台所の窓の外にあるハゼの葉が色づいている。紅葉だ。しかし今年のハゼは実をまったくつけていない。孟宗竹に押されて、フェンスの上だけの一枝がかろうじて自由な空間を維持しているのだが、それも押され気味だ。その影響なのかも。ハゼの実がつかないことは私には残念極まりないことなのだ。というのは野鳥がこの実を食べにか来ないからだ。はるばるシベリアから帰ってきたツグミやシロハラ、彼らに会えるのはこの実のおかげなのだが。」
ノーベル文学賞にボブ・ディランが受賞したと報じていた。ボブ・ディランが?と一瞬意外に思ったが、文学は詩も含まれる。彼の詩は多くの人たちに影響を与えている。意外なことはない。
今まで「死んだ男・・」を口ずさんでいたのが、今度は「Blowin in the wind」を口ずさみだした。懐かしい曲だ。もっとも、覚えたのはディランのうたではなくP.P.M.の歌でだ。
今まで「死んだ男・・」を口ずさんでいたのが、今度は「Blowin in the wind」を口ずさみだした。懐かしい曲だ。もっとも、覚えたのはディランのうたではなくP.P.M.の歌でだ。
水曜日、町民センターに行ったついでに、3階の講義室の非常灯がちかちかしている旨を伝え、ついでに屋上のエレベーター塔だと思い込んでいたあの塔はなんだったのか聞いてみた。誰もわからなかった。おやまぁ、じゃぁ~、だれに聞けばわかるんだろう。野次馬オバサン、わからないと気になる性分。そこでずっと公民館の担当だったIさんに、今は本庁に移ってしまっているが、に電話で聞いてみた、やはり知っていた。屋上の塔は空調整備の機械室だった。説明によると、上に水槽があり、その水を冬場は温めて暖房に、夏場は冷やして冷房に使っているのだそうだ。構造がわからないのでいまいち腑に落ちない感じは残っているが、まぁ納得というところか。ふ~ん、そうなんだ。
14日、3階を見ると非常灯はまだちかちかやっている。部屋を使っている人たちは気にならないのかな。目線にないからかも。野次馬おばさんはとってもとても気になる。
14日、3階を見ると非常灯はまだちかちかやっている。部屋を使っている人たちは気にならないのかな。目線にないからかも。野次馬おばさんはとってもとても気になる。
このところ武満徹が取り上げられている番組を見る。なにかあるのかな。
ずいぶん昔になるが、テレビだかラジオだかから流れる、オーケストラと尺八と琴を聞いた。なかなかいい、と急いででその曲の名を調べた。曲の名は「November Steps」作曲者は武満徹。それが武満徹の作品を聞いた初めだったと思う。以来、積極的には聞いてははいないが、作品が演奏される度に気にかけて聞いていた。
ギタリストの荘村清志さんがゲストで出ていた。私も若いころクラッシクギターを習っていたので、荘村さんのことはよく知ってる。荘村さんは武満にギター曲の作曲を依頼したのが始まりで、親しくしていたそうだ。荘村さんのアンコール用にとアレンジしてくれたのがビートルズナンバー。と、いってヘイ・ジュード」を弾いた。その時はピント来なかった。その後、なんども武満編曲の、このビートルズナンバーを聞く機会を得た。何度も聞くうちに、いいなと思うようになった。題名のない演奏会でも武満が取り上げられていた。二人ののギタリストによりビートルズナンバーはじめ映画音楽などが演奏されていた。その一人鈴木大介さんのビートルズナンバーの演奏、彼のCDを買ってみよう。ビートルズナンバーは4曲アレンジしいるそうだ。
その番組で最後にカウンターと紹介された男性が谷川俊太郎の詩に武満が作曲した「死んだ男の残したものは」を歌った。カウンターってカウントテナーのことかな、ソプラニスタトは違うのかな?歌はとてもよかった。この曲は知らない。そこでYoutubeで探すと大勢の人が歌っている。かなり有名な曲だったんだ。よし、この曲を覚えよう。歌詞はすぐ覚えられたが、節は単純そうだが結構難しい。日ごろ歌うことがないので音が外れるし、ぶれてしまう。「Papasan、一緒に覚えようよ」と誘った。Papasanの方が訓練してるから、音のぶれは少ないだろう。でも私が歌っているのを聞いて、「mamasan、全然外れているよ」なんて批評はしてくれるが、一緒には歌わない。毎日音を外しながら、悪戦苦闘している。
調べるとベトナム戦争さなか反戦集会のために谷川俊太郎が書いた詩で、バリトンの友竹正則さんがうったったそうだ。そんな古いものだったんだ。
死んだ男の残したものは
ひとりの 妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない
ずいぶん昔になるが、テレビだかラジオだかから流れる、オーケストラと尺八と琴を聞いた。なかなかいい、と急いででその曲の名を調べた。曲の名は「November Steps」作曲者は武満徹。それが武満徹の作品を聞いた初めだったと思う。以来、積極的には聞いてははいないが、作品が演奏される度に気にかけて聞いていた。
ギタリストの荘村清志さんがゲストで出ていた。私も若いころクラッシクギターを習っていたので、荘村さんのことはよく知ってる。荘村さんは武満にギター曲の作曲を依頼したのが始まりで、親しくしていたそうだ。荘村さんのアンコール用にとアレンジしてくれたのがビートルズナンバー。と、いってヘイ・ジュード」を弾いた。その時はピント来なかった。その後、なんども武満編曲の、このビートルズナンバーを聞く機会を得た。何度も聞くうちに、いいなと思うようになった。題名のない演奏会でも武満が取り上げられていた。二人ののギタリストによりビートルズナンバーはじめ映画音楽などが演奏されていた。その一人鈴木大介さんのビートルズナンバーの演奏、彼のCDを買ってみよう。ビートルズナンバーは4曲アレンジしいるそうだ。
その番組で最後にカウンターと紹介された男性が谷川俊太郎の詩に武満が作曲した「死んだ男の残したものは」を歌った。カウンターってカウントテナーのことかな、ソプラニスタトは違うのかな?歌はとてもよかった。この曲は知らない。そこでYoutubeで探すと大勢の人が歌っている。かなり有名な曲だったんだ。よし、この曲を覚えよう。歌詞はすぐ覚えられたが、節は単純そうだが結構難しい。日ごろ歌うことがないので音が外れるし、ぶれてしまう。「Papasan、一緒に覚えようよ」と誘った。Papasanの方が訓練してるから、音のぶれは少ないだろう。でも私が歌っているのを聞いて、「mamasan、全然外れているよ」なんて批評はしてくれるが、一緒には歌わない。毎日音を外しながら、悪戦苦闘している。
調べるとベトナム戦争さなか反戦集会のために谷川俊太郎が書いた詩で、バリトンの友竹正則さんがうったったそうだ。そんな古いものだったんだ。
死んだ男の残したものは
ひとりの 妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない
当麻から、じゃがいも、玉ねぎ、かぼちゃ、トマトジュースが届いた。カボチャの品種は「味平」。さっそくカボチャを切って煮てみた。カボチャはいつもと変わりなく美味しい。台風の被害を心配していたのだが、価格は高くはなったが(お断りにもそれは書いてある)大丈夫そうだ。
テレビをつけると、美瑛の農家で肉じゃがを作っている様子が映し出された。「とうや」という言葉に反応して途中からだが見ていると、圧力がまで煮ていた。出来上がりは私にはあんまり美味しそうには見えなかったけど、肉じゃがには「とうや」が適していると作り手のおばさんが言ってた。続いてフレンチレストランで人気のあるジャガイモのグラタンとポテトサラダだと言っていたので回さずに見ていた。これは料理番組なのだろうか、シェフはグラタンにホワイトソースを使わずに牛乳でとろみを出すのだと言って、鍋に「とうや」と「メイクイーン」を切って入れ、火にかけ、たっぷりの牛乳を注ぎ炒め煮をした。「とうや」も「メイクイーン」も粘り気があるので、小麦粉はいらないのだという。煮詰まって柔らかくなったジャガイモを容器に取り、たっぷりのチーズをかけ、オーブンでグラタンにしていた。もうひとつ、「北あかり」と「春のめざめ」を同様にグラタンにして食べ比べをしていた。食感が違うそうだ。同じジャガイモでも取れたての今と、保存しておいた芋では味も食感も違うと。それはわかる。私は「とうや」を保存して使っているからよくわかっている。ポテトサラダは「インカの目覚め」を使っていた。甘みが強いからだからだという。「インカの目覚め」は私はあんまりお気に入りではない。
さっそくやってみよう。ジャガイモと牛乳とスライス玉ねぎでグラタンは作っているから、味は想像できる。「とうや」をスライスして、バターで炒め、ミルクをたっぷり加え、炒め煮した。味付けは塩のみ。とろみがついた。それを耐熱皿に入れ、たっぷりのおろしゴーダをふりかけ焼いた。
ついでにカボチャも全く同じ作り方でグラタンにした。ジャガイモはいつも鮭のグラタンには入れているし、カボチャも薄切りにしてニンジン、ブロッコリーなどの野菜と一緒にグラタンに入れている。
塩味だけなのがカボチャの甘みを引き出して、デザートになる美味しさだった。ホワイトソースを作らない分だけ、手間いらず、これは簡単。しかも味はいい。
お米も今月から新米だ。小田原の農家に契約栽培してもらってる「キヌヒカリ」収穫の秋、秋はいいなぁ。
ふと今年トンボの姿をあまり見かけなかったのを思い出した。特にアカトンボに。天候不順だから、山から下りてこなかったのかな。
蝉も、もちろん鳴いてはいたが、うるさいほどとではなかったように思える。
今にぎやかなのは山から下りてきたヒヨドリたち。タカは渥美半島に集結して移動を始めたかな??
まだ冬鳥たちにはお目にかかっていない。
テレビをつけると、美瑛の農家で肉じゃがを作っている様子が映し出された。「とうや」という言葉に反応して途中からだが見ていると、圧力がまで煮ていた。出来上がりは私にはあんまり美味しそうには見えなかったけど、肉じゃがには「とうや」が適していると作り手のおばさんが言ってた。続いてフレンチレストランで人気のあるジャガイモのグラタンとポテトサラダだと言っていたので回さずに見ていた。これは料理番組なのだろうか、シェフはグラタンにホワイトソースを使わずに牛乳でとろみを出すのだと言って、鍋に「とうや」と「メイクイーン」を切って入れ、火にかけ、たっぷりの牛乳を注ぎ炒め煮をした。「とうや」も「メイクイーン」も粘り気があるので、小麦粉はいらないのだという。煮詰まって柔らかくなったジャガイモを容器に取り、たっぷりのチーズをかけ、オーブンでグラタンにしていた。もうひとつ、「北あかり」と「春のめざめ」を同様にグラタンにして食べ比べをしていた。食感が違うそうだ。同じジャガイモでも取れたての今と、保存しておいた芋では味も食感も違うと。それはわかる。私は「とうや」を保存して使っているからよくわかっている。ポテトサラダは「インカの目覚め」を使っていた。甘みが強いからだからだという。「インカの目覚め」は私はあんまりお気に入りではない。
さっそくやってみよう。ジャガイモと牛乳とスライス玉ねぎでグラタンは作っているから、味は想像できる。「とうや」をスライスして、バターで炒め、ミルクをたっぷり加え、炒め煮した。味付けは塩のみ。とろみがついた。それを耐熱皿に入れ、たっぷりのおろしゴーダをふりかけ焼いた。
ついでにカボチャも全く同じ作り方でグラタンにした。ジャガイモはいつも鮭のグラタンには入れているし、カボチャも薄切りにしてニンジン、ブロッコリーなどの野菜と一緒にグラタンに入れている。
塩味だけなのがカボチャの甘みを引き出して、デザートになる美味しさだった。ホワイトソースを作らない分だけ、手間いらず、これは簡単。しかも味はいい。
お米も今月から新米だ。小田原の農家に契約栽培してもらってる「キヌヒカリ」収穫の秋、秋はいいなぁ。
ふと今年トンボの姿をあまり見かけなかったのを思い出した。特にアカトンボに。天候不順だから、山から下りてこなかったのかな。
蝉も、もちろん鳴いてはいたが、うるさいほどとではなかったように思える。
今にぎやかなのは山から下りてきたヒヨドリたち。タカは渥美半島に集結して移動を始めたかな??
まだ冬鳥たちにはお目にかかっていない。