Cogito

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真夜中

2008-09-30 00:31:20 | 日記・エッセイ・コラム

雨がびしょびしょと降っている。寒い。まだスウェーターを出してないので、ストーブをたいた。でも足が冷たい。雨の音を聞きながら読書。コミック「チェーザレ(5)破壊の創造者」(惣領冬実著 講談社)を読んでいる。「大人には本物を」シリーズだからか、なかなか内容はアカデミックだ。末尾に用語説明や監修をしている原基晶さんの講義「ルネッサンス時代の大学生活」もあり、たのしい。5巻は物語としては政治的な動きもないし、単に大学生同士の模擬戦が主流を占めていて、その戦いぶりを見る以外あまりおもしろくもない。しかし当時の時代背景、チェーザレの目を通しての市民の生活などがうかがい知れる。15世紀後半、1490年代から16世紀に移るにしたがって、世界は大航海時代となり、スペイン、ポルトガルの植民地争奪戦の幕開けとなる。言ってみればここから植民地にされた国々の悲劇が始まる。

                                                                                                   

先日、机の下を片付けていたら「杜氏になるには」(石田信夫著 ぺりかん社)が出てきた。「なるには」シリーズの一冊らしい。こんな本、買った覚えがないな、と裏を見ると、105円のシールが貼ってある。Papasanが古本屋で買ったんだな。途中まで読んだら「チェーザレ」が来たので、こっちに移ってしまった。

                                                                                                   

11時予約の診察日。雨なのでどうしたらいいか、考えている。それでも何とかでかけられるようにはなった。今日から薬を飲まなくてもよくなる。「こんなところの骨を折るのは珍しいんですよ」と先生。このときとばかりにPapasanが「へそ曲がりですからね」と。まったく。歩けるようになるまでにはまだまだのようだ。

病院から出るとき、Papasanの車を待っていたら、警察の車が止まっていて、ちょうど外にいた若い警官が私の車椅子を押して、車に乗せてくれた。親切だこと!いいねぇ~。

出たついでに用事を済ませてくる。郵便局によって、町民センターによって、と八芸会の用事ばかり。

帰り、濡れた石段を這ったり、シリセードしたりしたので、ジーンズはびしょびしょ。

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つどい

2008-09-26 19:24:08 | 日記・エッセイ・コラム

新年会のとき、秋には真鶴にケーキを食べ行こう、と我が家での集いが予定された。この会は西湘女性学習会という会で、私が現役のころから続いているから数十年にはなるだろう。神奈川女性プランにかかわった人たちが機軸になっていた。さりとて、メンバーも高齢化して、ひとり欠け、ふたり欠け、出て来たくとも出てこられない人も増えた。でもまだ現役で頑張っている人たちもいる。

そうだなぁ、この会のモットーのひとつに西湘地域の市町議会に女性議員を送り出す目的があった。いまでこそ、どこの自治体にも女性議員が、しかも政党のひもつきでない、女性議員が増えてきているが、そのころはほとんどいなかった。仲間から議員を、とまずは小田原、南足柄、箱根、と仲間を増やした。まだ南足柄の湯川さんは現役で頑張っている。

ケーキの約束なので昨夜ケーキを仕上げた。骨折を知っている松本さんは気の毒がったが、新年からの約束だし、スポンジは骨折前に焼いて冷凍してあるから、苦ではない、気にしないで、と言っておいた。ケーキを作るのは要領よく、頭の中で作業を組み立て、先に必要なものを用意してから始めるから、なんでもなかったが、それを教室まで運ぶことはできない。和美さんにその役をやってもらった。アフタヌーン・ティを模して、ケーキは5種類、サンドウィッチの代わりにカイザーのパンに、スーズスプレッド、アンチョビ、生ハム、ピクルス、スモークサーモンを用意してオープンサンドにしてもらった。紅茶も6種類用意して、香りと味をたのしんでもらった。

松本さんがアジ寿司を作ってきてくれた。一口用に上品につくって。美味しかった。彼女も私と電話をした後、ぎっくり腰になってしまったそうだが、根性で直したとタクシーで来てくれた。当番の真鶴二人が、故障でなんとも面目ないところ。でも無事終了した。

20年前のスライド作品だが「平和」を上映した。内容は今でもぜんぜん古くない。むしろ 20年前より世の中悪くなっている。20年前のセリフ「心が育っていないよ、こわいよ」今は現実だ。それにみんな生きてきた道だ。だから心に響く。このスライド、時間が経過してポジも録音テープも劣化してきたので、テープは専門のところに送ってCDに直してもらっている。画像は私が一枚一枚、Photoshopに取り込んで、きれいにして、JPEGにしてCDにいれている。20年前の画像、写真はともかく、図はすべて手書き、手書きのよさを壊さないようにあせた色をのせたり、周りのよごれを落としたりとレタッチに時間がかかった。しかしそれも財産だから、なんて話もした。

問題提起もあり、いろいろと楽しくおしゃべりをした。よかった。

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外出

2008-09-25 10:32:30 | 日記・エッセイ・コラム

24日、二度目の外出になる。今日は病院ではなく、まずは町民センターの工芸室、来月早々、本焼きをするので、色見本を焼いてもらうために新しい釉薬をかけに行った。今回はいつものところからではなく、美濃の釉薬専門店からとった。だからボーメをちゃんとはかり、濃度をチェックして、指示通りにかけたかった。葉子さんに頼んだが、今月は来られないというので、購入した責任もあるので、でかけたのである。

出かけるのはいいのだが、難関がある。それは上の車までいくこと。先回の経験をいかして、まずはお尻をついて高さのある段々をおり、そこからシリセードで行き、教室前から車椅子、そして石段はいざってのぼる、と考えた。腰に大判の湯上りタオルを巻いた。両ひざにタオルを三つ折にしてしばった。登山の時の尻皮があればいいんだが、なんていいながら。スポーツ店に行けば、ひざパットも売っているだろが、スポーツ店がどこにあるかもわからない。

                                                              さて、実際に動いてみた。玄関の高い段差はお尻をついて下りたのは正解。しかしお尻の下のタオルはめくれ役には立たなかった。で、急遽、シリセードをやめて、松葉杖に代えて、教室前まで行った。ここは舗装されているのだが、車椅子の車幅がないので、片方の車輪を落とすことになる。だから車椅子が使えないのだ。教室前から車椅子に乗ったが、レンガ敷きのところは車輪がいうことをきいてくれない。やむなく松葉杖で石段まで行った。石段は左手を手すりにかけて、いざるようにした。石段は左足はいざらず、右だけひざをつくとラクに上れた。ただし、三つ折のタオルでは痛い。腰に巻いてあるタオルをはずして、四つ折にして右ひざがつくところに敷いた。これならひざも痛くない。ひとつ利口になった。ただしこの石段は上り口と中段に踊り場がある。この踊り場は這わなくてはならない。こういう状況になってみると、なかなか厄介なことである。

                                                              町民センターは今日は裏からまわった。裏口の方が段差がないと教えられたからである。でも入り口までがいささか斜度がある。自力で登る自信がなかったので押してもらった。

                                                        素焼きのできた9ケのぐい飲みを取り出してもらい、新しい釉薬を並べてもらい、ゆっくりとひしゃくでかき回して、ひとつずつ裏に釉薬名を書き込んで釉掛けした。ひしゃくはその度に洗ってもらい、とみんなの手を煩わせて。窯入れのとき、色見本だから、一番下に入れてくれるように紙に書いておいてきた。どんな色になるか、初めてなので、焼きあがるのがなおたのしみだ。

                                                        外にでると、車椅子姿なんてめずらしいので、人が声をかける。いろんな話をした。バリアフリーから先日の選挙結果の話まで。うふふ、おもしろいね。

                                          小田原まででかけた。彼岸花がきれいに咲いている。自分の車椅子をおろしてしまったがロビンソンは車椅子が備えられている。ここは使える。湯河原へ行くのも面倒、とノジマへ近くのシティモールの行った。2009年インターネットセキュリティを買いたかったのである。お店はフレスポという別棟に移ってしまっていて、遠かった。でも店員が親切で、売り場まで案内してくれ、会計まで付き添い、入り口までおくってくれた。感謝。

帰り早川口のマンションの前を通った。この間のときはご近所に垂れ幕が 貼ってあったのだが、今日はすべて撤去されていた。どう折り合いがついたんだろう、よそごとながら気になる。 

                                               

                                                              朝、壁に張り付いているクモ発見。Papasan言わせると「大きなクモ」私には「まだまだ中ぐらいのクモ」アシダカだ。「おはよう、挨拶に来てくれたんだね」夜にはトイレにずっと小さなアシダカがいた。顔見せないとぼやいたから出てきてくれたのかな。

                                                              真夜中、かぼちゃのプリンをつくった。                                              

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秋分の日

2008-09-23 12:58:50 | 日記・エッセイ・コラム

秋分の日、Papasanはコーラスの特別練習だと言って出かけてしまった。

骨折してから1週間経った。居間に陣取ってはいるが、台所とトイレ、風呂、寝室は車椅子で移動できるので不便は少なくなった。トイレに息子が低い手すりを左右につけてくれた。これは便利である。できれば家中につけてほしいところだが、日本家屋は手すりをつけるには向いていない。廊下も普段はなんでもないが、車椅子で通ると狭い。気づかずに手の甲を扉にはさんでしまうことがしばしば。おかげで右手の手の甲、関節のあたりが赤黒く腫れあがっている。予防のために軍手を用意して、巾着に入れ、車椅子につるした。軍手をする習慣をつけようとするのだが、つい忘れて、はさんでいる!

                                          料理もできる、シフォンも焼いた。あらかじめ、道具を用意しておいて、いつものように作っている。車椅子を固定して、立ち上がって火は使っている。いちいち車椅子を固定するのは面倒だが、安全を考えると、時間はかかってもこの方がラク。

                                                              車椅子で移動しているので、松葉杖の使い方がいまいち、だから松葉杖での移動はまだ苦手である。慣れないこともあるが、利き足でない左足を軸にしているので安定が悪いようだ。利き足でなくても、どうしても左足に頼らざるを得ない。だから立つにしても左足に力を入れる。そのせいか、左ももが痛い。だんだん気がつかないところに影響が出てきているようだ。ここのところ五十肩や関節を痛めたりしているので、腕にも自信がない。そういう意識もブレーキになっている。

                                          居間から玄関まで行くのに、12cmぐらいの段差がある。そこが超えられない。座ったり、松葉杖を使ってなら行けないこともないが、車椅子で行こうとするので、行動範囲が狭められてしまう。何とか行き来するいい方法はないものか。段差の下の部屋の窓際にデスクトップが置いてあり、プリンタもフィルムスキャンもそちらにつながっている。今の机にノートがあるので、不自由はしていないが。それにしても特に我が家はバリアばかりの家だから、バリアフリーは大事なことだと、つくづくと感じている。

                                          暇をもてあましているので、息子が和訳してくれと何枚かコピーした用紙をおいていった。健康に関するものらしい。はじめは知らない単語ばかりで、辞書を引くのに忙しかったが、高血圧、糖尿病などの単語を覚えて、それなりにおもしろかった。データになると同じような文章が多くて飽きてしまった。それが何枚も続く。何でもそうだが、同じことの繰り返しは興味をなくす。

                                                              残念なのは外に行けないので、クモをはじめ鳥たちとも会えないことだ。ジョロウグモも成体になっただろう。家の中にだってクモはいるのだが、こんなときはちっとも姿を見せない。

まだモズの高鳴きは聞いていないが、もうそろそろ冬鳥たちも帰って来るころだろう。ツバメはもう帰ったかな??

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汚染米

2008-09-22 11:52:08 | 

三笠フーズの汚染米販売の被害は拡大するばかりである。もうこれは完全なる犯罪だ。その一番の元凶は農水省だ。

汚染米から検出されたメタミドボスは、毒入り餃子の時にも検出された有機リン系の農薬である。毒性が高いので日本では使用が許可されていない。これは中国から輸入した米に使われていた。記憶が正しければ、メタミトボスはバイエル社が殺虫剤として開発したものではなかったろうか。吐き気、腹痛、下痢、頭痛、めまい、脱力などの症状を引き起こす。

もうひとつの汚染米はアオカビの生えたもの、このカビのアフラトキシンは発ガン性の酵素を出す。

                                                                                                       

これらを食べたからと言って、急性毒性は現れないとは思うが、今の日本の食の環境を考えると、危険性のある添加物や農薬は日常的に摂取しているのが現状だ。気になるのは相乗作用がどう影響するか、人それぞれに影響の仕方は違う、まして未来のある子どもたちにどう影響するか、まだ解明されていないことが気になるのである。                                                                                             

こういうことが分かっていたからこそ汚染米は保管されていた。同じく保管されていたカドミウム汚染米は赤い色がつけられていた。赤い色を落とすのが余分な手間なのは分かるが、こういう配慮も今回は忘れられていた。報道によると、保管代がかさむから、業者からの買取の申し出に渡りに船で渡したとあった。素人考えでも、汚染米だと分かった時点で、なぜ返却しなかったのか、不思議である。アオカビの生えた米はもったいなくても焼却処分してもよかったのではなかろうか。保管代を考えれば・・だ。

                                                                                                    

食品汚染の問題は、金儲けの業者の意図的な犯罪だとは思うが、やはり国民も食の問題を考える機会にしてほしいと思っている。食品汚染が報道されると、人々は恐れ、動揺する。これは当然なことだ。日常、これは何が使われている、これは安全だと、いちいち判断して買ってはいなかろう。今回の事件をみれば、国産だから安心と言うわけにもいかない。付け加えれば、輸入食品がなかったら、日本人は食べていけないのも考えなければなるまい。国産の農産物には今は追い風が吹いている。しかし自給率は、とても国民をまかなえる率ではない。国産はコストがかかる。だから必然的に販売コストが高くなる。物価高にあえぐ国民は少しでも安いものを選ぶ。業者は少しでも安くするために人件費の安い外国へ食料を依存する。ここに悪循環がある。しかし、こここそ知恵の使い方ではなかろうか。

                                                                                              もう一度食の原点にかえってみよう。食べものは生きるために食べるものである。食料と言うと物質を想像してしまうが、同じ地球に生きる生物であり、その生命をもらって、私たち人間は生きているのである。そこには感謝があってもいい。その基本が忘れられている。同じ食べて生きるなら、より美味しく食べようと努力する料理は結構なことだ。しかし、食料を無駄にしてはいけない。

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