http://4travel.jp/traveler/buchijoyce/album
隠岐の旅行記を見ようとしたらなくなっていた。ここにはあるので、載せておこう。
あれは何年前になるだろうか。確か富山からの帰り、新穂高温泉からロープウェイで西穂を眺め、その日は平湯に泊った。翌日、バスで上高地に入った。そのとき、バスから帝国ホテルを眺めながら、連れ合いに,若いころ、足しげく穂高に通っていたけど、たいていその日のうちに涸沢まで入ることが多かったから、上高地に泊ることはなかった。だから、バスからあのホテルを眺めながら、いつかあのホテルに泊まりたいと思っていたのよ、と言った。すると、連れ合いが、じゃ~、予約して泊りに来ようと言ってくれた。とはいえ、その後上高地のことは忘れていて、思い出すこともなかった。
去年のことだ。学生時代の友人が、上高地へ行き、穂高の写真を送ってくれた。晴れ男を自認する山男の友人の写真は、晴れあがった青空に穂高連峰がそびえ、梓川が美しく流れていた。すこぶる懐かしかった。穂高は私の青春の山々だ。多感な時代、「もし魂があるのなら、私は、死んだら、穂高山頂の、青い空の深みに住もう」と書いたことがある。もう頂上までは登れないが、お別れに穂高の山々に会いに行こうと決めた。まだ雪が残っていて、空の青さが岩壁や岳沢に反射して青く輝いているときに、と口癖のように言っていた5月にしたのだ。2月、さっそく上高地帝国ホテルを予約した。ついで電車の予約もした。バスの運行開始、ライブカメラの作動開始、それらを待って、毎日のようにライブカメラを眺め、最近の上高地の情報を集めたりしていた。
◇5月14日(水)
いよいよ出発だ。山は天気が気がかり。予報は今日一日は晴れるとあったが明日からは崩れる模様。今日一日光があるなら出来るだけ今日のうちに写真を撮ろうと思っていた。ロマンスカーで新宿へ、新宿からはスーパーあずさで松本へ。中央線など乗ることがないので,窓外の景色は新鮮。でもガスっている。白い北岳、間の岳、南アの連山も見えるには見えるがはっきりしない。光はあるが松本に近づくにつれ、雲が厚くなってきた。松本で7番線のアルピコ鉄道に乗り換え、新島々へ。精算所で「どちらへ」「上高地へ」「なら往復買われた方がお得です」「では」と松本、上高地往復券を購入した。
ますます雲は厚くなる。今日一日お天気マークだったのに、と恨めしげに空を見上げている。Ipadを出し、ライブカメラをのぞくと穂高の空は青くない。ため息が出る。
山にのぼるにしたがって、周りの木々は早春から、冬枯れの、やっと芽をふき始めたばかりの幼い緑へと逆戻りしていく。
バスが帝国ホテル前に着いた。今回は連泊なので、キャリーバッグを引きずってきた。中身は衣類だけなので軽いのだがベルボーイが急いで来て、荷物を持ってくれた。「お天気だったら、荷物だけ預けて、そのままバスターミナルまで行こうと思っていたんだけど、このお天気ではチェックインする」なんて言いながら、チェックイン。 ラウンジには大きな煙突のついた暖炉がある。部屋は107号室、2階だ。荷物を置くやすぐに窓を開け、ベランダに出て、外を見た。右手に穂高の山々、岳沢、そして左手に焼岳。空は青くはないとはいえ、くっきり見える山々の大きさに感激。写真ではこの感覚はないんだよな、と小さなバッグにカメラとレンズだけを入れ、すぐにホテルを飛びだした。
林の中を遊歩道が続いている。ウグイスの声が響く。駐車場から梓川沿いの歩道に出た。団体客が多い。発声がどうも日本語ではない。聞くと台湾の人たちだった。午後3時、河童橋からライブカメラに向かって手を振る。山男の友人からライブカメラを見ているから手を振ってと言われていたからだ。連れ合いは最敬礼している。じゃ~、五千尺でお茶にしよう、と中に入った。私はチーズケーキとミルクティ、連れ合いはブルーベリーケーキとコーヒー。ひときれが大きくておなかに残った。
河童橋を渡って、今度は右岸を下った。河原にカモがいる。岩場をニホンザルが歩いている。予定はウェストンの碑を見て、田代橋を渡って、ホテルに帰る。道は砂利道で歩きにくい。こちら側を歩いている人ほとんどがいない。静か。しかし右岸にホテルが増えた。それだけ需要があるということだろうか。
やっと橋が見えた。ほたかはしとたしろばしを渡って向こう岸へ。林の木の間ごしにホテルの赤い屋根が見える。
今日は初日、足慣らしにはちょっと多すぎたかな。バスタブにつかって、ゆっくり体を休めた。朝早かったこともあり、久しぶりのウォーキングで疲れたんだろう、ソファに足を伸ばしたまま寝てしまった。目を覚ましたら6時半を過ぎていた。そろそろ起きよう、ディナーは7時45分の予約。そこで明日の天気を見ようとIpadを立ち上げた。「インターネットに接続していません」という表示。で、自分のブログを開けてみた。やはり「接続していません」と出る。たしかインターネット使えます、ってあったはず。引き出しを見ると、接続ケーブルが入っていた。なるほど。
Ipadが使えるとばかり思っていたから、そのままブログに日記を書きこもうと思っていたのだ。これは大いなる誤算。しかたがないので、IpadはBGMとなった。シューベルトの即興曲とベートーベンのピアノ3重奏曲が入っている。
そこで部屋の備品を眺めた。双眼鏡、星座標、磁石、自然観察ガイドetc.が置いてある。携行してもいいと書いてある。う~ん、お天気ならば、な。早速磁石は使った。北は間ノ岳の方向だ。
そろそろ時間ですよ、といわれて、着替えをして、ダイニングルームに向かった。今夜は洋食「神河地」 をチョイスしてある。
◇5月15日(木)
ベランダに出て山を見ている。岳沢には霧が立ち込めている。反対側の焼岳は霧に包まれて姿も見えない。今日の予報は曇、雨だから仕方がない。ベランダから手を差し出すと、雨粒が当たった。降り始めたんだ。今日の予定は明神まで。朝食をすませ、カメラバッグをレジ袋に入れこし、雨よけにした。連れ合いは雨具を着ている。私も雨具は持ってきたが、霧雨ぐらいなら、このままでいい。寒くなるといけないので、スウェーターを腰にまきつけた。
9時に河童橋からライブカメラに向かって友人に手を振る約束。昨日歩いたので、今日は近く感じる。なんと10分前には着いてしまった。雨のせいもあり、今朝は河童橋に人は少ない。どうしよう。でも約束なので、9時まで待って、手を振った。
さぁ、出発だ。明神に向け歩く。近くにビジターセンターがある。そこに寄ってから歩き始める。
程なく雨は上がった。左岸は起伏の少ない、森のハイキングコースだ。ウグイスの声に混じって、キツツキのドラミングが響く。明神までは、普通の人の足で小一時間かかる。一応私たちの足では1時間半から2時間とふんだ。明神岳の姿が変わってくる。明神は何峰もあるのだが、ひっくるめて明神岳と呼ばれている。
途中、ガマガエルに会った。交尾中だった。我が家の近辺ではガマの産卵は3月。春が遅いこの地では今が産卵の季節なのだろう。このガマも、卵を産んだら、また眠りにつくのだろうか。
30分歩いたら5分休もうね、と言っておいたが、連れ合いはすぐ息を切らす。私は意外と平気。休むのも立ったままだ。
やっと明神橋が見えてきた。とはいえ、そこまでは回り込んでいくので、時間がかかる。でも橋近くには明神館がある。はるかな昔、徳本峠を越えるため、明神館に泊まったことがある。さぁ、ここで一服しよう。とはいえ食事にはまだ時間が早い。連れ合いはアイスクリームを、私はアップルジュースを頼んで、外の公衆トイレに行った。
明神橋までの間、両サイドはニリンソウが咲き乱れている。徳沢まで行かなくてもいいや、と負け惜しみを言っている。明神橋をわたり始めると、左手に霞沢岳が霧を従えて大きく見える。山のひだ小屋の敷地内を通らせてもらい、明神池へ。ここは穂高神社の境内。拝観料を払って明神池に行く。一乃池は木々を写して静かなただずまい。時おり通り過ぎる風に湖面が揺れて、ことのほか美しい。第二乃池は、整っているが、人の手で作ったような趣。
穂高神社の由来を読んだ。
穂高神社奥宮は、穂高見命が祀ってある。綿積(海神・わだつみ)の神の子で九州から来たようなことが書いてあった。その記述に、都井岬の宇土神宮を連想した。ご神体は穂高連山。鈴を鳴らし、「ホタカさま、ホタカさま、お天気にしてください」とお祈りする。
明神池を後にすると、工事の人が立っていて遊歩道は工事中なので、山道を歩いてください、緑のロープを張ってありますから、それに沿って行ってください、と言われた。右岸を下り始めると、川沿いに木道の遊歩道が見える。こっちの右岸の方が、左岸より遠く感じる。起伏もある。河童橋13時ごろと予定していたが13時前には戻れた。河童橋に近づくにつれ、見覚えのある湿原や流れが出てきた。ミヤマカタバミやネコメソウも目に付きだした。もうじきだよ。
人の姿が見える。河童橋だ。もう歩くのいやだというので、帝国ホテル前まで、シャトルバスに乗った。
部屋に戻る前にあずさ庵に行った。おそばが食べたかったのだ。おそばの量が多かったので、デザートをかねてケーキが食べたかったのだが、もう入らない。部屋に戻って、熱めの湯につかり、またまたソファに足を伸ばしてBGMを聞きながら寝てしまった。ケーキを食べに行きませんか、と起こされた。う~ん、明日でもいいんだけど、といいながら、起きだしてラウンジに下りていった。ここのケーキは前から食べたかったんだ。なんと5種類のケーキの盛り合わせを注文した。小ぶりだが、もっと小ぶりでいいといいながら、ゆっくりと紅茶を楽しみ、それでも全部平らげた。さすが美味しかった。連れ合いはジャンボなカスタードプリンを。もちろん食いしんぼうはちゃんと味見する。
庭の木を指差して、「ベランダの前にあるんだけけど、あの木何の木?」とたずねた。分からないといって、通称「博士」を連れてきた。博士も分からなかった。「お部屋にあった自然観察ガイドを読むと、上高地に多い木にハルニレがあった。たぶんハルニレじゃないかな」と私。Ipadが使えれば調べられるんだが、Ipadに写真を撮っていって、明日ビジターセンターで聞いてみよう。
外は雨、雨脚が聞こえる。
夕食は7時半。今日は和食「あずさ会席」。
◇5月17日(金)
午前2時ごろ、連れ合いが、月夜のようだ、外が明るい、と言って、カーテンを引いた。窓を開けてベランダに出る。うん、月の姿は満月、焼岳より左、西にある。穂高連峰を見る。夜空にくっきりと、真っ白な山々の威容がある。星も見える。すごい存在感だ。美しい。カメラを出したが、もちろんシャッターはおりない。開放にして時間をかければいいのだが、寝巻きのまま外に出ているのは寒い。ベランダの正面に星が瞬いている。北斗七星の柄杓の部分だ。
ベッドに戻って、うつらうつらしながら夜明けを待つ。モルゲンロートを期待したのだ。薄明、着替えをし、ベランダに出る。この地は東が山なので、朝日は見られない。穂高連峰の向こうが明るんでいる。
お茶の支度をして、ベランダに出ると、しまった!、焼岳がもう朝焼けに赤く染まっている。穂高連峰の上には雲が流れ、その雲を朝日が茜色に染めている。きれいだ。
朝食をすませ、もう要らないとスウェーターなども全部バッグにつめて、フロントで自宅への配送を頼んだ。8時にチェックアウト。フロントで「はるかな昔のことだけど、私はアルピニストでね、上高地はよく来たんですよ。いつも帝国ホテルの前をバスで通り過ぎながら、いつか泊まりたいと思っていたんですよ」というと、「それはそれは。ご満足いただけましたか」「ええ、とても満足しましたよ」
もう歩くのいやだといわれてしまったので、タクシーを頼んで大正池まで行ってもらった。光があるうちに写真を撮りたかったのだ。上高地には何度も来ていても、バスから見るくらいで、大正池に行ったことはなかったのだ。焼岳の噴火で出来た池も、土砂の堆積でずいぶんと狭くなって、大正池のイメージを代表する立ち木も、少なくなってしまったそうだ。光はあるが、穂高の山には雲がかかり、湖面に姿をうつすことはない。望遠で立ち木のイメージを探して写真を撮っている。山の天気は変わりやすい。穂高の全体に雲がかかり始めた。「あの雲が移動するまで待つ?」と連れ合い。「山の雲ってなかなか移動しないものですよ」と運転手さん。「少しでも写真がとれてよかった。バスターミナルに戻ってください」と私。
車をおりると冷たい風が吹き荒れている。帽子が飛ばされそうだ。手袋をはめた。木立の中をビジターセンターまで行った。そして受付の女性に、Ipadに撮ってきた木の写真を見せて、「ホテルの庭にあった木ですがなんていう木でしょう」とたずねた。「どこのホテルですか」「帝国ホテルです。同じ木がたくさんありましたから、珍しい木ではないと思うんですが、ホテルのスタッフに聞いても分からなかったので、ビジターセンターまで来たのです」「せっかく来てくださったのに、分からなくてすみません」
男性が写真を見て、「芽吹きまえだからはっきりと断定できないけど幹の感じからハルニレだと思います」と言った。予想通りだ、これでいいとしよう。
連れ合いはスーツにコート、それにひきかえ私はブラウスにベスト、ジャンパーという軽装。寒い、寒い。穂高は相変わらず渋い顔。あきらめて早めに山を下りよう。河童橋のそばで連れ合いが「ライブカメラに手を振らなくてもいいの?」と言った。「こんな時間に、見ていないからいいよ」と言ってバス停に向かった。とはいえ、名残惜しげに、何度も、何度もふり返り、さよなら、穂高、もう来ないよ~、と何度も何度も叫んだ。きっと山も別れが悲しいんだと勝手なことを言いながら。まぁ、思い入れが違うからね。
9時半のバスがあったので、乗車の整理券をもらった。沢渡近くでIpadを出すとインターネットが使えた。電車の時刻表を出し、帰りのあずさを調べた。ついでライブカメラをあけると穂高は相変わらず渋い顔だった。あきらめてよかった。
バスが新島々に着くと、松本行きの電車が入ってきた。来るときは気がつかなかったが、女の子の絵がついた可愛い車両だった。
松本駅近くのほっかほっか亭でお弁当を作ってもらい、熱いお茶を買って、12:00の特急あずさに乗った。新宿で湘南新宿ライン 小田原行きに乗った。初めての路線、新宿、渋谷、大崎、その次がなんと武蔵小杉、どうどこを走っているのか理解できないでいる。そして横浜、ここからは東海道線だ。
ただいま~と家に入ると、声を聞きつけて、猫のベリーズが飛び出してきた。「お留守番、ご苦労さん!」
ほんと、たのしい旅でした。
骨折後初めて、足を使って、といっても松葉杖のお世話にはなって、松葉杖と足の四足で階段まで歩いていった。三本足よりずっとラクだし、安定している。ただし階段は高さがあるので上りにくかったが、何とかクリアできた。つま先はついてはいけないと言われているのでかかとを使っていったのだが、右足がひどく痛んでいる。なんせ骨折なんてはじめてなので、これでいいのかどうかさっぱり分からない。あまっていた痛み止めを飲んだ。
松葉杖を車椅子をお供に、河津のバガテルまで行って来た。バラが気になっていたのだが、盛りを過ぎているのが多かった。秋もすばらしいときもあるが、今回の秋は大したことがない、と言えそうだ。それでも5本、使いかけも入れると6本撮ってきた。Vervia50.さっそく写真館へ出してきた。
バラ園の中を自力で動き回ったので、腕が疲れた。お昼にいつもの蕎麦屋へ行ったら休みだったので、回転寿司に入った。シャリがかたいな、と思ってみていると、驚いたことにシャリは握って容器の中に入っていて、注文に応じて、さびをつけ、種を乗せて出していた。早いことは早いが、あらま~。もう回転寿司に入るのはやめよう。
フィルムはFuji Vervia50を使った。そのせいか、深みはあるが、トーンが落ちている。
晴れていたので、掛川の花鳥園へ行ってきた。バリアフリーで車椅子も貸しだししているというので。骨折してからはじめての遠出だ。
いつものようにカメラを抱えて。もっともこの写真はPapasanの撮ったもの。私は相変わらずフィルムカメラ。デジカメはPapasanに貸す。明日写真館にポジフィルムは出すので、出来上がってくるのは1週間後。ブログに使うのはデジカメでもいいんだけど、カメラ2台を使うので、デジカメまでは持っていられない。
これは私が撮ったものだ。ミミズクを腕に乗せて、うれしそうなPapasanが写っているものね。
花鳥園はフクロウ類が多く飼育されている。フクロウもミミズクも仲間なのだが、日本では風切羽があるのをミミズク、ないのをフクロウと呼んでいる。
フクロウたちの部屋を過ぎると、次の部屋には真ん中に大きな池があって、睡蓮や水草がいっぱい繁殖していた。そのまわりをインコや熱帯の色鮮やかな小鳥たちが放し飼いにされている。その鳥たちが餌を持っている人の肩や頭や腕にとまる。とまられた人はみんなうれしそう。なんとも柔和な表情をしている。鳥の写真より人間の方に目が行って、そちらばかり写していた。
外では鷹匠のパフォーマンス。ハリスホーク(モモアカノスリ 鳶くらいかなぁ 、写真)、ミミズク、ハクトウワシ(まだ若鳥 写真)が出演。鷹匠はイギリスからきていた。イギリスは鷹匠は伝統なんだ、以前、ストラトフォート・アポン・エイボンで 見たことがある。