Cogito

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大磯まで

2008-12-29 21:31:36 | 日記・エッセイ・コラム

年に一度、暮にかまぼこを買い大磯までいく。私にとって今日が出収め。海はとってもないできれい。富士山も顔を出しているが、空は霞がたっているようではっきりしない。大磯港でおり、井上でかまぼこを買い、そのまま1国を走って気がついた。滄浪閣はどうなったのだろう。大磯町が取得できたんだろうか。

家に帰ってネットで滄浪閣を調べた。所有者である西武が大手ゼネコンを仲に大磯町との交渉していたが、最終的には価格が折り合わず、町は24億もの予算を提示したが、西武の価格とは大幅な開きがあり、これ以上は財政破綻になりかねないと町長は残念ながら断念したとあった。大磯町としてなんとしてもほしかったろう。西武だって、町には世話になっているのだから、何とかならなかったものか、町はさぞかし残念だったろう。

調べてみると滄浪閣という名の建物は、はじめ小田原に建てられ、十字町にあったのだそうだ。そこは海嘯で半ば破壊され、関東大震災で全滅してしまった。小田原のその滄浪閣で、民法の原案がつくられたのだ。そのあと、伊藤博文が小田原に行く途中立ち寄った大磯が気に入り、大磯に建て、滄浪閣と名づけた。伊藤博文の別荘と言われているが本当は本宅。

滄浪閣を購入したのは個人だそうだ。町はその個人に対して、建物などの保存を求めていくとあった。

ついでに吉田茂邸がどうなったか調べてみた。県に購入を求めたまでは知っているがその後はしらない。これは県が買って、城山公園といっしょに県立公園にする予定のようだ。これはよかったね。

城山公園もしばらく歩いていないな。足が治ったら、歩いてみようか。

そういえば昨日の有馬記念、武君が出ていた。レースの名は忘れてしまったが、ちょうど武君が落馬するのを見ていた。その次も落馬でどこか骨折したと聞いていた。だからメイショウサムソンにだれが乗り換わるんだろうと野次馬で見ていたらご本人が騎乗していた。へ~、直ったんだ。スポーツ選手って、鍛え方が違うんだろうけど、そんなに早く回復するもんなんだ。びっくり。

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予定通り

2008-12-27 13:47:05 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、こっこオバサンのコッコッと呼ぶ声が聞こえた。あれ、孵ったかな??かすかにだが、ピヨピヨという声も聞こえる。

卵やさんの卵を抱かせたのが12月2日、予定だと今日が孵化する日。昨日からもしかしたらト話していたのだが、予定通りだ。Papasanが見に行く。孵ったようだ。卵はふたつ、いつもの卵とアローカナの卵を抱かせた。孵らなくてもいいと言いながら。

ゆっくりと母ちゃんをどかせてみると、小さな白に茶色のぶちのあるヒヨコがいた。

やっぱりヒヨコはかわいいね。

今日は娘の誕生日。カードを送りながら、このことを知らせた。このヒヨコの誕生日は忘れないね。

のびのびになっていたのを思い出して、ラッキーを年に一度の予防注射に連れて行った。計量してもらうと、5.75kg。6キロ近いんだ。固太りでそうは見えないが、重いわけだ。

外を掃きながら空を見上げると白い物体が見えた。飛行機かな、とよくよく見ると、鷺が舞っていたのだった。小鷺かな?光を受けてきらきら光る、きれいだ。これだから白い鳥は標的にされてしまったのだろう。

またまた白い物体。今度は飛行機だ。尾翼が赤いからJALかな。我が家の上を横切っていく。こんな航空路あったかな?

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やっと

2008-12-26 16:38:20 | 日記・エッセイ・コラム

数日、パテシエールに変身して大奮闘した。ケーキを10ケ以上作った。やっと終わったので、持ち越していた仕事を片付けた。まずはパーティの時届けてくださったタオル類や靴下、醤油などの調味料などをダンボールに詰めて、大阪のNPO「おおぞら」に送った。この暮は、政治不在といってしまえばそれまでだが、いつにもましてホームレスの人たちには冷たい風がふいているだろう。しかもホームレスも増えているだろう。こうなると自殺者も犯罪も増える。ましてや厳しい年の瀬だ。

海外への支援はお金のほうが役に立つ。同じお金なら、質は違っても、日本で買って送るよりずっとたくさんのものが買える。国内だってお金を出せば買えるのだから、お金のほうがいいには違いないが、さりとて不要なものを捨ててしまうのはもったいない。買うものなら、無駄にしないで使ってもらったほうがいい、と国内には品物を送っている。

ついでにいとこに手作りのマスコット人形を送った。ざっと20以上あった。作り出すとおもしろがって。まだまだアイディアは残っているのだが。

パーティのとき、お知らせに使ったふくろうのココちゃんの写真の人気が高く、もう少し大きくプリントしてほしいと頼まれた。二つ返事でいろいろ焼いたが、まだポポちゃんや他のフクロウの写真もあるから、他のも焼いてあげようとポジを探したのだが、どこへしまってしまったのか見つからず、はがきに使ったのだけ焼いて送った。今頃になって、ポジのありかを思い出した。机の下の引き出しに入れておいたのだった。まだ使うからと、でもそれがかえって仇になってしまった。

風は冷たい。

夜、宅急便。この時期宅急便は気の毒なくらい忙しそうだ。沖永良部から花が届いた。でも明日開封しよう。

途中まで読んで放っておいた「チェーザレ」6巻、読み終えた。いつものことながら末尾のルネッサンス世界の教養学を楽しんでいる。字が細かいので苦労しているが。

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特定疾患

2008-12-25 16:11:03 | 日記・エッセイ・コラム

大分前になるが、茅ヶ崎のNさんから年末年始のご挨拶を遠慮するはがきが届いた。みるとお連れ合いがなくなった旨が書いてあり、「最愛の夫(ひと)みまかりし10月の朝に」というのがあった。その「最愛の夫」という言葉にとても胸が痛んだ。Nさんのお連れ合いは間接的にしか存じ上げないが、おしどり夫婦で、いつもNさんを支えていた人だとは知っていた。Nさんは元茅ヶ崎市議で、彼女が選挙に出るときからの仲間である。彼女は茅ヶ崎の市民派議員の草分け的存在で、茅ヶ崎の市民派議員はうらやましいことに、次の世代へとスムーズに受け継がれている。夏に久万高原町の町長選にチャレンジしたKさんはその仲間だった。Nさんが退職したのは私とあまり変らなかったと思うが、退職しても活動はずっと続けている。でも退職後は会うことも少なくなっていたので、お連れ合いの病気はまったく知らないでいた。毎年、年賀状に山登りの話が書いてあった。Nさんは登山が好きである。夫婦そろって山登りを楽しんでいたと思う。今年の年賀状に、夫が山登りが出来なくなったと書いてあったと思うが、それでも彼女は登っていたから、お連れ合いは足腰を痛めて登れない位にしか思わなかった。

「最愛の夫みまかりし・・」に胸を痛めて、はがきを出した。時は過ぎて今日、Nさんから彼女が主催している「息吹292号」を受け取った。夫の病気のことが書いてあるからと一筆箋にしたためてあった。「息吹」に書いてあるタイトルは「福祉タクシー券と特定疾患について」、これはお連れ合い自身が体験し、しかも調べて残した文章を読んでの、彼女の問題提起なのだ。かいつまんで紹介する。

彼女のお連れ合いは「再生不良性貧血」という難病(特定疾患)だった。病気が分かったのは2007年10月。おかしいと言って病院へ行くと即入院となった。健康な人の血小板は1立方mm中15万~40万個あるが、お連れ合いは万より千の単位の時の方が多く、最後は1000しかなかった。10万をきると難病になる。難病、特定疾患に認定されると、医療費が安くなる。週に一回の輸血をしなければならないが、その治療費が3万円。そこで医師に特定疾患医療受給者証をもらうために申請書を書いてもらった。

2008年5月、具合が悪くなり救急医療センターに連れて行くと、血液の中に敗血症の菌が見つかり、「どういう最後を迎えたいかご家族で話し合っておいてほしい」と宣告された。こんな状態ではもう自分で運転できないので、娘に頼んでいたが、そうばかりはできない。すると「タクシー券がもらえるのではないか」と夫が言った。そこで夫自身が高齢福祉課に聞くと「障害者でなければだめだ」と言われたが、障害福祉課に問い合わせるともらえるようだから、もらってきてほしい」と言われ行くと、すぐにタクシー券を出してくれた。

福祉タクシー制度の対象者は

1:下肢・体幹・視覚・内部障害の個別等級が1・2級の方

2:知能指数35以下の方または保育手帳A1・A2の方

3:特定疾患医療受給者証を所持している方

タクシー券は初乗り料金(基本料金)分が助成される。

お連れ合いははじめは自分でタクシーを頼んで通院していたが、あるときタクシーの運転手が初乗り料金と運賃の1割を引いてくれた。そこで特定疾患の患者も障害者並に運賃の1割引も受けられるのではないかといい、Nさんが障害福祉課に聞きに行った。二人の職員に聞いたが答えは「ノー」だった。「特定疾患は該当しない」と言うのだった。普通ならここで「そうか」と納得してしまうところだが、Nさんは調べ始めた。ここから自治体の職員とのやり取りや、県保健所の職員とのやり取りが事細かく書いてあるのだが、その部分は割愛する。また心を込めた介護の様子も割愛する。

神奈川県の「特定疾患医療受給者の更新手続きをされた方へ」のしおりには、問合せ先は県保健福祉部健康増進課となっていたので問い合わせると「すべてのタクシーではありませんが、距離運賃の1割引きが適用されます」という答えだった。要するに窓口となる自治体の職員の多くが、知らないで済ませてしまっているということだ。せっかくある制度を役に立たせるようしなければいけない。

もちろん市の担当にも知らせた。タクシー会社もタクシーの運転手にもこのことを徹底させると言う回答をもらった。Nさんのお連れ合いは亡くなってしまったが、後に続く特定疾患の人のために役立てたいと言うのがNさんの思いだ。

特定疾患はかなりの数があるが、そのうち45が公的支援を受けられるということだ。

さて、ウチの町はどうだろう?職員は特定疾患を理解しているだろうか?こういう制度を知っているだろうか?また近辺のタクシー会社はどうだろう??

                                                      ◇参考:

難病センター

http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/search_50_i.htm

神奈川県

http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kenkou/tokkan/index.html

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バングラデシュ

2008-12-23 22:51:30 | 日記・エッセイ・コラム

恒例のパーティの日だ。今回はバングラデシュで活動されているJOCSの医師、宮川先生をお招きしてお話を伺った。先生はスライドを用意されてきて、バングラデシュの概況からはじまって、個人の収入、都市と田舎の格差、病気、少数民族、その問題等について説明してくれた。先生のいる病院はチッタゴン丘陵のチャンドラゴーナにある。感染症が多い。マラリヤも猛威を振るっている。

宮川先生は宇和島の出身。同じ宇和島に岩村昇医師がいた。子どものころから岩村先生の話を聞いて育ち、いつか自分も医師になって、医療の場から置いてけぼりにされている貧しい人々の役に立ちたいと思っていたそうだ。そして派遣されたのがバングラデシュ。家族そろって現地に赴いて奥さんともども活動されている。日本にかえり、来年9月からまた現地に戻って働く。志のある人らしく温厚な素敵な人柄。先生を訪ねてバングラデシュに行こうという計画も持ち上がった。私はチッタゴン丘陵にある日本の坊さんが作った学生寮(下のブログに載っている)をぜひ訪ねてみたい。

思い起こせば、JOCSとのお付き合いは、岩村昇さんの書いた「ネパールの青い空」から始まる。本の後に古切手を集めて換金しているJOCSの取り組みが紹介されていた。我が家は郵便物が多い、切手は捨てられている、なら使用済みの切手を集めて送ろう、とはじめたのがそもそもであった。言ってみれば、岩村先生の心根が通じたことになる。その後もクリスチャンではないが、お付き合いはある。和美さんに連れられて初めてネパールへ行ったとき、JOCSの木村先生の病院を訪ねたことがあった。今年はあれからちょうど10年、宮川先生を招いたことも何かのご縁のような気がする。

宮川先生を支援する会

http://chandranet.npgo.jp/

http://blog.livedoor.jp/hqc00330/

スライドの中にチッタゴン港の写真があった。チッタゴンはバングラデシュ第二の都市。山田真さんの写真が何を撮っているか私はわかる。廃船の解体作業、それによってもたらされる怪我はもちろんだが環境汚染。その廃船の7割が日本製だというのをテレビでみたことがある。そこで山田真さんを検索してみた。奈良にお住まいの写真家のようだ。同じ写真があった。とりあえずここに保存しておこう。

http://www.sof.or.jp/jp/news/101-150/110_3.php

蛇足:

JOCSに集まった使用済み切手はボランティアによって仕分けされ、ダンボール(1箱10kg)に詰め、切手市場で換金される。1箱1万2千円。この売上金が医療ワーカーを海外へ送る資金の一部になる。最近は切手を使う人が少なくなって、使用済み切手の収集が減って資金集めが難しくなっているそうだ。

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