Cogito

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クモ日記4

2005-04-30 13:40:39 | クモ日記
ゲホウグモ

gehou3
木の実みたい。でもお尻に糸が見える。

5月も終わりに近い夜、玄関の戸を閉めようとしたとき、なにか茶色の実のようなものがついているのに気がついた。手に取ると桐の乾いた実のようだ。大きさもほぼ同じ。そのままたたきに捨てた。乾いた音がした。うん?何かが引っかかった。もしかして?そこでメガネを持ってきて、つくづく眺めると、丸く丸まっている上の方になにやら足のようなすじが見える。そこで菜ばしを持ってきてつまみ上げ、白い紙の上にのせた。お尻の部分から少しだか糸が垂れているように見える。これはクモだ。
gehou
桐の実の殻に足がでた。背中の模様は錨のよう。

丸い尻の部分を計ると、1.5cm。ひっくり返して、お腹の方を見ると、しっかりと足がたたまれている。足は8本。そのたたんだ足を無理やり開かせると、長い足が出てきて、その奥に頭があった。でも頑として、頭を隠している。固いお尻の部分ははっきりはしないけど模様があって、ちょっと仮面のよう。箸でつまむと足を出すけど、下に置くとすぐ丸まってしまう。
写真を何枚も撮った。連れ合いを呼んで、見せながら、「ね、箸を持っていてくれない。足を出した姿を撮りたいのよ」というと、「クモは苦手なんだよ。やっと見ることが出来るようになったんだから、勘弁」と言って逃げてしまった。仕方がないので外に出してやった。

翌日、玄関先の軒を探すと、昨日のクモが実のように丸くなってぶら下がっているのに気がついた。そこで捕まえて広口のハチミツのビンのなかに入れた。クモは警戒して固まったまんま。背中というかお尻というか、丸い背面には錨のような模様が見える。なんだろう。クモ先生にも聞いてみたが、私の説明のしかたが悪いらしくわからない。クモは強情で、頑として全容を現さない。垣間見た頭は小さくて、まるでカマドウマみたいだ。カマドウマクモ、そんなのいないなぁ。
gehou2
ビンの中の


私には奥の手がある。自然に関することなら、箱根の「森のふれあい館」の石原館長にきくのである。電話をかけると、たぶんオニグモの仲間だろうと思うけど、クモは詳しくないのでと言って、西湘高校の池田先生を紹介してくれた。
「池田なんておっしゃるんですか?」
「クモ先生といえばわかりますよ」
そこでさっそく西湘高校に電話をかけた。西湘高校はウチの子どもたちの母校である。はるか昔だが、PTA役員をおおせつかって、私も何回も行ったことがある。
「どの池田でしょうか。当校には池田が3人おります」
「クモ先生の池田先生です」
「わかりました」とすぐつないでくれた。思わずクスリ。
説明をし、ビンに入れてあるので実物をお届けするから見てくれないか、というと、午前中は授業なので午後にという返事。午後は私が予定があるので、今届けておくから、時間が空いたときに見てほしい。分かったら、そのクモにいい環境に放してやってほしい、と頼んだ。さっそく西湘高校にクモを届けた。

夜、先生からメールが届いた。「クモはゲホウグモ雌です。(オニグモの仲間です)木の瘤に擬態しているといわれているクモです。海岸地域の樹木間に夜間大きなやや斜めの円網を張ります。クモ自体はあまりたくさん生息しているクモではありません。南方系の種類です。特に大きな親は数が少ないと思います。」とあった。
池田先生は池田博明さんといい、クモの研究家としては有名な先生だった。へぇ~、こんな身近にこんな先生がいたんだ、ラッキー、と気楽な私はよろこんだ。

ゲホウグモ?さっそく図鑑を探すと、あった、あった。オニグモの仲間。クモ図鑑に「枯れ枝先端や樹木の枝に脚を縮めてとまっていると木のこぶに似てみつけにくい。夜間活動し、樹間に横糸の間隔が狭く、目の細かい垂直円網を張る。腹部の形状には変化が多く、種々の形のこぶをもった個体がいる。出現期:6~8月。分布:本州、四国、九州、南西諸島。体長:♀12~18mm ♂4~6mm」と先生の説明と同じことが載っていた。

ゲホウなんて変な名前、何のことだろうと辞書を引いてみた。
ゲホウは外法 仏教用語では①に仏法以外の教え、外道。②に人のどくろを用いて行う一種の妖術、外法頭。③福禄寿の異名。④外法下駄の略。とあった。すぐ横道にそれるが、ふ~ん、天狗のことは外法さまというのだそうだ。
どくろに似ているのかな。丸いと言う意味なのかな、なんでこんな名前がついたのか、よくわからない。いずれ分かるだろうけど。

図鑑よりネットで調べた方が分かりやすい写真があった。
その写真のURL.参考に
http://www.asahi-net.or.jp/~dp7a-tnkw/okinawa/Gehougumo.htm



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ネコ物語①

2005-04-25 21:27:15 | 動物記
我が家のネコはずいぶんと減って現在5匹。オス2匹とメスが3匹。全部同族である。年長はオスで黒と白のジョイス。名前から想定するとジョイスは1999年か2000年の生まれだ。私たちがアイルランドに行ったのが1999年だから。ついでその妹のファジーなマルメ。マルメの子どものアカトラのバーリ、黒トラのリミニ、三毛トラのトリノ。メスは全部避妊してあるので、もうこれ以上同族が増えることはない。
marme
マルメ・ジョイスの妹。バーリ、リミニ、トリノの母親。

私のテーブルの下にはホットカーペットがつけっぱなしになっているので、ネコたちはたいていここで寝ている。でも2匹のオスは甘ったれようとテーブルの上に乗って寝ている。2匹乗っても十分余裕はあるのだが、私の愛情を独占したいのか、勢力争いか、常に喧嘩をしている。仕方がないので、どちらかを下に追いやる。追いやられるのはどちらかといえばジョイスが多い。膝にのるのはジョイスの方だが、ともかくバーリを目の敵にしている。まだ双方とも力は拮抗しているのだろう。反目しながらも一緒にいるのだから。どちらかの力が勝ればどちらかは追い出されてしまうか、片隅で小さくなって生きなければならなくなる。

joyce
ジョイス、現在では最年長

ジョイスの親はリモージュで、先日死んだシャモニーとは同胎だった。ジョイスは、アカトラのアラン、真っ白で長毛のエンヤとオス3匹同胎だったが、1年も経たないうちに、後の2匹は同じ病気で死んでしまった。だからジョイスも同じ病気になるのではないかと心配され、「不憫な子」と大事にされてきたのだった。マルメが生まれてすぐ、親のリモージュは交通事故で死んでしまった。だからジョイスは「不憫」さが増したのである。

bari
バーリ

バーリは一族では若手である。パルマ、リミニ、トリノと同胎なのだが、パルマを追い出してしまった。ジョイスにはケンカを売っているものの、人間に対してはわがまま一杯の甘ったれである。庭先までは静かに入ってくるが、玄関近くからは「いま帰ったぞ~」とばかりに破裂音を響かせて帰ってくる。私が留守の間に、不憫だとpapasanが生アジを食べさせたので、アジが主食になってしまった。「お腹が空いた。アジよこせ~」とこれまたうるさい。アジを食べたあと、ミルクを飲み、さらに騒ぐ。それはヤクがほしいからである。ヤクとはマタタビのこと。この粉はどのネコも大好物である。ネコにマタタビとはよくいったもの、ちょこっとなめただけで、ひっくりかえってごろごろし始める。

ネコ以外には2匹のコリーと2匹のウサギ、2羽のアヒル、そして4匹の金魚がいる。動物社会はみんな仲良しである。そんな平穏な毎日に異変が起こった。新しい仲間が増えたのである。それも4匹の仔猫とその母ちゃんの5匹である。形勢は一変した。


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クモ日記3

2005-04-25 18:03:22 | クモ日記
ジョロウグモのオバサンとの短い付き合い。日記から
kumo






2005・1・4
暖かいので、ゴキブリが出てきた。それを捕まえてジョロウグモのオバサンのところへもって行く。クモに近づけるとゴキに襲い掛かるようなしぐさをしたが、軍手の白い指に驚いてか、クモは端の方に逃げてしまった。ゴキの足を持って、どこかへつけようと試みるが、すぐ落ちてしまう。こうしてみるとゴキは大きいし、重みもあるようだ。やっとこ中心からかなり外れた網の横糸にゴキの後ろ足がくっついた。頭を下にしてぶらりとぶら下がっている。長いひげをやたらと動かしている。風にゆられながら、なんとか逃げようとゴキももがいている。
「可哀想だよ、逃がしてやったら」とpapasan。
「運天だよ。運があれば逃げれるさ」とクモに肩入れしている私は非情だ。何回も見に行ったが、状況はかわりなし。12時過ぎ、クモは中心に戻っている。気がついたかな。

13時、のぞきに行くと、クモがゴキの上にいる。急いでマクロレンズをつけて、カメラを持っていく。クモがさかんにゴキのまわりをまわっている。レンズでみると、ゴキの後ろ足に糸をかけている。ゴキは前足を動かし抵抗している。まずはうごかなくするのかと見ている。ゴキの体長はジョロウグモの1.5倍ある。横はもっと幅広だ。だからゴキはジョロウグモの倍以上に見える。

13:30なぜ足に糸をかけていたのか、そのわけが分かった。クモはゴキを網の中心部に持ってきたかったのだ。
ゴキがついているのは、中心の網からはなれた、もう一つの網のはずれにぶら下がっていた。前足を伸ばしてゴキをまいている糸にかけ、ぐいっと引っ張りあげる。ゴキがぐっと持ち上がる。たいした力だ。もうゴキは毒液を注入されたのか、びくともしない。15分ほどで網の中心部に移動した。
14時、ゴキは頭を下にしたまま。クモはゴキの横腹に噛み付いたようだ。

かぶりついた姿を、左手に持った懐中電灯で、光らないようにライトを当て、右手にカメラを持ち、プログラムで風に揺れるクモを撮る。ましてマクロだ。ぶれていないといいが。
jorou
ゴキに食らいついたオバサン

2005.1.5
さぁ、気分を変えてジョロウグモのオバサンを見に行こう。残り少ない生を一生懸命生きているのは感動ものだ。
昨日のゴキブリは頭と胴の間がきれいに食べられている。胴の中が空洞かどうかは確認できないが。クモは消化液をかけて、溶かしながら獲物を食べるのだそうだ。だからちょっと見には体液を吸っているように見えるが、ちゃんと食べているのだそうだ。昨日食べ始めたのが14時。一晩かけても、ゴキの残骸は残っている。こころもちオバサンのお腹が膨らんだように見える。餌は取れたが、これからはさらに寒さが厳しくなる。いつまで生きられるか。

2005・1・10
夕べも冷えた。ジョロウグモのオバサンを見に行くとさすがに元気がない。
昨日は触ると逃げようとしたが、今朝は触ってもただ前足を動かすだけ。
お別れも近いようだ。よく頑張ってるよ。

2005・1・11
ジョロウグモのオバサンを家に連れてきた。風で外の網が壊れてしまったから、つれてきたのである。余命いくばくもないものならば、私の観察相手になってよ、と。急に暖かなところにおいても環境が違いすぎるだろうからとピアノのそばの比較的暖かくないポトスの葉の上においてやった。しばらくはじっとしていたが、ポトスの葉の上に行ったり、下に下りたりしている。新しく網をはればエサは探してつけてやれるのだが。それだけの余力はあるのかな。
体長は2.2cm。一番足は体長の1.5倍はある。動きを見ていると飽きない。この場所が気に入ってくれるといいんだが。

2005・1・14
ジョロウグモのオバサンは小さいが網を張ったみたいだ。この間、ハエがいたはずだが、と思っていたら、視界を横切った。殺さないようにそっと叩く。羽をつまんで、網にかけてやる。でも網が小ようやくさいのでなかなかつかない。ようやくつけたが、オバサンハ驚いて上の方に逃げてしまった。
灯油を取りに外に出ると、玄関先にゴキブリがいる。死んでいるのかな、とつまんでみると生きている。いい獲物だ、とばかりに羽をつまんで、オバサンのところに持っていく。目を凝らして網をみて、横糸にくっつけた。うまくついた。

18時、オバサンがゴキの傍にいる。気がついたんだ。この前と同じようにゴキに糸をかけている。どうやら上まで引き上げようとしているみたいだ。たいした力だ。ハエは蘇生したらしく逃げてしまった。

これを食べれば、長寿の記録ができるかもよ。でも記録ってどのくらいのがあるんだろう。

2005・1・24
ジョロウグモのオバサンにゴキブリをやってから10日たった。そろそろエサをやらなければ、と台所をごそごそ探したが、ゴキは見つからなかった。ゴキの中身が入っていると思える卵のうを見つけた。そこで網につけてやった。ゴキが抱えていた卵のうは食べたが、卵のうだけでは分からないのか、逃げてしまった。折角つけたのにねぇ。

2005・1・25
寒い、寒い。
ジョロウグモのオバサンのエサが見つからない。もしかして土の中にブンブンの幼虫や甲虫が眠っているかもしれないと、土を掘ってみる。小さな小さなダニの仲間のような虫はいるが、手でつかめるような大きいのは見つからない。ようやく鉢をひっくり返すと、ハサミムシを見つけた。素手でつかむとハサミで応酬する。ちょっと痛かったがもって帰ってオバサンの網につけてやる。なかなかつかない、ということは網の粘着力が落ちているみたいだ。
すこし大人しくなったので、大丈夫かと思って少し後に行くと、もう逃げてしまっていた。また鉢をひっくり返すとハサミムシ、ヤスデ、ムカデの小さいのを見つけた。そこで先ず、ヤスデをつけた。大人しくぶら下がっている。それももう少したっていくともう姿が見えなかった、あちこち探したが見つからない。下が鉢だから、土の中にもぐりこんでしまったのかもしれない。てなわけでムカデも、ハサミムシにもことごとく逃げられてしまった。それを聞いてもともと虫の嫌いなpapasanは「考えただけで、背筋が寒くなる」とぞっとしている。

まだ1匹ムカデは残っているが、ムカデの力では糸を切って逃げてしまうだろう。仕方がないので、オバサンをポリ容器にいれ、網をかぶせた。その中にムシを入れれば捕まえることができるかもしれないと考えたからだ。しかしそれが有効かどうか、専門家にメールを送っておいた。夜、メールの返事が来た。ジョロウグモが網を張るにはエサを捕まえるという目的と、もうひとつかかったエサが自分の力におえるかどうか判断するため。でないとかえって自分の身を危険にさらすことになる。自分の力で処理できないものには果敢に飛び掛っていくことはない、と。
なるほど、たいしたもんだ。しかし、それではお手上げだ。
「家に連れてきたこと自体、自然に逆らっているんだから」とpapasanが非難めいた言をいう。それはそうなんだが、おかげで知識も増えたし、でも観察できてよかったじゃないか、と自分に言い聞かせている。オバサンはもとのポリ容器から出して、ポトスにつけてやった。

ごめんよ、エサ探しの努力はしてるんだけどね。ゴキの卵のうもビンに入れて、ホットカーペットの上に転がしてある。そのうち孵るかも。

2005・2・4
ジョロウグモのオバサン。普通はこんなに近くで見ることはないが、きれいだ。

立春。今朝の気温8度。昨日より暖かいと思ったら、2度高い。2度の差を感じることが出来る。

それでもまずは部屋を温めることから始まる。オバサンがいるからなおのこと気を使っている。私の机が占領している部屋は6畳に床の間分が1畳の部屋である。もともとは和室で畳が入っていたのだが、犬のアヌビスがお漏らしをして畳を傷めてしまったのと、私が腰を痛めているので椅子にしたほうがラクということで、フローリングに変えてしまったのである。
コタツにもぐってテレビを見るのが好きだったのだが、コタツがなくなってからはテレビを見ることが少なくなってしまった。床板に転がることがないので、前はよくしていた柔軟体操もしなくなってしまった。ちょっとしたことでライフスタイルもかわるものである。

その床の間部分も板に代え、でも作りはそのままになっているから、その部分の天井は仕切られている。その隅にオバサンはしがみついているのだ。下にはポトスの鉢は置いてある。今は背中しか見えないが、毎日のように場所を変えているから、生きていることは確かだ。14日にゴキを食べただけだから、お腹が空いているだろうと人間サマは思うのだが。
でも、ユウレイグモもトイレの前の天井でじっとしている。餌を食べている様子はない。となると、おばさんもまだ大丈夫かなと思うのだが、ユウレイグモは体も細いし、エネルギーがそんなに使わないのかもしれない。

2005・2・7
昨日、ジョロウグモのオバサンの様子がちょっと違って、横向きになっていた。「オバサン、死んじゃったかな」
今朝も同じ姿だ。そこでイスを持ち出し、菜ばしでそっと触ってみた。動かない。もう少し触ると、ぽとん、と下に落ちた。あぁ、やっぱり。お腹はぺったんこになっている。papasanが帰ってきたら見せてやろうと、ピアノの上に置いておいた。

クモ先生に、メールをうった。「オバサン死す」と。折り返し先生から返事が来た。
「死因はエサがなかったからではなく、老衰だろう」と。

papasanが帰ってきたので、オバサンの死を伝えた。
「やっぱり。エサがなかったからかなぁ」
「いや先生からのメールでは老衰だろうって」
「・・お前の子どもたちはどこかにいるんだね。子どもたちをかわいがってやるからね」

そうだよね、自然においておけば、もっと前に外の寒さで死んでいたろう。
無理に長生きさせてしまったけど、それでも、毎日観察させてくれて、私にはたのしかったよ。

蛇足:
オバサンのエサにしようとビンに入れておいたゴキの卵のうは、オバサンが死んでしまったので、すっかり忘れてしまっていた。ゴキの卵は1ケ月位で孵るらしい。はっと思い出して、ビンを見ると、黒いゴキの子どもたちがうじゃうじゃ。やっぱりあの卵のう、まだ生きていたんだ。そこでタマネギのスライスとチーズをいれてやった。水も少し下に入れた紙が滲みるくらいにいれた。日に何度もふたをあけ、空気を入れ替えた。バターも入れてやった。しかし2,、3日、忘れたら全部死んでしまっていた。ふたを網にいておくべきだったかなぁ。





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まちづくり条例を守れ③

2005-04-21 18:09:00 | インポート
時間的経過を説明するのが面倒なので、HPから3月17日の日記を抜粋しておく。
ホームページのURLは
http://www.manazuru-today.net/
Cogito。
まなづるToday No.180にもふれてある。

議会の議決は真鶴町まちまちづくり条例に定められているもの。以下抜粋。

3月定例議会最終日。雨の中出かけたくはなかったが、傍聴に行った。最終日だから、初めのうちは儀式みたいなもんだ。

もちろん目的は赤浜マンションに対しての議会の議決である。真鶴町民が自分たちが作った条例に従えと言っているのだから、それに行政も賛成しているのだから、どう考えたって賛成するのが普通。マンションを作って売り払えばいい業者の肩をもってはおかしいのだが。業者に義理立てしなければならない、なにかある、と町民が勘ぐるが、そう勘ぐられても仕方がないところもある。事実、山崎社長に議員が会ったそうだから。私は合併問題の後遺症だと思っていたが、それだけではないのかもしれない。

建築確認されてしまっているから、建設が強行されてもしまう確率は高い、しかし、何の手も打たずに強行されてしまうのと、議決で意思表示してから強行されるのでは、真鶴の未来に影響する。だからきちんと議決してほしいのだ。そして町との交渉のテーブルにつかせてほしいのだ。

議案が提出されるかどうか、すったもんだしたらしく時間がかかって待たされた。提案者は青木雅人さん。内容だって、業者に「まちづくり条例に従え」という簡単なもの。真鶴町の議員なら、当然そう考え、賛成するだろう。
ところが採決すると、なんのこっちゃ、4人の議員が座っていた。驚いたことに、まちづくり条例の制定のとき、議長であり、さらにまちづくり審議委員もつとめ、まちづくりフォーラムで他市の市会議員から「議決が盛り込まれているが議員はどう考えるのか」といった質問をされ、「責任の重さを感じている」なんて格好いいことを言っていた青木茂さんが反対で座っていた。あとは福井弘行、岡ノ谷佳子、青木透の3人。まぁ、この4人は真鶴を愛していないんだ。なんで議員になっているんだろう。この町に住む資格はないね。

3
ヤマザキの建設予定地にやっと出た看板。4月15日写す。この看板、小さいものだ。
掲示にある会社を検索するが???である。

4月16日
熱海、ホテルニューアカオで開かれたシンポジウム「観光都市熱海の景観を考える」に出席した。開会前、真鶴のまちづくり条例を守る会のパンフを出席者に配った。熱海市の主催なので、参加者には市民は500人以上も集まった。きれいどころも、日本髪姿で参加していた、熱海ならではの風景である。熱海の人たちは真鶴は目と鼻の先だから、よく知っている。真鶴にまちづくり条例のあることも、かなりの人たちが知っていた。だから「なぜ」と言った言葉が返ってきた。

パネルディスカッションの前に、篠原修さん(東大大学院教授)が20分ばかりスライドを使って、景観についての話をした。
昨年景観法ができたが、欧米から見れば100年は遅れている。

日本の都市計画は欧米を手本としてきた。パリの都市計画を見ると、建物が中心に置かれ、ビスタといわれる風景画広がっている。欧米は建物を中心にして都市計画が行われている。オスマンのパリ改造もそれをしている。ただしヨーロッパの風土と日本の風土とはちがう。

一方、日本のまちづくりは建物が主役ではない。浮世絵を見てもわかるように、建物や町並みの向こうに富士山があり、江戸の海があり、隅田川がある、外に広がる風景、つまり主役は自然である。だから日本の町の素質にあった、特色を生かすようなまちづくりをしなければならない。ものまねでない都市づくりが必要。
借景の例として、古い写真を数枚映してくれた。この写真、見たことがある。しかも最近だ。やっと思い出した、いま東京都写真美術館で開催されている「写真はものの見方をどのように変えてきたか」に展示されている写真だ。
明治時代、日本に来た欧米人が高いところから町の全体を見て、町の建物自体には欧米的感覚から文句をつけているが、木々が豊かで庭園都市のようだと感心している。木々にしてもいろいろな緑が豊かにある。こういう特色はヨーロッパにはない。

ディスカッションに入った。
面倒なのでパネラーは後で入れることにするが、要するに今回のシンポジウムの狙いは、東海岸町、ビーチ沿いの8000㎡の土地に建設されかけている高さ60mのマンションにたいする反対集会なのだ。60mのマンションが建つと、3軒ほどの旅館が影響を受ける。前にマンションの壁が出来、景色が見えなくなってしまうのだ。

このマンションの建設主体ははゼファー、カドキチグループが12.5%の株を所有している会社だ。確認申請はOKされている。裁判も市は負けている。後は市民の結集した力と市長の度胸しかない。

ただし、客観的に見ると、熱海市の高さ制限は近隣商業で31m、住居地域で21m、商業地域では60mまでとなっているそうだ。ということは、マンションは規制ぎりぎりの60m。熱海市の都市計画に問題はなかったか。市長の弁だと、この夏には「まちづくり条例」を議会に上程し、建物25m以上は、3分の1にして、いわゆる鉛筆にして背後からも海は臨めるようにしたいと言う。

ベローナの町では委員会の人が、町の建物一軒一軒をチェックして色付けしている。緑は町並みにふさわしいから残すべき建物。黄色は撤去した方がいい建物。さて、この判断をしているのは議員たち。美しい町にしようという議員たちのレベルは日本とは段違いだそうだ。たしかに美意識なんて、どの程度あるのかと思うくらいだものな。
日本の議員のレベルが低いってことは、それを選ぶ住民もまた美意識は低いってことだ。残念だがそう思うね。

つくずくと現場を見た。廃墟跡になってはいるが、空間ができ、後ろが見渡せていい。後ろの建物も海が見え、今がいいときだろう。景観を守る会のジュラクの森田さんも言っていたが海岸通は建物の壁にしないでだんだん状態にしたい。それには今がチャンスだと。せめて5,6階位で横並びにして、後ろの建物がのぞけるような感じにできればいいんだが。熱海はコンクリートの建物をいまさら変えるわけにはいかないだろう。ならばヨーロッパ式に段々に傾斜地の美しさが出るような景観作りをして貰いたいとは思うけど、景観法が遅すぎたなぁ。でも有力な助っ人が仲に入ってくれそうだから、協議できるといいねぇ。

参考:毎日新聞から
サンデー時評:
熱海の「景観争い」が投げかけるもの

 日本は美しい国だ、と漠然と思っている。しかし、それは郷土愛か、〈住めば都〉に近いような感覚で、本当に美しいかどうか、を本気で考えたことはない。

 観光立国のスローガンはよく聞くが、外国の方々に美しい国と思われているか、と真剣に検証したためしはなく、美しいと思われるように努力してきたかと言えば、それも疑わしいのだ。

「日本人は美意識に非常に敏感だけど、汚いものには鈍感ですね」 とある高名な学者が日本人の二面性を指摘するのを聞いて、確かに、と感心したことがある。どの駅前にも乱雑に置かれている放置自転車の群れは鈍感の見本だろう。

 とはいえ、国際観光振興機構が先日まとめたところによると、二〇〇四年に日本を訪れた外国人旅行客は六百十三万人と初めて六百万人の大台を超え、過去最高を記録したそうだ。韓国が百五十八万人でトップ、あと台湾、米国、中国が続いている。

 この数字はうれしいが、一方、日本からの出国者は千六百八十三万人で入国者の二・七倍、出超である。美しい国、という評判をもっと高め、できれば外からを三倍増させて入超に持っていきたい。そう思うが、残念ながら、現状は国をあげて観光政策を進めるような構えになっていない。

 そのことを改めて痛感させられたのは、四月十六日、熱海市で〈観光都市熱海の景観を考える・10年後の熱海を見据えて〉というシンポジウムが開かれ、縁あって私がコーディネーターをつとめたからだ。主催は市民団体〈熱海の眺望と景観を守る会〉と熱海市である。

 きっかけは高層マンションの建築だった。熱海はバブル崩壊のあおりをもろに受け、ひところ海岸に面した目抜き通りのホテル、旅館が次々につぶれた。あの貫一・お宮の松がある、〈東洋のナポリ〉と呼ばれたもっとも熱海らしい街並みだ。

 しかし、ここ数年、少しずつ元気を取り戻し、市当局もサンビーチのライトアップなど活性化の手を打ってきた。そんなとき、一等地の一角に、東京の業者が地上十九階建ての高層マンションを建て始めたのだ。

 これを阻止しようとする〈景観を守る会〉は、「熱海の顔である海岸線がマンション通りになったら、熱海の観光は終わる。熱海の今後を決める大きな闘いだ」 として、一月、工事差し止めを求める仮処分を東京地裁に申請した。根拠法になったのは昨年十二月施行されたばかりの〈景観法〉である。しかし、同地裁は、景観利益が個別具体的な権利ではないという理由で却下、〈守る会〉は東京高裁に抗告、裁判争いが続いている。

◇〈景観後進国〉離脱の流れを加速させねば

 シンポジウムはそうした景観を守る運動にはずみをつけ、市民も意識を高めてもらおうと開かれたもので、約六百人が詰めかけた。パネラーの一人、景観デザインの権威である東大大学院の篠原修教授は、「欧米と違い、日本の街の特色は自然をどう生かしていくかだ。物まねでない自然を生かした熱海らしい街づくりを考えていこう。建設中止などは法的にむずかしいが、景観法制定でこれからは市民の熱気が街をつくっていく」 と述べ、やはりパネラーの川口市雄熱海市長も、「自分の土地ならどんなものを建てても良いというのを否定しているのが景観法だ。市民、市が反対しているところにマンションが建つのはいかがなものか」 と訴えた。

 景観騒動で最近注目されたのは東京都国立市のマンション訴訟だ。同市は以前から街の美化運動に取り組んでおり、景観の保護を理由に高層マンションの一部撤去を求めた地域住民の裁判で、一審は景観利益の考え方を示して勝訴、しかし、昨年十月の二審判決は、「地域住民に良好な景観を享受する私法上の権利や利益はない」 と逆転敗訴になった。これがいまの景観問題の法的レベルである。

 熱海の争いは、単に街の美観だけでなく、観光立国という国家的課題に直結していくだけに、モデルケースとしての意味が大きい。それにしても、日本は遅れている。

〈景観〉という言葉は明治の中ごろ、植物学者の三好学という人が、英語のLandscapeやドイツ語のLandshaftの訳語として作った学術用語で、一般に広まったのは一九八〇年代という。つい最近のことだ。

 これまでは、都市づくりにしても、基本法は〈都市計画法〉で、景観のことなどまったく考慮されていない。だから、たとえば京都で、町屋造りの家屋の隣に高層ビルが無造作に建ったりする。景観は台なし、およそ美しい国づくりとは無縁の時代が続いていた。

 また、〈江戸の富士山可視マップ〉というのをみると、江戸時代には東京都内のあちこちから富士山の雄姿が眺望できたことがわかる。〈富士見坂〉の地名が数多く生まれたのもそのためだ。ところが、いまは地名も減ったが、建物の乱立と排出ガスなどで富士山の可視個所がすべて消えた。東京における景観計画の失敗を象徴している。

 しかし、悲観ばかりしていても仕方ない。最近は、住民の景観意識の高い街も全国的にできてきて、住民訴訟も増え、すでに五百の地方自治体で景観条例が制定されている。そうした動きにも触発されて、景観法が生まれた。国土交通省も昨年七月、〈美しい国づくり政策大綱〉をつくって、やっと本腰を入れだしたのである。遅ればせながら、〈景観後進国〉からの離脱が始まったということだろう。この流れを加速させなければならない。

 私のつたない旅行経験をたどると、二十数年前になるが、モスクワ郊外で、帝政ロシアの女帝、エカテリーナ二世(在位一七六二-九六)の大邸宅跡を見物したときだ。高台の邸から見渡すかぎり建物がまったくないのに一驚した。類まれな専制君主だった女帝は、視界の遮へい物をいっさい禁じたのである。

 そのすばらしい景観が、共産ソ連になっても保存されていたことに、二重の驚きがあった。景観は政治でもある。

今週のひと言
 大型連休は出歩かない、正真正銘休む、というテもある。











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 今「まちづくり条例」が危ない!

2005-04-21 11:15:21 | インポート
                 
  全国の皆さんへ
今「まちづくり条例」が危ない!

 神奈川県の西部に位置する真鶴町は、海と山に囲まれた風光明媚な町です。真鶴町では、91年に起こったリゾートマンション攻勢を「まちづくり条例」の制定でくい止めてきました。この条例は、容積率や建ぺい率だけでなく、数字で表すことのできない「美の基準」をも採り入れた先進的な条例です。
ところが、今真鶴町に新たな危機が起こっています。源頼朝船出の景勝地・岩海岸の崖地に、高さ22m、8階建てのシニア向けマンションが建てられようとしているのです。事業者は、条例を無視して、町との協議を済ませないまま、県に直接申請書を提出し、すでに県から建築確認が下りています。

 これに対し、私たち住民は「まちづくり条例」にのっとって、公聴会を開くことを請求し、その後「まちづくり条例を守る会」を結成しました。公聴会の席で、事業者は「真鶴町のまちづくり条例は、憲法・自治法違反」と一方的に決めつけました。しかし、条例の制定・施行は、日本国憲法及び地方自治法に基づくもので、正当な自治立法権の行使にほかなりません。

 全国一律の都市計画法・建築基準法に従うだけでは、その地域の歴史・風土に根ざしたまちづくりは出来ません。だからこそ「まちづくり条例」が必要なのです。「地方の時代」といわれる昨今、益々その重要性は高まっているといえます。
 
今、真鶴町では、行政・議会・住民が一体となって、事業者に条例を守るよう求めていますが、事態は厳しい状況です。もし、真鶴町に条例違反のマンションが建つことになれば、全国の市町村にある「まちづくり条例」もまた危機にさらされます。
皆さんも、全国から条例違反の事業者にご意見のハガキ、FAX、メールを送ってください。また、建築確認済書を出してしまった神奈川県の方にもお願いします。真鶴町と「まちづくり条例を守る会」には、支援・応援のメッセージをお寄せ頂けると嬉しいです。
皆さんの力が、今どうしても必要です。ご協力よろしくお願い致します。
               
まちづくり条例を守る会     代表  錦織 潔
                                                             
★ご意見ハガキ等の送り先

環境企画設計(株) 
〒220-0043 横浜市西区御所山町15番地1 401号
FAX 045-681-1599

(株)久米設計   
〒135-0052 東京都江東区潮見2-1-22 
FAX 03-5632-7800
e-mail shoji.hirakawa@kumesekkei.co.jp

神奈川県知事
〒231-8588 横浜市中区日本大通1
FAX 045-210-8802 
e-mail hi.1197@pref.kanagawa.jp
045-210-8834
mailto:mg-master.396pref.kanagawa.jp


☆応援メッセージの送り先
まちづくり条例を守る会 代表 錦織 潔  
〒259-0201真鶴町真鶴855-1
FAX 0465-68-6251 
e-mail PEE01117@nifty.com

☆真鶴町・議会にも支援・応援のメッセージを送ってください

真鶴町長(都市計画課・議会事務局)  
〒259-0202 真鶴町岩244-1
FAX 0465-68-5119
e-mail tos@town-manazuru.jp


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