Cogito

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おおぞら通信

2007-12-30 23:51:32 | 日記・エッセイ・コラム

おおぞら通信には支援米の話が載っている。茅野市の社会福祉会のボランティアセンタ-のよびかけで、農家の協力を得て、今年も2.3トンのお米が大阪に届いた。このお米は大阪の野宿生活者を支援している9団体に配分され、お米のまま、雑炊やどんぶり、おにぎりなどの形でそれぞれに配られている。

支援米の提供を受けた釜ケ崎炊き出しの会からの手紙が載っていた。それを抜粋して紹介すると、

「炊き出しは毎日午前11時と午後5時の2回行われている。1975年12月10日から休むことなく続けられている。初めのころは資金がなく、水分いっぱいの麦雑炊だった。窮状を見た池田正枝さん(故人)が朝日新聞の声欄に投稿してくれ、読者からカンパが届くようになり、やっと急場をしのげるようになった。当時、炊き出しを利用していた人たちは50人から100人ぐらいだった。しかし、現在は300人から400人。」

社会のありかたと、野宿生活者が連動していることを如実に物語っている。飽食日本で考えられないような、飢餓に近い状態の人々がこんなにいることにまず驚かされるのではないだろうか。それにしてもいつもながら、活動には頭が下がる思いでいっぱいになる。

食料や調味料、石鹸・・・あまっていたら送ってあげてください。

NPOおおぞら

〒532-0002

大阪市淀川区東三国3-10-3-509

Mail:cubge707@occn.zaq.ne.jp

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ヤマト

2007-12-27 21:24:08 | 動物記
ヤマトなんて言ったら、思い出すのは戦艦大和?それともクロネコヤマト?ここのヤマトはクロネコヤマトのヤマトの方。と言っても宅急便に関係あるんじゃないけれど。

家のクロネコ・ラッキーはもともと小学生たちが拾ってきた猫。小学生たちがつけた名前は「ヤマト」もちろんクロネコだったからである。でも家で引き取ったので、ヤマトをラッキーに代えた。とはいえ、今回のヤマトはネコのことではない。

以前、冷蔵庫に入っていた卵を抱かせたら、雛が孵った話を書いた。その孵ったひよこが大きくなって、母ちゃんの倍以上にもなってしまった。雄鶏だったので、えさをやるときも、生意気につつくのだ。そこで卵やさんに雄鶏こっこを廃鶏に出してもらえないか聞いてみた。近く廃鶏に出すのがいるからOKといわれた。そこで捕まえて籠に入れておいて、持っていってもらった。 この籠はラッキーが入ってきた籠だった。

クリスマスの焼き鳥になっちゃったかなぁ、と言っていたものだ。

今日、卵屋さんが今年最後の配達に来てくれた。いつも前の教室においていってくれるのだが、出かけに入り口でたまたま出会った。卵屋さんの言うには、あの雄鶏こっこは廃鶏に出さずに、若い鶏たちの中に入れておいくれて、しかも入っていた籠に「ヤマト」と書いてあったので、雄鶏はヤマトと名づけて呼んでいるそうだ。

「それはありがたいこと!もう焼き鳥になっちゃったかと思っていましたよ。なんてラッキーなこっこ。」

「ヤマト」はネコにも鶏にも、ラッキーネームだったねぇ。

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バスク

2007-12-25 00:12:41 | 日記・エッセイ・コラム

夏と冬、恒例のパーティもたのしく終わった。今回は音大の先生が生演奏をしてくれた。ネパールの青年がレッサンフリリを歌ってくれた。出席者は19人。

今年の夏の会から、以前制作したスライド作品を上映している。新しいプロジェクターを買ったので、その練習もかねている。今回は1987年に熱帯雨林をテーマに制作した「限りあるもの」、20年前の作品だ。私も久しぶりに見たのだが、内容は古くはない。先回の「豊かさの裏側」もそうだったが、「限りあるもの」にも感激している。写真に残って私たちもすこぶる若い。スライド作品作りには生活学校のスタッフだけでなく、大勢の人が協力してくれたので、名前が出てきて、あ~と思い出している。それもたのしい。

お料理は出席者それぞれが持ち寄ってくれるので、私の役割、たいていはローストビーフ、と付けあわせ(むしろ、これに時間がかかる)を用意すればいいのだが、ケーキ・ファンが大勢いて、美味しいと喜んでくれるので、そのために作っている。プロがお客さんが美味しいと喜んでもらえるのがうれしくて、といっているが、その点は作り手はみな同じ。ケーキは9種類作った。シフォンも焼いたから10種類は作ったのだが、シフォンはウサギ用にやってしまった。今回は肩が痛いので、力を入れるものははずしたのだが、バターケーキの仲間のバスクはやはり腕が痛んだ。

そのバスクの生地に今回はマスコバド糖を使おうと、予定表に書いておいたのだが、予定表を見ることもなく、いつものように上白糖でつくってしまって、後になって「しまった」と残念がっている。風味が違うから試してみたかったのだ。

バスクはスペインはバスク地方の菓子として知られている。バスクと言えば、あの町、ゲルニカのあるところである。私のレシピは平塚のバッハマンで教わったレシピをアレンジしたものである。バスクという名のケーキは、ボルドーやバイヨンヌで食べたことはあるが、アーモンド生地は使ってあったが、私のとはまったくというくらい違ったものだった。ケーキとしては私のレシピの方が美味しいと気に入っている。

いつもこのとき、ゴーダチーズを買う。大体ひとつ12キロ程度のものを買うのだが、うっかりしていて値段が5割も上がっているのを忘れてしまっていた。値上がりは原油価格の跳ねかえりが影響していることもあって、品薄なのだという。今回は買ったが、しばらくゴーダを買うのはやめにしようと決めた。国産であるものは、多少味が違ってもそれでよしにしようと口では言っているのだが・・・???

生クリームが余ったので、まだまだケーキ作りはつづいている。それも定番でないケーキを。ケーキ作りは、ほんとに好きなんだなぁ、とわれながら感心している。

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2007-12-18 00:21:43

2007-12-18 00:21:43 | 日記・エッセイ・コラム

今週はなにかと忙しい。月曜日、眼科に行って来た。右目の眼圧をさげる目薬をさしているのだが、これが効いているかどうかの検査のためにである。10時少し前に行って、呼ばれたのが11時40分、眼圧を測って、診察の呼ばれた。薬が効いているらしく眼圧は下がってきているという。よかった。診察はものの10分とかからない。隣に座っていた人が風邪らしく咳こんでいた。気にしていたのだが、帰ると寒気がしてきた。こんな時期に困ったな。

待っている間「お墓の誕生」 岩田重則著 岩波新書を読んでいた。ひろ さちやさんの本を何冊も読んでいるから、日本各地の民俗的な死者祭祀はいささかは知っている。

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Where have all the flowers gone?

2007-12-16 15:46:08 | 日記・エッセイ・コラム

Papasanは小田原少年少女のクリスマスコンサートへ出かけた。寒くなったので、コタツに入り、駅伝でも見ようかとチャンネルを回していると、Where have the all flowers gone?の曲に手が止まった。古い歌だけど、ずいぶん歌ったものだ。この歌はベトナム戦争時代の反戦歌として、世界中に広まったという。歌ってはいたが、それほど反戦歌としては意識しなかった。反戦歌としてはむしろボブ・ディランの「風に吹かれて」の方が心に残っている。番組の中で「こんばんは」と言っているから、この番組は再放送なんだろう。

この歌の背景を聞いていると、作られて12年、キングストントリオが歌って、世界に風靡したのだそうだ。ちょうどベトナム戦争が激化して、お茶の間にも戦場の生々しい映像や兵士たちの悲惨な写真が持ち込まれ、戦争を肌で感じ始めたアメリカ国民の反戦活動の高まりと、時を同じくしている。当時はフォーク、メッセージソングが多く歌われていた。ここら辺の事情はよく知っていることだ。

Where have all the flowers gone?の作詞作曲はフォーク・シンガーのPeter・ Seeger(ピート・シーガー)。彼はショーロホフの「静かなるドン」を読んで、その中にあるコサックの子守唄にヒントをえて、この曲を作ったのだ。ピート・シーガーって「We shall overcome.」を作った人だったんだ。へ~、知らなかった。この曲こそ、もっと歌った。

ショーロホフの「静かなるドン」は学生時代、読んだことがある。家にあったが、枕にでもなりそうなくらい分厚い本だった。でも結構引き込まれて読んだ覚えがある。しかしその中に子守唄があったかどうか、覚えてはいない。子守唄には「あしの葉はどこへ?娘たちが刈った、娘たちは?コサックに嫁いだ、コサックは?兵士になって戦争に行ってしまった・・」というものらしい。その葦を花に替えたのだそうだ。

もっともピート・シーガーが作ったのは3番までで、4,5番は他の人が付け加え現在の曲になった。はじめにかえって何回も繰り返さして歌えるようになっているとか。

When will you ever learn?

when will they ever learn?

いつになったら悟るんだろうね、いつになったら・・そう、いつになったら人類はわかるんだろう。いや、わかることがあるんだろうかね。

Where have all the flowers gone?
Long time passing.
Where have all the flowers gone?
Long time ago.
Where have all the flowers gone?
The girls have picked them ev'ry one.
Oh, when will you ever learn?
Oh, when will you ever learn?

Where have all the young girls gone?
Long time passing.
Where have all the young girls gone?
Long time ago.
Where have all the young girls gone?
They've taken husbands, every one.
Oh, when will you ever learn?
Oh, when will you ever learn?

Where have all the young men gone?
Long time passing.
Where have all the young men gone?
Long time ago.
Where have all the young men gone?
They're all in uniform.
Oh, when will you ever learn?
Oh, when will you ever learn?

Where have all the soldiers gone?
Long time passing.
Where have all the soldiers gone?
Long time ago.
Where have all the soldiers gone?
They've gone to graveyards, every one.
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone?
Long time passing.
Where have all the graveyards gone?
Long time ago.
Where have all the graveyards gone?
They're covered with flowers, every one.
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the flowers gone?
Long time passing.
Where have all the flowers gone?
Long time ago.
Where have all the flowers gone?
Young girls picked them, every one.
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

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