平松さん
さっそくにご協力ありがとうございます。
和美さんともども、コメントを拝見して感謝しております。
我が家は、本はゴミのようにあるけれど、いまはもう絵本も児童書も少なくなってしまいました。私は児童文学が好きで、もっとも初めは子どもに読んでやるために手にしたんですが、読んでやると、おもしろくて、自分がのめりこんでしまいました。ウチに来た子どもたちはずいぶん読んでくれましたよ。だから共通の世界があります。
幼児や低学年向けの絵本や児童書は、ほとんど、小田原で子育てしていたグループに寄贈。それらの本を読んで育った子どもたちが、いまや親になっていますよ。
また日本の絵本は、絵がきれいだからと、海外からも喜ばれるので、海外支援にもしています。
高学年から岩波少年文庫ぐらいまでは、「本をください」という呼びかけがあったので、ダンボールに2箱につめて、中学校に寄贈しました。作者の署名入りもあったな。多かったのは松谷みよ子さんの署名。仲間の一人、もう故人になってしまったけど、彼女が松谷みよ子さんの友達だったので、松谷さんの新刊が出るたびに買っていたんです。もちろん彼女の署名入りでね。それらも全部、中学校に。あの本たち、読んでもらっているかな?
和美さんたちは駄菓子屋さんを開いて、その売り上げで児童書を買って、図書館に寄付しています。子どもたちがよく読む本は、傷んでしまう。新刊書には予算は付くけど、補充には予算が付かない(??)ので、補充用の本を近くの本屋さんに注文して、指定寄付の形で現物で寄付しているそう。そうすればささやかな売り上げでもお金はまわりますからね。
教室の子どもたちも絵本を持った来てくれた。小さいとき好きでよく読んだ本だった、と言って。そこでお手紙を書かせた。みんな真剣に、書いていたそう。交流が出来るといいね。
中学生になったばかりの4月だったと思うけど、熱海の市街地の3分の2が焼けてしまった、熱海の大火があった。全国からお見舞いの手紙がたくさん届いた。被災者でなくても、そのお礼を書くように、私たちには同じ中学1年生の手紙が配られた。私も北海道・北見の中学生たちにお礼の手紙を書き、それが縁でずいぶん長いこと文通をしていた。まだまだテレビもない時代、当時の中学生には、北見は牧場とスズランの自然豊かなイメージしかなかった。彼女たちのいるところは、北見の市街地で牧場など日常生活には遠いことなど、文通して知ったのだった。
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和美さんたち、青年海外協力隊のOG仲間が、長期的な活動として、被災地の子どもたちのこころの支援のために、貸し出し絵本の設置活動をはじめることにした。一号設置場所は、岩手県山田町の「道の駅」内。
絵本の発送先は、
〒064-0943
札幌市中央区界川1丁目6番14号
児童養護施設 札幌南藻園 高津恵美子方
地球市民ねっと”そら☆☆☆たね”
連絡先:地球ねっと”そら☆☆☆たね”
E-mail: ayubowan.konomada.h@trad.ocn.ne.jp
道の駅やまだ
我が家の下には久しく住む人もない家がある。手入れされない庭は荒れ放題。奥には孟宗竹の竹林がある。昔は、竹を切りに来る人もいたし、たけのこを掘りに来る人もいたのだが、通りに面した門は閉められたままなので、竹は伸び放題だ。「たけのこは盗まれてから番がつき」なんて句をならったなぁ。
上に集合住宅が出来、日照が損なわれたこともあって、竹は日光を求めて高く伸びている。我が家のレベルは下の家の二階より高いのだが、竹はこれを抜いて、我が家の二階と高さを競っている。いままで駅が見えていたのだが、竹のおかげで視界は狭くなった。しかも、この時期、竹の落ち葉が我が家に降り注ぐ。落ち葉そのものは自然の摂理だから、どうでもいいが。
今年、境界のフェンスぎりぎりにたけのこが生えた。いままでなかったことだ。しかも4本。元気よく伸びている。越境してくれば、成敗する(掘って食べちゃう)ことも法的には認められているが、フェンス向こうでは地主のものだ。されど、住む人もいないところに、切ってくれと言うわけにもいかない。フェンスぎりぎりでは視界がもっと無くなって、うっとうしい。そこで竹の頭を引っ張ってみた。もう3mぐらい伸びていたのだが、簡単に折れた。子どものころ、真竹をぽきぽき折って収穫した。孟宗もこの程度なら折れるんだ、と認識した次第。
裏はもっぱら野鳥たちとの交流の場。したがって、裏に行くことはあまりない。だから気が付かなかったのだが、なんと越境者が4本もいた。こりゃ要注意だ。放っておくと竹に占拠されかねない。
日本中の竹林が、手入れが出来ず、荒れ放題とか。竹林の近くの人家が竹に侵略されて、高齢者が困っているニュースをテレビで見ている。竹林に襲われて、軒は壊され、雨戸が閉められないお宅をやっていた。へ~、と思いながら見ていた。テレビによると、手入れのいい竹林とは、人が傘をさして歩けるくらいの空間が必要なのだそうだ。
竹も伸びやすい空間を求めて、根茎を開かれた場所に張っていくらしい。竹にとっての新開地は、庭であり、さらに崖を上って我が家までやってきたのだろう。竹だって必死なのだろうが、それにしても、すごい生命力だと感心している。
「毎朝鳴いているんだけど、あのおしゃべりな鳥はなに?」「おしゃべりなら、たぶんガビチョウ」「あの声聞こえないの?」「聞こえない」「(耳が悪いの)重症だねぇ」「うん。どこで鳴いてた?」「玄関の方・・」そこで玄関に行ってドアを開けた。あ~、聞こえる、聞こえる。確かにガビチョウだ。ここのところよく鳴いている
ガビチョウの声↓
http://www.youtube.com/watch?v=dxv6v164NQY
子スズメが巣立ちしたらしく、木の上で口移しに親からシフォンをもらっている。かわいい。一番危険な時期だね、無事に育つといいね。
スズメにシフォンを投げていると、バサっと音がして木の枝が揺れた。雨の中をずぶぬれになってカポが来た。「あら、カポ、来てたの」と言って、いそいで肉を出して戻るともうカポの姿はない。玄関の桜の木かな、と行って呼んでも姿を見せない。どうしたんだろう。とうとうその後姿を見せなかった。あれはなんだったんだろう。お別れの挨拶かな??
ハシボソに追われ、ずっと姿を見せなかったハシブトのカポが現れたのは一昨日。番で現れた。そして手から肉をいっぱいもらって、それも何度もやってきて、そのたびに口いっぱいほおばって帰っていった。2羽で来るってことはヒナが巣立ちをしたのかな。両親が離れてきては危ないんじゃないかな。
ここのところ我が家の空中権はハシボソが押さえているみたいだ。ハシボソはなつかない。ハシブトが餌をもらっているのを遠くから見ているので、ハシボソのためにも投げてやっていたのだが、餌はもらっても、近くにくることはなかった。だから可愛いとは思わなかった。そういう人間の気持ちが分かるらしく、ハシボソも距離をおいたままだ。そのハシボソの一羽が毎日、餌をもらいに来るようになった。尾羽が折れてみっともないからすぐ分かる。そのハシボソにギャオと名づけた。ギャオと呼んでいたら、自分のことだと分かったらしく、枝に止まって待つようにはなった。しかし警戒して近くには来ない。餌を投げてもすぐには取りに来ない。何とか馴らそうとしているのだが、人間に対する不信感はぬぐえないらしい。もっとも、このギャオ、結構意地悪なのだ。イソヒヨの餌は取り上げる、スズメの餌もとる。そしてカポを目の敵にしている。