Cogito

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

記事から

2009-07-28 22:45:30 | アート・文化

こんな記事を見つけた。フィルムは画像がきれいなだけでなく保存にも重要なのだ。私のような素人が趣味でやっているのはそんなに保存がきかなくても納得できるが、貴重な文化的資料の保存が利かなくては大変だ。なんとかならないものかねぇ。たしかに営業的に見れば少生産ではコストがかかる。とはいえ、文化財保存には不可欠、となれば、こういうものは、国家がバックアップしてもいいのではないだろうか。 便利さと簡便さだけで世の中はすすんでいく。消費者は毎度のことながらのせられていくだけ。やだねぇ。

そうなんだ、便利さは意外と落とし穴がある。長期保存がきくだろうと、ワープロ時代、原稿はすべてフローッピーに保存した。ところが再生するとほとんどに欠落が出て、使い物にならなくなってしまった。ワープロ用のカードは機種がなくなり使えなくなり、フランス旅行の記録は失われてしまった。一台ワープロは残してはあるがもう役には立たないだろう。

7月26日1時34分配信 産経新聞

 デジタルカメラ全盛時代にもかかわらず、古代遺跡の発掘現場ではいまだに、フィルムカメラが活躍している。デジタルカメラで撮影した画像データを保存するCDなどは湿気や熱でデータが消える危険性があるためだ。しかし、昨年のフィルム出荷量は、10年前の1割近くに激減し、遺跡写真に最適なフィルムの入手にひと苦労の状態で、半永久的な保存が不可欠な文化財写真が危機にさらされている。

 ■危機感

 デジタルカメラは今ではフィルムカメラを圧倒。写真感光材料工業会や写真出版社「フォトマーケット」の統計によると、35ミリなどのロール式フィルムの出荷量(推計)は、平成9年の約4億8283万本をピークに、10年は約4億5788万本、20年は約5583万本にまで落ち込んだ。

 「フィルムはあと数十枚分しかない。一(ひと)現場撮れればいいほうだ」。奈良文化財研究所(奈良市)で遺跡撮影を30年以上続ける井上直夫さん(59)はため息をついた。

 撮影現場では、遺跡や遺物を実物と同じような質感で写すために、専用の大型フィルムを何種類も使い分けているが、生産縮小によって代替用フィルムも容易に見つからないという。

 ■保存性

 坂本龍馬や近藤勇といった幕末の英雄たちを撮影した写真は、色あせながらも現在に伝わっている。「(電子データではなく)写真なら150年以上保存できることは歴史が証明している」と井上さんは強調する。

 一方、デジタルカメラの画質はフィルムとほとんど変わらないものの、画像データを保存するCDやDVDは割れるなどすると再生は不可能になる。さらに、デジタル技術の進歩がかえって保存の壁になっている。

 5~10年前まで使われていたフロッピーディスクやMOディスクはすでに「時代遅れ」となり、最新のデジタル機器に付属しておらず画像の読み込みは困難。井上さんは「デジタルは万能に見えても、数十年後に画像を再現できる保証はない」と話す。

 ■包囲網

 全国各地から出土した木簡などの赤外線撮影を行う奈良文化財研究所では、赤外線専用フィルムの生産が打ち切られたため、数年前からデジタルカメラに切り替えた。

 飛鳥美人など国宝壁画の描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体や壁画調査にも、デジタルカメラを使用。フィルム交換時にカメラが接触して壁画損傷を招く危険があり、画像のコンピューター処理が必要なためだ。画像はCDなどではなく、データの破損を防ぐため2台のハードディスクで保存している。

 文化財写真の保存問題に詳しい岩崎仁・京都工芸繊維大環境科学センター准教授(画像情報)は「発掘された遺跡は2度と元には戻らない。現状を正確に記録した写真は後世に伝える手だてとして不可欠。写真データの保存は緊急的課題」と話している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

があちゃん

2009-07-25 23:37:12 | 動物記

今朝、papasanががあちゃんの姿が見えないと言っていた。一昨日は確かにウサギやニワトリたちと競ってシフォンを食べているのを見た。しかし昨日は雨だったので、シフォンを投げてやることもなかったから、気にもかけなかった。そういえばいつも部屋のテーブルの下で寝るのだが、家に入ってきていたかなぁ。

姿が見えないと言われたので、探しに行った。いつも葉らんの茂みの下にもぐって雨宿りや日よけをしているので、そこから探した。葉らんの茂みにはいなかったが、すぐそばで頭を隠すようにして死んでいた。この家に来てから10年ぐらいになるから老衰だったのだろう。死んだネフェルティティとは仲良しのアヒルだった。よく犬のお腹に頭を突っ込んでいた。水鳥のくせに雨が嫌いで、雨が降るとさっさと家の中に入ってきていた。

さびしがっているpapasanに、もうアヒルを買って来てはいけないよ、と念をおした。

逝くものあれば、来るものもある。チャボの母ちゃんがまた鳥屋についた。もう、孵さなくてもいいと言ってはいるが、鳥屋についた姿を見ると、かわいそうと、またpapasanが卵を抱かせてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残念

2009-07-22 21:29:05 | 日記・エッセイ・コラム

朝起きると雨が降っていた。木漏れ日撮影は無理だとは思ったものの、一応スタンバイして、陶芸に出かけた。もし日が漏れたら11時には迎えに来て、と頼んで。ポシェットの中にもデジカメは忍ばせた。時は過ぎ、雲は晴れず。

これで、月曜日は海の日のパーティ、火曜日は注文日、水曜日が陶芸、と忙しかった一週間は終わり、明日からのんびりの日が戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木漏れ日

2009-07-17 11:55:38 | 日記・エッセイ・コラム

チャンネルを回していると皆既日蝕の話にぶつかった。皆既日蝕がなぜおこるのかなどはよくわかっている、実際にみたこともある、とまわそうと思ったら、見方として木漏れ日を利用する方法を説明していた。

今年は黒点が少ないと聞いている。黒点が少ないというのは太陽活動が活発でないときだといわれている。これらは日蝕時には、コロナの現れ方に影響があるようだ。

木の間をとおってきた日光は地表に丸く写る。これは太陽の丸い姿を映しているからだというのだ。木漏れ日が部分蝕を映し出すから、日蝕は太陽の形を地表で見るチャンスなのだという。

木漏れ日はよく眺める。木の葉を透かして見る光のやわらかさに感動することもある。木の葉の影も美しいと思う。でも、地表に落ちる光が太陽の形をして丸いとは気がつかなかった。よし、試してみよう。地面に写った太陽の姿を撮ってみよう。木漏れ日がたくさんもれているところは三日月型の木漏れ日がたくさん漏れていることになる。イメージがわいてきた。おもしろい写真が撮れるかも。

国立天文台の情報では、最大75%の部分蝕。東京の蝕の始まりは9時55分33秒、蝕の最大は11時12分58秒、蝕の終わりは12時30分20秒とある。

そこで庭に出て、11時ごろの太陽の位置と光の方向を探してみた。庭木はたくさんあるが、木漏れ日が集中し、絵になるところは少ない。こことここ、というように候補地をいくつか見つけた。

1秒を争うものではないから、複数のカメラを用意して撮るとしよう。たのしみになってきた。ただし、いくらたのしみにしていても、お天気しだい。予報は曇りときどき晴れだが、この時間だけ晴れてくれれば、そうだ、マリア様に、日本だから神様か、お願いしなくっちゃ。

そういえば、熱海にいるときから「天文と気象」をいう雑誌を講読していた。真鶴に来てからも、しばらくは、とっていたと思う。思い出して、まだあの雑誌出ているのだろうかと、検索してみた。あらまぁ~、廃刊になっていた。皆既日蝕で天文ファンが増えるといいね。宇宙飛行士が飛び立っているし、宇宙には興味はあるとは思うんだけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨明け

2009-07-14 22:44:46 | 日記・エッセイ・コラム

梅雨明け宣言が出た。暑くなるのはいやだが、天気になるのはうれしい。梅雨明けを待っていたかのように、今日、ミンミンゼミの声を聞いた。どこで判断しているのだろうね。

風邪を引いてしまった。夕べから頭痛がひどく、胸もむかむかするし、と、寝ているのも辛かった。ここのところ、冷房に浸っていることがあったので、その影響が出てしまったようだ。

暑くなると、暑がりのpapasanは冷房をつける。私は冷房は嫌いである。冷房がいやだというと窓を開けて寝る。しかし風が吹き込むのも嫌いである。体がなれないから、たいてい一度は風邪で寝込むことになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする