Cogito

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緑内障

2013-09-27 15:45:13 | 日記・エッセイ・コラム

視野検査に行った。検査表を見ると、右目はほぼ黒くなっている。ということは視野がぐっと狭くなっているということだ。視野が狭いというのは、見えなくなっているということでもある。緑内障は視神経がだめになっていく、よって視野が狭まり、いつかは視力を失う目の病気である。

                                                

利き目の右目が緑内障だと診断されて、6年余りになる。原因は加齢。進行を抑えるために点眼しているが、それ以外に右目をかばうことはしていない。やはりファインダーは右目でのぞく。緑内障と診断された当時の視野検査では、右目の左下が少し黒ずんでいるくらいだった。しかし進行を抑えると言っても、止めるわけではないだろうから、自然に視神経が死滅しているのだろう。ダメになった視神経はもうもとにかえらないので、いずれは失明の憂き目にあう。とはいえ、年だから、失明するか、その前に寿命が尽きるか、どっちが先かなんて冗談を言っていた。

                                                  

最近の情報で、この視神経を復元出来るかもしれないと言ったニュースを読んだ。とはいえ、私の目には間に合わないだろうが。

                                                     

自覚症状はある。ふだん、右目はかすみがかかっているようでうっとうしい。右目を抑えて左目だけで見た方が、ものははっきり見える。両眼で見ると、左目単眼よりぼやけている。右目がお荷物になって足を引っ張っているのだ。

                                                   

眼圧を測ってもらうと16だという。なら正常値内だ。薬が効いているのだろう。にもかかわらずこれだけ視野が侵されているとならば、寿命より失明の方が早いかもしれない。

                                                

まだ右目が使えるうちにいっぱい写真を撮っておこう。左目だっていいんだけど、長い習慣で、どうしても右目を使ってしまうから。

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多死社会

2013-09-26 22:19:07 | 日記・エッセイ・コラム

高齢化社会は必然的に多死社会でもある。

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秘密保護法

2013-09-23 09:48:37 | 日記・エッセイ・コラム

ほ~ら、おいでなすった。まずは国民の知る権利をなくそうと言うことですね。

知らなければ、批判も出来まいと言うのだろう。そして次は、言論の抑圧?

そして、秘密裏にしたものは歴史にもさらさず闇に葬り去ろうという。戦前より悪いんじゃない?。

おひとよしの国民、経済が少しぐらいよくなったって、その恩恵にあずかっている人たちはごくわずかなんだけどね、のせられて、のほほんとしてちゃだめだよ。怖い未来が待っているよ。

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2013-09-20 16:28:35 | 

P1020932

                                                                                                                                    

Nちゃんが栗を拾って持ってきてくれた。これでモンブランを作ってという意味である。計ると1.7kgあった。我が家には2本の栗の木がある。1本は品種は分からない、もう1本は丹沢早生。お勧めは品種のわからない方だ。大きな美味しい実をつける。今年はカラムシが丈高く生い茂り、草刈りを頼んではあるが、未だそのままなので、栗を拾うのは大変だったと思う。栗には申し訳ないが、もう何年も栗を拾ったことはない。いつもN ちゃんが1、2度拾ってくれるだけだ。

                                                      

栗のペーストを作ることにしたが、いっぺんに全部では作業が飽きるだろうと、半分茹で始め、そうだ残りを写真に撮っておこうと、撮ったのが上の写真である。

この写真の栗は、熱海の花咲じいさんと言われていた、故内田勇次さんが、秋田の農業試験所で、天津甘栗と秋田の大果の栗と交配させて作りだした新しい品種だった。名前もついていたのだが忘れてしまった。

熱海のローカル紙で、新しい品種の栗の紹介と、内田さんが、この栗の苗木を100本、ほしい人に差し上げるというのを読んだ。両親が内田家の仲人をしたこともあったので、母に頼んでもらい、分けてもらった1本が、この栗である。ここの土地にあったのか、栗は大きくなった。私が真鶴に来てまもなくだから、もうかれこれ40年余になるだろうか。手入れも何にもしない。台風で大枝が折れたこともある。

                                              

そして実をつけた時、「初めて実がなりました、美味しい栗です」という報告とお礼をはがきに書いて勇次さんに送った。すると母のところに電話があり、100本分けたけど、実がなったという 報告はお宅1軒だった、と、とても喜んで、出来たら1個でいいから、成った実がほしいという連絡があった。それから勇次さんがなくなるまで、毎年栗の実を届けていた。

                                                

昔の子どもたちは、栗を拾ったり、木に登ったりして遊んでいたのだが、それがだんだんになくなり、いつしか栗は大人が拾う程度のものとなってしまった。大人だって、さほど必要ではなくなった。

                                                    

茹でた栗をスプーンで中味をえぐり、ペーストを作ろうと思っていたのだが、鬼皮と薄皮が簡単にむけたので、丸ごと鍋に入れ、柔らかく煮た。中味をえぐっただけの方が、黄色いきれいなペーストになる、が丸ごとだとベージュがかったり、できれいな色にはならない。これに牛乳を入れ、ミキサーでペーストにした。そのペーストを万能濾し機でこし、さらにメッシュの細かい網を通した。相変わらず仕事は丁寧だ。それにバター・砂糖・生クリームを入れ練り上げた。ブランデーも入れた。これだけの作業で半日をつぶした。う~ん、飽きたな、未だ半分残っている。

                                                                                                                                    

翌日、また同じ作業をした。栗は1時間茹で、荒熱がとれるまで放っておいてから皮をむき始めた。スプーンでえぐるより効率的だ。これをミキサーでペーストにしようとしたら、ミキサーが動かない。どうもモーターとの連結部分の羽が折れて、動力を伝達できないみたいだ。やれやれ。仕方がないので、ブレンダーを出して、すこしずつ、粉砕した。カッターでもよかったかも。ミキサーはそんなに使う道具ではないが、大量にものを粉砕するときは、やはりあった方が便利、仕方がない、買ってこよう。ともかくも作業終了、長時間立ちっぱなしなので、腰が痛くなった。ひとやすみしよう。

                                                          

さ~て、マロンクリームは出来た。どう完成させよう。スポンジ、生クリームは定番だが、マロンクリームの味は個性がない。ちょっときつい味がほしい。サワーチェリーを思い浮かべたが、小田原まで行かないと売っていない。何があうかな、手元にあるもので、と考えている。

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MOA美術館

2013-09-14 14:38:46 | アート・文化

歯医者の予約は9時半だったので、抜歯されなかったら、MOA美術館で茶道具展をやっているから見て来ようと、出かけた。幸い抜歯されなかったので、MOAに行った。いつものように三階からエレベーターで二階におり、チケットを買った。

まずは人間国宝三人展を見た。紬織の佐々木苑子、蒔絵の室瀬和美、竹工芸の藤沢昇の三氏の作品展だ。どれも、さすが見事な作品。感じ入っている。もちろん基本的な工程はどれも知っている。

ロビーで佐々木苑子さんの仕事工程が放映されていた。33分、じっくりと見させてもらった。糸の染めは草木染め、緑は初めに糸をクチナシで染め、その上に藍をかける。藍をどのくらいかけるかは、長年の経験だという。デザインした柄の型紙をつくり、着尺にあわせて、配分を確かめ、作業に入る。もちろん絵柄のくくりも時間がかかる。いやはや、手がかかっている。手仕事とは本当に細やかな手がかかるものだ。さらに、その熟練の上に彼女の表現が生まれている。

彼女はクリスチャンなのかな、仕事に入る前には精神を集中させるため、教会に行くと言っていた。アトリエには、たぶん自分で描いたものだろうが、イエスの素敵なスケッチが飾ってあった。そう、作品にはその人の人生が込められているものだ。

                                                 

茶道具展は、収蔵品を掛け軸、棗(茶入れ)、仕服、茶碗などが、だれそれが所有していたもの、などセットで飾られていた。それとは別に、茶碗や棗、水差しなどなどの茶道具も、わかりやすい説明つきで展示されていた。収蔵品なので、おなじみのものばかり、でもおなじみになるのは大事なことだ。だんだん見えてくるものがある。

                                                        

じっくり見ていたので、くたびれてしまった。1階はさっさと見て、レストランに行った。少し休みたかったからもある。MOAの農産物はかなり信頼しているが、なににしよう、カレー類があったが、好みに合わないと厭なので、カツサンドと紅茶を頼んだ。papasanはカツカレー。カツサンド、カツの肉がおいしい。衣をはいで、肉だけを食べてみた。この肉、美味しい!ジューシーで甘みもある。「papasan、カツ、美味しいよ」と言いながら、papasanのカレーをひと匙もらって食べてみた。やはり好みではない。カツサンドでよかった。食事をしながら、今日の展示の印象は、人間国宝の3人の作品が圧巻だったねぇ、出会いだねぇ、と一つ一つ思い出しながら、話し合った。

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