蓮舫を叩く:女だからではない、参院政倫審世耕追及の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス

2024-10-21 02:10:31 | 政治
 蓮舫の自分に目を向ける自己正当化バイアスが過ぎて、参院政倫審での世耕弘成のウソつきな性格に気づかず

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 蓮舫の自己正当化バイアスが顕著に現れた最近の例を挙げてみる。安倍派と二階派の政治資金裏ガネ事件に関する政治倫理審査会が2024年2月29日以降、衆議院と参議院で開催されたが、裏ガネを受けていた自民党参議院幹事長の世耕弘成に対する参議院政治倫理審査会が3月14日に開催され、追及に立った蓮舫は時間切れを迎えると、次のような発言で締め括った。

 蓮舫「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 要するに政治倫理審査会という制度の不備を訴えた。世耕弘成自身が誠実に対応しないのは制度そのものに限界があるからで、満足な追及ができなかったという解釈となる。決して自身の追及技術の巧拙を省みることはしない。

 「政倫審に限界を感じた」が事実そのとおりなのか、蓮舫自身の追及技術の巧拙が何ら関係しなかったのかを見ていく。もし後者が関係した追及不足なら、この点でも自分は常に正しいとする自己正当化バイアスの影響を見ないわけにはいかなくなる。

 先ず2024年3月1日の衆院政倫審で安倍派の裏ガネ問題では安倍派幹部の西村康稔がトップバッターとして立った。判明したことは安倍晋三と塩谷立、西村康稔、下村博文、世耕弘成の安倍派幹部4人に加えて安倍派事務局長で会計責任者の松本淳一郎と2022年4月に、そして2022年7月銃撃死の安倍晋三を除いた上記安倍派幹部4人と会計責任者の松本淳一郎の5人が2022年8月に会合を持ったという事実である。

 当方はこの事実を安倍晋三が現金還付・政治資金収支報告書不記載のシステムの開発を主導した張本人で、両会合共に安倍晋三を責任外に置くためのデッチ上げの虚偽事実ではないかと疑っているが、西村康稔自身は自民党武藤容治の質問に答えて、4月の会合の際、安倍晋三から、「現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめる」といった方針を示され、全員でその方針を了承したといった答弁を行っている。

 4月8月の会合が事実存在したか、存在しなかったかは別にして、西村康稔が「不透明」と証言した以上、その場に居合わせた幹部4人がその「不透明」をどうように意味解釈したのか、あるいはどういった心証を持ったのか、中止の影響をどう考えたのか等に追及の重点を置かなければならなかった。

 2023年11月以降から既にマスコミによって安倍派、その他の政治資金パーティのノルマ超過分現金還付・政治資金収支報告書不記載が報道され、主だった議員の政治資金収支報告書が調査・報道されて、彼らはこの政治的不正を相次いで認めることになり、いわば政倫審に出席した自民党幹部議員は俎の鯉同然であり、彼らを生かすも殺すも追求する野党側のどう料理するのか、その手捌き次第だった。

 裏金議員が最も多かった安倍派の場合、この悪臭ふんぷんたる慣習が1970年代に福田赳夫を発祥としながら、それ以前の岸信介の岸派、鳩山一郎の鳩山派の流れを汲む清和政策研究会が連綿と受け継いできた制度としてあったものなのか、安倍晋三か、それ以前の直近の派閥領袖が新たに開発した錬金術で、そこからの引き継ぎなのか、証明されてはいないが、もし安倍晋三が開発した制度でなかったとしたら、幹部共々口裏合わせして、現金還付はいつ頃からなのか明確には把握していないが、かなり以前からしていたことで、収支報告書不記載の事実は秘書任せで知らなかったことだと言えば、安倍晋三は単に派閥としてその制度を慣習上、受け継いだだけのこととなり、本人の悪質性はかなり減免される。

 にも関わらず、死人に口なしの安倍晋三が安倍派の会計責任者同伴で安倍派幹部4人と会合を持ち、現金還付中止を指示し、その理由に「現金は不透明で疑念を生じかねない」を挙げたと安倍派幹部の一人西村康稔が政倫審で証言した。

 「現金は不透明」から容易に推察される収支報告書不記載、あるいは虚偽記載への付け替えが浮上する危険性を犯してまで、現金還付を"不透明な領域"へと持っていった。安倍晋三が現金還付を中止指示した理由に正当性を纏わせた場合、なぜ中止する必要性があったのかと矛盾が生じるため、安倍晋三関与無罪説を打ち立てるためには「現金は不透明で疑念を生じかねない」と不当行為の性格付けをギリギリ纏わせなければならなかったからだとしか考えようがない。

 ところが、政倫審での追及側の野党の誰もが安倍晋三が中止理由とした「現金は不透明」から還付した現金の処理方法を推察することはなかった。「不記載を知っていたのではないのか」、「知らなかったのでは済まない」といった類いの追及しかできなかった。

 当然、2022年4月の会合が事実存在した会合で、安倍晋三が現金還付中止の理由として、「現金は不透明で疑念を生じかねない」を実際に口に出していたなら、その時点で安倍派幹部4人は「不透明」という言葉から収支報告書不記載か虚偽記載を前々から承知していたか、承知していなければ、少なくともその処理方法を「不透明」のレベルで推察できたはずで(でなかったなら、不透明→中止→了承へと進む幹部たちの納得を背景とした段階を経ることはできない)、質問に立った与野党の議員は肝心要のこの点を誰一人追及せず、一旦中止と決めた現金還付を自前資金の少ない若手議員からその継続を訴えられて協議することになったとしている、銃撃死を受けた安倍晋三を除いて同じ幹部が集まった8月の会合で誰が再開を決めたのかに追及を集中させた。

 追及の結果、経緯についての説明を少しづつ違わせて答弁を示し合わせていたのだろう、結論を出すに至らなかったから、誰が決めたわけでもない、再開されていたことは承知していなかったと全員がほぼ同じ答弁を繰り返し、全員が還付された現金が政治資金収支報告書に不記載だった事実は2023年11月からのマスコミ報道で知った、収支報告書の扱いは秘書に任せていたを報告書不記載と現金還付継続に関わる無罪の状況証拠とした。

 だが、このような説明だと、西村康稔を筆頭に安倍派幹部は安倍晋三が指示したとしている現金還付中止の「不透明」とした理由を、なぜ不透明なのかを想像することもなく、尋ねることもせず、知らないままに了承したという奇妙な矛盾を成り立たせることになるが、野党の質問者はこの矛盾に誰一人気づかずに遣り過すことになった。蓮舫とて同じ一人となる。

 要するに追及不足は偏に野党側の追及技術の不足にあるのであって(自民党追及議員は本気で追及する気はなかったろう)、蓮舫が自身の追及不足を棚に上げて、政倫審という制度そのものに欠陥があるかのよう発言をしたのは責任転嫁そのもので、やはり自己正当化バイアスが先に立つことになったからとしか言いようがない。

 では、2024年3月14日の参議院政治倫理審査会での自民党参議院幹事長世耕弘成に対して行った蓮舫の追及不足を具体的に取り上げ、最終的に自らの追及不足を省みることなく政倫審という制度そのものを批判する自己正当化バイアスに陥ることになった経緯を見ていくことにする。

 改めて断るまでもなく、西村康稔が証言した2022年4月の会合で安倍晋三が中止理由とした現金還付の「不透明」という性格付けは政治資金の扱いとしては収支報告書不記載か虚偽記載しかないはずだが、世耕弘成はその場にいた一人としてそのことを承知していたのか、承知していなかったが、おおよその見当は付けていたのか、あるいは承知してもいなかった、見当を付けることもしなかったなら、「不透明とはどういうことですか」と安倍晋三に聞くぐらいはするのが自然な成り行きだが、そういったことを含めて追及すべきだったが、4月の会合についても8月の会合についてもほかの野党議員とほぼ同じ質問をし、世耕弘成からは政倫審の場に立たされた他の幹部とほぼ同じ答弁を引き出しただけで終えている。

 要するに他の質問者と同じく、ただ雁首を揃えただけで終わったということであって、政倫審という制度が問題でも何でもなく、偏に追及技術が稚拙だっだに過ぎない。

 特に問題は蓮舫が世耕弘成に15分の与えられた弁明の時間に一人舞台となることをいいことに好き勝手を言わせたままにしたことである。蓮舫の追及のアンテナはこの程度に鈍い。

 「私自身は、派閥で不記載が行われていることを一切知らなかったが、今回の事態が明らかになるまで、事務的に続けられてきた誤った慣習を早期に発見・是正出来なかったことは幹部であった一人として責任を痛感しています」

 「今回の事態が明らかになるまで」とは2023年11月からマスコミが不記載を伝えるようになったことを指し、当然、報道以前は知らなかったこととしている以上、知らなかったことを「早期に発見・是正」は思い立つことさえできようはずもないことで、「出来なかったことは」と出来たならしていたかのようなニュアンスの物言いをするマヤカシは悪臭を放つのみである。

 「もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体で収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に是正を進言できたはずだとの思いであります」

 現金還付も知らなかった、政治資金収支報告書不記載も知らなかったとしている以上、「問題意識」を持つことも、還付金をチェックすることも、思い立つことはできないはずのことを「気づいていれば」と仮定の話を持ち出して、「歴代会長に是正を進言できたはずだ」と自身を正しい側の人間に置こうとする。これだけで世耕弘成は心象的には何もかも承知していて、派閥と共謀して裏ガネづくりに励んでいたと十分に疑うことができる。

 「私が積極的に還付金問題について調査をし、事務局の誤った処理の是正を進言しておれば、こんなことにはならなかったのにと痛恨の思いであります」

 妻の不倫を知らないでいる夫が妻に不倫を諌めることなど思い立つはずもないことと同じで、知らなかった事実としていることについて調査を思い立つことなど誰もできないことで、このような言い回しをすること自体が知っていた事実を隠す巧妙なレトリックと疑うことができる。それを「処理の是正を進言しておれば」とさもすることができたかのように言う。典型的なウソつき特有の言い回しとなっている。

 蓮舫はこの"ウソ"を追及することなく、質疑の最初に放った質問は、「先ず2022年4月、幹部会議、安倍さんに呼ばれて、現金キックバックをやめる方針となった、これ、場所はどこでしょうか」であった。「現金キックバックをやめる方針となった」ことを既成事実としてのみ受け止めただけで、安倍晋三から現金還付中止の指示を受けた際の世耕がどのような心証を持ったのか、どのように意味解釈したのか、何ら問い質すことはしなかった。

 世耕弘成「これは日程等を確認して捜査当局にもご説明しておりますが、安倍晋三当時会長の議員会館のお部屋であったというふうに記憶しております」

 場所が問題ではない。西村康稔が最初に証言している、安倍晋三が現金還付中止の理由として「不透明」という性格を挙げた、事実あったこととしているその性格付けに対して同席した一人としてどう解釈し、どう認識したのか、どう受け止めたのか、止むを得ないと思ったのか等々を矢継ぎ早に問い質して、現金還付と不記載を知り得ていたことなのか、ほかの安倍派幹部が証言しているとおりに2023年11月のマスコミ報道によって初めて知り得たことなのかを炙り出すことであった。
 
 以下、蓮舫「4月の会合で誰か手控えのメモを取っていたか」→世耕「メモを取っていない。他の人が取ったメモというものを見たことがない」→蓮舫「現金還付について話し合ったのは4月のその1回か」→世耕「1回だけだ」

 世耕が手控えの「メモを取っていない」と答えたなら、安倍晋三から「現金は不透明で疑念を生じかねない」という言葉を聞いた際、仕方がないことだと納得できたのか、「不透明」とか、「疑念」とか、どういう仕組みのことを言っているのだろうかと不審に思ったのか、前者なら、現金還付、収支報告書不記載か、虚偽記載を承知していたことになり、後者なら、どのような仕組みを指してそのように言っているのか、聞き返すのが自然な態度だから、聞き返したのか、様々に追及して、還付した現金の取り扱い――処理方法を炙り出すべきだったが、何の工夫もなく遣り過してしまった。

 西村康稔の衆議院政倫審での証言が2024年3月1日。蓮舫の参議院政倫が3月14日。12日間も時間がありながら、これといった駆引きを思いつくこともなかった。

 繰り返しになるが、安倍晋三が現金還付の中止を指示したことが事実あったことと前提づけるなら、中止の理由として挙げた現金還付そのものの性格付けが何を意味しているのか、中止が与える影響をどう考えたのか、中止を当然と思ったのか、止むを得ないと思ったのか、あるいはどういうことなのだろうと思ったのか、様々に追及すべきを、追及しないから、相手の証言を証言どおりに通用させることになる。蓮舫は頭の回転よろしく強い口調で早口にまくしたてるから、一見、厳しく追及しているようにも見えるが、その実、中身のない追及を続けていただけのことで、結果、そのまま時間切れとなり、自分では一矢を報いる積りでいたのかもしれないが、自身の追及技術が不足していただけのことで、捨て台詞にしか聞こえなかった蓮舫の最後の発言を再度取り上げる。
 
 蓮舫「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 自らの追及に何か問題点はなかったか、自省するほんのちょっとした間も与えずに自らの追及を最初から正しい場所に置いて、政倫審という制度そのものに欠陥があるかのようなお門違いを曝す。

 当然、自身の追及に限界を感じることはない。こういった繰り返しで権力追及を行ってきたのだろう、結果、権力の私物化を恣にした安倍晋三を総理大臣として7年8ヶ月も生き永らえさせることに大きな力を与えた主たる1人となった。

 このようなお門違いが即座にできるのはまさに常に自分の考えは正しいとする自己正当化バイアスを凝り固まった性格としていなければできないことで、必然的に論理的思考力欠如、自己省察力欠如を背中合わせとしていることになる。

 いわば論理的思考力と自己省察力を欠如させているからこそ、自己正当化バイアスに陥ることになる。

 蓮舫は岡田克也をユニークさのない人物と酷評し、自分にはユニークさがあるとしたが、彼女のユニークさは自己正当化バイアスが突出している点にある。自身を岡田克也の対極に置いたものの、都議選敗北、そして代表辞任へと追い詰められながら、奇麗事を並べた辞任会見は"政治は結果責任"の自覚のなさを現していて、そのこと自体が自己正当化バイアスそのものをイコールさせているのだが、その自覚が少しでもあったなら、その心理的歪みをここまで引きずることはなかったはずだ。

 以上、蓮舫の自己正当化バイアスの典型的な現れを見た上で、今回の都知事選に関連して見せることになる蓮舫の同様の認識の偏りを次回は見ていくことにする。

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