5月17日
目を覚ますと雨が降っている。予報どおりだ。低気圧が通過するので、どこも大荒れだとテレビは報じている。覚悟はしていたけれど、すごい雨だ。朝食に行くと飲み物はブッフェスタイル。牛乳が美味しいのがうれしい。温かい明日葉茶を持っていった。明日葉のお茶なんてめずらしい。わるくはない。
9時タクシーを頼み、ホテルのカサを借りて、町役場へ行く。台風みたいな吹き降り。こんな日に観光バスは運行するのだろうか、と気にしたが、風の強い島だからか、町の人はこの位の風はなんとも思っていないようだ。役場で観光バスはどこから出るのかときくと、職員がわざわざ席を立って、裏口まで案内してくれた。とても態度がいい。いい感じだ。観光を目玉にするなら、やはりお客さんへのサービスは大事だ。受けた客は気持ちがいいもの。 裏口を出ると観光協会があり、そこで料金を払い、バスに乗り込んだ。運転手さんは交代していた。
乗客は8人、ばらばらに来たけど、全部、同じホテルの宿泊者だ。定刻に出発。まずは車中から陣屋跡と玉石垣を眺めて、服部屋敷に行く。
服部屋敷の前でバスを下り、屋敷まで歩いていく。この屋敷跡の玉石垣も雨に濡れて情緒がある。八丈にあった木造の屋敷はほとんどシロアリにやられて失われてしまったそうだ。10時から踊りがあるので、それまでお土産品を眺めている。Papasanは黄八丈のループタイを買った。八丈は流人の島であることは、流人となった人々の故郷、各地の文化が混じるところでもある。民謡は各地の民謡がとりいれられ、踊りも少しずつ変化している。樫立踊りは都の無形文化財だそうだ。
八丈太鼓が紹介された。ひとつの太鼓を二人で両面から打つ。一人はメロディーを打ち、もう一人がリズムを打つ。そのリズムに合わせてメロディーも変る。いい音だ、と聞きほれていたら、Papasanが「太鼓の響きに悲しさがある」と言った。そうかもしれない、Papasan、いい感性してるよ、この太鼓は「望郷の思いが秘められていたそうだから。
ご赦免花、ソテツの花が咲くと、流人たちは赦免が届くのを待っていた。実際にご赦免花が咲いて赦免の知らせが届いたのは10回ほどあったそうだ。最後に参加者達も舞台に上がって踊り手さんたちといっしょにショメ節を踊った。
つづいて黄八丈染元へ。ここでは染から織まで一貫してこの工房で行っている。染料にする植物もここで育てているとのことだった。黄八丈は黄、樺、黒の3色で織られている。黄色は島に自生するイネ科の植物、コブナグサ(カリヤス)媒染にはツバキの灰汁を使う、すると鮮やかな黄色になる。樺色はタブノキ(マダミ)の木の皮を煮だして、媒染には雑木の灰汁、黒はスダジイ、媒染には鉄分を含んだ泥を使う。
ここの説明で、黒潮の役割を教えられた。黒潮は時速70キロぐらいで中国大陸の方から流れてきている。黒潮に乗ると、自然に八丈島にたどり着く。島に伝わっている絹も内地からではなく、中国から伝来されたものだというのである。
昨日の財布はカードが入らなかったので、今日は財布からカードを出して入れてみて、また財布を買った。「中身がないのにね」と言いながら。黄八丈には鳶八丈、黒八丈と言うのもある。黒を主体にしたものは感じがいい。これなら着れそうだ。織機にかかっているのを指して「一反いくら?」と聞いたのだが、女の子が「35万、38万ぐらい」という答えだった。
黄八丈もまた献上品だった。黄八丈は町人の着物、なんてイメージがあるが、江戸時代は庶民はとても着れない代物だった。庶民が着られるようになったのは明治以降ということだ。
八丈島ガーデン、観葉植物のガーデンだ。ここにヘゴヤシがあった。売店で明日葉茶のサービスがあった。うん?いままでの明日葉茶と味が違う。「これ?」と聞くと、これは玄米茶に明日葉の粉末を入れているのだそうだ。だから玄米茶の味が表に出て、明日葉の味を控えめにしているようだ。「そのほうが飲みやすいから」とお姉さんの弁。そこのえい子オバサンの手作りの唐辛子の佃煮を買った。唐辛子も。八丈島の唐辛子は小粒だが香が高くて、辛いのが特徴だということだ。
島の南の地区は三原山の影響で温泉が出る。外は雨で、ガスっているので、景色は見えない。それもあって、車でテープで流される説明がたのしい。テープの説明だと、八丈島の名前の由来は、源鎮西八郎為朝の八郎が、なまって八丈になったと言う説もあるようだ。この為朝、島にはずいぶんいいことをしたようだ。
伝説によると、秦の徐福が始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を捜し求めて大船団で旅に出た。ところが黒潮に流され、そのうちの男達500人の乗った船が青ヶ島に漂着、女たち500人が乗った船がここ八丈島に到着した。男たちと女たちは別々に暮らしていた。だから青ヶ島を男島、八丈島を女島と呼んでいた。
南風の吹くころ、男たちは八丈島へ渡ってくる。女達は自分で編んだ紅鼻緒の草履を浜に並べて男達を待った。自分のつくった草履を履いてくれた人を夫と定め、短い契りを結んだそうだ。女の子が生まれると八丈島におき、男の子が生まれると青ヶ島へ送ったという。男と女がいっしょに暮らすと神の怒りに触れ、禍があると信じられ、男女別々に暮らすのが長いしきたりだった。「南風だよ、みな出ておじゃれ、迎え草履の紅鼻緒」野口雨情の歌はこの伝説をうたったもの。
ここで為朝が登場する。島に来た為朝は聡明な女性に、島には男女別々に暮らすしきたりがあるそうだが、それは迷信だ。男女はいっしょに助け合って暮らすのが本来の道だ。どうだ、私といっしょに暮らして、島の迷信を破ろうではないか、と言って、彼女を妻とし、仲良く暮らした。神のたたりがなかったのを見て、やがて島の人々も男女いっしょに暮らすようになった、と言うのである。為朝はまこと良いことをしたのである。めでたし、めでたし。
名古の展望台。ここからの展望はいい。海の色はないが、浜辺に打ち寄せる波の白く割れてきれいだ。売店があり、店先に焼酎の甕があり、そばにお猪口が置いてある。蛇口をひねると、焼酎がいくらでも無料で飲めるようになっている。横に水の出る蛇口もある。焼酎の名は情ケ島(なさけしま)私は飲まなかったが、Papasanは飲んで美味しいと一瓶買った。麦焼酎だそうだ。
バスは登竜峠(のぼりゅう)を上る。離島振興で八丈も道路は整備されていて立派。登竜峠の展望台から見る景色は、晴れていれば平らな町並み、その向こうに八丈富士、その先に八丈小島と素晴らしい景観が望めるのだが、あいにくと今日は雨、八丈富士の頂上には雲が垂れ込めている。
登竜峠を下ると、底土(そこど)港だ。ここで美味しいクサヤを作っているときいたけど、行く機会がなかった。ガイドブックには貴重な塩を節約するために開いた魚を同じ漬け汁に何度もつけて干したのがクサヤ汁となり、先祖代々つかわれている、と書いてある。しかしこの塩の節約というのが、塩は献上品で、取立てが厳しく、島人でさえ十分に使えなかったことから生まれたものである。クサヤ汁は発酵食品のもとみたいなものだ。
車の中から見たので、どこだか覚えていないが、防空壕の跡が並んでいた。どこかに地下壕が張り巡らされてあるとも説明された。「沖縄みたいだね、松代大本営だね」
帰宅して調べると、太平洋戦争のとき、連合軍の南方からの侵攻に備えて、小笠原の次なる拠点として地下壕が作られたとのことだった。「回天」の基地もつくられた。幸いなことに八丈島は戦場にはならなかったが、「防衛道路」や「鉄壁山」にその跡が残っている。「回天」とは人が中に入って操縦して対象物に命中して爆発する武器、人間魚雷のことである。真鶴にも人間魚雷はおかれていた。
バスは亀やさんに昼食に寄る。「こんにちは、また来ましたよ~」お母さんも娘さんも愛想がいい。
食事をしながら客同士話をし、またまた真鶴の宣伝をたくさんした。来たことのある人たちは「真鶴はいいところですね」「魚座へ行きました」「半島に行きました」とか話してくれる。来たことのない人はぜひ真鶴に行きたいと言う。中川美術館、お林、歴史、お店の宣伝もした。中には住みたいというご夫婦もいた。大歓迎ですよ。私たちは真鶴の宣伝マンだねぇ。こうなると責任があるから、真鶴の手ごろな値段の昼食からいろいろと食べ歩いてみなくっちゃ。
この家の鉄道マニアのお姉さんが、たくさんSLの写真や資料を持って出てきた。バスの乗客たちもいっしょになって、SLの話に花が咲いた。「鉄道マニアの人のことを鉄男さんっていうそうですよ」と一人が言った。「じゃぁ、女性だからお姉さんはさしずめ鉄子さんね」
私たちはここでバスを下りて、タクシーでそのまま植物園に行った。タクシーの運転手さんに「アカコッコに会いに来たんだ」と言ったら、植物園の正面からではなく、南口から入るように教えてくれた。雨は上がっていたが、風が強かった。
南口からは石段を上っていく。人っ子ひとりいない。バードサンクチュアリに入る。聞こえるのは風の音と、ヒヨドリの鳴き声、時折シジュウカラの声だけ。風が強いから鳥たちはどこかでじっとしているのかもしれない。世界の森、日本森と言うテリトリーを歩き、キョンにも会った。オスの檻とメスの檻と分けられている。青ヶ島と八丈島伝説みたいだ。キョンは鹿の仲間。立ち止まるとき片足を上げるので、愛嬌があって、この島のマスコット的存在になっているとか。キョンはじっと座っているが、私達が気になるようで、みんなでこちらを眺めている。
迷いながら、ビジターセンターの方に進み、どうやらセンターに着いた。係りの女性が「昨日見えた方ですね」と私達を覚えていてくれて、「昨日上映しなかったビデオをごらんください」と誘ってくれた。「八丈の四季」を選び、「植物も見たいな」というと、連続して上映してくれると言った。注文した紅茶も届けてくれた。お茶を飲みながらビデオ鑑賞、島の自然はかなり頭に入った。
そこへ午後からのバスツアーに出かけた人たちが入ってきた。2時40分からの予約だという。昨日は3時からだったから、20分早くなっている。
学芸員なのだろうか、さっきの若い女性はとっても感じがいい。閲覧室で彼女が出してくれた島の生物の写真を眺めている。クモの写真は数種類しかない。「クモの研究者はいないのですか?」と聞くと、「いない」のだという。「ここは暖かいし、クモは種類がいると思いますよ。研究なさったらおもしろいと思いますけどね」4時過ぎ、さっきのタクシーに迎えを頼んで、ホテルに帰った。
アカコッコには是非とも会いたいので、電話で早朝のバード・ウォッチングをお願いした。観光協会から送ってもらったパンフの中にエコツアーの紹介があり、その中にバードウォッチングがあったのだ。翌朝6時に迎えに来てくれるという。
大浴場は5時からだ。髪を洗いたかったので、大浴場に入りに行く。大きなお風呂にゆっくり手足を伸ばして、あ~、気持ちがいい。
夕食は7時から。今日は違う焼酎を頼んだが、口に合わないので、もう一杯昨日の黄八丈を頼んだ。Papasanはイモは入ったのを頼んでいた。島寿司が出た。3種類の魚のズケである。小ぶりにつくってくれてある。洋芥子も違和感はない。昨日のすし屋の寿しよりはシャリも美味しい。お造り、ナベ。牡蠣のホワイトソース焼き、ボーイさんが島唐辛子を持ってきてくれた。一本は生、一本は佃煮。これを鍋のポン酢のたれの中に入れてみた。香はいいが、すこぶる辛い。明日葉ソバもでた。美味しかったけど、もうこれだけでお腹がいっぱい。
なのにさらにローストビーフが出た。ここのボリュームは若い人向きだなぁ。
「島寿司、美味しいですね。昨日おすし屋さんで食べたんだけど、シャリはこっちの方が美味しかったですよ」というと、「漁師の奥さんに握ってもらっています」という返事。でも甘味はいくぶん抑えている。従来の寿し米はもっと甘いそうだ。「ホテルの料理だからと期待していなかったけど、どれも美味しいですよ。味付けがとってもいい」「料理人が関西なので、味はしっかりしていますが、薄味にしたててあります」
な~んか、食べ過ぎちゃったなぁ、重いお腹をかかえて、食堂の上にある図書コーナーで蔵書を眺めている。「茄子の木」って八丈の本を2月に頼んだのだけど、とうとう手に入らなかったよ。そうだ、団伊玖麿さんの仕事部屋が八丈に在った筈。
部屋に戻ってベランダに出ると星が出ている。北斗七星がはっきりと見える。北はあっちだ。少し雲もあるが、天の川が流れているのがわかる。Papasanが「3階に星の見える場所があるとか書いてあった」というので出て行くと、「星の散歩道」という文字が見えた。屋上が星の観測に開放されている。屋上にでるとなるほど全天が見られる。しかしまだ薄雲が残っているので、星空ははっきりとはしない。風が強いので、ちょっと吹き飛ばされそうで怖い。早々に引き上げる。