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クモ日記

2004-11-23 15:00:32 | クモ日記
昨日、本屋で野外観察ハンドブック「校庭のクモ・ダニ・アブラムシ」とおいう本を買ってきた。校庭がメインなら、家屋の傍と受け取れるから、我が家の傍にいるクモが分かるだろうと、単純に考えてのことだ。内容は単なる図鑑よりはかなりおもしろい。生態や習性も紹介されているからだ。出だしの「クモと人間」がいい。

「クモが好きだと言う人はおそらく少数派だろう。林の中に入って、クモの網が顔にかかって不快におもったり、クモの形を見て毛嫌いするという人は多いかもしれない。あるいは毒があるから怖いと思っている人もいるだろう。だからといって、クモは嫌なやつだ、退治してしまえなどと決めつめるのはよくない。生き物はすべて生態系の一員としてその役割を持っている。クモも当然その一員であり、その存在を尊重しなければならない。(中略)
クモは肉食動物である。食物連鎖の上からはかなり高次の消費者に位置づけられる。猛獣が獲物を襲うがごとく、ハエトリグモはジャンプをして獲物を襲う。クモは水田10アール当たりウンカ、ヨコバイを1日に10万~2万匹も捕食する。(中略)
 近年の環境の変化はクモの生活にも影響を及ぼしている。クモを観察することは私たちのまわりの環境をしることにもつながる。」

まさにごもっとも、ごもっともである。クモに限らずひとつのことを見つめていけば、それは自然科学にとどまらない、経済でもいい。人間生活の延長線上には地球そのものが見えてくるはず。

さて今日の日記。ジョロウグモ

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網のジョロウグモ




玄関の引き戸のすぐ脇にジョロウグモがいる。私の胸より少し低い位置にいる。だから覗き込めば、日ごろ見ることもが出来ないところも見ることが出来る。しかもうれしいことにジョロウグモは大きい。今朝、見ると、おや、何かベージュっぽいものを抱えている。

ジョロウグモは1年の命だ。大きくてきれいなのはメス。木などに卵を産み付けると死んでしまう。越冬は出来ない。以前、寒くなったとき、二階の日当たりのよいところにジョロウグモをおいてやったことがある。かなり生きていたが、死んでしまった。そのときはエサがなかったからかと思っていたが、そうではなかったのだった。卵を産むためには栄養をつけなければならないから、まだ頑張っているのだろう。温暖化も幸いしているようだ。

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ミツバチを食べるジョロウグモ

よくよく見ると、ハチを捕まえたのだった。ミツバチのようだ。昨日の暖かさに出てきて捕まってしまったらしい。羽も見える。
盛んに触肢を動かしている。ハチもそれにつれてゆれている。どうやって食べるんだろう。ちょうどクモの背中がこちらに向いているので、触肢を動かしていることは分かるが口の動きは見えない。

午後2時半、人が来たので、玄関に出て行き、話をし、気がついたので、クモを見た。なんせ玄関のすぐ脇だから、来た人は気がつかなければクモに触れてしまうかもしれないくらい接近している。来客に驚いたのだろうか、クモは網の中心から少しずれたところにいる。食べかけのハチが糸にかかっている。しかし、ハチの頭がない。足は糸についている。黄色いシマの胴体がぽつんと網にかかっている。のぞくと中はないみたいだ。食事が済んだのか、食べかけで逃げたのか定かではない・・

マクロを使って何枚も写真を撮った。記録だからデジカメでいいのだが、デジカメだとフラッシュがまともに当たって、クモが白くなってしまう。やっぱり自分のカメラの方がいい。
「こんなデジカメ役に立たないよ、レンズが交換できるデジカメに買い換えてよ」と頼んで、「うん、いいよ」とは答えているのだが、papasanは必要なものではないから後回しにされている。私が買えばいいのだが、これまた、そんなことのためにデジカメを買うのは気が進まない。

ジョロウグモといえば我が家には「クモの恩返し」という話がある。
ジョロウグモが我が家の入り口の通路に糸をかけた。ちょうど顔の高さである。夜のことだ。そのうちに和美さんが勉強が終わってくるだろう。そのとき、顔に糸が絡むだろうといたずら心を起こしてまっていた。

和美さんが来た。 すまして入ってくる!私は後ろをすかすように見たが、糸はない。変だな?その私の態度を和美さんはいぶかしげに眺めている。
「クモの巣かからなかった?」
「いいえ、ありませんでしたよ」
「へんだな、いまそこに横に糸が張ってあったんだよ。和美さんが引っかかるんじゃないかと心待ちにしてたのに」
「残念でしたね。クモはいつも大事にしているから、mamasanの悪巧みを見抜いて恩返しをしてくれたんですよ」
「なるほど、クモの恩返しね」.



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ETC、お前もか

2004-11-18 21:28:58 | 日記・エッセイ・コラム
有料道路の料金支払いにETCを使っている。もうかなり経つ。先払いの5万円のカードが廃止されるというので、ETCに代えたのだった。

切り替えはかんたんだと思っていた。しかしけっこう面倒だった。ETC専用の機械を車につける。とりつけには車検も必要だった。機械は簡単についたが、といっても1時間ぐらい待たされた。あげくカードは銀行に申し込まなければならない。すぐには使えないのだ。セゾンカードが代行してくれて、扱っている銀行に申し込んでくれた。このカードが来るのに2週間以上かかったろうか。車に機械を一台ずつつけなければならないから、乗用車だけにつけてある。近場に使う軽自動車にはつけてない。

いつもガソリン代は夫持ちだが、有料道路のカードは私が買っている。そこで今回も一式私が買った。だからカードの名義人も私である。ETCの機械にカードを差し込めば、「ETCが利用可能です」と音声が案内してくれる。料金を払うと、「いくらです」とこれまた音声が言ってくれる。そのままでおいても、料金はカードから引き落とされるのだが、割引を利用するためには、前もって先払いしておく必要がある。これはインターネットで5万円×4まで買うことが出来る。初めは操作がよく分からなかったので、もたもたして、2回おして10万円分買ってしまった。やれやれ。IDを打ち込めば、残金がいくらあるかわかるので、時折調べて、1万円台になったら、新しく次を購入することにしている。すべて私の作業。夫は一切しらない。

ETCにしてから、料金所は便利になった。並ばなくていい。専用通路を通るのはほんとにラクである。こんなことならもっとはやく備え付ければよかったと思ったほどだ。ただ、まだETCの使えないところもある。たとえば、真鶴道路は使えない。もっともあまり通らないが。しかし使えないときのために、1万円のカードも買ってある。

ウチの車をETCにしたころはまだここらへんはETC車は少なかった。でも、あれから大分増えてきた。
単純に「便利だものなぁ。営業車はつけないきゃ損だよ」なんて思っていた。

先日、偶然ニュースステイションを見た。ETCのからくりを取り上げていた。えっ、えっ、え~???
利権に群がる連中がこの利益にたかっているのだという。天下り先にもなっている。
事細かに説明していたので、書きとめておいたのだが、その書き留めた紙をどこかえしまってしまった。とにかく、道路公団の黒い影がうごめいているのだ。なんたる悪いやつら!

こんなことじゃぁ、みんなETCに代えやしないよ。

ETCの普及率は現在20%ほど。そこで一大キャンペインをしているとか、テレビでやっていた。機械をつけて、調節費、これが曲者で天下り先に入るのだが、こういったものを混みで5000円ほどでつけることができると言うのだ。私がつけたときはなんかひっくるめて2万円ぐらいかかったと思う。シャクだなぁ。

新聞記事から:
日本道路公団からファミリー企業への「天下り社長」は、この2年間に60人から17人に減ったものの、社長以外の「天下り代表取締役」が17人から51人と3倍に増えていることが、25日わかった。

 政府や国土交通省による「天下り社長総退陣」の方針を受け、表向き退任した社長が、新設した代表権のある副社長ポストに居座るなどしているためで、同省内からは「公団との癒着が問題になったのに、やり方が姑息(こそく)ではないか」といった声が上がっている。

 道路公団からファミリー企業への「天下り社長」については、昨年3月、道路公団民営化改革の一環として、扇千景国交相(当時)が「次の株主総会までに退陣を求める」との方針を表明し、政府・与党協議会でも了承された。公団が多額の借金を抱える一方、ファミリー企業には計1000億円以上の剰余金が内部留保されるなど、両者の不透明な経営関係が強い批判を浴びたことが背景にあった。

 日本道路公団がまとめた資料によると、こうした政府の方針を受ける形で、2002年6月末現在、同公団の子会社・関連会社計88社にいた60人の「天下り社長」は、2003年6月末には43人、今年6月末には17人に減った。

 しかし、その一方で、ファミリー企業の一部は、代表権のある副社長や相談役のポストを新設。2002年に17人だった社長以外の「天下り代表取締役」は、翌年は29人、今年は51人と増えていた。

 例えば、高速料金収受会社「中日本道路サービス」(名古屋市)では、代表取締役社長だった公団の元東京第一建設局次長が今年6月の株主総会で退任したが、それと同時に、新設の代表取締役副社長に就任。民間企業から招いた新社長は東京在住のため、会社に顔を出すのは1週間に1日ほどだという。交通管理を行う「ウエストパトロール」(大阪市)でも、今年6月に代表取締役社長を退任した元公団大阪管理局長が、新設の代表取締役相談役に就いた。同社によると、相談役は新社長より多くの報酬を受け取っているという。

 また、保全点検会社「東関東」(東京都)の場合、代表取締役社長だった公団の元東京第二管理局長が今年6月、代表取締役副社長に就任するとともに、社長ポストを廃止した。

 一方、保全点検会社「クエストエンジニア」(金沢市)などでは、「天下り社長」は社外に去ったが、別の公団OBが新設の代表取締役に就任していた。

 こうした「天下り社長」らの“偽装退任”とも言える人事に伴うポストの新設によって、ファミリー企業全体の代表取締役の数は、2年間で105人から124人に増えていた。

 国交省日本道路公団監理室は「今後も改革が必要」としているが、日本道路公団広報・サービス室は「各社の経営上の判断であり、公団は関与する立場にない」とコメントしている。

 ◆代表取締役=株式会社を対外的に代表する権限を持つ取締役。取締役会の決定事項を実行する義務があり、取締役会で選出、解任が行われる。商法では、取締役は3人以上必要としているが、代表取締役の人数の規定はない。




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私と日本酒2

2004-11-18 20:46:04 | 日本酒

相変わらずの道楽。おなじみ、日本酒のことである。

今日も日本橋の高島屋へいったので、いつのように地下の酒売り場へ。
「今日はどこ?」
この言葉がすっかり挨拶になってしまった。
「今日は鳥取のお酒です」
といつものようににこやかなNさん。

「どんなお酒がお好きですか?」
と蔵元のお兄さん。
「辛口の純米吟醸」
「では」、と言ってついでくれた。
「美味しいね」
「これは」
「あぁ、これも美味しい」
試飲するお酒がどれも美味しいのはうれしいことだ。
先月来たときは埼玉の蔵だった。試飲したが、どれも気に入らず「ごめんね」と言って帰った。買おうと予定に入れてはいたのだが。
トレイの上に飲んだ順にポリカップをのせた、5種類試飲した。そのあと、にごり酒も試した。一番目と三番目と・・、私はこういう買い方をする。
「お酒の味、わかりますね」
「いえいえ、まだトウシローですよ。」
Nさんをさして「このおねえさんに教わっているんですよ。このおねえさんはお酒のこと詳しいですからね」

この蔵は鳥取県は倉吉市、大山の近くだと言う。
そこへ若い女性のお客さんが来た。酒には詳しいらしくいろいろ聞いている。
試供品に強力と言う酒がある。お兄さんの説明によると、「強力」というのは酒米の種類で、いったん途絶えてしまったのを復活してつくった酒米だと言う。
「亀の尾みたいなお米ね」
「そうですね。この値段で提供できるのは、農業高校の生徒たちがつくったお米だからです。」
説明を聞いて、「私にも頂戴!」とついでもらった。
「うん、美味しい。これも買ってこう!」

冷蔵庫に入っているのは静岡・由比の純米大吟醸「正雪」。秋田・飯田川の「天功」と「神月(しんげつ)」、「津月(つづき)」。これに鳥取・倉吉の「八潮・純米大吟醸」とにごり酒が加わった。たいていにごり酒は1本入っている。この間までは祝米の「月の桂」が入っていた。日本酒のシャンパンといわれているものである。

神月は天功と同じ太平山の純米大吟醸だ。白神山地の水をつかっているのだそうだ。これも美味しい。限定品なので、いそいで追加注文した。まだ届かないが、愛媛の蔵元の「お父さんの密造酒」も注文してある。これは純米大吟醸のどぶろくである。去年、高島屋で買って気に入ったのだ。

由比の「正雪」は蔵まで出かけた。蒲原町に近い海岸にある。東名からも「正雪」と書いた背の高い煙突が見える。もともとは林業を営んでいたが、林業の行く末を見て、先祖が蔵元に転業したのだそうだ。だから歴史も100年余りと若いと言っていた。蔵のある海岸の水は塩辛くて使えないので、酒造りのために山から水を引いている。
「「斗瓶取」が美味しかったんですよ」というと
「ありがとうございます。あのお酒は高くてねぇ」と主は言った。
純米大吟醸と純米吟醸と大吟醸と生酒と買ってきた。私が気に入ったのは、純米大吟醸の「正雪」。追加は酒屋さんに頼んで買った。

由比にはもうひとつ「英君」という蔵もある。英君の純米大吟醸も金賞を受賞したものだという。香はいいが、私の好みには合わない。ここの蔵は水のために山を一山かったそうだ。静岡は「国香」「花の舞」「臥竜梅」なども飲んでみた。
山形の「出羽桜」も。出羽燦々というのも酒米の名前だそうだ。酒米にも、ほんといろんな種類がある。麹もいろいろあるなぁ。香が違うのは当然だ。

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金の卵

2004-11-02 01:27:46 | 日記・エッセイ・コラム
金の卵と呼ばれて都会へ集団就職に来た中卒の人たちがいた。日本が高度成長に向かい始め、都市での働き手が足りなくなってしまったので、その補給に東北を初め地方から、集団で都会へ送り込まれた働き手のことだ。金の卵とはその人たちが金の恩恵にあうのではなく、低賃金で働かせた雇い主にとってのことであった。

津軽から特別仕立ての列車に乗ってやってきた第一陣は590人だった。夢を抱いて上野駅に着き、各職場に引き取られていった。働き先は零細の工場が多かった。彼らの給料は当時の高校卒の給料の10分の1、仕事はきつく、労働時間は守られなかった。条件にあった学校へ行くことなんか、まったくの夢物語であった。夢破れてふるさとへ逃げ帰った者、転職を繰り返す者、さまざまだった。そんな辛さにも耐え、彼らが歯を食いしばって頑張ったのは、ふるさとに残してきた家族を助けたいと思う一念だったと言う。金の卵とは、彼らが金の卵ではなく、彼らを酷使する側にとっての金の卵であったのだ。送り出された金の卵の一人は、「集団就職列車とは、言いかえれば奴隷列車に他ならなかった」という。私たちより10歳ぐらい下の年齢だ。

1948年から米は豊作になり、1955年には空前の豊作となり、農村にとっては輝きの時代であった。
所得倍増計画が始まる。工業優先の政策が人手を集めるために、農村を切り捨て始めた。農業基本法がそれである。
都市部の子どもたちは高学歴を得るために学校へ行ってしまい、働き手が少なくなった。それを補うために集められたのが、この「金の卵」の地方の中卒者たちだった。
辛い生活を強いられながらも、個人個人はそれなりに生活の場を都会に築き上げ、ふるさとに戻ることはなかった。農村の疲弊はここから始まる。

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