今日も猛暑になる、という。やだね、まだ9時過ぎなのに、開けっ放しの室内でも34℃。こちらもそれを踏まえての対策をしなくては。
字、あっているかな?
オリンピックもさることながら、K2で日本人登山家が滑落した、というニュース。K2とはエヴェレストに続く世界第二位の高峰。誰だっけ、有名な写真家が飛行機から窓を開けたまま、酸素マスクもつけずに、K2の写真を撮っていた、黄金色に輝くK2山塊は圧巻だった。
滑落した登山家の一人が中島健朗さんだとわかって、びっくり、心配している。
毎夏、夏山登山が放映されているが、ヒマラヤのトレッキングルートを紹介してくれた一人が中島健朗さん、そして石井邦彦さん、何回も見ているから二人は身近な存在になっていた。もちろんヒマラヤルートもカンチェンジュンガも。
私はエベレスト、ヒマラヤの白き峰々に会いたいためにチベット、ブターンにはカトマンズから飛行機で往復した。写真も、同じような写真もいっぱいとってある。ポカラの往復にはマナスルの上を飛ぶ。
滑落したというお二人は登山家の中でも特に優秀、きっとご無事で帰ってくると願うのみ
二次災害を懸念して、二人の救援活動は打ち切られた。無念!!
鈍感ばぁさんもやっと気が付いた、救援活動中止ってことは、二人の登山家は落ちた段階で亡くなっていたのだろう。
K2という呼称は、カラコルム山脈測量番号2号を意味する“Karakorum No. 2”の頭文字をとったもの。 カンチェンジュンガは、ネパール東部とインド・シッキム州の国境にあるシッキム・ヒマラヤの中心をなす山群の主峰。
パリ・オリンピックの開会式を見ていたら夜が明けてしまった。
セーヌ川に船を浮かべての入場式、格好いい!
ましてや、セーヌ川からの景色はなじみがあるからなおさら。
真鶴の恩人 胎中さんに出てくる松本昭さんのことである。
真鶴の恩人を読み返してみると、流れが不自然なところが多々ある。付け加えようと思ったが、そこはPCへたくそ、うまく入れらない。なら独立させてしまえばいいと書き始めようとしているところだが、貴船祭のお囃子が響いて、気もそぞろ。真鶴のお囃子、元気もよくて、私は好きである。
さて、胎中さんについて書いてくれ、と言ったのは昭さんである。「ご自分でお書きになったら。私は胎中さんのこと詳しくないし」と断ると「あんたがいい」と、押し切られてしまった。
昭さんの経歴を見ると、「神奈川県生まれ。早稲田大学文学部美術史専攻卒業、同大学院特別研究生。1982年「弘法大師入定説話の研究」で早大文学博士。毎日新聞社入社後、サンデー毎日編集部、学芸部、政治部を経て事業部長。昭和女子大学副学長を務めた」とある。私なんかより「書くこと」はプロなのに。奥さんの美代子さんも書くことは得意。明治大学の仏文科卒で、私とはフランス語を通しての知り合い。原書の講読会もしていたが、そのうちに英語の原書の講読会になり、若い人たちも入ってきた。美代子さんはたぐいまれな読書家で、示唆をうけた。
昭さんの「日本のミイラ」という著書を頂いて、東北地方の即身仏のある寺を訪ね歩いたこともある。即身仏とは自らの意思で食ものを絶ち、水だけでミイラになっていくもの。生きているときあまりいいことをしなかったから、せめて私が即身仏になることで東北地方の疫病や冷害などの不作が解消されますように、と祈り続ける、すごい一念。世界にも例のないミイラではないだろうか。
昭さんの講演を聞いたことがある。とにかく博学で、話術も上手だったんだろうが、2時間はあっと言う間に過ぎてしまった。美代子さんに、学校の授業もこんな感じ、と聞くと、そうみたいよ、私聴講に行きたいけど、でかけいる時間があるかな?残念ながら学生気分の聴講はできなかった。
昭さんの遺稿に、芭蕉の2月堂のお水取りの句があった。この句について話し合ったことがある。今は氷の僧が定説になってこれ以外ないようだけど、芭蕉自身が
お水取り氷の僧の沓の音
お水取り凍れる僧の沓の音
と迷ったそうである。
1200年の歴史の中で初めてテレビカメラがお水取りを生中継した、と言っても外庭にカメラを設置、中のようすを延々と放映しているといったもの。説明も何もない。それをいささかあきながらも。1時間?2時間?見続けていた私の野次馬ぶり。僧侶たちはひたすらぐるぐる歩き回っていた。
すぐ横道にそれる。
胎中さんの中の抜けてる部分を補填したいのだ。それは水の話。ひとまず入れてしまおう。
胎中さんと松本村長が、水質試験所へ水を携えて行ったとき、実はその水は松本村長の山の井戸水だった、というもの。
ニュースで氾濫した川の映像を見るたびに、心痛めている。頑張れ東北!
ずうっと以前、雨の中を最上川沿いに、酒田からさかのぼったことがある。
こんな2句を口ずさみながら。最上川はゆったりと流れていた。
五月雨を集めて早し最上川 芭蕉
五月雨や大河を前に家二軒 蕪村
酒田は何度行っただろうか。酒田の町も好きだったか、土門拳の記念館ができててからはさらに行くことが多くなった。