Nちゃんが栗を拾って持ってきてくれた。これでモンブランを作ってという意味である。計ると1.7kgあった。我が家には2本の栗の木がある。1本は品種は分からない、もう1本は丹沢早生。お勧めは品種のわからない方だ。大きな美味しい実をつける。今年はカラムシが丈高く生い茂り、草刈りを頼んではあるが、未だそのままなので、栗を拾うのは大変だったと思う。栗には申し訳ないが、もう何年も栗を拾ったことはない。いつもN ちゃんが1、2度拾ってくれるだけだ。
栗のペーストを作ることにしたが、いっぺんに全部では作業が飽きるだろうと、半分茹で始め、そうだ残りを写真に撮っておこうと、撮ったのが上の写真である。
この写真の栗は、熱海の花咲じいさんと言われていた、故内田勇次さんが、秋田の農業試験所で、天津甘栗と秋田の大果の栗と交配させて作りだした新しい品種だった。名前もついていたのだが忘れてしまった。
熱海のローカル紙で、新しい品種の栗の紹介と、内田さんが、この栗の苗木を100本、ほしい人に差し上げるというのを読んだ。両親が内田家の仲人をしたこともあったので、母に頼んでもらい、分けてもらった1本が、この栗である。ここの土地にあったのか、栗は大きくなった。私が真鶴に来てまもなくだから、もうかれこれ40年余になるだろうか。手入れも何にもしない。台風で大枝が折れたこともある。
そして実をつけた時、「初めて実がなりました、美味しい栗です」という報告とお礼をはがきに書いて勇次さんに送った。すると母のところに電話があり、100本分けたけど、実がなったという 報告はお宅1軒だった、と、とても喜んで、出来たら1個でいいから、成った実がほしいという連絡があった。それから勇次さんがなくなるまで、毎年栗の実を届けていた。
昔の子どもたちは、栗を拾ったり、木に登ったりして遊んでいたのだが、それがだんだんになくなり、いつしか栗は大人が拾う程度のものとなってしまった。大人だって、さほど必要ではなくなった。
茹でた栗をスプーンで中味をえぐり、ペーストを作ろうと思っていたのだが、鬼皮と薄皮が簡単にむけたので、丸ごと鍋に入れ、柔らかく煮た。中味をえぐっただけの方が、黄色いきれいなペーストになる、が丸ごとだとベージュがかったり、できれいな色にはならない。これに牛乳を入れ、ミキサーでペーストにした。そのペーストを万能濾し機でこし、さらにメッシュの細かい網を通した。相変わらず仕事は丁寧だ。それにバター・砂糖・生クリームを入れ練り上げた。ブランデーも入れた。これだけの作業で半日をつぶした。う~ん、飽きたな、未だ半分残っている。
翌日、また同じ作業をした。栗は1時間茹で、荒熱がとれるまで放っておいてから皮をむき始めた。スプーンでえぐるより効率的だ。これをミキサーでペーストにしようとしたら、ミキサーが動かない。どうもモーターとの連結部分の羽が折れて、動力を伝達できないみたいだ。やれやれ。仕方がないので、ブレンダーを出して、すこしずつ、粉砕した。カッターでもよかったかも。ミキサーはそんなに使う道具ではないが、大量にものを粉砕するときは、やはりあった方が便利、仕方がない、買ってこよう。ともかくも作業終了、長時間立ちっぱなしなので、腰が痛くなった。ひとやすみしよう。
さ~て、マロンクリームは出来た。どう完成させよう。スポンジ、生クリームは定番だが、マロンクリームの味は個性がない。ちょっときつい味がほしい。サワーチェリーを思い浮かべたが、小田原まで行かないと売っていない。何があうかな、手元にあるもので、と考えている。