ヤモリが出てきた。白い蛾を狙っているので動画を撮ろうとカメラを取りに行っているうちに蛾の姿は見えなくなった。捕まった様子はないから、逃げられたのかも。しかし、今年初お目見え。
夜だとガラス窓に天井の蛍光灯が映っておもしろくない。止めた!
ヤモリ君、お腹すいているだろ!!餌がいっぱい取れるといいね。
ヤモリが出てきた。白い蛾を狙っているので動画を撮ろうとカメラを取りに行っているうちに蛾の姿は見えなくなった。捕まった様子はないから、逃げられたのかも。しかし、今年初お目見え。
夜だとガラス窓に天井の蛍光灯が映っておもしろくない。止めた!
ヤモリ君、お腹すいているだろ!!餌がいっぱい取れるといいね。
お天気がよかったので、バラを見に行ってきた。真鶴から河津まで2時間弱かかる。予報どおり気温があがって、車内は暑い。クーラーが壊れてしまっているので、後部座席の窓を開けて風をいれている。私は風が当たるのが嫌いなんだ、すぐ風邪を引いてしまうから。
この季節、山は華やか。椎の木の赤みがかった花が、まるで楠の新芽のよう、楠もまけじと浅緑をひけらかしている。家にも椎の木はあるのだが、オスなので実はならない。いま小さな花がいっぱい落ちている。あたりに椎の香りが満ち満ちている。でも、八丈島で嗅いだような甘い香りではない。
伊豆はかんきつ類の産地なので、135号線を走るだけで、いい香りが車内に流れ込んでくる。窓を開けっ放しにしているのは正解だ。
11時半ごろバラ園の着いた。バッグから2台のカメラを取り出し、フィルムは10本、ポケットに詰め込んだ。少しでも身軽にしようと思って。カメラもフィルムの在庫が終わったら、デジカメのいいものに買い変えようかとまじめに考え始めた。
寒さが続いて我慢していたバラは数日の暖かさでわっと咲き始めたらしい。見事な大輪をつけている。房咲きのものもハイブリットのような大きさ。相変わらず、バラに話しかけながら写真を撮っている。日ごろ歩かないくせに、カメラを持たせると、やたらと歩き回る。一人で暑い日ざしの中を、二時間あまり休みなく歩き回っていた。まだまだ集中力はあるなぁ。だから、終わるととたんに疲れが出る。
バラソフトを食べて一休み。そのまま出て、上の農協の即売所に行くと、売店はなくなっていた。あら、まぁ~。農産物を当てにしてきたんだけどな。あそこで買ってきた植木がずいぶんあるんだけど。まな板もあそこのだよ。きびしいねぇ。
帰りは海岸線を走らずに修善寺にぬけた。道の駅でわさび漬けやら、漬物を買い込み、途中、あまご茶屋で手打ちそばを食べた。突き出しに野菜とわさび味噌(味噌におろしワサビをいれたもの)、金山寺味噌にもわさびがはいっているのを出してくれた。美味しかったので両方とも買ってきた。これは使えそうだ。
フィルムは明日現像に出す。コダックが8本、フジが2本。リバーサルだから1週間はかかる。現像が出来たらまた動画にしよう。BGMは何にしようかな??
水曜日は本焼をした。先週、本焼をしたのだが、途中、と言っても上は1200度を越えていたから、あと1,2時間で終わるところを、ガス欠で、やむなく中止。今日はその作品の焼き直しである。私はこの窯で長いこと本焼をしたことがなかったので、気にして連休が始まる前から担当にガスを頼んでおいたのだが、話が通じなかったらしく、ガスは満タンではなかった。で、ガス欠、焼成は中止となったのだった。でも、物は考えようだ。ガス欠なんて経験したことがないから、ガス欠だとどういうことになるということが実際に分かってよかったんだ。ガス欠経験者の先輩がいたから、ガス欠だと即座に分かったが、私たちだけだったら、なんでだろうと悩んだところだ。これを轍として、と、ガス欠の状態をどうしたら把握できるのか、業者に問い合わせた。焼成を中断しては私たちの労力も無駄だが、ガスも無駄だ。この窯を入れてから21年になる。いまさらだが、知らないことは知っておくほうがいい。基本的なことは抑えておきたい。
すると素人ではガスの状態は判断できないという返事。使えるガスの量を聞くと、100?だそうだ。焼成記録のノートを見ると、本焼1回で、12~13?ぐらい使っている。素焼きは4~5?。計算上では5回ぐらい使えそうだが、このガスは中圧なので、圧が下がるとガスがあっても、温度が上がらなくなる。そこで、月に一度は見回ってくれるように頼んだ。そしてこちら側も本焼をするときは確認の電話をすることを約束した。
8時半には火をつけたいので、職員といっしょにセンターに入った。そのために5時半に起きた。そんなに早く起きる必要はないのだが、本焼の日は日ごろの寝坊助も緊張しているらしい。だから疲れた。水曜日はもちろんだが、今日も疲れを引きずっている。やっぱ年だねぇ。先週、あぶりをしてあるから今日は圧を上げてずんずん温度を上げた。
この窯は下と上の温度差が大きい。その差を少なくして、下が1230度以上にしたいのだが、これに時間がかかる。時間をかければ上がることは分かっているのだが、センターは10時間という時間の制限がある。だから早めに出てきているのだ。私の窯は灯油なので、焼成そのものは同じだが、ガスの扱いに慣れていない。また窯の性格も一台一台違う。どんな風に焼けたか、どこがよかったか、わるかったか、窯入れのとき、一段ずつ全部写真に撮ってある。窯だしのときも全部写真を撮って、どこに何を入れたら効果的か判断材料にする予定。言ってみればデータ作りだ。来週、出すのがたのしみ。うん、私もこれからまじめに焼くよ。
雨が降り始めたので、冷蔵庫の掃除をした。消臭剤も入れた。冷蔵庫は3台ある。やったのは1個なんだけど。全部中を出して、せっせと磨いたら爪の間をはがしてしまったらしく、痛い。やれやれ。
日差しがもれると、緑が鮮やかだ。それも、それぞれに異なった緑色が光に映え、まぶしい。こういう鮮やかな緑を見ると5月を感じる。
鴨宮まで行ってきた。空には雲があり、五月晴れとはいかなかったが、それでも富士山がのぞいていた。往きか帰り、どちらかでいいから旧道を通ってくれと頼んでおいた。そう、ミカンの花の芳しい甘い香りをかぐためである。ウチの庭の夏蜜柑もいい香りを放っている。窓を開け、風を受けながら走る。根府川の集落の辺りが一番香りが強い。風があったので、香りも流されているらしく、みかんは花をつけているのだが、いつものうっとりとするような香りの町ではなかった。でも、今年も芳しい香りに包まれて満足。
床屋によって髪を切ってもらった。耳が悪いからはっきりとは聞き取れないが、それでもアナウンサーのやや低めの声に耳を傾けていると、どうやらこの放送局は開局25周年で、25年前によく流れていたと言うリクエスト曲がかけられた。とってもいい曲だった。とはいえ、曲の名も歌手の名も分からない。聞き耳を立てたが、曲名を言っているのは分かったが、聞き取れなかった。理髪師さんたちはみな若いから、25年前の曲は知らない。ライオネル・リッチみたいな気はするけど。
昨日の真夜中、BS2でショパンのガラコンサートをやるとあった。先日、同じものが放映されたのだが、時間が遅かったので、最後まで聞いていられなかった。で、今回は最後まで聞こうと待っていた。お目当ては最後のバレンボイムのショパン。今までにないようなショパンだ。ショパンというよりベートーベンといいたいくらいの力強いショパン。しかし、訴える。
バレンボイムの演奏は聴いていないわけではなかったが、年をとって、彼の内容が解釈も変わったのかも。今の彼の演奏CDがあったら買って聞き込んでみたい。そんなことで午前4時まで聞いていた。いくら毎日が日曜日のオバサンでも、さすが眠い。
新茶が届いた。毎年、地産地消、真鶴の農家から買っている。寒さのため収穫は大幅に遅れたが、それでもまだ半分しか収穫していないという。農家にとっては打撃である。新茶独特の香りはしないし、味も去年の味、古茶と変わらない。寒さと日照不足の所以だろう。でも、よくぞ、この味でいてくれたよ。お茶の木の頑張りをほめよう。
福島のクモ先生からアスパラガスが届いた。こっちもよくぞ育った!とアスパラガスに言いたいくらいだ。クモ先生は農業指導員である。今年はさぞや大変だったろう。
フライングキャッチをするスズメ、もう数羽になった。見ていて覚えたんだね。同じようにイヌビワの枝に止まって私が投げるのを待っている。伝播は早いんだなぁ。ここの場合、フライングキャッチが出来ると、確実に餌はもらえる。猫にやられる心配はない。いいことづくめだもんね、覚えなきゃ損だよ。その代わり投げ与える方は忙しい。ひがな一日、鳥さんと遊んで、ドリトルオバサンだね、とPapasanが笑っている。うん、そのためにシフォンを焼いているんだからねぇ。
寒い。ストーブをたき、セーターを着ている。冷害だろう。この寒さが今年のこれからの農業にどんな影響を及ぼすのだろうか。田植えができないと言うニュースがあった。一方、ケニアでは大干ばつ、そしてアイスランドの大噴火。自然の及ぼす力に、人間はまだまだ戸惑うばかりだ。地球上の、食糧危機の予感がじわじわと不安となって押し寄せてくる。戦中戦後の食糧難を経験している身だからなおのことだ。我が家で自給できる物はなんだろう。無いね、卵ぐらいかな?と笑っている。
外に出て、桜桃の葉陰を丁寧に探してみたが、サクランボの形跡は見つけられなかった。今年も早めに花が咲いた。青い実は見るには見たが、寒さで落ちてしまったのだろう。栗の花はどうだろう、と二階に上がってみたが、まだ花は見られなかった。下の家の栗は咲いているが、その後だから、もうそろそろだとは思う。
秋田や山形の山ろくで、小鳥たちの死骸が多数みつかっているそうだ。専門家によると、山に帰った小鳥たちがこの寒さに耐え切れなかったのだという。心配していたんだが。
我が家に来ていた冬鳥たちもみな帰っていった。漂鳥はいくら寒くてもこの辺なら凍死することはないとは思うが、渡り鳥は今頃どこにいるんだろう。餌はあるんだろうか。
我が家に来る鳥達も、居残りのヒヨドリの番、スズメ、イソヒヨドリと限られてしまった。ヒヨドリはやかましく鳴きながらシフォンをもらう。最近来ているイソヒヨドリは選手交代したらしく、フライングキャッチが出来ない。ヒヨたちがフライングキャッチする様をうらやましそうに眺めている。それでも顔を覗き込むようにして近くまでやってくる。仕方がないので、蔓の上に載せるようにシフォンを投げるのだが、なかなかうまくいかない。でも、崖にもぐりこんで拾っていく。前に来ていたのも最初は、崖に落ちたのを拾っていたが、あの時はまだ崖に草や蔓が伸びていなかった。そのうち、フライングキャッチが出来るように、手なづけようと思っている。
イソヒヨだけでなく、スズメもその目標のひとつだ。ヒヨやイソヒヨが台所からシフォンをもらうのを見て、覚えてしまったスズメたちが私の姿を見るとよってくるようになった。ヒヨやイソヒヨのくちばしと違って、スズメのくちばしは穀類を拾ったり、突付いたりするように出来ている。だからヒヨが枝で食べ落としたのを下で拾っていたのだが、1羽だけだが、フライングキャッチを覚えた。投げるシフォンを追いかけるようにしてキャッチするのである。スズメの個体を識別できないので、どれがそのスズメだか分からないが、窓のすぐわきに生えているイヌビワの枝に来るのがそのスズメらしい。それ!と言う掛け声と同時に、シフォンを追ってくわえ、持って行く。フライングキャッチを覚えた、スズメのDNAが子孫に伝わったら、そのうちスズメもフライングキャッチが出来るように進化するかもしれないと、微笑みながら夢想している。もっとも、それがスズメに必要かどうかは別だが。スズメのDNAと言えば、人間を警戒することだろう。
日本のスズメは、長年、スズメを捕らえて食べてきたので、スズメのDNAに警戒心を植えつけたのだろう。スズメは人間の傍で、人間の生活をたくみに利用して生きてきた。しかし近年、住宅構造の変化で住処を失い、日本のスズメは激減している。昨日、日比谷公園で野鳥の会の人たちが調査をしたら、98羽しか数えられなかった。日比谷公園はスズメの多いところで、200~300羽数えられると予想しての結果だと言う。スズメもめずらしい野鳥に入ってしまう日が来るかも。
5月なら、ジョロウグモの子どもたちも誕生期なのだが、この寒さでどうなんだろう。ゴミグモとチュウガタシロカネグモの網は見た。家の中のカーテンにいるヒラタグモは写真に撮ったけど。クモの季節、マクロをつけたデジカメを机の上にのせてスタンバイしているのだが・・・。