Cogito

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大騒動

2014-09-27 19:40:21 | 日記
朝から大騒動。ガーナとベリーズを予防注射のため、9時10分前に獣医さんにいますぐ連れて行ってもいいかと、電話をして予約をした。
ガーナは朝帰りで寝ていたんでおとなしくケージに入ったが、ベリーズは入れたはいいが、ケージを開けて逃げ出してしまった。すぐに捕まえてもう一度入れたが、今度は横の隙間から飛び出してしまった。このケージ買ったばかりで、要領がいまいちわからなかったので、失敗してしまったのだ。ガムテープでまわりをぺたぺた貼って、補強した、がベリーズは逃げ回って捕まらない。
予約しちゃったから、とりあえずガーナだけ連れて行ってもらう。


逃げたベリーズはなかなかつかまらない。猫どもを注射に連れていくのは毎度のことながらエネルギーの消耗だ。

ちょうど息子が来たので、捕まえてもらった。papasanは気の毒に2往復した。これで1年間は大丈夫。後は12月に同じく予防注射に3匹を連れて行くのだが、これがまたひと騒動。ともかく注射のおかげか猫たち、病気をしないのは助かる。、
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湿生花園

2014-09-27 15:14:16 | 日記
湿生花園
  
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箱根

2014-09-26 21:52:37 | 日記
箱根山の周りの雲が切れて、一面青空に見える。11時ごろから、思い立って箱根周りで小田原に行くことにする。
急いでカメラをバッグに突っ込んで、でかけた。湯河原パークウェイからのいつもの道である。

紅葉にはまだ早いが、高度があがるにつけ、小さな秋から中くらいの秋煮変わっていく。あいにくと富士山は見えなかった。
湿生花園により、写真を撮って、強羅で来年泊る予定の宿の下見をしようとしたんだが、道を間違えて、結局行かなかった。写真美術館も車が入らないというのでパス。

写真、撮ってはきたけど、どうしたら複数枚入れられるのかな?フォトチャンネルにしないといけないのかな??
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ヒガンバナ

2014-09-24 07:55:12 | 日記
この時期になると、毎年のことながらヒガンバナが咲く。以前は、土手ににぎやかに咲いていたのが、だんだん減って、今年は二輪、木陰に咲いているのみ。

この花は中国伝来。毒草だが、漢方にも使われているし、有用だからもたらされたとも聞く。日本中、どこにでもある花だが、三倍体の種では発芽しないので、球根を植えて増やしたようである。畑や田んぼの畦道に植えられた。毒がある故に作物をモグラなどの小動物にやられないために植えられたのだそうだ。

別名 曼珠沙華(まんじゅしゃげ) 仏典に出てくる見る者の心を柔軟にしててくれる花。マンジュシャゲの語源はサンスクリット語のmannjuaka、「天上に咲く花」
ただし、インドで曼珠沙華と呼ばれる花は全く違う花のようである。沙羅双樹も日本でよばれている花とは全く違う花だった。インドの曼珠沙華を見てみたいと、ネットを探したが、まだ見つかっていない。
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チェルノブイリ2

2014-09-20 10:11:23 | チェルノブイリ
1996年11月、ミンスクへ行った。デニスが甲状腺の手術を受けので、お見舞いに行ったのである。アンドレイさんだけには連絡して「驚かせてやろう」とデニスにも家族にも知らせないで行った。

                                                 

着いてから、プラネタ・ホテルをとってもらった。夕食はアンドレイさん宅でピローグを作っていてくれた。私が勝手にネイミングしたロシアパンというピローグの皮にミートソースを入れてチーズをはさんだ、ロシアとイタリアを合わせたような、でも美味しいパンをご馳走したので、本物のピローグを味あわせてあげようと作っていてくれたのである。
                                                 

ピローグにはキャベツが入るみたいだ。素朴なお焼きのような感じ。味からいえば、私のロシアパンの方が美味しい。「mamasanたちがミンスクに来ているよ」とアンドレさんが電話をするとデニスはびっくりしたようだった。「明日行くよ」と言って、私たちはホテルに行った。

                                                   

ミンスクのホテルに泊るのははじめてである。休憩に、ベラルーシ・ホテルを利用したことはある。ホテルプラネタの部屋はベッド、トイレとシャワー、ラジオが一台というさっぱりしたもの。驚いたことにホテルには付属でカジノがあった。行かなかったけど。

                                                  

朝食後、庭に出ていると、年配の女性が来るのが見えた。彼女はお金をくれと言った。一昨年、ウクライナで物乞いする老女たちを目にしてきたが、ミンスクでも同じような現象が起きてきているようだ。若い世代は柔軟に立ち回れるが年金を当てにしてきた年取った世代はそうはいかない。一番苦しい世代だろう。

                                                 

アンドレイさんとウラジミールさんが迎えに来てくれた。古い民家園に連れて行ってくれた。その後、デニスの家に行った。心配していたがデニスは元気だった。去年は私と同じ背丈だったのが、今年は170cmのPapasanを追いこしていた。去年と同じようにエレーナさんが美味しい料理を作ってくれた。アンドレイさんがいるから通訳してもらえる。

                                                

テレビをテレビを見ると、大統領が出て、国民と問答している。それが延々と続いている。ベラルーシでは今使われている国旗と紋章を旧体制のものに変えたいと大統領が提案しているとのことだった。それに反対する人をテレビで説得しているようだった。一見、民主的な手法のように思われるが、結局は反対論を封じこめるような感じだった。よそ者として見ている限りテレビのルカシェンコ大統領の感じはよくなかった。この大統領が選挙で当選したとき、私達はミンスクにいた。ルカシェンコ大統領はソ連体制に戻そうと親ロ政策を取っていると西側で言われていることは知っていた。そのための国民投票は数日後、私たちが発つ日に行われる。

                                                

翌日、二人で市内を歩き回った。古い町並みを残す一角にあるレストランに入った。このレストランは94年に来たことがある。ただし、困ったことに、メニューのロシア語が読めない。今回は短い滞在なので、辞書を持ってこなかったのだ。赤ワインとスープ、ミート、フィッシュとだけ言って頼んだ。ワインはモルドバ産のワインで美味しかった。スープはキノコがいっぱい入ったスープでこれもフクースナ(美味しい)、肉はちょっと硬かった。

                                                 

地下鉄に乗ると、車輌に現在の白と赤の国旗と新しくしようという緑っぽい国旗のポスターガが貼ってあり、国民に投票を呼びかけているようだった。「この国旗かぁ、むしろちょっと古臭いね。現在のものの方が明るくていいのにね」なんて日本語で話していると、一人の男性がつかつかと私達の前に来て、いきなりその新しい国旗のポスターに大きく×をつけた。Papasanが「ボクもこの現国旗の方がいい」というと、男性はPapasanに抱きついた。明らかに外国人であるPapasanにである。しかし「Good luck!」というと、男性は「ベラルーシ国民は長い中央集権にならされてしまっている。民主主義を知らない」と悲しそうに言った。

                                                   

デパートへ行って、ベラルーシの紋章の小さなバッジをあるだけ買った。たぶん、国民は大統領の意図に従うだろうから、国旗も紋章も変わってしまうだろう。「歴史的記念だよ、いつかベラルーシでは見られなくなった紋章が日本でみつかったなんてこといなるかもよ。」

                                                  

11月のミンスクは寒い。まして寒がり屋の私には空気が肌に刺すように痛い。これでもここのところ暖かいのだとそうだ。「寒い、寒い」という私にアンドレイさんとウラジミールさんが「mamasanがきたから、お天気が暖かくしてくれているんだ」と言っていた。

                                                     

あまりにも寒いので毛糸の帽子をかぶり、マスクをして歩いた。行きかう人々が私のマスク姿を奇異な目でみている。中には笑いをこらえている人もいる。マスクをかけて歩くことがそんなに奇異なんだろうか。当然、通る人はマスクをかけている人なんか一人もいない。

                                                

空港まで送るというエレーナさんに「泣かれると辛いから、またきますよ」と別れを告げて、私たちはタクシーで空港へ行った。夕暮れの迫る空港にはアルメニアに帰る一団が大騒ぎをしていた。私達はウィーンに戻った。ウィーンは雪が積もりミンスクより寒々としていた。

                                               

註:ベラルーシは三権分立の共和制の国であるが、1996年に憲法が改正され、行政の中心である大統領(任期5年)に非常に強い権限が与えられている。また、2004年に行われた国民投票により、憲法の大統領職の三選禁止規定が削除された。

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