「クモが好きだと言う人はおそらく少数派だろう。林の中に入って、クモの網が顔にかかって不快におもったり、クモの形を見て毛嫌いするという人は多いかもしれない。あるいは毒があるから怖いと思っている人もいるだろう。だからといって、クモは嫌なやつだ、退治してしまえなどと決めつめるのはよくない。生き物はすべて生態系の一員としてその役割を持っている。クモも当然その一員であり、その存在を尊重しなければならない。(中略)
クモは肉食動物である。食物連鎖の上からはかなり高次の消費者に位置づけられる。猛獣が獲物を襲うがごとく、ハエトリグモはジャンプをして獲物を襲う。クモは水田10アール当たりウンカ、ヨコバイを1日に10万~2万匹も捕食する。(中略)
近年の環境の変化はクモの生活にも影響を及ぼしている。クモを観察することは私たちのまわりの環境をしることにもつながる。」
まさにごもっとも、ごもっともである。クモに限らずひとつのことを見つめていけば、それは自然科学にとどまらない、経済でもいい。人間生活の延長線上には地球そのものが見えてくるはず。
さて今日の日記。ジョロウグモ
網のジョロウグモ
玄関の引き戸のすぐ脇にジョロウグモがいる。私の胸より少し低い位置にいる。だから覗き込めば、日ごろ見ることもが出来ないところも見ることが出来る。しかもうれしいことにジョロウグモは大きい。今朝、見ると、おや、何かベージュっぽいものを抱えている。
ジョロウグモは1年の命だ。大きくてきれいなのはメス。木などに卵を産み付けると死んでしまう。越冬は出来ない。以前、寒くなったとき、二階の日当たりのよいところにジョロウグモをおいてやったことがある。かなり生きていたが、死んでしまった。そのときはエサがなかったからかと思っていたが、そうではなかったのだった。卵を産むためには栄養をつけなければならないから、まだ頑張っているのだろう。温暖化も幸いしているようだ。
ミツバチを食べるジョロウグモ
よくよく見ると、ハチを捕まえたのだった。ミツバチのようだ。昨日の暖かさに出てきて捕まってしまったらしい。羽も見える。
盛んに触肢を動かしている。ハチもそれにつれてゆれている。どうやって食べるんだろう。ちょうどクモの背中がこちらに向いているので、触肢を動かしていることは分かるが口の動きは見えない。
午後2時半、人が来たので、玄関に出て行き、話をし、気がついたので、クモを見た。なんせ玄関のすぐ脇だから、来た人は気がつかなければクモに触れてしまうかもしれないくらい接近している。来客に驚いたのだろうか、クモは網の中心から少しずれたところにいる。食べかけのハチが糸にかかっている。しかし、ハチの頭がない。足は糸についている。黄色いシマの胴体がぽつんと網にかかっている。のぞくと中はないみたいだ。食事が済んだのか、食べかけで逃げたのか定かではない・・
マクロを使って何枚も写真を撮った。記録だからデジカメでいいのだが、デジカメだとフラッシュがまともに当たって、クモが白くなってしまう。やっぱり自分のカメラの方がいい。
「こんなデジカメ役に立たないよ、レンズが交換できるデジカメに買い換えてよ」と頼んで、「うん、いいよ」とは答えているのだが、papasanは必要なものではないから後回しにされている。私が買えばいいのだが、これまた、そんなことのためにデジカメを買うのは気が進まない。
ジョロウグモといえば我が家には「クモの恩返し」という話がある。
ジョロウグモが我が家の入り口の通路に糸をかけた。ちょうど顔の高さである。夜のことだ。そのうちに和美さんが勉強が終わってくるだろう。そのとき、顔に糸が絡むだろうといたずら心を起こしてまっていた。
和美さんが来た。 すまして入ってくる!私は後ろをすかすように見たが、糸はない。変だな?その私の態度を和美さんはいぶかしげに眺めている。
「クモの巣かからなかった?」
「いいえ、ありませんでしたよ」
「へんだな、いまそこに横に糸が張ってあったんだよ。和美さんが引っかかるんじゃないかと心待ちにしてたのに」
「残念でしたね。クモはいつも大事にしているから、mamasanの悪巧みを見抜いて恩返しをしてくれたんですよ」
「なるほど、クモの恩返しね」.