Cogito

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70の手習い

2010-04-29 20:11:04 | インポート

だれも弾いてくれないので、ピアノのために、なんとか弾いてやろうと、譜が大きくて、やさしい教則本を買ってきてと頼んでおいた。井上楽器に寄って、Papasanが買ってきてくれた教則本は、「はじめての、ひさしぶりの大人のピアノ クラッシック名曲集」というものだった。開けてみると、子どものバイエルみたいに譜は大きい。これなら見えるかも。曲もやさしく編曲されているし、全部知っている曲だ。

今日、譜面台に載せてみた。眼鏡をかけないと見えないが、これなら大丈夫そうだ。

「主よ、人の望みの喜びよ」を選んだ。譜面は一見やさしすぎるようで、え~と思わなかったわけではないが、まぁ、弾くことを忘れてしまった指だから、すこしずつなだめなだめ、動かしていこうと、と自分に言い聞かせながら、でないと、私のこと癇癪を起しかねないから、右手だけで先ずは弾き始める。いやいや、弾くなんておこがましい、叩いているだけだ。

初心者用だから、運指が丁寧に書かれている。音までルビがふってある。その運指の指定は、よく見えない。でも指定どおりに弾こうと目を凝らす。すぐ覚えられるだろうと、2,3回弾いた。ついで両手であわせて弾いた。30分ほどしたら右手首が痛くなってしまった。やめよう、やめよう、明日にしよう。何十年の穴埋めは一気にしてはいけないね。

急になり始めたピアノの音に、ニワトリたちが怪訝な顔をして見ている。あはは、そのうちコッケコッコーとあわせるかもね。

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春は名のみ2

2010-04-26 09:31:06 | インポート

Kiri

今日も晴れている。やっぱり晴の方が気分はいい。でもまだ寒い。桐も蕾のまま、開いてはいない。昨日からの晴天で、八重桜も安心したのだろう、はらはらと花びらを落とし始めた。とたんに、下の家から、苦情が来た。そこですぐ、生きがい事業団にお掃除をお願いした。足を折ってから、毎春と秋、下の庭にとんだ桜の花びらと落ち葉の掃除を生きがい事業団にお願いしている。そういえば、昨日、町民センターの3階の窓に映る八重桜の姿を「きれいだね」と眺めたばかりだった。寒いから花もちがよくって、晴れたので一斉に散り始めたのかも。毎年4月18日ごろとお願いしていたが、今年は天候不順で、雨も多く、散り具合が予測できなかったのだ。私自身の経験からいうと、掃除には1時間ぐらいかかる。清掃も1日おきぐらいで大丈夫だ。前は3本の木があったが、今は2本だから、そんなに長い期間はかからないと思うが。

                                                           

今日は和美さんの誕生日。でも明日が注文日なので、ケーキパーティは明日。

                                                           

また今日はチェルノブイリの事故の起こっ日。1986年4月26日。みんなどうしているかな?元気でいてくれるといいんだが。若者たちより、むしろ親人たちに病気が現れているみたいだ。私みたいに健康な人でも、年をとると、あちこちにひずみが出てきているから、体力が衰えると、体内被曝で被害を受け続けているところから、病気になりやすいんだろう。気の毒に。

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春は名のみの・・

2010-04-25 08:52:25 | インポート

やっと青空がのぞいた。それにしても寒い。

お日様にお目にかかるのは先週の水曜日以来だ。毎日びしょびしょと雨が降り、いい加減うんざりだ。しかも真冬並みの寒さ。まいっちゃうなぁ。

4月下旬、まだまだストーブを焚いている。これで今年の灯油は終わりね、と言いながら、なんど灯油を買ったろう。コタツも、ホットカーペットも使っている。例年になく、光熱費がかさんでいる。

                                                          

それでも庭の八重桜はひっそりと咲いた。八重桜も、もう2本になってしまったのだ。桐の花もつぼみは膨らんだが、寒さに咲ききれず、紫のつぼみのままでいる。今日、お天気だから咲くかな?ツバメがすいすいと舞っている、がツバメにとっても、この寒さは予定外だろう。寒いから虫も出てきていないだろう、餌はあるんだろうか、巣懸は出来たんだろうか、ときにかかる。当然、クモの姿も見えない。 気にかかるといえば、シロハラやツグミ、冬鳥たちは北に帰ったようだが、北はもっと寒い。途中でえさ不足で弱らなければいいが。

2 3                                                                

せっかくの日光だから、少しでも陽に当たるように、と鶏どもを外に出した。すぐ戻ってきてしまうので、玄関を閉めてしまった。ところがブチとシロは家に残っている。それでもシロは天窓ら射しこむ陽だまりでちゃっかり日向ぼっこしている。しかも犬のお尻にくっついて。

                                                           

買ったまま、ず~っとほうっておいた「歓喜する円空」梅原猛著を読み始める。円空との出会いは、学生時代だ。テレビで見たのが最初だった。それに刺激されて、円空展によく足を運んだ。熱海で裏千家の茶道を習ったのだが、お寺さんの先生のお宅の玄関には円空仏が飾られていた。先生が円空仏をさして「これが・・・」とおっしゃったとき、「円空さまですね」と答え、「まぁお目が高いこと」とほめられた。当時の若い子が円空を知っているとは思わなかったのだろう。

                                                          

それにしても本を読むのが遅くなった。小さな活字は目が疲れるからだろうが、すぐ飽きてしまう。根気がなくなったのだ。数年後は、活字文化はなくなってしまうと、極論を吐いた人がいたが、もちろんそんなことになってはさびしいが、本を読む世代は少なくなっていることは確かだ。ネットで読むことが出来るし、こっちの方がたしかに字が大きくて読みやすいんだ。こんな活字時代の年寄りが、ネットの方が読みやすいなんて言い出すのだから???

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Days Japan

2010-04-20 11:31:02 | 日記・エッセイ・コラム

「Days Japan」5月号が届いた。いつものことながら内容はどれも胸に重くのしかかる。しかし写真はいい写真だ。報道と同時に芸術性もある。だからこそ訴えるのだろう。雑誌はいつも読み終わると、すぐに図書館に寄贈しているので、写真を眺めるだけでいいから、ぜひのぞいてほしいと願っている。

5月号はここで見ることが出来る。

www.daysjapan.net

                                                          

先月号に、ユダヤ人の起源が特集されていた。ユダヤ民族といえば、パレスチナの地を追われ、いつか約束の地に戻ることを夢見て放浪していた民族だと聞かされていた。ところがこれがまったくの作り話で、でっち上げられた神話に過ぎなかったことが明らかにされていた。もちろん、イスラエル国民は周知のことであり、ヨーロッパ社会でも以前からほぼ知られている事実であった。 旧約聖書に書かれていることも歴史的事実ではなかった。知らなかったのは日本人といったところ。歴史は大きく逆転する。そしてイスラエルの主張のひとつひとつが神話に裏付けられた偽ものであったことにも気づく。

                                                                                                                                    

大勢はハザール王国の改宗ユダヤ教徒がルーツであると言う説。この証明に取りかかり、その結果を「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」という本で発表しているのはれっきとしたイスラエル人学者、シュロモー・サンド。外部の批判的な学者の弁ではない。内部のしかも中枢を占める学者の弁である。本を買って見ようかと思ったが、興味はあるのだが、私自身がまず読むだろうかといぶかって、まだ買っていない。

                                                          http://daysjapanblog.up.seesaa.net/image/2010-04.jpg

http://daysjapanblog.seesaa.net/article/145785937.html

                                       

ちょうどNHKのニュース解説で論説委員がこの「ユダヤ人の起源」を紹介していた。「ユダヤ人の起源」はベストセラーであるらしい。彼は「古代ユダヤ王国の末裔はパレスチナ人だと本では述べている。これによってイスラエルも徐々にかわっていくのではないか」と解説していた。                   

                                                                                                                                 

ネットを調べると、これに関しての記述があった。参考までに載せておく。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb100.html

http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-61.html

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合成洗剤追放運動

2010-04-18 23:25:09 | 日記・エッセイ・コラム

「女たちの合成洗剤追放運動 1960年代~1970年代を振り返って」
    連絡先 山口泰子    横浜市港北区篠原台町3-16-104

                                                         山口泰子さんから「女たちの合成洗剤追放運動・・・」という冊子を頂いた。座談会の形をとっている。座談会の出席者はよく知っている人たち、合成洗剤追放を取っ掛かりに食品の安全性、公害問題、生存権、文明論まで視野を広げ活躍した人たちである。いや、いまなお活動し続けている。私にとっても運動の先輩たちである。もっとも座談会の出席者たちもかなり故人になってしまってはいる。主婦たちの運動を学問的にサポートしてくださった学者の先生方も故人になられた方々が多い。もちろん後を引き継ぎ、サポートして下さっている学者たちは健在している。                                                         

                                                         

私が「まなづる生活学校」を始めたのが1973年、合成洗剤追放にはもう少し前から関わっていたから、本の内容の、彼女たちの運動とは重なっている。私は実際に自分の手荒れに苦しんで何軒も皮膚科に行ったが治らなかった。熱海の青木クリニックで、一目見て先生が「合成洗剤のせいだから、使うのをやめなさい」と言った。そこで合成洗剤の使用をやめたら1ケ月で、嘘のように手あれが消えてしまった。以後、洗濯にも台所にもシャンプーにも歯磨きにも、クレンザーにも、合成洗剤を使うことはない。

(註:生活学校は総務省関係の「あしたの日本を創る協会」が組織した全国組織。いまなお活動は続いている。まなづる生活学校はいまはその傘下にはないが名前だけは引き続き使っている)

                                                         

合成洗剤についての勉強を始め、その危険性の大きさに驚いた。知らずに使っている人たちにも知ってもらいたい。できれば合成洗剤を追放したい。運動している人たちとも連携して、合成洗剤追放運動を始めたのだった。ただ、当時洗濯用石鹸は売っていなくて、手に入れるのに苦労した。で、共同購入が始まったのである。私たちが共同購入を始めると、手荒れに悩む町の人が分けてくれと訪れるようになった。まわりにも手荒れに苦しんでいた人たちが多いということを実感したのだった。共同購入より、だれでが買えるように町のお店に頼んで洗濯用の粉石けん、台所用石けん、シャンプー、リンスは置いてもらった。

                                                         

食品公害、農薬、農業や漁業の実態、地産地消、将来へ向けての取り組み、いまでいう環境問題、人間だけでなく地球上に生きているすべての生きものの問題へと発展し、共に生きる思想が身についたのである。いまなおその基本姿勢を保持している。真鶴での運動は、「豊かさの裏側」「限りあるもの」「平和」「食べる」「生きものの水」「青い地球よ」といったスライド作品としてまとめてある。こんどスライド作品の内容もブログに載せておこう。真鶴町の公共施設、町民センターには合成洗剤洗剤は置いてない。役場も私が出入りしていたときは、200番が置いてあったと思う。                                                       

                                                       

冊子の「はじめに」を抜粋して紹介しよう。ただし本文は「です、ます」調の丁寧な言葉使いなのだが、打つのが面倒なので、「である」調にしてしまった。

                                                             

「合成洗剤追放運動の最初のころを知りたい、それが現在の活動をさらに活性化することに役立つのではないか」という声に応えて、はじめのころから追放運動に関わった人たちで、合成洗剤運動がどのように始まったか、話し合ってみることにした。

                                                         

活動を始めたのがなぜ女性だったのかというと、当時洗濯や炊事の大半を担っていたのは女性で、手荒れや子どものおむつかぶれを身近に経験していた。合成洗剤だけでなく食品の着色料や防腐剤などにも疑問を持つようになった。そのころの労働組合は男女分業を前提として、男性の賃金は家族を支えることを基本にしていた時代だった。したがって男性の大半は生産者側にあり、消費現場での問題を知る機会はほとんどなかった。

                                                         

石油の精製過程の廃棄物を原料にした合成洗剤が日本で初めて発売されたのが、1951年。以来合成洗剤は洗濯機の普及と、テレビでの野菜や果物まで洗剤で洗うことが文化的であるかのような宣伝のもと、急速に市場に出回った。ところが、1960年になって、当時東京都衛生研究所にいた柳沢文正さんが溶血性の実験などから「合成洗剤は無害ではない」という発表をした。

                                                          

また下水処理に悪影響を及ぼすという山越邦彦さんの研究や、柳沢文徳さんの研究などでもその問題点が明らかになった。それがマスコミに取り上げられると、この3人が国会に参考人として招かれるなど、社会的な問題となり、政府はそれを受けて、1963年科学技術庁による合成洗剤の安全性について調査研究を実施した。しかしその結論は「通常の使用なら安全」というものだった。一方、消費者のなかには、家庭排水が流れ込んで洗剤のアワが盛り上がる川や、ひどい手荒れに悩む人たちが増えるのを目のあたりにして、研究者の警告に耳を傾ける人たちが出てきた。それが全国的な合成洗剤追放という大きなうねりとなっていった。にもかかわらず合成洗剤メーカーは、政府の「通常の使用なら安全」との見解をバックに、石油工業と連動して、大きな利益を上げながら、必死に宣伝を続けた。

                                                          

社会全体では公害先進国と言われたように、四日市喘息や水俣病などが発生し、公害による多数の被害者が生まれた。そうした状況のなかで、合成洗剤追放の運動は、石油文明の発達を契機とする豊かで、便利な生活の影にある環境汚染や生物への悪影響に目を向け、自分が加害者になりたくないという思いと共に、社会全体の在り方を考え直すことにもつながっていった。

                                                         

現在合成洗剤の問題に取り組んでいる人たちに、1960年~70年にかけて全国各地に野火のように広がった追放運動についての経過や思いを分かっていただければ幸いである。
なお、この座談会は2000年に滋賀県で開いたもの。」

                                                         

繰り返すが、私の運動は彼女たちの運動と重なっている。私も30代から関わったから、運動の歴史は長い。だから冊子を読んでいて、そうだった、と同感することも多いが、一方では苦い思い出も多々ある。
                                                         

ぜひ、この冊子を多くの人に読んでもらいたい。

上記、山口さんに連絡すれば購入できる。1冊700円。

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