Cogito

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横浜美術館

2013-02-28 18:33:42 | アート・文化

横浜美術館で開催されている、ゲルダ・タローとロバート・キャパ 二人の写真家展を見に行った。横浜美術館は何度も行っているが、いつも車だったので、初めて電車で、これまた初めて乗るみなとみらい線で行った。あらかじめ地図で調べていったのだが、みなとみらい駅で降り、地上に出て、案内板を探した。外は霧雨が降っている。美術館は道路の向こうだ。帽子の上にフードをかぶり、標識にしたがって歩き始める。横断歩道がかなり向こうまでいかないとない。昔なら、横切ってしまうところだが、知らないところで交通事故に会っても、と我慢して歩いていく。反対側に渡ると今度は道路沿いを逆戻りだ。入り口は階段。館内に入ると、そこは記憶にあった。ロッカーに荷物とコートを入れ、チケットを買いエスカレーターで二階に行く。

                                                   

キャパは好きな写真家である。キャパの写真は、写真展が開催される度に見に行くし、あちこちでも見ているので、ほぼ記憶している。しかしゲルダ・タローの作品は初めてである。だからゲルダの写真にお目にかかりたかったのだ。

                                                                                                                           

まずはゲルダ・タローの部屋から。初め彼女はローライフレックスを使っていた。あの正方形の写真で、ゲルダとキャパと作品の区別ができた。しかしその後、ゲルダもライカに替えてしまったので、二人の写真を明確に判断するのは難しくなったそうだ。話題の「崩れ落ちる兵士」もそんなことから後の人たちの想像を膨らませているようだ。だといっても、いまさらどうでもいいことだが。とはいえ、話題性を持つことで集客できれば、それにこしたことはない。二人の写真は多くの人に見てもらいたいから。

                                                

初めて見るゲルダの写真はいい。被写体に迫る撮り方は、当時としては凄い迫力、女性のまじめさ、戦場を伝えたいというゲルダの真っすぐな思いが伝わってくる。1937年7月、スペイン戦争のさなか、彼女は27歳でこの世を去った。従軍女性写真家として亡くなった第一号と言われているそうだ。もったいないかぎり。生きていれば、もっといい写真が撮れただろう。おそらくキャパも彼女から大きな影響を受けただろう。

                                                                                                                              

1937年4月、ゲルニカがフランコを支援するナチスにより爆撃され、スペイン戦争にひろがっていく。多くの文化人が政府軍についたが、結局政府軍は敗れ、フランコの独裁に移っていく。1937年は私の生まれた年、写真を見ながらも、戦争の世紀に生を受けたことを感じ入っている。

http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/index.html

                                                

一枚一枚、解説を読みながら見ていたので、時間もかかったが、くたびれてしまった。常設もどうぞ、と言われたが、横浜美術館が所蔵しているものは分かっているから、見たいのはやまやまだったが、ちょっと休みたかった。そこで常設はあきらめて外に出た。階段を上ってきた時レストランがあるのに気が付いていたので、ランチを食べにそこ、フレンチ・レストランへ入った。レストランは感じがよかった。レディース ランチをゆっくりいただき、インターコンチへの行き方をたずねると、親切にも外に出て教えてくれた。歩道橋を渡り、クイーンズ スクエアを通って行くと、そのままインターコンチに行けた。みなとみらい駅を降りて、スクエアに上がり、陸橋を渡れば、美術館は近かったのだ。次回は間違えずに行けそうだ。

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ういろう

2013-02-22 23:22:28 | 日記・エッセイ・コラム

学生時代の友人たちと来週横浜で会う約束をした。そのとき、最近は横浜なんてめったに行かないから、行ったついでに横浜美術館で開催されているキャパ展を見て、中華街に行って清涼油を買って来るんだ、なんて話をした。すると相手は、私は小田原にういろうを買いに行くんだけど、タクシー待たせて、1回2箱しか買えなくて大変なんだ、と話した。小田原は私の生活圏、なら私が買って送ってあげるよ、買い方教えて、と言った。

                                                

買い方は教えてもらわなかったが、今日しか空いていないので、朝から忙しく郵便局と町民センターをまわって、粘土や釉薬の代金を預けて、その足で小田原に出かけた。まずはういろうだ。お菓子のういろうは以前も買ったことがあるが、薬のういろうは初めて。店内の左側が薬部門で、年配の人たちが列をなして並んでいる。

                                                

買ったことがないから、戸惑いながら私の番になったので、「初めてです」というと、1000円、3000円、5000円のどれにしますかと尋ねられた。5000円のを2箱、と言うと、なんなく箱を袋に入れてくれ、腹下しには50粒くらい使いますし、5年はもちますから、と教えてくれた。1箱は友人にあげて、1箱は痰が絡んでいるpapasanにあげて試してみよう。団十郎さんも愛用していたというから。それにしても、薬に縁がないからとはいうものの、灯台もと暗しで、遠くの人の方が知っているものだ。箱を開けると、細かい銀色の丸薬が入っている。症状に応じて何粒ずつか飲むみたいだ。そう、黄門さまの印籠、あの中身はこういう薬だったのだろう。

                                                

ついで、御菓子のういろうを買った。横に桜餅がある。で、それも買った。家に帰って開けてみると、桜餅は道明寺粉を使った関西風だった。なるほどねぇ、やはり京風なんだ。道明寺粉を使った菓子は嫌いじゃないが、でも私は、桜餅に関しては関東風が好きなんだ。

                                                

薬のういろうの由来を読んだ。外郎家に関しては以前、蔵を拝見した時、説明を受けたので、由緒正しき家柄だとは知っている。ただ、ういろうの製法は、いまだに一子相伝であるとは知らなかった。500年余り、一子相伝の技法が絶えることもなく続いてきたことは、ごりっぱ。

http://www.uirou.co.jp/

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2013-02-09 23:16:51

2013-02-09 23:16:51 | インポート

ソロモン諸島のM8.0の地震、津波も被害を大きくしているようだ。島だから大変だろう。中心地になったネンドー島を探してみつけた。バヌアツに近い島だ。

                                                                                                                               

ソロモン諸島と言ったら、何を連想する?

私は、 まずガダルカナル島だ。あそこで子どもの頃、面倒を見てもらったお兄さんが戦死している。20歳そこそこだった。お兄さんはガダルカナルの土になっただろうか。帰ってきた白木の箱には一枚の紙と砂しかなかった。

戦後70年弱、日本は戦争を知らない世代が多くなって、まだぞろお兄さんたちの死を無駄にしそうな雰囲気になってきたよ。集団的自衛権、国防軍・・・憲法改悪・・・そして                                                 

                                                

次が熱帯木材。正確にはどこの島のものだかは把握していないが。

                                                

                                                   

相変わらず鳥を眺めている。今年は寒いせいか、外に餌がないんだろう。日に日に来る鳥の数が増えている。餌のシフォンがいそがしいので、思い出したようパンケーキをつくってやった。ブラウンシュガーと全粒粉をつかって。もちろんさとうもあぶらもたまごもはいっている。ところが鳥たち、色がくろいのが気に入らないのか、なかなか食べない。そこで、次に、シフォンを全粒粉でつくってやった。にんげんが食べても舌触りがわるい。鳥もそう感じたのか、食べることは食べたが、よろこばなかった。鳥には健康志向はないようだと言って笑った。

                                                     

毎年のことながら、イソヒヨは私の動作、言葉を理解している。どちらかと言えばイジメラレッ子なので、他の鳥のいない隙間を狙ってやってくる。イソヒヨはピー、シロハラはシロと名付けた。鳥たちは自分のことだと承知しているようだ。「ピ-、いまだ、いまだ」と言って呼ぶと来る。

餌台のボスはシロなのだが、ヒヨの大群には多勢に無勢、それでも果敢に向かって追い払っている。しかしシロがくわえたシフォンを、口元めがけてメジロが飛びかかりシフォンをとったのには驚いた。メジロは気が強い。

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