梅雨の間に本棚の片づけをするつもりだった。大した本はないが、それでも数にしたら1万冊は優に超える。倉庫にも突っ込んであるし、新しい本を古い本の前面に並べるので、本を出そうとしても、前面を片づけなければ後ろの本が出せない状態だ。全部処分してしまってもいいのだが、私の蔵書だけではない。とりあえず本棚の分だけは片づけようと計画していた。
一人では無理なので、二人で全部本を出して、分類別に山を作ってから、入れていこうと思ったのだが、それが腰痛で、できなくなってしまった。とんだハプニングだ。ここのところ、学生時代の友人たちと会ったり、それが刺激となって上高地へ穂高に別れを告げに行ったり、青春の軌跡をたどっている。その一連の続きなのだろうが、「享楽主義者マリウス」という本を思い出した。なぜ思い出したのか、その関連がわからないのだが、ともかく思い出した。Everyman’s Libraryの原書である。買ったのは学生時代、丸善で注文し、イギリスから取り寄せた。当時は船便だったので、届くまで1ケ月はかかった。扱ってくれた店員さんの顔も覚えているのだが、おかしなことに、なぜその本を読みたかったのか、それは覚えていない。しかし、読み始めるとラテン語がやたらと出てきたので、先にラテン語をやってから読もうとやめてしまったのは覚えている。もちろんラテン語はやったのだが、その後マリウスを読んだ形跡はない。
見当をつけて、原書の並んでいるあたりを探してみた。Everyman’s Libraryの書籍はかなり買い込んである。こんな本、読んだんだ、なんて本もかなりある。しかもご丁寧に、手製の布カバーがみんな掛けてある。カバーの布は記憶にある。マリウスはすぐ見つかった。「MARIUS THE EPICUREAN」というのが書名である。作者はWALTER PATER(ウォルター ペイター)。それでもマリウスは記憶にあるがWALTER PATERという作者その人は覚えていない。背表紙は埃で汚れ茶色くなっているが、挟まっていた裏表の布は色彩もきれいなままだ。布を破り捨てると本はきれいな状態だ。ただしカビ臭い。
ネットで調べると、W. PATER(1839~1894)、文学者となっている。経歴もある。小説家ではないが、マリウスは小説だ。代表作は「ルネッサンス」、評論のようだ。「文芸復興 ルネッサンス」という2冊上下の文庫本は買って読んだ記憶はある。しかしその著者がペイターであったかどうかは定かではない。ペイターであったとしたら、その関連でマリウスを買ったのかもしれない。
私は本を買うと、今はやらないが、裏にいつ買ったか書く癖があった。それをみると、1958年12月27日となっている。おそらくイギリスから自宅に送られてきたのだろう。本を開いたが、英字は細かくて、とても読めない。癪だな、翻訳ものはないか、と探してみた。古書が見つかった。本多顕彰さんの訳だ。本多顕彰さんには「ベニスの商人」を教わった。古書の状態は良くないようだが、この字の細かい原書を読むよりは楽だろうと3千円ちょっとだが、注文した。図書館で探してもらおうかとも思ったが、状態の悪いのを貸出期間中に読み上げるのはしんどい。時間をかければ何とか読めるだろうと。紙の変色に加えて、旧仮名、のようである。「オシアン」で懲りてはいるが、「オシアン」は手に入らなかったが、マリウスは買えたのだから、のんびりなら読めるだろう。
本といえば、同じころ、「アミエルの日記」を買った。フランス語の原書である。なぜ覚えているかといえば、この本、自分でページを切っていかなければならなかったので、初めは落丁版ではないかと驚いた。しかしそうではなく、切りながら読むのだと教わった。面倒くさいので、読む前に全部切ってしまった覚えがある。
さて、話は元に戻るが、なぜ、この本を読みたかったのか、しかもイギリスに注文してまで、どうしてほしかったのか、そのあたりがどうしてもわからない。ペイターはプラトン学者だったというから、それで読もうと思ったのかもしれない。当時はきっと内容もわかっていたからこそ、原書で読もうと思ったんだろうが。
内容の簡単な説明を読むと、マリウスはマルクス・アウレリウスの秘書のようである。内面的な形成過程が書かれているようだ。内面性の希求、若者の私としてはそんなところが狙いだったのかもしれない。
青春の軌跡を追うのも大変だ。