31日が満月だから、まだ真ん丸ではないが、今日は十三夜さん。黄昏時、南東にぼんやりと出ている。「まだまだ真ん丸じゃないね~」そして日が暮れると、並ぶように火星が光っている。。
ガーナを量ったら5㎏あった。その重い5㎏が布団の上で寝る。
MOA 美術館へ行ってきた。特別展は、葛飾北斎の富獄36景。富獄36景は何度も見ている。逸話もよく知っている。papasanを車いすに乗せ、説明しながら見ていく。珍しくお客さんが多い。然も若い人ばっか。なんなんだろう!特に北斎に関心があるようにも見えないけど。「MOAでこんなに混んでいるの、初めてだよ」と言いながら、のぞき込むほどのことはないと先に進んで空いているところから見ている。ぐるっと回るとあの列は空いていた。団体さんなのかな。もしかしてGO to travelのせいかな。
やはり北斎は力強い。版画なのに画面から飛び出す力を感じる。広重も並んでいた。双方を比べると、広重は西洋絵画で言えば、印象派のように優しい。もちろん構図はずば抜けてはいるのだけど、私は北斎派だな。
仏像の部屋に「聖徳太子にあいたいな」と入ったが展示されていなかった。いつも私を迎えてくれた幼い聖徳太子の像。長次郎のアヤメは陣列されていた。書には一休も白隠も見当たらなかった。収蔵品はいっぱいあるからだけどね、おなじみさんには会いたかったよ。長~い付き合いだからね。杉本博司さんの写真は並んでいたけど。
絨毯のせいで車いすの動きが悪く、押しているだけでつかれた.お茶にしよう!鎧塚さんのパテストリーがある。ケーキは4種類。軽食用にクロックムッシューなどがある。クロックムッシューは好きじゃない。で3種類のケーキと私は紅茶を頼んだ。私のケーキはカシスのムースを挟んだもの。タルトの中にナッツが入っている。鎧塚さんの食感を考えてのナッツの使い方はマネしたくなる。ただ私たちには歯に挟まったり、噛めなかったりするのでしないけど。ポットに入った紅茶がサービスされた。3分おいて、ふたをとって中をかき混ぜ、香りをかいだ。うん?香りがしない。味も気に入らない。この紅茶なんだろう。メニューを見ると「一夜城」と書いてある。早川のファームでブレンドしているものなのかな。ファームの喫茶で飲んだ紅茶はこんな味じゃなかった、それにたくさんケーキを買ってきたけど、どれも美味しかった。最近は行ってなかったけど。うちにはまだチーズスフレケーキがある。この程度なら私のケーキの方がおいしい、と自慢している。
写真:はなちゃんとはなはな。狸らしくなってきた。
・・という予報に、午前中なら大丈夫だろうと、10時近く家を出た。昨日処方してもらって和美さんに頼んでもらったpapasanの薬を受け取るのと、ついでだから郵便局まで借金を返しに行ってきた。樹木を切ったイレギュラーな支出の返済である。papasanの薬は、なんと「朝食後」の分だけなくなってしまったので、言い訳たらたらして処方してもらったのである。朝食はいつも箱から取り出して、白湯ともに出してやるが、昼や夜は、飲んだ?って聞くくらいだったので、勝手に朝の分を飲んでしまったらしい。薬剤師さんにも、理由を説明して、いろいろ確認されて、受け取ってきた。
通りすがりのお宅にはまだ金木犀が咲いていた。相変わらずよそのお宅の庭先をじろじろしながら歩いている。」みんなマスク姿だから、誰だか認識はできないが、何人から声をかけられた。にこやかに返事をしたが、誰なんだか。
っていうのがあるらしい。風邪症状で、だるくってやる気がない。確かにだるくってやる気はないけど、体を動かすのはだるいから嫌だけど、調べ物をしたりするのは張り切ってやっている。やはり老化現象で 季節病じゃないのかな?
昨日、買い物ついでに熱海泉支所に行って、熱海市報、2020年10月号、を10部もらってきた。弟妹に送ってやろう。思い違いを是正したくて友人の電話番号を探しかけてみるが通じない。どこかに同窓会のアドレスがあるにはあるんだけど探すのは面倒。一緒に募金活動した仲間を割り出したいんだが、70年余りの時間の壁はなかなか。
なん十年ぶりに熱海の同級生から電話をもらった。「熱海市報2020年10月号に熱海大火が特集されていて、あんたのお父さんのことが載っていて、懐かしくなって、電話をした」と言った。「うん、熱海の大火の時、親父さんは市長だったんだよ.市街の4分の1が燃える、ひどい大火だったね。よく覚えているよ」いろんな話をした。「そうだったね、3月が駅前の大火で、4月が熱海の大火。駅前は6年生、熱海の大火は中学1年生。でも、一緒に駅頭に立って募金活動したっけね。担任の岩本先生に相談したら、即座に賛成してくれ、募金箱を作って、熱海中学校有志と白い紙に墨筆で書いてくれたね。それをもって毎日、駅頭で募金呼びかけたっけ。通る人たち、みんな募金してくれたね」なんて思い出を話し合った。
駅前の大火ではクラスメイトのウ~ちゃんが焼き出された。火元に近かったので、着の身着のまま逃げて、おしゃれな彼女が、卒業式には普段着だった。然も下駄ばきだった。そこで友人とお小遣いを出し合って、ズックを買って持って行った。高いものは買えないからごくごく普通のズック靴。その時、お見舞いに来ていたお客さんが、革靴を買ってあげる。サイズは?と言っているのも聞いて、恥ずかしくなったのを覚えている。でも、大人になって、彼女が、「あの時和子とどんちゃんがズックを買ってきてくれた。あれが何よりもうれしかった」と言ってくれたので私たちもうれしかった。そのどんちゃんの家も10日後の熱海の大火で燃えてしまった。同級生たちが大勢被災したので、もうとてもお見舞いは持っていかれなかった。だから募金活動をしたのだ。募金は毎日仮設の市役所(テント張りだったような)に届けた。
市報を見ると駅前の仲見世火災は4月3日となっている。あれ、じゃ~、小学校の卒業式は4月だったんだろうか。卒業式は講堂で行われた。この時焼け出されたウ~ちゃんはもう故人。聞きたくてももう聞けない。卒業式の時、彼女は6年間皆勤で、表彰されたんだった。賞を受け取るために階段に上がる彼女の後姿、真っ赤なスウェーターに黒いスカート、をちゃんと覚えている。次の大火が13日、その間に中学校の入学式も終えてクラスも決まったいたんだ。
新制中学校は戦後の発足たから、まだ校舎が全部できていなかった。2,3年生が桃山の校舎で、1年生は小学校の一角を借りての仮校舎だった。もっとも私たち1年生にはその方が勝手知ったるで、楽だった。1年は8クラスあって、私は8組だった。
🔷熱海大火 1950年4月13日。
🔷熱海市報
https://www.city.atami.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/430/202010.pdf
アメリカ人が撮った、熱海の大火で燃え落ちる市役所のカラー写真持っているんだ。資料として、市に寄贈していこうかな。その前に探さなくっちゃならないけど。
アルバムに貼ってあるのだが、やはりアルバムをどこかに閉まってしまったらしく、簡単には出てこない。毎度のこと。ゆっくり探そう。貴重な写真だからね。
この大火が熱海の区画整理を押しすすめ、1車線の道路が歩道付きの2車線になった。
小学校の卒業式で市長賞をもらった友人に、たまたま彼女のアドレスだけノートにあった、電話してみた。それこそなん十年ぶりに。向こうもいきなりの電話にびっくりしていた。で、かくかくしかじか、小学校の卒業式はいつだったか聞いてみた。3月だったんじゃないの。じゃ~、あのウ~ちゃんの姿は、私の記憶違い?記憶がいろいろ錯綜する。卒業式は講堂だったでしょ、確か講堂は被災者にの貸し与えられたでしょ。うん、貸し与えられたことは覚えているけれど???
ズックや募金の話をすると、あんた行動的だったのね、と言われた。親の子だからね、と私もすまして答えた。でも・・・