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Cogito

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

無洗米

2006-11-30 11:44:31 | 

天功の蔵元、小玉酒造から今年もお中元を頂いた。味噌と醤油とあきたこまちの無洗米だった。天功を注文するたびに大潟村で生産した米の宣伝が入っていたが、米は、ずっと小田原の農家が生産した「きぬひかり」を使っているので、そのままにしていた。無洗米のあきたこまちはお味見にということなのだろう。

無洗米が売り出されたときから、知ってはいたが、わざわざ無洗米にしてくれなくても自分で研ぐことができると無視していた。お米を研ぐのが面倒だと思っている人たち向けのものだと思っていたことは確かである。だから手にはもちろん、見もしなかった。

で、頂いた無洗米を炊いてみた。ウチは陶器の釜を使っている。米袋に書いてあるように、釜に分量の米を入れ、やや少な目の水を入れ、50分浸しておく。いつものように炊いた。ちょっと固めだったが、ご飯は美味しかった。翌日は通常の分量の水で炊いてみた。美味しい。米が美味しいのかも。

やっと無洗米に関心がわいたので調べてみた。全国無洗米協会というのがあって、解説が出ていた。

興味のある方はここをどうぞ

http://www.musenmai.com/musenmai.html

無洗米の作り方は糠で削るというのは知っていたが、他にも方法があるようだ。もうひとつ無洗米はリサイクルに役立っているということだった。これはもう一度考え直してもいいことだろう。

無洗米の能書きを読むとメリットばかりだ。ならどうしてもっと普及しないのだろうか。そこでデメリットを考えてみた。

たぶん、設備投資にお金がかかるのではないだろうか。それがお米の単価にかかってくる、お米は主食だから、研ぐ手間の方を選ぶのだろう。環境汚染と言っても、確かに負荷はかかるが、それでも化学物質ではない。

それと健康志向で玄米や胚芽米や、七分つき米を好む人も増えているから、あえて無洗米を使う必要はないのかも。

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イプセン

2006-11-28 15:55:05 | 日記・エッセイ・コラム

今年はモーツァルト生誕250年とにぎやかだったが、ノルウェイの劇作家「人形の家」などで知られるイプセンも没後100年でもあった。ノルウェイはもちろん、世界の多くの国でも記念行事がおこなわれた。

5月に国際イプセン会議がバングラデシュで開催された。というとなんでバングラデシュでと思うが、実はバングラデシュで開かれるイプセン会議はこれで3回目、1回目は1997年に開催されている。初回に、成城大学で演劇学を教えている毛利三彌さんが基調報告を頼まれて参加した。そのとき、毛利さんはアジアにイプセン研究家が自分以外にいないだろうと思っていたので、会議に出ていたバングラデシュの数十人のイプセン研究者にあってびっくりしたそうだ。

会議以前にもっと彼をびっくりさせたのは、首都ダッカのありさまだった。人があふれ、喧騒と混沌の中にある、アジアの最貧国のさまであったという。毛利さん自身も言っているが、欧米ばかりに眼を向けていて、アジアについては余りにも無知だった、と。毛利さんだけではない、多くの日本人がそうだろう。

私は20年余り前からNGOのシャプラニールと付き合いがあるし、シャプラニールの活動紹介で現地の様子は知っている。又我が家に現地スタッフを招いたこともある。その貧富の差は大きかった。戦前の小作制度が生きていて、土地を持たない農民は貧しかった。和美さんもJOCSの仕事でバングラデシュに出かけている。だから草の根の様子はかなり知っている。歴史的には、後でまとめておこう。

最近では、安い労働力をあてに外資が入ってきている。これはこれで又問題で、逆に土地なし農民が都会に出て安い労働力になっている。むしろ少しばかり土地のある自作農民の方が、土地に縛られ、苦しい生活をせざるを得なくなっていると聞いた。以前から貧富の差は大きかったが、 現在はグローバリゼイションという形を変えた格差に代わっている。もっと大きな問題となっているわけだ。

さて、話を毛利さんのイプセンに戻そう。イプセンを、現在の日本はどう解釈するだろうか。彼が書いた当時はあの劇は「社会問題」であった。「人形の家」は女性の自立、女性の権利、「ゆうれい」は性道徳、「民衆の敵」は環境汚染をテーマにしていると言ってもいいだろう。これらの問題提起は今の日本で社会反響を呼び起こすようなことはない。こんなに環境汚染が問題になっている現在でも。むしろイプセンは過去の遺物のように受けとられかねない。

ところがアジアでは、イプセン劇の上演が大議論を引き起こす国がまだまだある。イランでは「民衆の敵」を上演したかどで演出家が死刑になっているし、イプセンの出版も上演も禁止になっている。パキスタンでも・・と言った現実に毛利さんははたまた仰天している。毛利さんの国際理解はまだまだ欠けている。経済発展だけが、あたかも先進性のように考えられているが、経済発展目覚しい国々でも、まだまだ言論の自由が制限されている国々がある。

私たちがアジアの問題に関わり始めた頃、アジアの国々で「日本がうらやましいのは、日本の豊かさとか経済発展ではない。言論の自由があることだ」と言った言葉が聞かれた。私たちは先ず心しているのは、個人の旅行者であればかまわないが、何かの縁で行ったときは不用意に政治批判をしないようにしている。一歩間違えば知人の生命に関わるからである。

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入江泰吉

2006-11-26 09:30:37 | 日記・エッセイ・コラム

「美の巨人」は、写真家・入江泰吉で、一枚の絵(写真)は「斑鳩の里落陽」だった。
斑鳩上空にうろこ雲がかかり、法隆寺の塔の横にまさに落ちんとする夕日を受けて、空が赤く染まっていく、グラデーションが美しい作品だ。

奈良の入江泰吉記念館にこの写真はある。HPにも色はまったく美しく出ていないが、紹介されているので、構図を見たい方は下を。↓
http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/ncmp_j/j04wa/jwaco_irie.html

入江泰吉は奈良の生まれ。子どもの頃から図工が得意だった。17歳の時、兄からコダック・カメラを貰い、写真にのめりこんで行った。大阪で写真屋に勤め、カメラ技術を学び、店を持った。しかし1945年(昭和20年)の大阪大空襲で家も写真もすべて灰にしてしまった。

そこで故郷に帰ると、奈良は空襲を受けずに残っていた。当時「進駐軍が仏像をアメリカに持って行ってしまう」という噂が流れ、持って行かれる前に仏像の写真だけでも撮っておこうと撮り始めた。それがデマだとわかったときには、もう仏像にも奈良にもすっかりのめりこんでいた。

以来、大和路を、仏像を撮り続けた。古代人の気配を感じるような写真を撮りたかったのだという。そのためには自分のイメージにあう写真を撮るために、待ちに待ってシャッターを切った。白州正子さんが、ある写真に「5,6年、通いましたか」と聞くと、こともなげに「37,8年でしょうか」と答えたという。

「斑鳩の里落陽」は、その背景に聖徳太子の息子・山背大兄皇子の悲劇がある。聖徳太子亡き後、643年、山背大兄皇子は蘇我入鹿によって襲撃され、皇子は自害、聖徳太子一族はここに滅亡した、その歴史を写したのだという。なるほど、燃えるような赤、血の色、滅びの色。その後、法隆寺は全焼している。梅原猛の著書に法隆寺の門のつくりが怨霊を抑えるためだと書いてあった。

奈良の入江泰吉記念館は行ったことがある。そこで、この「斑鳩の里落陽」は見た。決定的瞬間、落日のきれいな写真だ、と思ってみていた。そういう背景は知らなかった。

それ以上に、展示されていた仏像の写真に魅せられた。写真に撮られた仏像が、実際の仏像以上に迫力があって、印象深かった。目のない不動明王の目が、ライトで光って、眼光するどく、恐ろしいほど生々しかった。「すごい」それ以外言葉が見つからなかった。

写真はカメラが写すのだが、写真には写す人の人生観が関わっている。

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岩戸窯

2006-11-24 10:07:16 | 日記・エッセイ・コラム

Iwato 10月13日オープンしたばかりの岩戸窯と壷中庵(こちゅうあん)を訪ねた。
岩戸窯は薪で穴窯で焼いている陶芸家・小坂一韶さんのギャラリーと工房があり、玄関をはさんで隣に旬菜料理の壷中庵が並んでいる。

小坂一韶さんは、熱海の姫の沢の陶芸センターで、私たちに陶芸の手ほどきをしてくれた先生である。今、真鶴の町民センターでもう20年余続いている陶芸教室も、その源はこの小坂先生に負うところが大きい。先生の指導を受けて、陶芸に楽しんだ人たちは多い。
その後、先生は独立して、伊豆山七尾にこの岩戸窯を開いた。私はそこから、ご無沙汰してしまったが、町民センターで指導に当たっているひとり、Sさんはここにも通っていた。

オープンの通知を頂いたので、先述のSさんを誘って、行ったのである。というわけで、伊豆山七尾の天辺にあるこの岩戸窯を訪れるのは、私ははじめてである。天気予報は雨だったが、曇っているが、幸い雨は降っていない。

先ずは伊豆山から七尾に入った。その様変わりには驚いた。なんせマンションだらけなのだ。知らない土地に来たようだ、と思わず口走るほど。私が覚えている、むかしの大根を作っていた農家のあるの姿とは大違い。大根を干している農家があるにはあったが、まるで箱根の保養地に来たような感じだ。へ~、へ~。

岩戸窯は雑木林の中にある。木のつくりの瀟洒な建物である。玄関をはさんで左手にギャラリーと工房があり、右手には壷中庵がそれぞれ独立してある。外回りにも大きな壷などの作品がおかれている。「こんにちは」と大きな声で、声をかけると、小坂先生がにこやかに迎えてくれた。ギャラリーに入ると木の香りに包まれる。真ん中にはテーブルと椅子が置いてあり、まわりの棚には作品が並んでいる。味のあるいい作品だ。取り皿をほしいと思っていたので、物色している。

工房には大きな薪ストーブが燃えている。他の人は先生が淹れてくれたコーヒーを飲んでいたが、私はストーブにかかった野草茶を勝手についで飲んでいる。教室の床は厚い桐の板。「設計がとてもいい。どなたの設計?」とPapasanが訊ねると、竹中工務店の何とかさん(名前忘れた)に設計を依頼したとのこと。そうだろうな、このつくりはプロの設計だよ。

ガラス戸を開けると広いベランダに出られる。木製のベランダにも作品が並んでいるが、ベランダの先は、雑木林が傾斜地になって続いている。葉を落としたヤマザクラの向こうに相模湾が見え、晴れていれば横浜みなと未来のランドマークタワーも見えるという。ランドマークは我が家からも見える。

べランダの横にはいくつも野鳥の餌台が置かれ、ヤマガラが入ったり出たりしている。シジュウカラも来た。餌台は透明のプラスチックボードでかまぼこ型に屋根が出来ている。

12時だ、食事に行こう。靴を履くのが面倒なので、ベランダを通って、ガラス戸を開けてレストランに入る。すべて木作り、壁には柿渋で染めた和紙が貼られている。それがとってもいい。皿や湯のみはもちろん小坂さんの作品が使われている。お料理もとっても美味しい。しかも洗練されている。これは気に入った。また来よう。聞くと板さんは湯河原の石葉で18年修行した人だそうだ。 ちょうど、大きなかばんを持った男性が入ってきた。その人は、昨日石葉に泊ったが、この板さんの料理が食べたくて、旅館でここを教えてもらい、来たということだった。

Sさんが中川美術館の特別展はまだだというので、その足で美術館へ行った。

夕食に買ってきたばかりのお皿に盛り付けた。なかなかいいねぇ。

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「死海のほとり」

2006-11-23 00:35:47 | 日記・エッセイ・コラム

Sikai 「死海のほとり」 遠藤周作著 新潮社

「MASTER KEATON」を探しに古本屋に行ったとき、店頭によりどり3冊200円という札のついたかごがあった。興味本位でのぞいて見ると、遠藤周作の「死海のほとり」というハ-ドカバーの本が目についた。来年、ヨルダンへ行く予定があるので、読んでみようと手にとった。

遠藤周作が洗礼も受けたクリスチャンで、イエスと向き合っていることは以前から知っている。ということは、内容は死海のほとりでもイスラエル側だな、とは思った。

主人公の小説家はエルサレムを訪ね、エルサレムに住んでいる聖書学を研究している友人に連れられてエルサレムや死海のほとりを巡礼する。

そこに戦時中、クリスチャンが白い目で見られた彼らの学生時代の思い出がかぶる。学生寮にいた二人の神父と修道士、ねずみとあだ名され、姑息に生きていた修道士がユダヤ人強制収容所にいたことを追って、忌まわしい収容所につながる。巡礼と群像という二つの物語が交互に、まったく違った時間ながら、イエスその人を浮かび上がらせる。

現代から見たイエス、これはストレートに私にも入ってくる。イエスの生きていた周りの人間、ごく身近でない群像の一人にイエスをどう見ていたかを語らせ、それぞれの立場とメシアに求める人間の弱さ、勝手さを描いている。群像の方は重くて、読んでいて胸が痛くなる。

作中、聖書研究家の友人が聖書のナゾだという、イエスが生きているとき、弟子たちはイエスを見捨てた。その彼らがイエスが死んでからどうして立ち上がったんだろう、という件。ここは命題だな、それは復活であり、これこそが信仰なのだろう。

私は私なりにキリスト教を学んだので、イエスが本質的に愛の人であったことは理解している。イエスは聖書に書かれているようなスパースターではなく、心底人を愛する人だったのではないか。クリスチャンの彼と無宗教の私とは意外に接点がある。突き放したように書いている遠藤周作に、「あんた、イエスを捉えているよ。なによりもイエスを深く愛している」」と思わずうなってしまった。

イエスの処刑、刑場にいた群像の一人、ねずみのガス室送り、そこではなんの奇跡も起こらなかった、しかしその向こうに存在していたものは・・・。
もう少し突っ込んでみよう。彼の「イエスの生涯」を買って来よう。 今頃になってからだけど。

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