Cogito

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本橋成一写真展

2007-05-31 17:47:20 | アート・文化

Gg_ex_200705_011 本橋成一写真展に行って来た。本橋さんの写真は若い頃の写真は除いて、ほとんど見ている。今回は写真をはじめたいきさついや、そのころの写真も紹介されていて、とてもたのしかった。写真についている説明文がユーモラスで思わず笑ってしまった。

ガーディアンガーデンの会場と別に、リクルートにも展示場があった。リクルートの方はチェルノブイリ関連とバオバブの写真が並んでいた。チェルノブイリの方はおなじみである。バオバブの写真がいい。ちょうど本橋さんがいらした。伺うとバオバブは2年後に映画になるのだそうだ。バオバブとそれをとりまく人間も含めた生物の共生、そういったものに視点を当てて、映画化したいと言っていた。バオバブは、「星の王子さま」の影響で、悪役にされているが、実際には実に役に立っている木なのだ。きっといい映画が出来るだろう。「たのしみにしています」と言って失礼した。本橋さんの顔がますます柔和になってきた。

本橋成一「写真と映画と」

デビュー作『炭鉱〈ヤマ〉』から、
チェルノブイリ三部作、新作「バオバブ」まで
本橋成一作品展

2007年5月7日(月)~6月1日(金)
11:00a.m.~7:00p.m.

会場 : ガーディアン・ガーデン
(水曜日は8:30p.m.まで。但し、5月23日(水)はトークショーのため6:40p.m.まで)
土・日・祝祭日休館 入場無料

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カラス

2007-05-27 23:32:48 | 動物記

1月頃からかぽと名づけてかわいがってきたハシブトカラスが姿を消した。毎日、何度もえさをもらいに来ていたカラスたちなのである。家に来ないだけでなく、周りにも姿が見えなくなった。どこへ行ってしまったのだろう。カラスは子育てが終わると群れを作るから、群れと一緒にどこかへ移動してしまったのだろうと思っていた。

その間、近くの柿の木にハシボソカラスが巣をつくっていた。子育てが行われていたかどうかは定かではない。ハシボソは庭に来て、スズメのえさを食べてはいたが、人間のそばに来ることはなかったし、ましてなれることはしなかった。私たちにしてみれば、時折見かけることはあっても、ヒヨやメジロ、相思鳥以上のものではなかった。

ところがである。先日、突然ハシブトのかぽたちが帰ってきた。かぽたちは私たちを覚えていて、まっすぐにえさをねだりに来た。相変わらず肉はのどの袋に溜め込むし、シフォンは水にぬらして食べるし、手からももらう。どっちかといえば、甘ったれるかぽたちの方がかわいい。

面白くないのはハシブトたちである。自分たちがのんびり暮らしていたところへ侵入してきたのだから、かぽたちは侵略者である。しかも大きな顔をしてえさをもらっている。初日、追いかけっこをしているのを目撃した。パレスチナとイスラエルだなんて、面白がって眺めていた。

昨日、ハシボソにシフォンを投げてやると、自分にくれたのがわかったらしく、ひとつひとつ拾ってまとめて持っていった。こういうところはハシボソもカラスだ。これだと共存できるかな。

今朝もハシブトのかぽたちが餌をくれと枝に来て鳴いている。かぽ用に細切れが買ってある。それを持って外に出て、かぽにやっていると、もう一羽、木蓮の木にカラスがいる。相棒かな、と思っていたら、そのカラスがいきなりかぽに襲い掛かった。ハシボソだ。かぽは口に肉をくわえたまま、逃げていった。その後を追いかけるハシボソを見た。やれやれ、共存は無理かな。

しばらくするとカラスの声がする。ハシボソの声だけど、と外に出るとやはりハシボソ、餌をねだっている。かぽたちが餌をねだるのを見て、学習したらしい。そこでシフォンをちぎって投げてやると、拾っている。

シフォンは需要が多い。カラスが食べなければ、スズメもウサギも待っていたとばかりに拾っていく。カラスが警戒して、のそのそしているといち早く、見つけて飛んでいくのはスズメだ。スズメの後を、安全を確かめてからカラスは降りてくる。だけど枝に刺してやったものはまだ警戒して食べない。

ハシボソがいなくなると、待っていたとばかりにハシブトがやってくる。かぽには何度餌をやっているか、出たり入ったり、いい運動だよ。

共存できるようになるのか、それともどちらかが追い出されるのか、果たしてどうなるのだろう。興味駸々で眺めている。

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かぽ

2007-05-24 17:27:51 | 動物記

朝、カラスがうるさく鳴いている。で、外に出てみると、モクレンの枝に二羽からすがいる。見るとハシブトだ。かぽかな、と思った次の瞬間、カラスは私めがけて飛んできた。そして目の前の桜桃の枝に止まった。かぽなんだ。急いで肉を持ってきて枝に刺してやると、美味しそうに食べている。やっぱりかぽなんだ、お前達どこへ行っていたんだ。するとハシボソがやってきて、ケンカを始めた。そうだよね、ハシブトにしてみればおもしろくはなかろう。半年近く、ここはハシブトのショバだったのだから。パレスチナとイスラエルの争いだねぇ、なんていいながら見ているが、私達の姿を見るとかぽはすぐ跳んできて餌をねだる。それにひきかえ、ハシボソは人間にはなついていない。

Royalhighness この時期、花の季節なので、いそがしい。20日の日曜日には河津までバラを見に行って来た。毎年、春と秋に行くのだが、同じ花でも毎年花の様子は違う。あれ~、あんたこんな色だっけ?なんて話しかけながら、写真を撮っている。ポジが出来てきたら、フォトに入れよう。

23日は何年かぶりに八芸会で作陶した。ワンコの食器をつくった。

24日、今日は箱根の湿生花園にブルーポピーを見に行って来た。

かえり山崎のあたりのソバ屋にはいった。初めて。このソバやさん、小田原駅前の鈴廣ビルの十勝ソバと同じだという。箱根何とかと言ったから、あそこのお店変ったのかな。それともはじめからここと姉妹店だったのかな。

デザートに甘いものがほしかったので、外郎(ういろう)に寄って、喫茶で甘い物を食べた。ついでに博物館も見せてもらった。蔵は素敵。蔵の中には古い時代物が展示されていた。近くにいるのに、見学は初めて。

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八丈島3

2007-05-22 23:38:50 | 国内の旅

5月18日(金)

Akakokko1 目を覚ますと窓から見える外は明るい。Papasanが「日の出は4時35分くらい」と言って外を眺めている。星空から晴天を予想していたのだが、明るいが雲がたれこみ、すっきりとしていない。この様子では山に登っても遠望はきかないだろう。

6時少し前、ロビーに出て迎えを待っている。程なくワゴン車が来た。たぶんあれだろう。そこでPapasanが挨拶に行くと、確かにバードウォッチング主催者の岩崎さん、テキパキとさわやかな感じの女性。もう一組、いっしょに行くという。6時ぎりぎりにもう一組若いカップルが現れた。東京と埼玉からのふたり。昨日は飛行機が最終便まで飛ばず、羽田で9時間も待ったという。

まずは双眼鏡の扱い方から教わる。この双眼鏡軽くて、しかもよく見える。私のお目当てはアカコッコだと伝える。最初のバスの運転手さんによると、三宅島の噴火のせいもあって、アカコッコは増えて鳴き声がうるさいくらい、と聞いた。次のタクシーの運転手さんによると、ねずみやマムシを駆除するために、イタチを導入して放した。そのせいで、アカコッコも犠牲になり数が減ってしまった、そんな話をした。

Iijimamusikui 昨日私達がさまよった植物公園のキョンの檻近く。あたり一面いい香がする。スダジイの香だそうだ。家にもスダジイの古木はあるのだが、オスなので花が咲いたことがないから香はしらなかった。こんな甘い香がしたんだ。イイジマムシクイの鳴き声を教えてもらった。イイジマムシクイは天然記念物だ。アカコッコの声も教えてもらった。あちこちにいるようだが、姿は見えない。

181_1 182 183 シジュウカラ、キジバト、イソヒヨドリ、ヒヨドリ、ウグイス、スズメの声もよくひびく。空にはツバメとアマツバメが舞っている。チュウサギ、アマサギもいる。植物園からでて、街中でアカコッコが横切るのを見た。ちょっと遠かったけど、それから何回もアカコッコにお目にかかった。ほんとアカハラによく似ている。頭が黒いのが特徴だが、一瞬だとアカハラと間違えそうだ。道路にアカコッコがいる。二羽いる。おや、ケンカをしている。あっ、左側にメスがいる。恋の鞘当だったんだ。アカコッコって、よく見るとのんびりした顔をしているね。

岩崎さんによるとアカコッコは伊豆諸島とトカラ列島にだけいるそうだ。昔は伊豆諸島とトカラ諸島がつながっていたのかも、と言って岩崎さんが笑った。トカラ諸島、奄美大島までの列島ね、つながっていたとは考えにくいけど、アカコッコも黒潮に乗ってきたのかなぁ。

島ではアカコッコは「コッコメ」と呼んでいる。ツグミ科の鳥をコッコというのだそうだ。そういえば昨日バスの運転手さんが、島では下にメをつけて呼ぶと言っていた。牛メ、馬メ、イヌメというように。すかさず私が「じゃぁ、ワカメはなんて呼ぶの?ワカメメ」といったら、みんなが笑った。運転手さんも笑っていた。ただし私達が名詞の下につけるメが強い発音ではなく、やや上がり調子のやさしい音のメだ。

八丈島は離島なので、野鳥は固有種が見られる。そこで世界の鳥類学者たちが訪れているそうだ。今年はホトトギスの来るのが遅れているが、ホトトギスが来れば八丈島のオールスターが揃うそうだ。

ホタル水路、と言って水田を復元しているところへ行った。昔は島には水田がずいぶんあったそうだ。しかしいまはほとんどない。そこで子どもの教育もかねて、水田を復元しているそうだ。ここの奥は小高い森に包まれた場所。山にはスダジイの新緑が目に鮮やかだ。ここはまさに野鳥の声のシンフォニー。

「いまのがイジマムシクイですよ、あれがタネコマドリですよ」なんて立て続けにいわれても聞き分けられないくらい、たくさん鳴いている。カラスバトのウォーウォーとなく声も聞こえる。山の上を二羽のカラスバトが飛んでいく。カラスバトって飛び方もキジバトとは違うんだ。ここで温かい紅茶を頂いて、ホテルに戻った。念願のアカコッコにあえて満足。

ホテルに戻って朝食に行った。10時チェックアウト。みやげ物コーナーでPapasanはまた黄八丈のループタイを私は岩のりと明日葉の粉を買った。明日葉の加工食品がたくさんあった。島の野菜だからだろう。明日葉の効能書きは使えそうなので貰っておいた。

昨日のタクシーの運転手が、海岸に下りるなら、この道の方がいいと教えてくれたので、散歩に出かける。緑にあふれるだれもいない道。ここでも海に落ちる溶岩が、おもしろい景色をつくっている。海辺近くに建設中の、たぶん、ホテルになるのではなかろうか、建物がある。八丈島の植物ガイドを持ってくればよかったな。せっかく買ったのだから。

チェックアウトのとき、フロントにお料理も美味しくて、居心地はよかったんだけど、交通の便が悪いのが難点ですね、というと、そこが頭の痛いところですと答えていた。送迎以外にホテルバスを動かすと、タクシー業界から苦情が出るとも。そうだろね、客にすればちょっと街中に出るだけで、タクシー代が1500円以上になる。これを何度も往復すれば、かなりの出費になる。一方、地元にすれば、タクシーを利用してくれれば共存共栄になる。

昨日の運転手さんに電話をしたが観光で出てしまったというので、ホテルでタクシーを呼んでもらい、大里の玉石垣に行ってもらって、空港へ行った。11:55分の大島行に乗るためである。フライトまで時間があったので、みやげ物をのぞいている。青ヶ島の塩があったので、八丈島の塩とわせて買った。

チェックでPapasanの荷物がひっかかった。右下の方に何か引っかかるものがあるという。来るとき何でもなかったから、おみやげ物かなぁ、と言いながら中の物を出す。液体の焼酎も入っていたけど、それはパス。そして再びチェックを通したが、結局なんだかわからなかった。

座席は左の窓側。だから八丈富士を見ることは出来なかった。飛行機は空いていた。「右側の方が島が見えるから移動してもいいですよ」と乗務員が言ってくれたので、右側に移動。八丈島から大島まで35分。大島まで20分ぐらいというところで、御蔵島と三宅島が見えてきた。往きよりずっと大きく見える。どこかの島の上を飛んだ。大島が見えてきたところで、右側の窓に利島のかたちがあった。

12:30大島空港着。大島は初めてではないが、空港に降り立つのは初めてだ。空港からタクシーで岡田港へ移動した。昨日は船は欠航だったと運転手さんが言った。一日ずれてよかったなぁ。

まずは予約してあった高速船の切符を買った。それから食事にでかけた。乗り場の近くにあるお店の二階がレストランになっていて、そこへ上がって行った。大島名物「べっこう寿司」というのがあった。そこでそれを二人前とった。Papasanは生ビール、とおつまみにトコブシ甘辛煮を頼んだ。初めて大島に来たとき、知り合いのオバサンがこのトコブシの煮つけをたくさん作ってくれた。なつかしさもあって、美味しかった。

べっこう寿しは白身の魚をヅケにしたものである。醤油の色でべっこう色になることから、こうよばれているとか。今日の白身魚はメダイ。小ぶりの握りだけど、一皿に10ケものっている。こんなに食べられるかなぁ。ヅケがピリカラ。「辛~い」と思わず声に出してしまった。「大丈夫ですか」とオバサン。「漬け汁に青唐が入っているんですよ」大島特産の青唐辛子を「あおとう」というらしい。ヅケは伊豆七島の食文化なんだ。しかも島それぞれに特産の唐辛子があるようだ。これには芥子もわさびも塗ってないし、シャリも甘いが、ヅケのピリカラがちょうどいい。美味しいと言って全部食べてしまった。しかし口の中がピリカラなので、と口直しに特性のプリンを食べた。

船だまりを写真に撮っていた。案内所に入ると、二階が待合室になっている。
岸壁でつりをしている人がいる。「何が釣れるの?」ときくと「アオリイカ」という。「へ~、見たい見たい、釣れないかなlぁ」と野次馬は覗き込む。海は澄んでいできれいだが、魚影は見えない。

そうこうしているうちに、乗船の案内が流れた。3時25分。ジェットホイルだ。席は指定で2階。熱海まで45分。熱海に着くとバスがあり、連絡よく電車もあった。で、5時前には家に着いた。「ただいま!」門にはイヌが玄関にはネコが待っていた。

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八丈島2

2007-05-22 08:52:24 | 国内の旅

5月17日

目を覚ますと雨が降っている。予報どおりだ。低気圧が通過するので、どこも大荒れだとテレビは報じている。覚悟はしていたけれど、すごい雨だ。朝食に行くと飲み物はブッフェスタイル。牛乳が美味しいのがうれしい。温かい明日葉茶を持っていった。明日葉のお茶なんてめずらしい。わるくはない。

9時タクシーを頼み、ホテルのカサを借りて、町役場へ行く。台風みたいな吹き降り。こんな日に観光バスは運行するのだろうか、と気にしたが、風の強い島だからか、町の人はこの位の風はなんとも思っていないようだ。役場で観光バスはどこから出るのかときくと、職員がわざわざ席を立って、裏口まで案内してくれた。とても態度がいい。いい感じだ。観光を目玉にするなら、やはりお客さんへのサービスは大事だ。受けた客は気持ちがいいもの。 裏口を出ると観光協会があり、そこで料金を払い、バスに乗り込んだ。運転手さんは交代していた。

乗客は8人、ばらばらに来たけど、全部、同じホテルの宿泊者だ。定刻に出発。まずは車中から陣屋跡と玉石垣を眺めて、服部屋敷に行く。

Ytamaisigaki 服部屋敷の前でバスを下り、屋敷まで歩いていく。この屋敷跡の玉石垣も雨に濡れて情緒がある。八丈にあった木造の屋敷はほとんどシロアリにやられて失われてしまったそうだ。10時から踊りがあるので、それまでお土産品を眺めている。Papasanは黄八丈のループタイを買った。八丈は流人の島であることは、流人となった人々の故郷、各地の文化が混じるところでもある。民謡は各地の民謡がとりいれられ、踊りも少しずつ変化している。樫立踊りは都の無形文化財だそうだ。

Taiko 八丈太鼓が紹介された。ひとつの太鼓を二人で両面から打つ。一人はメロディーを打ち、もう一人がリズムを打つ。そのリズムに合わせてメロディーも変る。いい音だ、と聞きほれていたら、Papasanが「太鼓の響きに悲しさがある」と言った。そうかもしれない、Papasan、いい感性してるよ、この太鼓は「望郷の思いが秘められていたそうだから。

ご赦免花、ソテツの花が咲くと、流人たちは赦免が届くのを待っていた。実際にご赦免花が咲いて赦免の知らせが届いたのは10回ほどあったそうだ。最後に参加者達も舞台に上がって踊り手さんたちといっしょにショメ節を踊った。

Ori つづいて黄八丈染元へ。ここでは染から織まで一貫してこの工房で行っている。染料にする植物もここで育てているとのことだった。黄八丈は黄、樺、黒の3色で織られている。黄色は島に自生するイネ科の植物、コブナグサ(カリヤス)媒染にはツバキの灰汁を使う、すると鮮やかな黄色になる。樺色はタブノキ(マダミ)の木の皮を煮だして、媒染には雑木の灰汁、黒はスダジイ、媒染には鉄分を含んだ泥を使う。

ここの説明で、黒潮の役割を教えられた。黒潮は時速70キロぐらいで中国大陸の方から流れてきている。黒潮に乗ると、自然に八丈島にたどり着く。島に伝わっている絹も内地からではなく、中国から伝来されたものだというのである。

Saufu1 Saifu2 昨日の財布はカードが入らなかったので、今日は財布からカードを出して入れてみて、また財布を買った。「中身がないのにね」と言いながら。黄八丈には鳶八丈、黒八丈と言うのもある。黒を主体にしたものは感じがいい。これなら着れそうだ。織機にかかっているのを指して「一反いくら?」と聞いたのだが、女の子が「35万、38万ぐらい」という答えだった。

黄八丈もまた献上品だった。黄八丈は町人の着物、なんてイメージがあるが、江戸時代は庶民はとても着れない代物だった。庶民が着られるようになったのは明治以降ということだ。

八丈島ガーデン、観葉植物のガーデンだ。ここにヘゴヤシがあった。売店で明日葉茶のサービスがあった。うん?いままでの明日葉茶と味が違う。「これ?」と聞くと、これは玄米茶に明日葉の粉末を入れているのだそうだ。だから玄米茶の味が表に出て、明日葉の味を控えめにしているようだ。「そのほうが飲みやすいから」とお姉さんの弁。そこのえい子オバサンの手作りの唐辛子の佃煮を買った。唐辛子も。八丈島の唐辛子は小粒だが香が高くて、辛いのが特徴だということだ。

島の南の地区は三原山の影響で温泉が出る。外は雨で、ガスっているので、景色は見えない。それもあって、車でテープで流される説明がたのしい。テープの説明だと、八丈島の名前の由来は、源鎮西八郎為朝の八郎が、なまって八丈になったと言う説もあるようだ。この為朝、島にはずいぶんいいことをしたようだ。

伝説によると、秦の徐福が始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を捜し求めて大船団で旅に出た。ところが黒潮に流され、そのうちの男達500人の乗った船が青ヶ島に漂着、女たち500人が乗った船がここ八丈島に到着した。男たちと女たちは別々に暮らしていた。だから青ヶ島を男島、八丈島を女島と呼んでいた。

南風の吹くころ、男たちは八丈島へ渡ってくる。女達は自分で編んだ紅鼻緒の草履を浜に並べて男達を待った。自分のつくった草履を履いてくれた人を夫と定め、短い契りを結んだそうだ。女の子が生まれると八丈島におき、男の子が生まれると青ヶ島へ送ったという。男と女がいっしょに暮らすと神の怒りに触れ、禍があると信じられ、男女別々に暮らすのが長いしきたりだった。「南風だよ、みな出ておじゃれ、迎え草履の紅鼻緒」野口雨情の歌はこの伝説をうたったもの。

ここで為朝が登場する。島に来た為朝は聡明な女性に、島には男女別々に暮らすしきたりがあるそうだが、それは迷信だ。男女はいっしょに助け合って暮らすのが本来の道だ。どうだ、私といっしょに暮らして、島の迷信を破ろうではないか、と言って、彼女を妻とし、仲良く暮らした。神のたたりがなかったのを見て、やがて島の人々も男女いっしょに暮らすようになった、と言うのである。為朝はまこと良いことをしたのである。めでたし、めでたし。

Nako Wave1 Wave2 名古の展望台。ここからの展望はいい。海の色はないが、浜辺に打ち寄せる波の白く割れてきれいだ。売店があり、店先に焼酎の甕があり、そばにお猪口が置いてある。蛇口をひねると、焼酎がいくらでも無料で飲めるようになっている。横に水の出る蛇口もある。焼酎の名は情ケ島(なさけしま)私は飲まなかったが、Papasanは飲んで美味しいと一瓶買った。麦焼酎だそうだ。

Nobori バスは登竜峠(のぼりゅう)を上る。離島振興で八丈も道路は整備されていて立派。登竜峠の展望台から見る景色は、晴れていれば平らな町並み、その向こうに八丈富士、その先に八丈小島と素晴らしい景観が望めるのだが、あいにくと今日は雨、八丈富士の頂上には雲が垂れ込めている。

登竜峠を下ると、底土(そこど)港だ。ここで美味しいクサヤを作っているときいたけど、行く機会がなかった。ガイドブックには貴重な塩を節約するために開いた魚を同じ漬け汁に何度もつけて干したのがクサヤ汁となり、先祖代々つかわれている、と書いてある。しかしこの塩の節約というのが、塩は献上品で、取立てが厳しく、島人でさえ十分に使えなかったことから生まれたものである。クサヤ汁は発酵食品のもとみたいなものだ。

車の中から見たので、どこだか覚えていないが、防空壕の跡が並んでいた。どこかに地下壕が張り巡らされてあるとも説明された。「沖縄みたいだね、松代大本営だね」

帰宅して調べると、太平洋戦争のとき、連合軍の南方からの侵攻に備えて、小笠原の次なる拠点として地下壕が作られたとのことだった。「回天」の基地もつくられた。幸いなことに八丈島は戦場にはならなかったが、「防衛道路」や「鉄壁山」にその跡が残っている。「回天」とは人が中に入って操縦して対象物に命中して爆発する武器、人間魚雷のことである。真鶴にも人間魚雷はおかれていた。

バスは亀やさんに昼食に寄る。「こんにちは、また来ましたよ~」お母さんも娘さんも愛想がいい。
食事をしながら客同士話をし、またまた真鶴の宣伝をたくさんした。来たことのある人たちは「真鶴はいいところですね」「魚座へ行きました」「半島に行きました」とか話してくれる。来たことのない人はぜひ真鶴に行きたいと言う。中川美術館、お林、歴史、お店の宣伝もした。中には住みたいというご夫婦もいた。大歓迎ですよ。私たちは真鶴の宣伝マンだねぇ。こうなると責任があるから、真鶴の手ごろな値段の昼食からいろいろと食べ歩いてみなくっちゃ。

この家の鉄道マニアのお姉さんが、たくさんSLの写真や資料を持って出てきた。バスの乗客たちもいっしょになって、SLの話に花が咲いた。「鉄道マニアの人のことを鉄男さんっていうそうですよ」と一人が言った。「じゃぁ、女性だからお姉さんはさしずめ鉄子さんね」

私たちはここでバスを下りて、タクシーでそのまま植物園に行った。タクシーの運転手さんに「アカコッコに会いに来たんだ」と言ったら、植物園の正面からではなく、南口から入るように教えてくれた。雨は上がっていたが、風が強かった。

南口からは石段を上っていく。人っ子ひとりいない。バードサンクチュアリに入る。聞こえるのは風の音と、ヒヨドリの鳴き声、時折シジュウカラの声だけ。風が強いから鳥たちはどこかでじっとしているのかもしれない。世界の森、日本森と言うテリトリーを歩き、キョンにも会った。オスの檻とメスの檻と分けられている。青ヶ島と八丈島伝説みたいだ。キョンは鹿の仲間。立ち止まるとき片足を上げるので、愛嬌があって、この島のマスコット的存在になっているとか。キョンはじっと座っているが、私達が気になるようで、みんなでこちらを眺めている。

迷いながら、ビジターセンターの方に進み、どうやらセンターに着いた。係りの女性が「昨日見えた方ですね」と私達を覚えていてくれて、「昨日上映しなかったビデオをごらんください」と誘ってくれた。「八丈の四季」を選び、「植物も見たいな」というと、連続して上映してくれると言った。注文した紅茶も届けてくれた。お茶を飲みながらビデオ鑑賞、島の自然はかなり頭に入った。

そこへ午後からのバスツアーに出かけた人たちが入ってきた。2時40分からの予約だという。昨日は3時からだったから、20分早くなっている。

学芸員なのだろうか、さっきの若い女性はとっても感じがいい。閲覧室で彼女が出してくれた島の生物の写真を眺めている。クモの写真は数種類しかない。「クモの研究者はいないのですか?」と聞くと、「いない」のだという。「ここは暖かいし、クモは種類がいると思いますよ。研究なさったらおもしろいと思いますけどね」4時過ぎ、さっきのタクシーに迎えを頼んで、ホテルに帰った。

アカコッコには是非とも会いたいので、電話で早朝のバード・ウォッチングをお願いした。観光協会から送ってもらったパンフの中にエコツアーの紹介があり、その中にバードウォッチングがあったのだ。翌朝6時に迎えに来てくれるという。

大浴場は5時からだ。髪を洗いたかったので、大浴場に入りに行く。大きなお風呂にゆっくり手足を伸ばして、あ~、気持ちがいい。
夕食は7時から。今日は違う焼酎を頼んだが、口に合わないので、もう一杯昨日の黄八丈を頼んだ。Papasanはイモは入ったのを頼んでいた。島寿司が出た。3種類の魚のズケである。小ぶりにつくってくれてある。洋芥子も違和感はない。昨日のすし屋の寿しよりはシャリも美味しい。お造り、ナベ。牡蠣のホワイトソース焼き、ボーイさんが島唐辛子を持ってきてくれた。一本は生、一本は佃煮。これを鍋のポン酢のたれの中に入れてみた。香はいいが、すこぶる辛い。明日葉ソバもでた。美味しかったけど、もうこれだけでお腹がいっぱい。
なのにさらにローストビーフが出た。ここのボリュームは若い人向きだなぁ。

「島寿司、美味しいですね。昨日おすし屋さんで食べたんだけど、シャリはこっちの方が美味しかったですよ」というと、「漁師の奥さんに握ってもらっています」という返事。でも甘味はいくぶん抑えている。従来の寿し米はもっと甘いそうだ。「ホテルの料理だからと期待していなかったけど、どれも美味しいですよ。味付けがとってもいい」「料理人が関西なので、味はしっかりしていますが、薄味にしたててあります」

な~んか、食べ過ぎちゃったなぁ、重いお腹をかかえて、食堂の上にある図書コーナーで蔵書を眺めている。「茄子の木」って八丈の本を2月に頼んだのだけど、とうとう手に入らなかったよ。そうだ、団伊玖麿さんの仕事部屋が八丈に在った筈。

部屋に戻ってベランダに出ると星が出ている。北斗七星がはっきりと見える。北はあっちだ。少し雲もあるが、天の川が流れているのがわかる。Papasanが「3階に星の見える場所があるとか書いてあった」というので出て行くと、「星の散歩道」という文字が見えた。屋上が星の観測に開放されている。屋上にでるとなるほど全天が見られる。しかしまだ薄雲が残っているので、星空ははっきりとはしない。風が強いので、ちょっと吹き飛ばされそうで怖い。早々に引き上げる。

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