんいる。何だろう、ハヤかな。
                                                                                                                        

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ギャラリーの後ろを下りると登り窯があった。焚口は950℃位で火を止めて次の部屋にほだぎをくべるのだと説明を受けた。ここにも素敵な作品が並んでいる。みんなで友人のお土産に中鉢をかった。

                                               

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ホテルに行く前にもうひとつ大寧寺に連れて行ってくれた。大きなお寺である。どこからともなく金木犀の香りが漂ってくる。いい香り。我が家のはまだだろう。このお寺は大内氏の最後の舞台となった寺だそうだ。運転手さんは、人望のあった大内氏を滅ぼしたのは、毛利の策略だと説明してくれたが、歴史は見方でそれぞれ違ってくる。帰宅してから大内氏と当時の時代背景を調べた。自決した大内氏最後の主も問題はあったようだ。

                                                                                                                        

大谷山荘に着いた。ここは湯本温泉にある。チェックインのため、私が署名する。それを見てフロントが、「遠いところをようこそ。お部屋のランクを上げておきました」と言った。「それはありがとう」すると「料理長よりお知らせがございます。今日は新鮮なアマダイが入荷しておりますが、おつくりなどいかがでしょうか」「あ~ら、それはいいわね。じゃ~、2皿いただくわ」と注文した。

ロビーでは生外郎とお抹茶のサービスがあった。それを頂いて部屋に向かう。4階だ。仲居さんが案内してくれたが、一人だったら迷子になりそう。食堂や大浴場、天体観測を予約してあるので、天文台への行き方などちゃんと教えてもらった。部屋には荷物がもう届いていた。確かに部屋は広いし、ベランダ代わりの部屋は全面ガラス、ガラスの向こうはちゃんとした庭だ。掘りごたつのように足が伸ばせ、大きなテーブルでお茶が頂ける。なるほどね、これなら椅子はいらない。庭の向こうは深山だ。地所がいっぱいあるからこういう余裕をもった作りができるんだね、と感心している。ここなら部屋から星がみえそうだ。

                                                                                                                        

そうだ、段ボールを買ってきて、陶器類は送ってしまおう。確か2階に売店があると言っていた。そこで、一人で出かけた。きょろきょろしながら、ともかく2階に下り、売店で段ボールをもらった。お土産を物色し、見当をつけてレベーターを探して歩き始めた。見つからない。突き当たりは階段だ。仕方がないので、売店に戻って、お姉さんに「迷子になりました」と言うと「お部屋は何番ですか」と聞かれた。部屋番ねぇ、確認していない。しばし考えた。だれかが470と言っていたような気がした。「4階の、470です」するとお姉さんが売店の、さっきとは反対側だが、すぐ近くのエレベーターに連れて行って、「下りたら右にお曲がりください」と言った。エレベーターを降り、右に曲がり、うんうん、覚えがある、さらに右に曲がり、どうやら470の前にたどりついた。もっとも470が私の部屋だという確証はない。「外国で部屋間違えたら射殺されちゃうよ」なんて言いながら、470のノブを回した。鍵はかかっていなかったが、中は開けっぱなしでだれもいなかった。隣の469をそっとまわした。スリッパがある。たぶんここだ。ふすまを開けると、やはりここだった。

夕食は6時半。最近は椅子が多くなってありがた。昨日も畳の上に椅子がしつらえてあった。一番奥に座る。と、「お料理の写真撮ってください」と言われた。「いいですよ」とポシェットを探すがコンデジが入っていない。「カメラ、部屋に忘れてきた」と言うと、とってくるという。「お庭に面したテーブルの上に置いてあるはず」
お酒は甘口の地酒と、飲みなれているからと獺祭を頼んだ。お酒を飲むのは二人しかいないから、席はいつも隣。昨日も私が選んだはずなのに、何を選んだか覚えていない。歩いたのかよほどこたえたみたいだ。
お料理はどれもとても美味しかった。アマダイのお造りもふぐのお造りも美味しかった。フグもアマダイも時期が早いかなと期待薄だったけど、間に合ったようだ。みんなが満足してくれてよかった、よかった。

8時半に天体観測の予約が入れてある。天体望遠鏡で月や星をみたことがあるかと、聞くと、みんな経験がないという。で、天体観測を予約した。月齢は満月に近い。満月よりやや欠けている方がクレーターがはっきり見えるのだが。
10分前に、待合室についた。案内されて、天体観測ドームに入る。担当のオジサンが入ってきて、「月を見ましょう」と望遠鏡を合わせてくれた。各自が覗き込む。月面にちょっとガスがかかっている。もう満月のように平面に近い。でもチコーが明るく輝いている。コペルニクスも明るい。「昼間はあんなに晴れていたのに」
                                              

中天にひとつ星が見える。「あれな~に?」「ヴェガ」とオジサン。「ヴェガって、七夕のおり姫のことですよ。ということは天の川がこう流れていて、真中に白鳥座があって、向こう側にアルタイル、牽牛があるんですよ」
もたもたしているうちに20分は過ぎ、次の人たちがやってきた。ドームの外に双眼鏡がおいてあった。「月は双眼鏡で十分ですからのぞいてごらんなさい」と言って月を見るとさっきよりガスがある。「あらまぁ、晴れていれば満月で明るいけど、それでも秋の星座を教えてあげられたんだけど。いつも酔っぱらって寝ちゃうから、夜空なんて見る機会がなかったけど、またのチャンスを期待しましょう。家にも天体望遠鏡もあるんだけど、レンズがまともかなぁ。小学生の時から星、見ていますからね、まだ何とか覚えていますよ」ほんと、どこかで星空を見る機会があるといい。

ロビーでライブをやっていた。飲み物が頼めるようだ。ジンフィズを頼んだ。ちょっとドライすぎて口に合わなかった。スクリュードライバーは今の時期生はないし、何が無難かな。

大谷山荘:http://www.otanisanso.co.jp/

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萩・長門をたずねて1

2012-10-06 17:19:55 | 窯元をたずねて

9月26日
5時には起きだしてしまった。半袖でジャンパーを羽織ればいいと思っていたのだが、肌寒い。長袖を出して、さらにベストを着、ご丁寧に長いズボン下まではいた。これじゃ~、完全な冬支度だ。もっとも新幹線の車内は風が当たるから、このくらいでもいいか。恒例のやきものを訪ねる旅。今回は萩焼を訪ねて萩、長門をめぐる。総勢7人。
                                               

萩焼というと萩だけと思いがちだが、長門の深川にも同じ歴史をもつ萩焼の里はある。「一楽、二萩、三唐津」と茶人たちに愛されてきた。

P1020093

萩の土は瀬戸内側に近いところでとれる大道土、これに萩から海上およそ40kmにある見島でとれる鉄分を含んだ見島土を混ぜる。釉薬をかけ登り窯で焼く。ただし何日もかけて焼くのではなく、1日かそこらの焼成、だから言ってみれば生焼け状態、それが萩独特の柔らかさを出している。萩の「七化け」という言葉がある。使っているうちに色合いや光沢が変化していくさまが楽しめるからである。

                                                

小田原からひかり、名古屋でのぞみに乗り換える。乗換まで時間を利用してお弁当を選んでいる。名古屋コーチンの弁当とお茶を買った。11時半ごろお弁当を開いた。一口食べる。炊き込みご飯の味は美味しい。けど・・弁当だから冷えても美味しいように濃く味付けされていることは百も承知だが、濃い味付けに慣れていないので、さすがにのどが渇いた。お茶をがぶがぶ飲んだ。でもまだのどが渇く。ちょうど電光掲示板で車内販売のアイスクリームの宣伝をしていた。そこへ売り子さんがやってきた。「あの電光掲示板のアイスある?」「あります」「じゃ~、それ頂戴」と買った。アイスなんて日頃食べることは皆無なのだが。こちこちなので、手で温めながら、溶ける間、表示をじっくり眺めている。内容は悪くない。こそげるようにして舐めるので、のどの渇きをいやすには足りない。思い切って大きな塊を口に放り込んだ。とたん、虫歯にしみて痛い!参ったな。

                                               

12時37分、新山口の改札口に藤本運転手さんが、ステッカーを持って待っていてくれた。お世話になります。よろしく!3日間、同じく藤本さんの担当。みな、萩は何度も訪れているけど、窯元巡りは初めてなので、三輪清雅堂さんに案内をお願いしてある旨を伝える。

                                              

今日の宿、萩一輪に前もって荷物だけ預かってくださいと頼んでおいた。みながトイレを借りている間に、海に面したロビーから夕日が見えるのを確認して、外に出ると、道路の向こう側に豆子郎の販売店があるのに気がついた。あとで買ってみよう。

さっそく三輪清雅堂へ向かった。お城の近くを通って、寺町を通って、あれ、と思う内に三輪さんのお店の前に着いた。こんなに近いんだ、というのが初印象。この来るまでに近かったという思い込みが後でとんでもないしっぺ返しとなって返ってくることになるのだが。三輪さんが出迎えてくれた。三輪さんは思ったより若かった。ジャンボタクシーは今日はここまで。

                                              

三輪さんに案内をお願いしたのは、萩観光協会の「萩ぶらり」に紹介されていたのを見つけたからだ。結論から言えば、三輪さんに案内をお願いしたのは正解だった。三輪さんの説明もよかったし、朝鮮半島から唐津、萩、美濃と地層がつながっているのだと地質の説明までしてもらった。私たちだけだったら、この3軒の窯元は行かれなかったろう。

                                               

P1020094 莫山の字かな

タクシーと三輪さんの車に分乗して、先ず案内されたのが波多野指月窯。静かな屋敷街にある。通りに面した飾棚には、備前や信楽を思わせるような大きな壺、火色の大鉢、茶碗、そして花を生けた花瓶が飾ってあった。

P1020090

ガラス戸を開けると、そこはギャラリー。作品が並んでいた。作品を眺めていると、三輪さんが連絡してくれていたのだろう、陶芸家の波多野善蔵さんが出て見えた。応接室に招かれ、夏ミカンの砂糖菓子とお薄をいただいた。波多野さんは、お顔も話し方もとても優しい。壁に一見、東山魁夷のような雰囲気の絵がかかっている。視線に気がついて波多野さんが説明してくれた。この作者は、東山魁夷の友人で、絵具も同じものを使っている。絵は萩の○○(忘れた)を描いたものだそう。夜のしじまの中に明かりを灯した館が池の水面に映っている情景を金泥で描いている。
いろいろ伺った。大道土と見島土を主原料に、小畑土やみたけ土は強度を高めるために使うのだそうだ。ぐい呑みを2個買った。陳列してある店内を撮るのはさすがに遠慮した。

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波多野指月窯:
http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=700004

萩焼の歴史はここに
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E7%84%BC

(開けるのが面倒な人のために簡単に説明しておくと、「やきもの戦争」と言われた慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)で朝鮮半島から多くの陶工を各藩が連れ帰って、窯を築かせた。毛利藩も例外ではなく、朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟を連れ帰った。関ヶ原の戦いで西軍についた毛利藩は、領地を3分の1に減らされる。そこで広島から萩に移る。李兄弟も萩に移り、窯を築いたのが始まりとされている)

                                               

Img_1683

続いて晴雲山岡田窯に行った。

Img_1690

先ずは裏手にある登り窯を見た。三輪さんの説明だと、現役で働いている登り窯では、一番古いものだという。窯焚きが終わったばかりらしく、そばに寄ると、熱気が伝わってくる。萩の登り窯はだいたい20時間ぐらいの焼成、だから生焼け状態なので独特の柔らかさが出るのだそうだ。

                                                                                                                        

Img_1686

外には、水簸した粘土が水切りのために並べられていた。水分が残っているせいか、黄土色が濃かった。見島土の含有量が多いのかも。そっと触れてみるとまだ柔らかすぎた。

                                               

P1020152 私のご飯茶わんに ほたる

店内に入ると、先ず目が行ったのは大きな壺。白い地に褐色や炭の雲のようなデザインがムードを出している。このムード、何かを感じる。と、三輪さんが「シルクロードを表現されています」と説明してくれた。何か感じたのはシルクロードの褐色の大地と大地に影を落とす雲だったのか、と思った。心惹かれたが、もうこういう大物は飾りようがない。菊池ビエンナーレ展で大賞を受賞されたとかで、そのポスターが飾ってあった。「菊池ビエンナーレって?」「智美術館です」と三輪さん。「あ~虎の門のね、二度行ったことがある。一度は楽さんの作品展、2度目は真鶴の陶芸家の・・・あら、名前が出てこない、岩に住んでいる方なんだけど・・」
「そんな方、真鶴にいらっしゃるのですか?」「えぇ、小松石を陶器にしたり、大きな精緻な花を作ったりしていますよ」
岡田裕さんも出て見えた。ここでもお抹茶を頂いた。お茶碗は手の中にすっぽり包まれて誠に持心地がいい。

papasanのために大きめの湯のみをコーヒー用に買った。自分用に火色の地に白い点、通称蛍の茶碗を買った。うふ、奥さんに美味しい地酒の銘柄を伺った。晩酌のために。

                                               

Img_1681

登り窯の中で、釉薬をかけられた陶器は、還元や酸化の炎に焼かれる。それによってさまざまな表情の萩焼が生まれる。もちろんプロはそのあたりは熟知して、効果をねらうわけだが、なるほど、萩は奥深い。と萩に対する認識を新たにした。窯変と呼ばれる赤は、焚口の次の部屋でないと出ないのだそうだ。
                                                 

岡田窯:
http://www.hagi.machi-navi.jp/html/hagiyaki_43.html

                                              

Img_1694_2

天寵窯を訪ねた。すぐギャラリーに入ったが、その斬新さに目を奪われた。普通、茶器は轆轤をひいて作品を作る。天寵窯の兼子昌尚さんは、三輪さんの言葉を借りるなら、「萩の作陶の歴史始まって以来初めて、粘土の塊を刳りぬいて作品を作り上げている」のだそうだ。フォルムの斬新さも目を引いたが、釉薬の白にも心奪われた。当然ながら値段は高い。ほしいのはまやまだが、カードが効かない。で、明日もある、とぐっとこらえた。またの出会いはあるだろう。兼子昌尚さんの作品をメトロポリタン美術館が買い上げたそうだ。あ~わかるな。

天寵窯 :
http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=700069
http://www.gallery-kurimoto.co.jp/kaneta_masanao.htm

                                                        

P1020102

三輪清雅堂に戻った。座敷に通され、素敵なティカップに入れられた紅茶をいただいた。お薄ばかりいただいていたので、紅茶は美味しかったし、ほっとした。三輪さんが本阿弥光悦の話をしてくれた。そして三輪さんが所蔵する5点の光悦の茶碗を見せ、触らせてくれた。本阿弥光悦は学校では習ったが、それほど造詣があるわけではない。京都の楽家の「お茶わんや」ののれんが光悦の書であることぐらいしか知らない。三輪さんは光悦の研究家である。案内を頼んだとき、それを知ってつけ刃的に光悦のことは調べてはきたが。

Img_1707 光悦の茶碗

P1020096

P1020097 

Img_1701

P1020101

三輪清雅堂:
http://hagi-miwa.com/

本阿弥光悦:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%98%BF%E5%BC%A5%E5%85%89%E6%82%A6

                                               

参考:

国宝に指定されている茶碗は8個。うち、国産は2個。
1.【国宝】志野茶碗 銘 卯花墻(三井文庫)桃山時代
http://www.mitsui-museum.jp/collection/collection.html

2.【国宝】楽焼白片身替茶碗 本阿弥光悦作 銘 不二山(サンリツ服部美術館)桃山時代
http://www.sunritz-hattori-museum.or.jp/masterpieces/index.html

3.【国宝】曜変天目茶碗(静嘉堂文庫美術館)南宋時代
http://www.seikado.or.jp/040201.html

4.【国宝】曜変天目茶碗(龍光院)南宋時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%85%89%E9%99%A2_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8C%97%E5%8C%BA)

5.【国宝】曜変天目茶碗(藤田美術館)南宋時代 
http://www.city.okayama.jp/museum/fujita/yohen-tenmoku.html

6.【国宝】玳玻天目茶碗(承天閣美術館)南宋時代
http://www.shokoku-ji.jp/j_nyukan.html
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=71152

7.【国宝】油滴天目茶碗(大阪市立東洋陶磁美術館)南宋時代
http://www.emuseum.jp/detail/100022?d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E6%B2%B9%E6%BB%B4%E5%A4%A9%E7%9B%AE&class&title&c_e&region&era&cptype&owner&pos=1&num=1&mode=simple&century

8.【国宝】井戸茶碗 銘 喜左衛門(孤篷庵)李朝時代
http://homepage3.nifty.com/yakimono_gallery/2007_koten/ohido_kizaemon.htm

                                              

光悦の「不二山」は諏訪湖のサンリツ服部美術館が所蔵している。萩に行く前に見たいと思って、美術館に問い合わせると「不二山」の展示は、私たちが出発する前日からの展示なので、帰ってから行くことにした。

三輪さんの光悦研究によると、三輪さんが所蔵している光悦の茶碗も「不二山」も萩で焼かれたものではないかという。多くの文献、歴史的背景、そして三輪さんが所蔵している5碗の光悦作の茶碗との類似性、方向性をあげて、証拠づけている。歴史のミステリーだねぇ、と野次馬は喜んでいる。
                                                 

Img_1711 三輪清雅堂んの前の寺院の木

5時半、夕食を6時半にお願いしてあるから、その前までには帰らないと旅館に悪いから、と外に出る。車で送ってるくれるというのを、近いからぶらぶら歩いて帰ります、と断って歩き始めた。日暮れていく町並みは風情がある。シャッターを切りながら歩いているうちはよかったが、だんだん腰が痛くなってきた。それからが長かった。宿に着いたのが6時過ぎていた、30分以上歩いたことになる。目の前の豆子郎は6時閉店、もう間に合わない。明日にしよう。

                                                   

フロントが食事の時間を7時にしてくれた。部屋は4人用と3人用の2部屋。私は初めに入った4人部屋からもう動かない。汗をかいたので、着替えて、顔を洗った。あ~疲れた。1年分歩いた。

                                                  

疲れた上に、ちょっとばかりだがお酒を呑んだので、いい気分になって、お料理をこと細かく覚えていない。写真も撮らなかったようだ。もっとも撮っているうちにいつも酔っぱらってしまい、最後まで撮ることはなかなか。特注したから、ふぐのたたきだけは覚えている。さっとあぶって、引いてあるのだそうだ。初めて食べたが美味しかった。その頃になってようやく夕日百選の夕日の宿に来て夕日を見なかったことに気がついた。夕日は歩いているうちに沈んでしまったのかもしれない。あ~あ。

萩一輪:http://www.hagi-ichirin.co.jp/

                                               

お風呂に入り、早々に寝てしまった。おかげで4時ごろ目が覚めた。他の人たちも目を覚ましたので、障子を開け、外を見る。建物で遮られてはいるが一角に星が見える。Wのカシオペアだ。覚えやすい形だからとみんなに教えている。

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2012-10-01 21:59:58

2012-10-01 21:59:58 | インポート

今日は私の75歳の誕生日。後期高齢者の仲間入りだ。

                                                      

旅行から帰って、写真の整理をしていたので、今頃になって疲れが出てきたらしい。何をする気にもならない。娘からはバースディカードが、ミンスクのアンドレイさんからは電話が、届いた。

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