楽天KOBO電子書籍 価格800円 |
2019年7月28日任期満了実施参院選で 安倍自民党を大敗に追いつめれば 政権運営が行き詰まり 2019年10月1日の消費税10%への増税を 断念させる可能性が生じる |
ご存知のように地元では「安倍・麻生道路」と呼ばれている下関北九州道路の建設に向けた政界の動きが安倍晋三への忖度がベースとなっているのかどうか、一騒動起こしている。事の発端は4月8日(2019年)のブログにも書いたが、国道等の道路建設を所管の一つとしている国交省の副大臣塚田一郎の2019年4月1日の福岡県知事選自民推薦候補応援演説から発している。
「西日本新聞」(2019年04月03日 10時10分) 塚田一郎国土交通副大臣の主な発言内容 塚田一郎麻生太郎衆院議員にお仕えして、はや20年近く。最初の総裁選は大変でした。その時代から、麻生太郎命、一筋でやってきた。筋金入りの麻生派です。 実は公務で(福岡県に)来ました。福岡空港の民営化の開設式です。私は新潟の自民県連会長もやっているので、50人の同士の応援要請があったが、かわいい弟分の大家敏志参院議員(麻生派)の要請があり、おやじ(麻生氏)の顔が浮かんで足を運びました。麻生派は渡世の義理だけで動いている。ほとんどやせ我慢の団体です。私は夏に参院選があるが、自分の票を削って北九州に参りました。 国交副大臣なのでちょっとだけ仕事の話を。大家さんが私が逆らえない吉田博美・自民参院幹事長と一緒に「地元の要望がある」と副大臣室に来た。下関北九州道路(の要請)です。これにはいきさつがありまして、11年前に凍結されています。何でか分かります? 『コンクリートから人へ』の流れで、とんでもない内閣があったでしょ(※事実上凍結した2008年当時は自公政権)。総理は悪夢のようだと言ったがその通りです。 何とかしないといけないと。下関と北九州ですよ。よく考えてください。下関は誰の地盤ですか? 安倍晋三総理です。麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まっている。吉田先生が私の顔をみて、『塚田、分かっているな』と。『これは総理の地元と副総理の地元の事業なんだよ』と。『俺が何で来たか分かるか』と。私は物わかりがいい。すぐ忖度(そんたく)します。『分かりました』と。 そりゃ総理とか副総理はそんなこと言えません。私は忖度しました。この事業を再スタートするには、いったん国で調査を引き取らせてもらいます、と。今回の新年度の予算で国直轄の調査計画に引き上げました。 別に知事に頼まれたからではありません。大家敏志が言ってきた、そして私が忖度したということですので。 いろいろ計画があります。トンネルが良いという人がいるが、橋がいいのではないかということで、おそらく橋を架ける形で調査を進めて、できるだけ早く、みなさまのもとに橋が通っていけるように頑張りたい」 |
下関北九州道路に関わるこれまでの経緯をざっと振り返ってみる。
2008年、福田康夫政権時代、財政難で建設に関わる国の調査を凍結
20162月24日、「関門会」の懇談会開催。第二関門橋の早期建設促進を話題。関門会の総意として要請活動を行うことを決定
2016年3月、山口県下関市と北九州市周辺の与党有志議員がメンバー、筆頭に安倍晋三名の「関門会」が国交省に下関北九州道路の事業化に関わる要望書
を提出。
<1>下関北九州道路の早期実現を図ること
<2>実現に向けて、具体的な検討を進め、調査を実施するとともに、これらに必要な予算を確認すること(「日刊スポーツ」/2019年4月8
日21時42分)
2017年度、地元自治体の予算と国の補助で調査を再開。
2018年10月25日、吉田博美と大家敏志、首相官邸に安倍晋三を訪ねる。安倍晋三「早期建設に向けた活動をしっかりと取り組むように」と指示
2018年11月2日、自民党参院議員有志60人「下関北九州道路の整備促進を図る参議院議員の会」設立。会長自民参院幹事長吉田博美
2018年12月16日、「下関北九州道路の早期実現に向けた整備促進大会」を北九州市小倉北区のステーションホテル小倉で行う。
吉田博美会長挨拶「自民だけでなく公明、野党の力を集めたオールジャパンで行動し、早期実現に向け頑張っていくことをお約束する」
2018年12月20日、国交副大臣塚田一郎、吉田博美と福岡県選出自民参院議員大家敏志2人と副大臣室で面会
2019年3月29日、2019年度からは国が下関北九州道路の調査費用の全額負担を発表、調査を国の直轄事業として行うこととする。
2019年度予算に調査費用約4000万円計上
2019年4月1日、塚田一郎「忖度」発言
2019年4月5日、塚田一郎辞任
2019年4月8日、国交省、衆議院国土交通委員会の理事懇談会に塚田一郎に対する吉田博美と大家敏志の面会記録を提出
吉田博美「総理、副総理の地元とは関係なく、経済や後世のためオールジャパンで必要な道路だ。早く国で引き取って進めてほしい」
塚田一郎「前向きに検討していきたい」
吉田博美「総理、副総理と言うと、国交省もやりにくいだろう。与党、野党で協力して進めていく」(「NHK NEWS WEB」(2019年4月8日 20時)
59分)
2019年4月9日、吉田博美、コメント発表。「メモでも明らかなように、私は『総理、副総理の地元とは関係なく中国・九州の経済や後世のため、オールジャパンで必要な道路』と発言している。(「総理、副総理と言うと国交省もやりにくいだろう」と述べたことについて)その直後の『与党、公明党、野党で協力して進めていく』という発言につながるもので、誤解を生まぬようにという考えを表したにすぎない。あくまでも地域経済などに必要な道路で、幅広い賛同の中で進めていきたいという趣旨で発言したことが改めて裏付けられた」(以上)
どう見ても、2018年10月25日の首相官邸で安倍晋三が「早期建設に向けた活動をしっかりと取り組むように」と指示を出した吉田博美・大家敏志の三者密談が8日後の2018年11月2日の自民党参院議員有志60人による「下関北九州道路の整備促進を図る参議院議員の会」の設立、更にこの日から4日後の2018年12月20日の国交副大臣室での塚田一郎と吉田博美と大家敏志の三者密談に繋がったとしか見えない。
安倍晋三筆頭名の「関門会」が国交省に下関北九州道路の事業化に関わる要望書を提出したことについての質疑が2019年4月4日の参議院決算委員会で行われている。
立憲民主党小川敏夫「安倍総理はですね、これまでの政治家としての活動の中で下北道路についてどのように取り組んでいらっしゃいましたか」 安倍晋三「(下関九州横断道路に関して)話があったのは事実でございます。一国会議員としてそういう可能性を追求していきたいということは私が申してきたことなんですね、かつて。あったわけではございますが、総理大臣でございますから、総理大臣として当然、そういう要望することはないわけでございます。 勿論、地元の陳情等は伺ったことはある。ま、こういうことでございます」 共産党仁比聡平「私の手元に平成28年3月31日付の石井国土交通大臣宛のですね、『下関北九州道路の早期実現に向けて』の要望書というのがございます。これは関門会という名前で出されていますけども、その筆頭にですね、安倍総理のお名前があるんですけど、冒頭部分を読みますが、『関門海は関門、即ち下関北九州にゆかりのある自民党・公明党国会議員の有志によって結成された会である。去る2月24日、安倍総理を囲み、懇談会を開催させて頂いたところ、その際、第二関門橋の早期建設促進の件が話題となり、関門会の総意として要請活動を行うこととなった』 北九州道路の早期実現を図ること、具体的な検討を進め調査を実施すると共にこれらに必要な予算を確保すること。 これ安倍総理がですね、総理大臣なのに国土交通大臣に要望すると。これ異様な話でしょ。こうやって忖度させてきたんじゃありませんか。大体総理がこんなところに名前を連ねていいんですか。 総理自身が加わった、まさに『安倍・麻生道路』ではありませんか」 安倍晋三「この関門会と言うのは、えー、今趣旨を読んで頂いたように親睦会でございます。私自身、そういう要望書が出されたっていうことは、実は、今、この拝見するまで知らなかったのでございますが、メンバーではございますが、いずれに致しましてもですね、例えば私は総理大臣として、そうした、そこに名前を載せているのではなくて、関門会のメンバーの名前が載っているということだけなんだろうと、こう思うわけでございます。 そもそも私は陳情する立ち場には、総理大臣として陳情する立ち場には、そもそもないわけでございます」 |
小川敏夫に対しては「総理大臣でございますから、総理大臣として当然、そういう要望することはないわけでございます」と言い、仁比聡平に対しては「関門会のメンバーとして名前が載っているだけで、自身承知していない」ことであり、「総理大臣として陳情する立ち場には、そもそもない」と答弁している。
「関門会」メンバーの筆頭に総理大臣である安倍晋三の名前が刻まれていながら、会の立ち場からの国交省への要望書提出に関して何も知らされず、何も報告がなかったということになる。あるいは20162月24日の「関門会」の懇談会に出席していなかったとしても、第二関門橋の早期建設促進の要請活動を行うことを決定していながら、その決定を後日、何ら知らされていなかったことになる。
総理大臣とは名前ばかりの飾りであったなら、そういうこともあり得るが、"安部一強"と言われる強権を誇っている以上、あり得ない話で、虚偽答弁以外の何ものでもない。虚偽答弁で対応しなければならない必要性は安倍晋三の指示が動いた建設促進であり、その指示を受けた腹心たちが周囲に忖度の輪を広げて、建設の実現を謀ろうとしていること以外に考えることはできない。
要するに政治の私物化を隠さなければならなかった。
と言うことは、「総理大臣として陳情する立ち場には、そもそもない」が事実だとしても、加計学園獣医学部認可に見たように自身を隠れた場所に置いた政治の私物化以外の何ものでもない"指示"はできる立ち場にあることは否定できない。
吉田博美は上に記載してあるように国交省が副大臣室での2019年4月8日の塚田一郎、吉田博美、大家敏志の三者面談の記録を公表したことに対して翌4月9日、コメント発表した。マスコミが報道した吉田博美の発言は「総理、副総理の地元とは関係なく、経済や後世のためオールジャパンで必要な道路だ。早く国で引き取って進めてほしい」、あるいは「総理、副総理と言うと、国交省もやりにくいだろう。与党、野党で協力して進めていく」といったものであった。
真に「経済や後世のためオールジャパンで必要な道路」であり、そうであるからこそ、「与党、野党で協力して進めていく」確固たる必要性を自身の意志としていたなら、自身も2019年4月9日のコメントで、「幅広い賛同の中で進めていきたいという趣旨」の発言だとしている以上、2018年11月2日設立、自身が会長に収まった「下関北九州道路の整備促進を図る参議院議員の会」は賛同者を広く野党にまで広げなければならなかったし、野党の中からも多くの賛同議員が出てこなければならなかった。
ところが、ネットで調べてみると、どんな顔触れかは見つけることができなかったが、自民党参院議員有志60人とか、67人となっていて、何度か口にしている「与党、野党で協力して進めていく」という言葉を自から裏切っている。
少なくとも「参議院議員の会」設立から1カ月半後の2018年12月16日に北九州市小倉北区のステーションホテル小倉で開いた「下関北九州道路の早期実現に向けた整備促進大会」の際には公明党や野党議員を賛同の渦に加えていなければならなかった。
だが、会長として行った挨拶は「自民だけでなく公明、野党の力を集めたオールジャパンで行動し、早期実現に向け頑張っていくことをお約束する」であって、この時点でも、「自民だけでなく」と言わざるを得なかった。裏返すと、自民党だけだったから、「公明、野党の力を集めたオールジャパンで行動し」と約束しなければならなかった。
既に公明党と野党の参賛同者を加えていたなら、「公明、野党と共に」という体裁の発言になる。「公明、野党の力を集めたオールジャパンで行動し」ではなくて、「我々は公明、野党の力を集めたオールジャパンで行動しています」の宣言となったはずだ。
1991年11月設立の下関北九州道路建設促進期成同盟会には自民党衆議院が20人程がメンバーとなっていて、他に自民党参議院議員5人程、公明党や国民民主党、立憲民主党の衆参議員が何名かずつ加わっているが、会長は山口県知事であり、副会長は福岡県知事となっていて、主体は地方自治体であって、吉田博美会長の「下関北九州道路の整備促進を図る参議院議員の会」のように国会議員主体の組織ではない。
前者が地方自治体主体なのは山口県議会議員や下関市議会議員、あるいは福岡県議会議員や北九州市議会議員がメンバーとして加わっていることからも分かる。
要するに吉田博美が国交省副大臣室で副大臣の塚田一郎との面会時に「与党、野党で協力して進めていく」と言いながら、「下関北九州道路の整備促進を図る参議院議員の会」を野党議員を加えずに自民党参議院の有志議員のみで発足させたのは安倍晋三の指示で頭となって動くことになった吉田博美や大家敏志の建設促進だからであり、同じ与党の公明党議員であっても、ましてや野党議員には知られたくない任務であるからこそ、公明党や野党に門戸を開かない閉鎖的な組織とせざるを得なかったということなのだろう。
吉田博美が「総理、副総理の地元とは関係なく」とか、「総理、副総理と言うと、国交省もやりにくいだろう」と言っていることは、そのように言いつつ、実際には「総理、副総理の地元に関係している道路である」ことと、「総理、副総理と言うと、国交省は表向きはやりにくいだろうから、そこは頼みますよ」といったニュアンスを伝えることになる言葉でもあり、当然、相手の忖度を誘う仕掛けが仕込んであることになる。
「オールジャパンで必要な道路」だ何だとか、「与党、公明党、野党で協力して進めていく」意図の発言だとか、本人が釈明しているような意味ではない。そのような意味にするには公明党や野党の賛同者が「参議院議員の会」には加わっていなければならない。
塚田一郎が2018年12月20日の国交副大臣室で忖度を誘う仕掛けに打てば響くように応えた。そのように応えた自分を褒めたくなって、2019年4月1日の福岡県知事選自民推薦候補応援演説で「私は物わかりがいい。すぐ忖度します」と自慢した。
塚田一郎はどちらかと言うと、政治家として正直者の口に入るのだろう。少々口は軽いが。