Cogito

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フィルム

2014-11-17 14:14:04 | アート・文化
私のカメラはEOSが多い。他にはContaxもOlympusもある。CanonとはEOSが発売された時からのおつき合いだから、もう何年になるだろう、かれこれ30年近くにはなるだろう。発売当時はEOS650、それからE0S55、1000、100、Kiss、1と何台買ったろう。EOSを買い続けたわけは、レンズが使えるからである。kissはデジカメだが、後は全部銀塩である。kissはマクロをつけて、クモの撮影に使っていた。

EOS55、これは2台買った。標準と望遠をつけて持ち歩くには軽くてよかった。愛用したのはEOS1、静かなシャッター音も好きだった。E0S1に大きなレンズをつけると1.5kgの重さだった。

3年前、EOS5D MarkⅡを買った。デジカメがどの程度になったか知りたかったのと、旅行程度なら、これでいいと思ったからである。機能をマスターしていないせいか、あまり気に入らない。機能を習うために3年前CANONが開催している講座に申し込んだのだが、東北地震のすぐあとだったので、講座が開かれるかどうか、と待ったがかかった。行きそこなうとやる気も失せる。で、いまだ機能を使えずにいる。

この他にコンデジが2台、panasonicとolympus。一台はいつもポシェットに入れて持ち歩いている。


いつも送られてくるCANONのメルマガ、GATEWAYを見ることもなかったが、たまたま今回覗いてみた。RAW現像講座1が載っていた。ほほう、面白そうだ、やってみよう。機能を使えないから、RAWで撮ったことがない。カメラを出すと、なんと電池切れ。まず、ソフトをダウンロードしたりと、環境をと整えた。もっとも外出が多くて試していられない。


さて、充電できた、カメラを防湿保管庫から出しに行ったとき、ふと下の段に積まれているフィルムの箱に目がいった。36枚撮り20本入りが数箱ある。それ以外にもバラもある。コダックはメーカーがもうないから、これは廃棄処分をするとして、とはいえ、これも数は多い、ヴェルヴィア(フジフィルム)はどうだろうと、箱を出すと、あら~、有効期限は過ぎている。あらまぁ、もったいない。とはいえ、リバーサルだから劣化はネガより悪いだろう、廃棄以外はないとは思ったが、量が多いので、処分方法をフジフィルムに電話をして聞いてみた。可燃ゴミとして捨ててください、とそっけない返事。定かではないが、以前は銀を取り出していた時代があったと思うのだが。いっときヴェルヴア50は銀の使用が多いので生産中止にしたことがあった。また復活したけど。
腑におちぬまま、役場で聞いてみた。フィルムを容器から引っ張り出して、フィルムは可燃ごみとして、容器は不燃ごみとして出してください、と言われた。じゃ~、ぼちぼち処理するとしよう。

使われるためのものを使わずにいた方が悪いとは思うのだが、とはいえ生産者は、後始末までは考えていないようだ。
それにしても私の人生、無駄遣いは多い。
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ヘラクレイトス

2014-08-03 16:42:20 | アート・文化

雑用にかまけてマリウスを読むのを忘れていた。忘れていたというより、読む気にならなかった。こういう本は気持がざわついているときは読む気にならないのだ。

 

雑用も片付いて、机の上にハズキルーペと一緒に置いてある「マリウス」を開いた。マリウスが多大な影響を受けた友人のフラビアンが死ぬ。そしてマリウスはまた本を読み始めている。ギリシャ哲学だ。難解な哲学で、「自然について」とある。本多さんはヘラクリトスと書いている。ヘラクリトス?ヘラクレイトスではないか。ヘラクレイトスの著書に「自然について」があったろうか?こうなるとまた脱線だ。ヘラクレイトスはよく知っている。面白いようにギリシャ語が浮かんでくる。スペルもちゃんと覚えている。

 

まず浮かんだのが、γν?θι σεαυτόν  (gnothi seauton)、いやこれは違う。これはソクラテスだ。そうだ、ヘラクレイトスは「万物は流転する」Τα Πάντα ?ε? (Ta Panta rhei)だ。若いころ頭に入ったものは、不思議と定着しているものだなぁ。

 

そういえば、若いころpapasanにつけたあだ名はヘラクレイトスだった。だから母はpapasanのことをずっと「ヘラさん」と呼んでいた。「そういえば、ヘラクレイトスだったね」というと、「そうだったよ、今頃思い出だしたの?」と言われてしまった。「片鱗もないから忘れちゃったよ」と憎まれ口をたたいた。

 

やはりヘラクリトスはヘラクレイトスだった。「自然について」もあった。ヘラクレイトスの思考の流れを説明している。

ついでだから私もヘラクレイトスの復習をした。横道にそれたついでに、タイトルの享楽主義者という言葉の説明をしておこう。享楽主義、なんて現代で言ったら、放蕩三昧でどうしようもない人を想像するが、享楽主義(エピュキュリアン)の語源となったエピクロスの享楽、快楽は、知の快楽であり、肉体や物質の快楽はもとめていない。むしろ自然と共に生きることを主張している。

 

おや、今度はマリウスの道ずれは、アリスティッポスだ。こちらは、快楽が善であるのはエピクロスと同じだが、こちらは知的快楽ではなく肉体的快楽、刹那的な快楽だ。うふふ、すこしずつだが、古代ギリシの哲人たちを思い出している。

ペイターも若かりし頃、ギリシャ哲学から思索の道に入ったのだろう。いまのところ、ある意味、ギリシャ哲学の解説書みたいだ。うん、この書はやはり私にとっては青春の書だった。

さて、横道はこのくらいにして、続きを読むとしよう。

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ルーペ

2014-07-05 20:03:29 | アート・文化

ルーペが届いた。goose-neck ropeという読書用のスタンド式のルーペである。大きさはIpadminiくらい。倍率は1.8倍、薄いレンズ。レンズの下に本を置いて読むらしい。確かに字は拡大される。丸い虫メガネと違い広範囲がおおきくなるので、楽のようだ。で、いろいろやってみた。なかなか好みの位置におけない。だから均一に表示するのは難しい。上からの光がレンズに入ってしまって邪魔。試行錯誤しながら、たったの1ページ読んだだけで、頭が痛くなってしまった。困ったな、いずれはなれるだろうが、「マリウス」を読むだけなのだが、その間、このレンズと付き合うのは気が重い。「マリウス」はやっぱりご縁がないのかな、とまで思った。

 

そんなとき、以前CMで石坂浩二がかけていた眼鏡の上からかけるルーペを思い出した。なんて言ったかな?商品名がわからない。そこで石坂浩二のルーペで検索するとすぐわかった。ハズキルーペという名前だった。そこで、今度はこのハズキルーペを注文した。

 

今日、それが届いた。早速眼鏡の上からかけ、「マリウス」を読んでみた。手で本を近づけたり、離したりして、焦点を合わせたが、これはいい。使いやすいし、読みやすい。あっという間に16ぺージ読んだ。うふふ、そんなに飛ばさなくてもいい、ポレポレ、と言いながらやめた。

 

マリウスの出だしは、ローマから離れた田舎の農園、彼が父なき後、家督を継ぎ、先祖のために供養しているところから始まる。地方の伝統的な神々に祈りをささげ、先祖を敬う日常的な儀式、要するに、マリウスの若き日の宗教的影響を紹介している。当時のローマの神々はどういうものであったかは知らない。時代を推し量れば、マククス・アウレリウスは五賢帝の最後、2ADの人だ。まだキリスト教は公認されていない。ペイター自身、イギリス人なのだから、資料は調べたとはいえ、そこら辺は斜め読みしてもいいだろう、と研究者でない私は、いわゆる小説として読むことにした。作者が聞いたら、目を剥くだろうが。ただやたらとプラトンが使われている。プラトンを読み漁ったのは20代のことだ。ギリシャ哲学は、とうに記憶のかなただ。思わず苦笑してしまった。さりとて、困ることもないが。ただ、本多さんの訳はいただけない。

それにしてもこの本は、訳注のまったくない。紙面の節約のためか、事情はわからないが。昭和25年当時、文庫本は星ひとつが40円、新書は80円だった、と思う。この本は世界文学選書31として出版され、定価150円。当時としては妥当な本である。文庫本だって、ものによりけりだが、訳注は付いていたような気がする。

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マリウス

2014-07-01 15:11:12 | アート・文化

Marius

 

「マリウス」が届いた。本多顕彰訳、三笠書房 昭和25年 (1950年)出版。

64年前の本だ。原書を買ったのが1958年だから、もうすでに訳されていたことになる。覚悟していたが、紙は変色し、傷みもシミも多い。水漏れもある。字も小さいし、行間もせまい。度の強い眼鏡をかけても、活字が重なっているところ、画数の多い字は前後を判読するしかないが、しかし読めないことはない。読書用ルーペを注文した。

 

まず「あとがき」を読んだ。本多さんの文章を少し拾って写す。

マリウスの簡単な解説。ウォルター・ホレイショ・ペイター(1839~94)が1881~84に書いた作品。これは歴史小説であるが、同時に思想小説、哲学小説でもある。主人公マリウスは、哲学者皇帝として知られる、アウレリウスの時代にエトルリアに生まれ、ピサに学び、のちアウレリウスの秘書官にとり立てられるが、その間、異教主義から出発し、皇帝のストア哲学に影響され、それから初期キリスト教にふれ、その感化から、友人コリネリウスのためにわが身を犠牲にして疫病に仆れる。

マリウスの内面生活の発展もしくは成長は、そのままペイター自身のそれであったといわれる。このように主人公の思想の成長を描いた作品は、世界の文学の中でもきわめて稀である。・・・・・ユニークな作品であるが、英文学中最も難解な作品である。

 

なるほどね、なぜ読みたかったか、少しは見えてきた。しかし、本多さんの解説を読むかぎり、この本を購入した当時、大学2年生だった私には、確かに哲学書を読みあさっていたとはいえ、恐らく読みこなせなかったろう。この本を思い出したことは、あるいは、これは出会いかもしれない。作者が4年かけて、じっくりと書きあげた作品だそうだから、私も集中して、しかし、ゆっくりと、心して読むとしよう。

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青春の軌跡

2014-06-28 21:09:49 | アート・文化

梅雨の間に本棚の片づけをするつもりだった。大した本はないが、それでも数にしたら1万冊は優に超える。倉庫にも突っ込んであるし、新しい本を古い本の前面に並べるので、本を出そうとしても、前面を片づけなければ後ろの本が出せない状態だ。全部処分してしまってもいいのだが、私の蔵書だけではない。とりあえず本棚の分だけは片づけようと計画していた。

 

一人では無理なので、二人で全部本を出して、分類別に山を作ってから、入れていこうと思ったのだが、それが腰痛で、できなくなってしまった。とんだハプニングだ。ここのところ、学生時代の友人たちと会ったり、それが刺激となって上高地へ穂高に別れを告げに行ったり、青春の軌跡をたどっている。その一連の続きなのだろうが、「享楽主義者マリウス」という本を思い出した。なぜ思い出したのか、その関連がわからないのだが、ともかく思い出した。Everyman’s Libraryの原書である。買ったのは学生時代、丸善で注文し、イギリスから取り寄せた。当時は船便だったので、届くまで1ケ月はかかった。扱ってくれた店員さんの顔も覚えているのだが、おかしなことに、なぜその本を読みたかったのか、それは覚えていない。しかし、読み始めるとラテン語がやたらと出てきたので、先にラテン語をやってから読もうとやめてしまったのは覚えている。もちろんラテン語はやったのだが、その後マリウスを読んだ形跡はない。

 

 

見当をつけて、原書の並んでいるあたりを探してみた。Everyman’s Libraryの書籍はかなり買い込んである。こんな本、読んだんだ、なんて本もかなりある。しかもご丁寧に、手製の布カバーがみんな掛けてある。カバーの布は記憶にある。マリウスはすぐ見つかった。「MARIUS  THE EPICUREAN」というのが書名である。作者はWALTER PATER(ウォルター ペイター)。それでもマリウスは記憶にあるがWALTER PATERという作者その人は覚えていない。背表紙は埃で汚れ茶色くなっているが、挟まっていた裏表の布は色彩もきれいなままだ。布を破り捨てると本はきれいな状態だ。ただしカビ臭い。

 

ネットで調べると、W. PATER(1839~1894)、文学者となっている。経歴もある。小説家ではないが、マリウスは小説だ。代表作は「ルネッサンス」、評論のようだ。「文芸復興 ルネッサンス」という2冊上下の文庫本は買って読んだ記憶はある。しかしその著者がペイターであったかどうかは定かではない。ペイターであったとしたら、その関連でマリウスを買ったのかもしれない。

 

私は本を買うと、今はやらないが、裏にいつ買ったか書く癖があった。それをみると、1958年12月27日となっている。おそらくイギリスから自宅に送られてきたのだろう。本を開いたが、英字は細かくて、とても読めない。癪だな、翻訳ものはないか、と探してみた。古書が見つかった。本多顕彰さんの訳だ。本多顕彰さんには「ベニスの商人」を教わった。古書の状態は良くないようだが、この字の細かい原書を読むよりは楽だろうと3千円ちょっとだが、注文した。図書館で探してもらおうかとも思ったが、状態の悪いのを貸出期間中に読み上げるのはしんどい。時間をかければ何とか読めるだろうと。紙の変色に加えて、旧仮名、のようである。「オシアン」で懲りてはいるが、「オシアン」は手に入らなかったが、マリウスは買えたのだから、のんびりなら読めるだろう。

 

本といえば、同じころ、「アミエルの日記」を買った。フランス語の原書である。なぜ覚えているかといえば、この本、自分でページを切っていかなければならなかったので、初めは落丁版ではないかと驚いた。しかしそうではなく、切りながら読むのだと教わった。面倒くさいので、読む前に全部切ってしまった覚えがある。

 

さて、話は元に戻るが、なぜ、この本を読みたかったのか、しかもイギリスに注文してまで、どうしてほしかったのか、そのあたりがどうしてもわからない。ペイターはプラトン学者だったというから、それで読もうと思ったのかもしれない。当時はきっと内容もわかっていたからこそ、原書で読もうと思ったんだろうが。

内容の簡単な説明を読むと、マリウスはマルクス・アウレリウスの秘書のようである。内面的な形成過程が書かれているようだ。内面性の希求、若者の私としてはそんなところが狙いだったのかもしれない。

 

青春の軌跡を追うのも大変だ。

 

Book

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