Cogito

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山中修さんとさなぎ達

2005-12-29 10:50:29 | 日記・エッセイ・コラム

たまたままわしたテレビで山中修さんの活動を取材した番組を見た。

山中修さんは横浜の寿町のホームレスの人々の支援をしているお医者さんである。いやいや山中先生の活動には頭だ下がる思いだ。

医者の息子として医者になることを志し、アメリカに留学して奥さんと知り合い結婚。帰国して奥さんがいわゆるノイローゼ気味になって、教会の活動に参加したのが寿町のホームレスととの接点だった。それまではホームレスは怠け者ぐらいにしか考えていなかったのが、そうではなく、それぞれがみんな真剣に生きていることがわかった。先生の活動はそこから始まった。

「さなぎ達」というNPOをつくって、衣食住、自立できる環境作りをしている。

さなぎ達のHPはここ。

http://www.sanagitachi.com/wiki/

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2005-12-29 10:48:09 | 日記・エッセイ・コラム

冬型の天候で、ここ半月ばかり晴れが続いている。地面がからから。しかも風が強いのでなお乾燥している。

数日来の風で落葉樹の枯葉はほとんど落ちて木々は冬枯れの状態になった。冬枯れの木立が樹形がよくわかるので好きである。

山に目をやると、まだまだ赤褐色の塊が残っているのが見える。山の方が本来落葉は早いはずなのだが。たぶん、栗の仲間なのだろう。

先日、天声人語でケヤキが落葉せずに、枯れた葉が縮れて、枝に残っている現象を取り上げていた。この現象は数年前から見られているそうだが、今年は顕著で、その原因は葉を落とす付け根が未発達で、葉が枯れても落とすことが出来ないのだとあった。温暖化の影響か?まだ因果関係は分からないそうだ。ケヤキからの警告かもしれない。

これを読んでから、家のまわりの木の葉に注目している。

今年例年になく寒い。にも関わらず植物も例年の暖かさに適応してしまって、この寒さに急には適応できないのかもしれない。窓のすぐ横のイヌビワ(勝手に生えているものだが)も、葉はがちがちになっているがまだついている。葉を落とす機会を失ったみたいに。

ソメイヨシノ、ヤエザクラ、白木蓮、柿・・は葉を落としたが、なんと桜桃だけはまだどちらも緑の葉をつけている。どうしたのだろう。

常緑樹は棕櫚以外は元気はいい。

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悲しい知らせ

2005-12-25 16:17:01 | 日記・エッセイ・コラム

20日の夜、突然悲しい知らせが飛び込んできた。H君が亡くなったというのだ。

えっ~、ウソ!この間会ったばかりだよ。

聞くと急死したとのことだった。死因は肺炎。

絶句のあとは、涙。30そこそこだったよね。まだ若い。早すぎるよ。

21日、通夜に行った。写真を見ると、こみ上げてくるものをこらえることが出来なかった。

中学の時、英語を教えたのだったが、高校、大学の時も、よく遊びに来ていた。優秀な子だった。中学のときお母さんを亡くした。でも明るく活躍していた。

寒いせいもあったが、H君のことを思い出すのが辛くてブログをあけずにいた。

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寒~い!

2005-12-20 11:50:34 | 日記・エッセイ・コラム
連日の晴天。空っ風が吹いて、空気はからからに乾いている。
寒いといっても雪国と比べれば御の字なのだが、窓際においてあるディスクトップに向うのはやはり難儀。贅沢な話である。

寒いときや夜のために、机の上にノートが置いてある。メールは出来るし、HPにもブログにも書き込みが出来て便利だった。ディスクトップの法が画面が大きいから使いやすいのだが、夜、ここに来るのは面倒。で、チビタが活躍してたのである。ところが先日来、ブログにかきこみが出来なくなってしまった。そこでOCNに指導を受けているのだが、どうしてもなおらない。いささかあきらめムードである。

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和菓子

2005-12-16 11:12:44 | インポート

洋菓子は最近は、味見にティールームで食べることはあっても、買うことはない。プロの飾りつけは参考になるのでショーケースをのぞいてはいるけれど。一方和菓子はよく買ってくる。洋菓子は作りなれているし、材料も揃っているから、構えることなく作れるからだ。それに洋菓子はたくさん作っても、貰い手は大勢いる。しかし和菓子は、そうはいかない。

買ってきた黄身しぐれと京観世を食べてみた。

黄身しぐれも作れないわけではない。ただ白エンドウを煮て白餡を作り、別に小豆で黒餡を作らなければならことを考えると面倒になって買ってしまうのだ。和菓子の材料も粉類はそろえてはある。たった1ケぐらいしか食べないのに、餡を作り、仕上げるのは面倒だ。冷凍しておけないことはないが、でもやっぱり冷凍しておいたものは、どうも。
私は黄身しぐれの皮の部分、黄身が入ったところがほろりと口で解けるのが好きなのだ。鶴屋吉信の黄身しぐれは皮のわれたところから赤い餡がのぞいている。黒い餡に白餡を色つけしてかぶせ、皮を巻いてあるのだが、その分黄身餡の皮の部分が薄く出来上がっている。好みの黄身餡がほろりとはならないのだ。う~ん。

京観世も切ってみた。久しぶりではある。「美味しくない、こんな味だったかな」とさかんに首をかしげている。私の口が変わったのかな。そういえば、京観世より前にこの手の棹ものに「雲龍」があったっけ。よく京都でお土産に買ってきたものだ。ここのところ、京観世の方が手直にあるので、もう雲龍の味も忘れてしまっているが、あちらは俵屋吉富の製品だった。雲龍の方が前からあったように思うけど。雲龍も試してみよう。

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