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ビルマ

2008-10-30 15:06:17 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、先週からの続きで「相棒」の「還流」をみた。前回は2時間番組で、薫と同級生のNGOのスタッフの兼高が殺され、そこから事件が始まった。架空の国名を使っていたが、軍事政権が権力を握り、飢えた国民には食料も回らないと言った話から、私はビルマを想像した。ただし、撮影場所はビルマではなさそうだったが。

あらすじをまとめると、高級ホテルで、NGOスタッフとして外地で井戸掘りや地雷撤去に携わっていた兼高という人物が殺される。前回ではこの犯人が挙げられるが、なんで殺されたのかはわからない。犯人は日本では有数な総合商社の部長で、原因はNGOの兼高が殺人者の部長を脅迫したので、殺さざるを得なかったのだと。裏をたぐっていくと、日本政府の援助の問題にぶち当たる。食糧援助を受けている国は、軍事政権で、一握りの金持ち階層が贅沢に暮らし、一般国民は飢えにあえいでいる。その国にはウランをはじめレアメタルなど資源は豊富にある。それを目当てに日本政府は食料支援をしているのだが、食糧援助が困窮している国民に届いていない、そこで支援物資の横流しが計画される。それは元外務大臣が首謀者。彼はNGOの応援もしている。理不尽に失われていく命のあることをしきりに口にする。彼の言う、その言は間違いない。

からくりはこうだ。日本から送られた物資はシンガポールで抜き取り、コンテナを空にし、支援国に送る。もちろん政権側と打ち合わせ済みだ。物資は総合商社を通して、売りさばかれ、その売り上げの中から大臣に入った金を、大臣はNGOに渡して、飢えた人々を救っていた。しかし、この事実を知らない兼高は、横流しの事実を知り、公表して糾弾するより、実質的に横流しをしている犯人から金をせしめ、困窮している人々を救おうとして、殺されてしまったのだ。殺人者以外はなんとか支援しようという意図で犯罪に加担してしまうのだ。なんとも後味の悪いドラマだった。政府の行っている支援策が有効でないことは分かっている、が、しかし、支援のためとはいえ、政治家はもちろんNGOといえどもが許されることではない。

後味が悪いまま、チャンネルを回していると、病院の風景が出た。途中からだから、よくわからなかったが、ミャンマーから逃げてきたというから、多分ここはタイなんだろう。私が覚えている限りではビルマとタイの国境は山岳地帯で、あそこにはビルマからの独立を求めるカレン族がいたし、難民キャンプもあったように思う。

後で知ったにのだが、病院はメータオ・クリニックで、医療費が払えない、しかし 医療が必要な人たちには無料で医療を施しているクリニックだった。女性の医師の信念でやっているクリニックだった。説明だと、ビルマ、ヤンゴン市民の平均所得は5千円ぐらい。医療施設は極端に少ない。国立の安い病院でも出産にかかる費用は千円、民間の施設だと、5千円から3万円もかかる。医療が受けられるのは金持ちだけ、一般市民はとても受けられない。今年襲ったサイクロンで国民の多くは被害を受けている。これすらなんの手も政府は差し出していない。外国からの救援物資も拒否したくらいだから。日本からも支援のためにNGOが参加していることも知っている。

国民が生きられないようなビルマのような国、何とかならないものだろうか。

メータオ・クリニックを支援する会:

http://www.japanmaetao.org/index.shtm

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bone

2008-10-30 00:18:41 | 日記・エッセイ・コラム

検診は2週間おき。で、検診に行ってきた。まずはレントゲン、経過は順調だそうだ。またまた先生がこの骨を折るのは珍しい、というから、骨の名前をちゃんと聞いてきた。第一楔状(けつじょう)骨(1st Cuneiform bone)。第一、第二、第三と並んでいる楔形をした骨のようだ。外側のいちばん大きな骨が第一楔状骨。

足のむくみも聞いたら、むくみが取れるのは半年かかるといわれた。骨折が全治3ケ月、さらにむくみは半年、あっれま~、といったところ。痛いのも普通のことのようだ。骨に影響ないなら、なら少しぐらい痛くても、歩いちゃおうという気になる。

骨の図はここに

http://www.hikaku.metro.tokyo.jp/images/121pdf/02.pdf#search='楔状骨'

しかし、人間の体ってほんとによくできている。大きな骨、小さな骨。柔軟に動くためには筋肉や筋はもちろんだが、細かい骨がいくつもつなぎあって、それを支えているのだ、と感心している。

そういえば若いころ流行った歌で「ドライ ボーン」というのがあった。head boneから始まってneck、shoulder,back・・と最後がtoe boneだったような。でも細かい骨は出てこなかったよな。人体の骨の数は206個だったと思うが。

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思い立って

2008-10-28 00:10:25 | 日記・エッセイ・コラム

東京へ行ってきた。

昨日本焼きをした。灯油に水が入っていたらしく、いつものようにしたにもかかわらず温度があがらず、焼き上がりに12時間以上かけてしまった。火をつけるのは私が行ってつけはしたが、後はPapasanに指示してやってもらった。私なら火の色で温度が分かるんだが。

10時過ぎに家を出たのだが、道路がすいていて、日本橋まですいすいと行けた。月曜日だから混んでいると覚悟していたのだが。高島屋に前もって、車椅子があるかどうか尋ねて置いたので、今日は松葉杖しかもって行かなかった。足を痛い。つき方が悪いと飛び上がるように痛い。

議事堂前を通るとき、沿道に英国国旗が飾られているのを見た。そういえば、チャールズ皇太子とカミラ夫人が来日すると新聞で読んだっけ。

いつもは八重洲の地下駐車場に入れて歩くのだが、それができないので、高島屋の屋上の駐車場に入れた。屋上に着くと係りが車椅子を持ってきてくれた。屋上はかなりの人がいる。子どもが小さいとき以来屋上にあがることはなかったから、こんなに人がいるとは思わなかった。屋上庭園もできているし、のんびりするにはいいかもしれない。エレベーターに乗ろうと屋内に入ろうとしたが段差がある。探すと一ケ所、バリアフリーのところがあった。そちらへ動こうとしたとき、近くにいた人が「お手伝いしましょうか」と声をかけてくれた。「ありがとうございます、でもあちらから入れそうですから、そちらにまいります」と礼を言った。エレベーターは混んでいる。テレビで見たのだが、美智子皇后と家族の写真展が行われていて、今日最終日だったのを思い出した。そのせいか、館内はすこぶる混んでいた。展示会場は8階なのだが、2階から並んでいると放送していた。エレベーターが止まるたびに並んでいる行列が目に飛び込んでくる。

地下も混んでいた。車椅子で人ごみを掻き分けて通るのはとても神経を使う。まして食品売り場は、物色しながら歩いているので、たいていの人は車椅子には気がつかない。ぶつからないように、ぶつけんないように。

いつものように最後に酒売り場に行った。今日は新潟の極上吉乃川。「野村さんは?」と聞くと、体調を崩して休んでいる、いつ出てこられるか分からないということだった。この前、手術をして長らく休んでいたが、ひとえに早い復帰を願うのみ。来週は八潮だということだが、来週は来られないなぁ。食事をしようとしたが、どこも混んでいるし、車椅子で邪魔になってもいけないと屋上で、スープとなんていうんだろう、パンにハムとトマトとサラダ菜がはさんであり、それを温めたものをとった。私にはこういうものはどうも。

トイレを探していくと、坂があった。上ろうとしたが、急なので上れない。すると近くにいた女性が押してくれた。「東京の人って、親切だなぁ」トイレはあったが、通路が狭くて車椅子がトイレの前までいけない。通路に車椅子を置きっぱなして、ケンケンしながらトイレに入った。足がずきんと痛んだ。そうだな、思い出してみると、旧館だからか、地下も一階もトイレは段差があったように思う。

銀座を通って大森へ向かった。銀座も人であふれている。いつも上野や秋葉原を通るたびに人が多いと思っていたが、いえいえ、東京は人が多いなぁ。東名にはいるとほっとするよ。小田厚に入るともっとほっとする。

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バガテルへ

2008-10-22 00:20:58 | 国内の旅

Petittrianon 骨折後初めて、足を使って、といっても松葉杖のお世話にはなって、松葉杖と足の四足で階段まで歩いていった。三本足よりずっとラクだし、安定している。ただし階段は高さがあるので上りにくかったが、何とかクリアできた。つま先はついてはいけないと言われているのでかかとを使っていったのだが、右足がひどく痛んでいる。なんせ骨折なんてはじめてなので、これでいいのかどうかさっぱり分からない。あまっていた痛み止めを飲んだ。

Solidor 松葉杖を車椅子をお供に、河津のバガテルまで行って来た。バラが気になっていたのだが、盛りを過ぎているのが多かった。秋もすばらしいときもあるが、今回の秋は大したことがない、と言えそうだ。それでも5本、使いかけも入れると6本撮ってきた。Vervia50.さっそく写真館へ出してきた。

Daimonnji バラ園の中を自力で動き回ったので、腕が疲れた。お昼にいつもの蕎麦屋へ行ったら休みだったので、回転寿司に入った。シャリがかたいな、と思ってみていると、驚いたことにシャリは握って容器の中に入っていて、注文に応じて、さびをつけ、種を乗せて出していた。早いことは早いが、あらま~。もう回転寿司に入るのはやめよう。

フィルムはFuji Vervia50を使った。そのせいか、深みはあるが、トーンが落ちている。

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骨折1ケ月

2008-10-15 22:16:54 | 日記・エッセイ・コラム

骨折してから明日でちょうど1ヶ月になる。家の中では、慣れてきたので、ほぼ何でもできるようになった。でも床を拭いたりはできない。年の割には柔軟なので、前屈をして、ものを拾おうとして、それが裏目に出て車椅子ごとつんのめってしまうことが多々ある。つま先をついて痛い。掃除機もかけてはいるがコードが邪魔。コードレスが必要なのも分かった。何をするにも時間がかかる。車椅子で移動しているときはいったんストッパーをかけて、止めてから、それを利用して立つので、次の作業が遅れる。自然と時間がかかる。洋服の脱ぎ着も然り。

検診に出かけた。車のあるところまでは、まだ松葉杖でおぼつかない足取りで出かけるので、道のりは容易ではない。石段はかなりスムーズに上れるようにはなった。今は小さなクッションを使っている。今日は車椅子も松葉杖も車に積み込んだ。いろいろ用事があるので、外に出たついでにたしてこようと思ったからである。

11時予約だが、10分前ぐらいに病院に着いた。さっそくレントゲンだ。レントゲンができてから待つこと長し。ようやく番になった。レントゲンを見ると折れた骨の部分がぼやけている。ついてきつつあるようだ。で、ギブスをはずすことになった。よかった~、これで右足が軽くなる。風呂にも入って言ういいという。なお、よかった。

ギブス室に行き、ギブスを切ってもらう。回転カッターで切るのだ。技師は回転しても振動で切るので、のこぎりとは違って皮膚を切ることはないから安心してください、振動で皮膚に当たることはあっても切れないと、強調してと説明した。ギブスの両横に鉛筆で線を引き、左側からカッターが動き始めた。切れる。下の包帯が見える。なるほど、刃は布の前で止まっているみたいだ。振動はするが痛くはない。と、チクっとした。もう一度チクっとした。右側に移った。くるぶしの辺りで痛みが走った。「痛い!」と、叫んだ。でもカッターはそのまま続けて、終わった。ペンチみたいなもので切断部分をはずし、大きなはさみで下の布部分を切った。ギブスをそこで取るのではなく、また簡単につけて、診察室の前に戻った。

看護婦さんが来て、足を拭いてくれると、またまたギブス室に戻った。1ケ月ぶりに右足が出てきた。むくんいる。血行が悪かったらしい。風呂にも入っていないから、1ケ月ぶりに拭いてもらったことになる。そこでさっきの右側の痛みの走ったところを見た。やはり長く切れて、血がにじんでいる。ずきずきするわけだ。診察のとき、消毒薬を塗ってもらおう。

やっと番が来た。12時半を過ぎていた。かかとをついて立ってもいいと言われた。1ケ月間、立つことがなかったから、立ってもいいといわれても怖い。徐々に慣らしていこう。この分だと歩けるようになるにはまだかなりかかりそうだ。切り傷を消毒してくれながら医師が「ごめんね」と傷をつけたことを謝ってくれた。

食事をして、プリンタのインクを買いに、エスポットに寄った。駐車場には車椅子マークはあったが、車椅子は置いてなかった。車から車椅子をおろし、インクを買いにヤマダ電機に行った。私じゃなければ分からないので、棚の前の狭い通路を商品を落とさないように気にしながら通って、インクを余分に買ってきた。

2時ちょっと過ぎに町民センターによったが、工芸室にはもうだれもいなかった。焼いてもらった色見本のぐい飲みのあがりを見たかったのだが、残念。で、降りずにそのまま郵便局に行き、用事を済ませ、肉屋さんによって帰ってきた。郵便局には入り口に警察官がたっていた。郵便局に来る人たちに話しかけている。戻ってきた。Papasanに聞いたら、振り込め詐欺防止のためだった。後で新聞をみると、全国的な運動展開らしい。

                                              あっちゃんが深紅のバラをいっぱい持ってきてくれた。きれい!バラは好きだからうれしい。河津バガテルの秋バラの開花はどうだろう。 

                                        

夜、「その時歴史が動いた」で知里幸恵の「アイヌ神謡集」を主題にしていた。興味深かった。日本人はいかにアイヌ民族の人権を踏みにじってきたか、もちろんそれはよく知っているが、それにしても虐げられている先住民族や植民地化されている人たちの人権を虐げているかが、改めて思い起こされ、重い気持ちになった。

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