「危機管理」とは予想されるテロ、事件、事故、あるいは災害等の不測の事態に備えた人命救助方法の構築やそれら不測の事態が発生した場合の一刻も早い人命救助活動ばかりを言うのだろうか。
≪独居死 過去最少の46人 兵庫県の災害復興住宅≫(asahi.com/2009年1月14日)
<阪神大震災の被災者らが暮らす兵庫県内の災害復興住宅で、誰にもみとられずに亡くなった一人暮らしの独居死者が08年は46人いた。県警などへの取材でわかった。前年より14人少なく過去最少だったが、発見まで約5カ月たっていたケースもあった。入居者の高齢化が進む中、65歳以上が76%(35人)を占めた。
292カ所の復興住宅で県警が変死として扱った事例をまとめた。内訳は男性27人、女性19人。平均年齢は72.8歳だった。80代が19人と最も多く、次いで70代11人、60代と50代が各6人の順。死因別では病死36人、事故死8人、自殺1人、不明1人だった。遺体発見までの日数は「1日以内」が28人。「2~10日以内」の13人を合わせると、約9割を占めた。
発見まで約5カ月かかったのは神戸市兵庫区の男性(72)。昨年7月17日、浴槽の中で亡くなっているのを訪ねてきた姉が見つけた。県警によると、死亡推定日は同2月20日ごろ。神戸市では介護などの生活支援が必要な独居の高齢者を対象に見守り活動をしているが、男性は対象外だった。男性と同じ階に住む住民(57)は「住民はほとんどが高齢で一人暮らし。自治会もないので付き合いはほとんどない。男性とも面識がなかった」と話した。
被災者が復興住宅に移り住み、仮設住宅は00年1月に解消。それ以降の9年間で、復興住宅の独居死者はこれで男性366人、女性202人の計568人になった。 >――――
阪神・淡路大震災。1995年(平成7年)1月17日発生から、あと2日で14年が経過する。「過去最少」と言っても、昨年1年間で独居死が46人も存在した。
日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第25条 生存権、国の社会的使命」は次のように規定している。
(1)すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めなけ
ればならない。
ここで憲法が宣言していることは精神面と物質面との両面に亘って「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を「すべての国民」に保障するということだけではなく、保障することによって国民は人間として“生きて在る”存在となり得ることを示唆した宣言であろう。
当然のことだが、国民の「生存権」としての上記規定は人間が“生きて在る”存在であることを保障する基本形を成すもので、そこから出発して人間が“生きて在る”全場面に適用されることによって、国民の「生存権」は全うされる。
また憲法によるそのような「生存権」の保障は広い意味で国による国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」業務に入るはずである。
考えられるテロ、事件、事故、あるいは災害等の不測の事態のみが国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を脅かす「危機」――人間の生命にとっての「危機」ではないからだ。
人間が“生きて在る”全場面に亘って国の国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」が機能してこそ、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む」生存権は保障される。
逆説するなら、テロ、事件、事故、あるいは災害等の不測事態発生時のみの「危機管理」であったなら、国民の「生存権」――“生きて在る”ことの基本形は全面的には保障されないことになる
災害復興住宅で誰に看取られることなく独り寂しく死んでいく、そのことに誰にも気づかれないことが「健康で文化的な最低限度の生活」の反映としてある人間として“生きて在る”ことの最終場面として許されるとしたら、国の国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」はテロ、事件、事故、あるいは災害等の不測事態発生時のみの「危機管理」で終わることにならないだろうか。
いわば日本国憲法が保障している「第3章 国民の権利及び義務 第25条 生存権、国の社会的使命」なる規定の否定――そこまでいかなくても、損壊に当たらないだろうか。
私には災害復興住宅ばかりではなく、公営住宅に於ける高齢者の独居死が地方自治体を含めた国の怠慢から生じている国民に向けた「生命(いのち)に対する危機管理」の機能不全に思えて仕方がない。
共同通信社が1月10、11両日に行った全国電話世論調査(「中日新聞」)。前回は昨年の12月。
麻生内閣
「支持します」 ――19・2%(-6・3ポイント)
「支持しません」――70・2%(+8・9ポイント)
定額給付金
「評価します」 ――23・7%(-7・7ポイント)
「評価しません」――70・5%(+12・4ポイント)
どちらが首相にふさわしいか
「小沢一郎でーす」――46・4%(+11・9ポイント)
「絶対麻生でーす」――22・1%(-11・4ポイント)
望ましい政権の枠組み
「民主党中心でーす」――51・4%
「絶対自民党中心だ」――30・5%
内閣不支持理由
「経済政策に期待が持てない」――28・8%
「首相に指導力がない」 ――22・6%
「首相が信頼できない」 ――18・2%
「首相は小沢沢一郎でーす」の理由
「政策に期待できるから」――36・9%
「首相は麻生太郎でーす」の理由
「自民党だから」――42・4%(自民支持だから止むを得ない選択ということ。)
「2兆円の財源を優先的に使うべき政策」
「定額給付金」 ――3・3%(最少)
「年金・医療など社会保障」――42・0%
「雇用対策」 ――26・3%
「減税」 ――11・2%
「少子化対策」 ――10・7%
「公共事業」 ――4・5%
朝日新聞社が1月10、11の両日実施した全国世論調査(電話)。前回調査(12月6、7日)
麻生内閣
「支持します」 ――19・0%(-3ポイント)
「支持しません」――67・0%
定額給付金
「やめた方がいい」 ――63%
「政府の方針どおり配った方がよい」――28%
定額給付金・自民支持層
「やめた方がいい」 ――43%
「政府の方針どおり配った方がよい」――48%
定額給付金・民主支持層
「やめた方がいい」 ――79%
「政府の方針どおり配った方がよい」――16%
定額給付金・無党派層
「やめた方がいい」 ――66%
「政府の方針どおり配った方がよい」――23%
「給付金は景気対策として有効か」
「有効だと思う」――18%
「有効ではない」――71%
「かえって雇用が減るという意見もある」との条件付で派遣禁止の是非
「禁止に反対」――46%
「禁止に賛成」――30%
「衆院比例区の投票先」
「自民党」――25%(前回28%)
「民主党」――38%(前回36%)
読売新聞が1月9~11日に実施した全国世論調査(電話方式)。(前回調査12月5~7日)
麻生内閣
「支持します」 ――20・4%(-0・5ポイント)
「支持しません」――72・3%(+5・6ポイント)
どちらが首相にふさわしいか
「小沢一郎でーす」――39%(+3ポイント)
「絶対麻生でーす」――27%(-2ポイント)
内閣支持・不支持の理由
「政策に期待できる」 ――20%(-4ポイント)
「政策に期待できない」――36%(+4ポイント)
定額給付金・「支給を取りやめて、雇用や社会保障など、他の目的に使うべきだ」
「賛成」――63%
「反対」――17%
衆院比例区の投票先
「民主党」――39%(前回40%)
「自民党」――24%(前回24%)
政党支持率
「自民党」――29・3%(前回27.2%)
「民主党」――26・2%(前回28.2%)
選挙後の望ましい政権
「政界再編による新しい枠組み」――38%(前回33%)
「自民と民主による大連立」 ――24%(前回25%)
「民主中心」 ――22%
「自民中心」 ――12%だった。
産経新聞・FNN合同世論調査(1月10、11日)
麻生内閣(前回11月)
「支持します」 ――18・2%(-9・3ポイント)
「支持しません」――71・4%(+13.1ポイント)
麻生政権評価
「首相の人柄」 ――29・4%
「首相の指導力」――10%台
・「評価しない」――85・1%
「景気対策」 ――10%台
・「評価しない」――80・3%
「外交政策」 ――10%台
どちらが首相にふさわしいか
「小沢一郎でーす」――41・0%(+3ポイント)
「絶対麻生でーす」――25・2%(-2ポイント)
(「信頼できるのは」「政策がよいのは」「『選挙の顔』として魅力的なのは」といった質問でも、すべて小沢氏が首相を上回り、「今、首相に一番ふさわしい人」でも麻生首相は離党の意向を固めた渡辺喜美元行革担当相を下回ったという。)
政党支持率
「自民党」――23・4%
「民主党」――26・6%
衆院比例区の投票先
「民主党」――41・5%
「自民党」――29.0%
定額給付金
「ばらまき」 ――75・1%
「他の政策に回すべき」 ――79・6%
「給付されたら受取る」 ――84・4%
「給付されても受取らない」――11・4%
麻生政権評価
「首相の指導力」――10%台
・「評価しない」――85・1%
「景気対策」 ――10%台
・「評価しない」――80・3%(以上)
麻生首相は「選挙よりは景気対策だ、政局よりも経済対策だ」を民主党の解散・総選挙要求を拒否する正当口実とし続け、今年1月1日の年頭所感記者会見でも、「急ぐべきは景気対策、はっきりしています」と宣言して解散・総選挙を先延ばしにした。「世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは日本です」と自らの景気政策遂行能力、景気回復実現能力に太鼓判を押してもいる。「景気の麻生」と言われる所以である。
尤も「急ぐべきは景気対策」なのは麻生ではなくても年金問題や医療問題等をも含めて特に経済的に生活の不安に曝されることとなった国民の殆どが分かっていることであり、「はっきりしてい」ることだが、「急ぐべきは景気対策」だと優先すべき政策意識を共有しているはずのその頼みの国民が麻生の「選挙よりは景気対策だ、政局よりも経済対策だ」の掛け声に乗ってこない。
その重要且つ象徴的な一例が金持でありながら受取るのは「さもしい」、「矜持の問題だ」と一旦は受取るべきではないと線引きした高額所得者ばかりではなく、「生活給付金のイメージと加えて、消費刺激の必要性と、二つ出てきておる」(麻生)からと景気対策なのだから国会議員までも定額給付金を受取って使うべきだとすったもんだの大騒ぎを演じたものの、その大騒ぎに反して有効な政策だと認めない国民がどの世論調査でも60%~80%近くまで占めている不人気・定額給付否定であろう。
しかも「次の首相に誰がふさわしいか」で倍以上もリードを保っていた民主党の小沢一郎に前回調査で逆転を許すと、今回調査で最も大きな差で逆に倍以上の20ポイントもつけられることとなったし、「総選挙の投票先」でも「政権の枠組み」でも民主党に差をつけられる調査結果が出ている。
このことは国民が麻生太郎にはもはや何も期待できないという答を出したということではないのか。「景気の麻生」を看板とし、選挙などやっている暇はないはずだ、景気回復の手を打たなければならないと言いながら、「定額給付金」が景気対策とならないことを見通し、政権は自民党から民主党に代わってくれ、首相は麻生から小沢一郎に首をすげ替えるべきだと、麻生太郎そのものを見放してしまっているとことを示している。
麻生太郎の「景気対策」を見放しながら、国民が期待する主要な政策に「景気対策」を挙げなければならない矛盾を解くとしたら、やはり1日も早い政権交代、首相交代で次の政権、次の首相に期待するということでなければ、答は見い出し得ない。
ところが麻生首相の「選挙よりは景気対策だ、政局よりも経済対策だ」に対する国民の答・拒絶反応を小沢民主党代表が民放番組で「話し合い解散」を持ち出したことに絡めて「この段階では考えられない。景気対策がいちばんで、解散が景気対策に効果があるかと言えば、政治は2か月くらい止まるわけだから、わたしの感覚とはまったく違う。日本は議院内閣制であり、解散をしなくても形として瑕疵(かし)はない。途中で政権を投げ出すようなことはしない」(「NHK」インターネット記事)と無視、なお「選挙よりは景気対策だ、政局よりも経済対策だ」に拘っている。選挙からは逃げているが、一旦掲げた「選挙よりは景気対策だ、政局よりも経済対策だ」からは必死にしがみついて逃げようとしない。
無為無策の麻生太郎が首相の座に居座っていること自体が「景気対策に効果が」あるとは言えないのであって、当然のこととして麻生政権、麻生内閣、麻生首相といった国政上の絵柄が「瑕疵」そのものとなっていることに気づかない。解散が麻生太郎という無能な総理大臣を政治の舞台から引きずり降ろす唯一の方法であり、結果として「解散が景気対策に効果がある」ことになる、己が持っている逆説性にも気づかない。麻生が辞任するだけで株は値上がりするだろう。
昨08年12月5日の衆議院予算委員会で民主党の笹木竜三議員が定額給付金は世論調査では7~8割の国民が反対していると質問したことに対して麻生首相は次のように答えている。
「ただ今、世論調査を使われましたけども、じゃあ、来たら貰いますかというと、88%の人が貰うと言っておられた。いらないって言っておられる方と、貰うって方が明らかに重なっているのは、これはちょっとおかしいなあという感じが、正直実感ですが、私はこういったときは、自分は、貧しくても、もしくは自分はそこそこカネがあるから、いいよと、言うのが、ボクは姿勢としては正しいのではないかと思っておりますけども、麻生さん、そんなことはないよ、今の人は、と色々なご意見があります。私もやってみなきゃ分からんと思っておりますが、いずれにしても今の状態というものを考えますと、(給付対象の決定が)ブレておると、いうご意見で、色々とブレたように取られているのかもしれませんが、言っていることはずうっと同じことを申し上げております」
定額給付金に反対の意思表示を示しながら、給付されたなら、「88%の人が貰う」と言っている国民の姿勢を答弁の最中に麻生首相はからかうように笑い、反対しながら貰う姿勢の重なりに言及するときもそれとない笑いを浮かべて、それはおかしいじゃないかとばかりに得意気に首をかしげてみせた。
それは明らかに国民を冷笑する態度であった。麻生太郎は7~8割の国民が反対しているのは見せ掛けで、「88%の人が貰う」がホンネだと勘違いしたのだろう。だから、冷笑できた。
どちらもホンネであることに気づかなかったのだ。但し反対のホンネの方がより強い色合いを帯びていることに鈍感にも気づかなかった。
2兆円を医療や雇用、あるいは教育といった別の政策で有効に使い、成果をみせるべきだと思っている。それができずに給付するなら、個人個人で医療や雇用(給与や生活の足し)、あるいは教育にまわして使う。医療や雇用、あるいは教育にかかるカネで余裕を持って生活できている国民はそうはいないからだ。
このことは「中日新聞」が伝えている共同通信社の世論調査の調査項目「2兆円の財源を優先的に使うべき政策」の調査結果と「読売新聞」の世論調査の調査項目「定額給付金・『支給を取りやめて、雇用や社会保障など、他の目的に使うべきだ』」の調査結果がそれぞれに証明している。
先ずは「中日新聞」「2兆円の財源を優先的に使うべき政策」を再度掲載すると、
「定額給付金」――3・3%(最少)
「年金・医療など社会保障」――42・0%
「雇用対策」――26・3%
「減税」 ――11・2%
「少子化対策」――10・7%
「公共事業」――4・5%
定額給付金に代えて年金・医療などの社会保障や雇用対策、減税、少子化対策といった生活対策に使うべきだとしている。
次に「読売新聞」の世論調査。
定額給付金・「支給を取りやめて、雇用や社会保障など、他の目的に使うべきだ」
「賛成」――63%
「反対」――17%
63%もの国民が「支給を取りやめて、雇用や社会保障など、他の目的に使うべきだ」と他の生活関連の政策に振替えることを希望している。
ところが、「ニコニコして受取り、地元でうまいものを食べる。ニコニコ給付金だ」(鳩山邦夫)とか、「地元で飛騨牛を食べる」(野田聖子)とか、環境相だからと取ってつけた格好づけのように「電球蛍光灯などの省エネ製品を地元で買う」(公明党斉藤)とか麻生内閣の面々はそれぞれの消費方法がさも大層な役立て方であるかのように言っているが、一般国民が受取る1人頭12000円と違って閣僚の報酬からしたら高々一人頭12000円の支給に過ぎないからこそできる“贅沢”なのだろう。
要するに必要不可欠・最低限の生活費にまわす必要もなくパーッと散財できる国民がどれ程いるか、そういった国民のことなど頭になかったからこそ言えた贅沢な役立て方なのだ。一旦受取るべきではないと制限を設け、その舌の根も乾かないうちにその制限を外した高額所得者のうちに自分たちも入れて、個人消費にさも大貢献するかのような気分となっている。
例え65歳以上だからと8000円プラスされたとしても、将来的な健康や医療費の高騰、年金の目減り、来るべき消費税増税を考えると、余程の高額所得者でない限り、「うまいものを食べる」とか「飛騨牛を食べる」とか、切れないうちから「電球蛍光灯などの省エネ製品を地元で買う」などといったことはできないはずである。先ずは貯蓄に回して、どうしても使わなければならなくなったときにケチケチ出し惜しみをしながら使う国民が多いのではないのか。
そういった国民風景をも含んだ「88%の人が貰う」であって、それを「いらないって言っておられる方と、貰うって方が明らかに重なっているのは、これはちょっとおかしい」と反対しながら貰う態度を冷笑する。
国民の姿が麻生太郎には届いていない。帝国ホテルといった高級ホテルの高級なレストランやバーを日常普段の愉快な飲み食いの場所としていて、そのような環境、そのような世界に守られて世の中の喧騒がテレビや新聞を通して、あるいは人の話から目や耳に届いても、皮膚に感じるまでには届かないからではないのか。
すべての点に於いて度し難いばかりに裸の王様に成り下がっているからこそできる麻生太郎の冷笑なのだろう。親玉の麻生が裸の王様なら、子分の鳩山邦夫にしても野田聖子にしても斉藤にしても、その他閣僚も同じ穴のムジナとばかりに裸の王様の姿を引きずっていると言わざるを得ない。
参考までに引用。
≪首相“話し合い解散 応じず”≫(NHK/09年01月12日19時10分 )
麻生総理大臣は、12日に放送された民放の番組で、衆議院の解散を条件に、予算案の成立に野党側の協力を得る「話し合い解散」について、「解散すれば政治は2か月くらい止まり、景気対策に効果があるとはいえない」として、応じられないという考えをあらためて示しました。
この中で、麻生総理大臣は、各種の世論調査で、内閣支持率が低迷していることについて、「きちんとしんしに受け止めなければいけない。不況対策が最大の課題なので、国民に対してもきちんと説明しなければならないが、なかなか難しい」と述べました。
また、麻生総理大臣は、「話し合い解散」について、「この段階では考えられない。景気対策がいちばんで、解散が景気対策に効果があるかと言えば、政治は2か月くらい止まるわけだから、わたしの感覚とはまったく違う。日本は議院内閣制であり、解散をしなくても形として瑕疵(かし)はない。途中で政権を投げ出すようなことはしない」と述べ、応じられないという考えをあらためて示しました。
また、麻生総理大臣は、消費税率の引き上げについて、経済状況が好転しない場合には、3年後の引き上げは行われないとしたうえで、「わたしのあとに誰が総理大臣になるかわからないが、その人が責任を持って経済状況をよくしたうえで、消費税をきちんとやらなければ、今の『中福祉』を小負担では補えない。責任ある立場として、中負担をお願いしなければならず、消費税で広く薄くという以外に方法はない」と述べました。
1月10日の『朝日』朝刊記事≪政策ウオッチ/天下り承認 法を覆す首相の「暫定権限」≫は次のように解説している。
07年の通常国会で成立させた「改正国家公務員法」はこれまで官庁が行っていた天下り斡旋を官民人材交流センターに一元化するとの規定を盛り込んだが、センターが機能する3年間の移行期間中は内閣府に併せて設置する再就職等監視委員会が承認するとした。
だが、民主党が参議院で国会同意人事に反対、委員不在で再就職等監視委員会は宙に浮き、麻生内閣は昨年末、暫定措置として再就職等監視委員会に代わって省庁による天下り及び渡りの斡旋を首相の権限で承認しできるとした政令を閣議決定。
以下は≪「天下り」政令、焦点に=野党は撤廃要求、首相防戦≫(時事通信社/2009/01/09-19:29)によると、この政令は「改正国家公務員法」が2011年までに再就職斡旋(=天下り)を官民人材交流センターに一元化し、渡り斡旋は全面禁止することを定めていることに反して、経過措置として「必要不可欠と認められる場合」は渡り斡旋も行えるとしていることと、そうした決定に対して法律を国会を通さない閣議決定のみの政令で変えることは許されるのか、民主党の仙谷元政調会長が国会で追及、仙谷議員は「こんなことは霞が関のクーデターだ」と断じたと伝えている。
麻生首相は「必要不可欠と認められる」例外規定を次のように挙げている≪首相「渡り」の可能性低いとの認識示す≫日刊スポーツ/2009年1月9日22時12分)。
(1)国際機関の勤務経験が極めて豊富
(2)外国当局との交渉への十分な経験
同記事は麻生首相は記者会見で「渡りが出る確率は極めて低い」とした上で、例外的に認める場合でも「渡りが何回も行われることは考えていない」と述べたと伝えている。
例外規定とした理由としては、「国が大事に育てた人材で経験は極めて高く評価される。『ぜひ』という声が出た場合、それを拒否するのはいかがなものか」
天下りや渡りの弊害は税金が再就職先の公益法人等で二、三年勤めるだけで支払われる高額の給与や高額の退職金といった不当利益に消えるムダな点、不公平な点にあるだけではなく、真の弊害は例え民間企業に天下ったとしても、元官僚が天下り先・渡り先で出身組織や出身組織あっての自身の最終地位、さらに結びつきのある族議員を権威として、それらの諸々の権威をバックに自らを上に置き、再就職先の人間を下に置く権威主義的な上下関係を延々と循環生産することにあると私は思っている。
日本人はただでさえ地位や学歴の上下・優劣で人間を価値づける権威主義を行動様式としている。政治家、官僚、官僚組織そのものが紹介すると、紹介を受けて再就職した者は権威主義の行動力学を発動して政治家・官僚、その組織の権威をそれぞれにバックとして上に立つ姿勢を示したり、紹介した側の政治家・官僚にしても同じく権威主義の力学を発揮して貸しをつくったことにして、何らかの見返りを求めたりする。
社会保険庁に天下った厚労省の元官僚が高額給与・高額退職金に見合う仕事をせずに保険庁長官でございますと構えていられたのは厚労省の権威と自らの最終地位をバックとした権威主義的態度が許されていたからだろう。
また06年当時のかつて防衛施設庁がゼネコンが引き受けた天下り元官僚の役職と高い給与に比例させて発注額を割振る「配分表」を作成して天下りへの給与がより高い企業により工事額の高い公共事業を請負わせていた企業と官庁との持ちつ持たれつの官製談合は権威主義的な上下関係の力学が機能していたからこそ可能としていた便宜供与と便宜供与に対する見返りの構図であろう。
分かりやすく言うと、テレビドラマの『遠山の金さん』や『暴れん坊将軍』の老中とか勘定奉行と豪商との間に見ることができる不正利益を以ってして行う便宜供与対見返りの構図であり、それを可能としているのは同じく両者間に権威主義的関係が存在していたからだろう。
企業側から言うと、天下りを引き受けることによって、それ相応の見返り利益、苦労せずに甘い汁を吸えることになるが、紹介を受けて再就職させた者に政治家・官僚の権威をバックにされたり、紹介した政治家・官僚と貸し借りの関係をつくることとなったり、相手の権威が上だからという理由だけで天下ってきた元官僚を上に置いて自分たちを下に置き、ペコペコ頭を下げたり、あるいは言いたいことも言えずに口を噤む絵柄は自身を精神的に自由の利かない状態に落とすこととなって、あるべき人間同士の関係からしたら何と言っても情けない姿としか言いようがない。
この一点に於いて、いわば人間関係という根本のところで、日本は戦後60年も経過していながら、依然として民主主義国家とはなり得ていない。
日本社会が諸々の権威をバックとした上が下を従わせ、下は上に従う権威主義的上下関係・優劣関係を人間関係としているからこそ、天下り元官僚の不当な高額の給与・高額な退職金、何様顔の上に立った態度を好きに許すこととなっている。内心では不公平・不平等だと思っていても、誰も口に出して異議申し立てができず、上が決め、上が勝手に受取る高額給与・高額退職金を現状維持させてしまう。例え殆ど仕事をせず、腰掛に過ぎなくても。
権威主義的人間関係から離れて自分を上に置くでもなく、他を下に立たせることもない対等な関係を持つことによってお互いに自律(自立)した存在に向かうこととなって、そこに自由な意見の交換、忌憚のない議論の闘わせ、言葉の遣り取りが可能となり、不当は不当という意見、不平等は不平等ではないかという主張が生まれ、諸々の権威をバックとした天下り・渡りは肩身を狭くしていき、最終的には存在し得なくなる。
麻生首相は渡り斡旋の例外規定として(1)国際機関の勤務経験が極めて豊富な人材であること、(2)外国当局との交渉の十分な経験のある人材であることとし、「国が大事に育てた人材で経験は極めて高く評価される。『ぜひ』という声が出た場合、それを拒否するのはいかがなものか」と人材の有効活用であるかのように言っているが、省庁を退職することになる者がもし自分を「国際機関の勤務経験が極めて豊富」であり、「外国当局との交渉」能力も「十分な経験」があると自負するなら、所属した組織や地位で得た元官僚としての権威も紹介政治家の権威も必要ではなく、自分の才能だけで勝負ができるはずである。そうしてこそ、ウソ偽りのない経歴となる。権威や縁故に頼った経歴は紛い物でしかない。
企業側にしても自分たちを下に置くことになる代償を支払うことで見返りを得るといった情けない関係を求めずに、インターネット等で日本人、外国人を問わず、誰にも頼らない自身の力だけで広く人材を求めるべきだろう。そうすることによって自身を常に貸し借りのない精神的に自由な立場に置き、誰とでも上下関係とは離れた対等な関係が維持できる。
再就職者にしても縁故に頼らず、権威を恃まず、見返り利益で自身の報酬や地位を維持するといったケチ臭いことなど考えずに、自身の能力発揮場所は履歴書を送ったり、自身で直接出かけて自分を売り込むといった方法で自身で開拓すべきであろう。
仕事に臨むのに学歴や経歴、地位といった権威を力とするから、裏返して言うと、自身の裸の能力を唯一の力としないから、日本のホワイトカラー、公務員の生産性が国際的に低い数値を取ることになっているのではないのか。
学歴や経歴、地位といった権威を離れて裸の能力を唯一の力とする存在形式を取らなければ日本人はいつまでも自律(自立)した存在足り得ない。学歴を権威としてバックとする、経歴を権威として背後の力とする、出身組織を権威付けて虎の威とする、そういった権威頼みの存在形式が真の力、能力に結びつくはずはない。
日本は中央集権制の国家だと言われるが、権威主義を行動様式としていることから生じている中央を最上位に置き、その他を下位に置いた政治権力の一元的統一性であろう。国会議員や中央官僚を上に置き、地方官僚や地方政治家、あるいは民間を下の置いた上下関係、あるいは上を優位、下を劣位とした優劣関係がその一元性を許している。
当然のこととして中央集権制から抜け出るには権威主義的な上下関係・優劣関係を離れて対等な関係を築くことによって達成可能となる。例え地方分権だと言って国の権限の多くを地方に移しても、中央に代わって都道府県が最上位の地位を占め、市町村を下に置く権威主義的上下関係が維持されたなら、都道府県を単位とした中央集権的一元性はそのまま残る。
いわば地方分権が中央集権制の国から地方への移譲で終わることになる。
日本人の行動様式・思考様式から一切の権威主義性を排除するには権威主義的地位を最も上に置き、それゆえに権威主義性を最も強く表現している国、あるいは官のその上下関係性の修正から取り掛かるべきである。天下りを完全に廃止することが取っ掛かりの象徴行為となる。
≪政策ウオッチ/天下り承認 法を覆す首相の「暫定権限」≫ (『朝日』朝刊/09.1.10)
麻生首相は積極的に公務員の天下りを進めようとしているのではないか。こう疑われても仕方ないような事態だ。
麻生内閣が先月決めた政令では、省庁による天下りの斡旋を首相の権限で承認し、天下りを繰返す「渡り」までその対象としている。8、9両日の衆院予算委員会で民主党が追及した。
07年の通常国会で大激論の末、官庁の天下り斡旋を官民人材交流センターに一元化する改正国家公務員法が成立した。規定ではセンターが機能するまで3年間は再就職等監視委員会が承認するはずだったが、
首相承認は暫定措置と言うが、法は承認権限を「委員会に委任する」と明記。首相に権限はないはずで、野党だけでなく与党内でも渡辺喜美元行革担当相や中川秀直元幹事長が批判している。
立法府が決めた法を行政府が政令で覆す――。首相の姿勢は、再就職先の公益法人に無駄な税金を使うような天下りの弊害に目をつぶっている、と言わざるを得ない。
≪「天下り」政令、焦点に=野党は撤廃要求、首相防戦≫(時事通信/2009/01/09-19:29)
国家公務員OBが公益法人などへの再就職を繰り返す「渡り」への政府の対応が、国会論戦の新たな焦点に浮上した。麻生太郎首相は「原則認めない」とするものの、政府が昨年12月に閣議決定した政令に例外規定が盛り込まれており、民主党など野党側は「官僚寄りだ」と姿勢を厳しく追及する。首相は、定額給付金に加え、天下りの問題でも、防戦を強いられる展開だ。
「(改正国家公務員法の)立法の趣旨に反している」。9日の衆院予算委員会で、民主党の枝野幸男元政調会長は政令を厳しく批判した。
改正国家公務員法は2011年までに、再就職あっせんを官民人材交流センターに一元化し、渡りあっせんも全面禁止することを定めているが、政令は経過措置として、「必要不可欠と認められる場合」に行えるとした。民主党は「必要不可欠」に当たるケースが今後続出すると見ており、仙谷由人元政調会長は「霞が関のクーデターだ」と断じた。
民主党の追及を避ける狙いから、官邸サイドは当初、首相が渡りの全面禁止を明言することを検討したものの、最終的には「閣議決定した政令と矛盾する答弁はできない」(政府筋)と判断。9日の衆院予算委で枝野氏から、政令の撤廃を求められた首相は「(渡りに)厳格に対応する」と答弁するのが精いっぱいだった。
もっとも、首相は公務員改革に後ろ向きとのイメージが有権者に広まれば、今秋までには行われる衆院選を控え、与党に一層の逆風となりかねない。このため、政府内では「政令を撤廃しないと持ちこたえられないかもしれない」(高官)との声が漏れるなど動揺が出始めている。(了)
麻生太郎の「さもしい」レトリックを暴く
麻生太郎の「まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提でお話しするのも如何なものかなーと、正直、私自身は、そう思っております」が通るなら、高額所得者に対しても同じ「前提」を当てはめなければならないはずである。
高額所得者「麻生太郎さん、まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提で盛大に消費していだだきたいと言われても如何なものかなーと、正直、私たち自身は、そう思っておりますが・・・・」
昨8日の午後の衆議院予算委員会質疑での民主党の菅直人代表代行と麻生首相の遣り取りを同日夕方のNHK「ニュース7」が取り上げていた。菅直人が麻生が定額給付金を高額所得者が受け取るのは「さもしい」、「矜持の問題」だと言っていたことを取り上げて、「今でもそう思っているのか」問い質した。
麻生「少なくとも、あのとき、最初にできたときと、今の時代では、生活給付金のイメージと加えて、消費刺激の必要性と、二つ出てきておるという状況下にありましては、是非高額所得税、者である方が、取られた場合、貰われた場合、是非、それ以上に盛大に消費していただくのが、一番正しいと思います」
菅直人「総理はどうされるんですか?」
麻生「まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提でお話しするのも如何なものかなーと、正直、私自身は、そう思っております。その上で、私がそういった、もし来た場合に於きましては、そのとき今後判断させていただきます」
菅直人「ご本人がどうするかわからない。しかし、皆さんはちゃんと受取りなさい。これが政治のリーダーのやることですか?どうされるんですか?それがない限り、この定額給付金の性格が国民に対して説明できないんじゃないですか?はっきりしてください」
麻生「少なくとも、個人にそれぞれに給付されるもんだと思いますんで、個人の判断を私が縛るというのは如何なものかと、私は基本的にそう思っておりますから、それぞれの個人で判断をされる。貰われた場合に盛大に消費していただければとおもっております」………………
確かに定額給付金は「個人にそれぞれに給付される」。麻生首相の言っていることは正真正銘正しい。それを受取る受け取らないも「個人の判断」であって、受取れとか、受取るなとかの命令はいくら日本国の程度の低い首相であっても「個人の判断を私が縛るというのは如何なものか」どころか、許されない独裁行為となる。
また麻生首相は8日夜、高額所得者の定額給付金受給を「さもしい」と批判した自身の発言について「撤回の考えはあるか」と記者団に問われたことに対して、「政府が何に使えとか、どうしろというのはいかがなものかと、ずっと同じことしか言ってない」と答えた(47NEWS)ということだが、我が麻生太郎の「さもしい」、「矜持の問題」は定額給付金は「生活給付」=生活支援を目的としたものだから、生活支援の必要のない高額所得者までが受取ることをあからさまに問題とした言葉であって(高額所得者は貰うなと言ったのである)、「何に使えとか、どうしろ」とかに関して言った言葉ではない。
それをさも「何に使えとか、どうしろ」とかに関して言った言葉であるかのように説明したのはいわば“高額所得者は貰うな”と言った言葉をすり替える「さもしい」ばかりのレトリックに過ぎない。そして一旦決めた所得制限をなかったことにして無事済ませるために「ずっと同じことしか言ってない」とレトリックを補強した。
そもそもが「何に使えとか、どうしろ」とか使途目的にまで口出しはできないのは当たり前のことなのだから、「政府が何に使えとか、どうしろというのはいかがなものか」などと口にすること自体がピントが外れている。口を尖らせて喋るのが気取りになっているようだが、いくら気取っても、ピントの外れは誤魔化せない。
受取る・受取らないも「個人の判断」、何に使うか・使わないか、あるいはタンス預金にするかどうかも「個人の判断」。ピント外れの麻生の説明を待つまでもない。
すり替えのレトリックはまだある。
多数派を形成して政権を握っている党の組織した政府が提出する法律案は少なくとも政府・与党側は野党がどうは反対しようとも成立を前提に議論し、国会に提出する。多数派を形成していながら、不成立を前提に提出する政策・法律の類が存在するというのだろうか。
もしも不成立を前提に提出する法律案が存在するとしたなら、その法律案に対する世論調査にしても意味を失う。世論調査は法律案の段階では、「まだ、通っておりませんので」となって国民に対する無益な意識確認装置と化し、法律として成立した段階でのみ、その意識確認は有効足り得ることになる。と同時に国民の政治に対する前以ての意識動向を知らしめる手段を失うことになる。
確かに野党が多数派を形成してねじれ現象を生じせしめている参院で否決されて衆院に戻されて再可決しようとしても、与党から17人の造反が出ると再可決に必要な出席議員の3分の2以上の多数を確保できなくなって否決される可能性も囁かれる程に求心力を失っている麻生太郎だが、それでも成立を前提に審議を進めているはずである。
成立を前提にしているからこそ、「是非高額所得税、者である方が、取られた場合、貰われた場合、是非、それ以上に盛大に消費していただくのが、一番正しいと思います」と言える。
まさか不成立を前提に「それ以上に盛大に消費していただくのが、一番正しいと思います」と言ったはずはない。
だとすると、「まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提でお話しするのも如何なものかなーと、正直、私自身は、そう思っております」は矛盾した主張となる。
例え「予算が通って」いなくても、通った場合を仮定して、受取るかどうかは判断できないわけではない。それくらいのことも判断できないピント外れの脳ミソの持ち主だというのだろうか。
世論調査にしても、法律成立後の調査というものもあるが、調査対象となった国民はこんな法律が通ったらごめんだ、とか、いい法律だから是非早く成立させて欲しいとか通った場合を仮定して判断する調査も多いはずである。
「消費税増税」論議にしても、使途を社会保障費に限定するとかしないとか、政策は成立を前提に議論する。定額給付金にしても、成立を前提に、消費刺激策として有効かどうかで議論する。道路特定財源一般化でも、政策として出した段階で使途が議論される。族議員の反対に遭って、有名無実化することもある。
いわば「まだ、この予算が通っておりませんので」にしても、「さもしい」ピント外れのレトリックに過ぎないことがわかる。麻生太郎には一国の総理大臣としての「矜持」などどこにもないようだ。
また「定額減税」として持ち上がった時点で、どのくらい消費に回るか、どれ程GDPを押し上げるか、費用対効果の点からも、さらにタンス預金に回る可能性まで含めて議論していたのだし、公明党がかつて主導した地域振興券との効果の比較も論じられていた。「生活給付金」(=生活支援)と言いつつ、最初から「消費刺激」を趣旨とした政策だったはずである。
それを「消費刺激の必要性」が後から出てきたものの如くにいう。これを以て「さもしい」レトリックと言わずに、何と説明したらいいだろうか。こじつけ以外の何ものでもない。
要するに世論調査ではほぼ80%の国民が「景気対策として不適切、バラマキ」と意思表示し、専門家の見方も消費押し上げ効果を過小評価していることが現実となって失政だと批判され、さらに支持率を下げることを恐れて、失政逃れに少しでも消費を押し上げたい切実な必要が生じたことから、国家議員は全員貰って消費にまわすべきだ、高額所得者は「盛大に消費していただく」の大合唱となったものの、大合唱を成立させるためには一旦設けた所得制限を外さざるを得ず、あれやこれや「さもしい」レトリックを駆使することになったのだろう。
また麻生首相は「消費刺激効果も大きく、GDP(国内総生産)を押し上げる」(「毎日jp」と給付金の効果を訴えている。だが、「年度内一斉支給は困難」だとも言っている。
だとしたら、昨日同じ衆議院本会議で質問に立った民主党の逢坂議員の言葉をそのまま使うと、「それならなぜ2次補正を昨年中に出さなかったのか」の問題に立ち戻らなければならなくなる。
6日午後のNHKニュースで流していたことだが、自民党の細田幹事長が6日の政府・与党連絡会議で定額給付金を「景気対策として支給されるので、国会議員も受け取りを辞退せずに受け取って使うべきだ。政府としても考え方を揃えてほしい」と言い出したと伝えていた。
公明党の北側幹事長も「定額給付金は国民が払った税金を戻すものであり、堂々と使うべきだ」と応じたというが、普段から税金をムダ遣いしていて、何を言う。
麻生首相が高額所得者が貰うのはさもしいとか、貰わないのが普通で人間の矜持の問題だとか言っていたことに反する「貰いましょう」ではないかと思ったが、民主党が二次補正予算案から定額給付金の切り離しを求めていることに対して総合経済対策の柱として組んだ手前、それをなり振り構わずに正当化する必要が生じて演じざるを得なくなったこじつけ・牽強付会といったところなのだろう。
つまり政府が「考え方を揃え」たとしても、野党議員は辞退するだろうから、与党の国会議員が赤信号、みんなで渡れば怖くない式に全員して雁首揃えて貰って貯蓄しないできっちりと消費して消費拡大への底上げを図ることで支給は正しい決定だったとしようということなのだろうが、しみったれた話ではないか。
逆に我々が貰わなくてもこれこれの効果があったとしてこそ誇ることができるというものだが、効果が怪しいから、自公国会議員分だけでも底上げが欲しい。
こじつけ・牽強付会の類だから、所得制限を設けるだの設けないだのと一騒動も二騒動もあったことも「矜持」もクソもなく、ケロッと忘却の彼方に沈めてしまっている。
麻生首相が「全世帯について実施します。規模は2兆円。単純に計算すると4人家族で約6万円になるはず」と大見得を切ったのに対して、与謝野馨経済財政担当相が「経済対策ではなく社会政策として議論が始まった。・・・・高い所得層への定額減税に社会政策的な意味があるのかという根本的な問題に答えないといけない」とか「2000万円も3000万円も貰っている人に生活支援というのはおかしい」とか言って、高額所得者への支給に異議を申し立てた。
途端に舌の根を乾かす暇もなく昨日言ったことと今日言ったことを平気で変える麻生首相が「どういうふうに割り振るか政府が検討するが、技術的には難しい」と言いつつも、「全然いい。生活に困っているところに出すのであって、豊かなところに出す必要はない。・・・・おれのところに来るか? 私のところに来るわけがない」といとも簡単屁の河童で「全世帯実施」を放棄。所得制限を設ける場合の下限を年間所得1800万円(給与収入概算2074万円)に設定したはずである。
NHK「ニュース7」でも同じニュースをより詳しく流していた。細田幹事長がこういった発言をしたと伝えた後、最初に登場したのが「友達の友達がアルカイダ」の鳩山総務相。
鳩山「家計への緊急支援だから、民主党の幹事長や私のような人間、エー、本来受け取るべきではないということかもしれませんなあ、と言ったことはあるんですが、私は受け取ります。国民みんながニコニコして受け取るということで、全閣僚、全国会議員、がみんなニコニコ受け取ったらいいんじゃないでしょうか」
「全閣僚、全国会議員、がみんなニコニコ受け取」るのは結構毛だらけ猫灰だらけで構いはしないが、「本来受け取るべきではないということかもしれませんなあ、と言った」ことに対して、どういう正当な理由・正当な事情があって「私は受け取ります」に態度を変えたのか説明がないまま、いきなり「私は受け取ります」につなげたから、拍子抜けもいいとこで、満足な日本語となっていない。
漢字が満足に読めない首相だとか日本語を満足に使えない閣僚だとか、思ったことを頭の中で思考の濾過装置を通さずに取捨選択しないまま思ったままを言葉に短絡化させて後で弁解する閣僚だとか、その代表が麻生太郎だが、もう少し利口になって欲しいと願うのは私一人だろうか。
NHKニュースは先月の参議院決算委員会での麻生首相の国会答弁を取り上げて、
「多額のカネを今貰っている方が、でも、1万2千円を頂戴と言う、方を、私は、さもしいと申し上げたんであって、1億も収入のある方は、貰わないのが普通、だと、私はそう思っております。従って、そこのところ、人間の矜持の問題かもしれませんけど――」
「多額のカネを今貰っている」とは、何と剥き出しな表現なのだろうか。「多額の収入を今得ている」といった穏やかな言い方ができないのだろうか。
安倍内閣の発足時、安部晋三は「本日美しい国づくり内閣を組織しました」と公約をそこに置きながら、1年も持たずに美しくない無責任さで内閣を投げ出して「美しい」を言う資格のない政治家であることを完璧に証明してしまったが、それと同様、内閣総理大臣でありながら自分の言葉に首尾一貫性を持たせることができないのだから、麻生太郎も「矜持」を言う資格はないのだが、そんなことはお構いなしである。
次の登場人物は河村官房長官。――
「地方経済を考えたときに、やっぱり内需拡大というのは非常に重要な視点になって参りました。我々も、また、そういう同じ目線に立って、この、給付金をですね、そういうものに役立てるという視点を持つ必要が、私は、ある、あって然るべきではないかと。このように考えますから、幹事長が言われることに、私は、あの、賛意を示しております」
元々みんなで謀り合ってみんなで決めたことなのに、幹事長が言い出したかのように言う。
小泉首相が靖国神社を参拝して中国・韓国から批判されると靖国神社に代わる国立戦没者追悼施設の建設を取り沙汰するが、時間の経過と共に批判が和らぐと国立追悼施設建設の取り沙汰も止み、その繰返しであったのと同様、貿易黒字が膨らみすぎたり外国にモノが売れなくなったりすると内需拡大を叫ぶが、結局は元の木阿弥の外需依存に戻る、その繰返しで、外に売れなくなったことからの今に始まったことではない、いわば付け焼刃の「内需拡大」云々に過ぎない。
大体が地方を過疎化させ、地方を疲弊させたのは公明党と組んだ自民党政治である。例え定額給付金が貯蓄にまわらずに全額消費に向けられたとしても、過疎の土地の全額がどれ程の内需拡大に役立つと言えるのだろうか。地域全体の支給金の総額は人口数に比例し、すべて消費された場合、その金額も人口数に比例する。いわば東京や大阪といった人口密集地地域では支給総額自体が相当な金額にのぼり、消費に向かう金額にしても比例して多くなるはずである。
結果、より人口の多い地域がより多くの恩恵を受け、過疎の地域ほど恩恵は薄く、今までどおりに過疎は過疎として取り残される。
給付金が織りなすことになるこの都市と地方、地方でも特に過疎地域との間に及ぼす恩恵をめぐる温度差はそのまま現在もある都市と地方の経済格差・生活格差の寸分違わぬ写し絵に過ぎない。
いわば給付金にしても都市と地方の格差を広げこそすれ、縮めることに何ら役に立ちはしないということである。
例え高額所得者を排除したとしても、それ以外の者は1人当たり1万2000円、18歳以下と65歳以上には8000円の加算で、それぞれに平等に行き渡るようには見えるが、地域単位の消費効果で言うと、人口数に比例して格差が生じる。自分の住むところは過疎地で満足な商店がないからと、人口数の多い町に出て買い物をしたら、自分の住む場所の「内需拡大」にはつながらない。
安倍晋三が「美しい国」を言う資格がないように、また麻生太郎が「矜持」といった言葉を口にする資格がないように、都市と地方の格差をつくり、放置してきた自民党政治家に「地方経済」について偉そうに言う資格はない
NHKニュースは次に首相官邸での麻生首相のぶら下がり記者会見を伝えた。
麻生「これは消費刺激と、いう点で意義があると、いうことですんで、是非みなさんの方には使って欲しいなと。私自身は、そう思っています。私自身がどうするかと言うのは、今、まだ判断をしている段階でありませんで、私自身はそのときになって考えたいと思っています」
男性記者「受け取られる可能性もあるということですか?」
麻生「そのときになって判断させていただきたいと、今答えたとおりです」
うまく答えたとばかりに得意気な笑みを見せた。
ニセモノではあっても「矜持」がかかっているから、受け取ることはないだろう。だがここで受け取らないと宣言したなら、自民党と公明党の国会議員全員で受け取ってその分の消費拡大の底上げを図り、こじつけようと企んだ定額給付金正当化の牽強付会に水を差すことになる。
策をめぐらす頭もないのに策をめぐらして策に溺れるだけでは済まず、それを通り越して全員して政権から沈没してしまう危険を孕んだ、いくらニセモノだからといっても、麻生首相自身が口にした「矜持」を自らも蔑ろにする、麻生首相も加わった定額給付金正当化謀議のドタバタに思えて仕方がない。
我が日本の総理大臣麻生太郎が新年1月1日、首相官邸で年頭所感を発表した。首相官邸HPから「所感」と言いながら心に感じもしなかった見せ掛けに過ぎない「所感」を全文引用して、如何に見せかけに過ぎないか、暴いてみたいと思う。
≪麻生内閣総理大臣 平成21年 年頭所感≫
新年あけましておめでとうございます。
今年は、平成二十一年。今上陛下、御即位二十年であります。国民とともに、心からお祝い申し上げたいと存じます。
この二十年間、日本は、平和と繁栄を続けてまいりました。バブル崩壊、金融危機など、いくつかの困難にも見舞われましたが、国民の力によって、見事に乗り越えてきました。
しかし、アメリカ発の百年に一度と言われる世界的な金融・経済危機が生じています。日本だけが、この「つなみ」から逃れることはできません。しかし、適切な対応をすることにより、被害を最小に抑えることはできます。
国民の皆さんの、景気や生活に対する不安。これを取り除くため、政府は、全力を尽くします。そして、世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、日本です。
振り返れば、日本人は、これまでも、自らの選択と努力によって、日本という国を保守し、変化させながら、発展させてきました。近代に入ってからも、二度の大きな危機に直面しながら、そのたびに、新たな道を切り拓き、驚異的な成功をおさめてきました。
百四十年前。明治の先人たちは、戊辰戦争という内戦の中で、新年を迎えました。しかし、殖産興業を推し進め、欧米列強に屈することなく、肩を並べるまでになりました。
次に、六十年前。昭和の先人たちは、戦争によってすべてを失い、占領下の新年を迎えました。しかし、その後の革新的な努力によって、世界第二位の経済大国をつくりあげました。
「日本」は、「日本人」は、その底力に、もっと自信を持っていい。これまでと同様に、日本という国は、ピンチをチャンスに変える。困難を必ず乗り越えることができると、私は信じています。
私が目指す日本は、「活力」ある日本。「安心」して暮らせる日本です。日本は、これからも、強く明るい国であらねばなりません。
五十年後、百年後の日本が、そして世界が、どうなっているか。未来を予測することは、困難です。
しかし、未来を創るのは、私たち自身です。日本や世界が「どうなるか」ではなく、私たち自身が「どうするか」です。
受け身では、だめです。望むべき未来を切り拓く。そのために、行動を起こさなければなりません。
私は、決して逃げません。国民の皆さんと共に、着実に歩みを進めていきます。
新年にあたり、あらためて、国民の皆さんのご理解とご支援を、お願い申し上げます。
本年が、皆さんお一人お一人にとって、すばらしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げる次第です。
平成21年1月1日
内閣総理大臣 麻生太郎
もし正月が目出度いとするなら、その目出度さを汚す麻生太郎の年頭所感と言える。
「この二十年間、日本は、平和と繁栄を続けてまいりました。バブル崩壊、金融危機など、いくつかの困難にも見舞われましたが、国民の力によって、見事に乗り越えてきました」と言っているが、自民党政権を創価学会公明党と共謀して兎に角も持続させてきたことによってその場限りのものとして誤魔化してきた政治の破綻が治療不可能な全身転移を来たしていることへの視点を欠落させているために、地域格差・所得格差・生活格差・学歴格差等々の格差や消えた年金、あるいは医師不足・病院閉鎖といった国民生活の“安心・安全”を保障するセーフティネットの問題等、政治の力で「乗り越え」ることができていない諸問題を脇に置いて「見事に乗り越えてきました」と平気で言える神経は麻生太郎ならではのカエルの面にショウベンであろう。漢字を読めないことより問題である。
その上ここに来て「アメリカ発の百年に一度と言われる世界的な金融・経済危機」という「日本」も「逃れることはでき」ない「この『津波』」に対して麻生内閣が「適切な対応」を取れないために既に派遣社員や期間工等の非正規社員の人員整理、新卒者の内定取消し、企業倒産を受けた正規社員の解雇、あるいは経営悪化企業に於ける希望退職等々の「被害」を「最小に抑える」ことができないままタレ流し状態に放置して甚大な生活困窮を現実のものとさせられる多くの人間をつくり出し、なお且つ現在進行形で新たな生活困窮者を増やしつつあるにも関わらず、「適切な対応をすることにより、被害を最小に抑えることはできます」と言って憚らない。
もしかしたら麻生太郎は非正規社員の雇用問題を高級ホテルのバーでグラスに注いだ高級ブランデーをテーブルにこぼした程度の障害としか見ていないのではないだろうか。
このような麻生太郎の認識は当然のこと、客観的判断能力の欠如が原因したノー天気な楽観主義から来ているに違いない。ノー天気もおバカギャルタレントということなら愛嬌があっていいが、一国の政治を任せる総理大臣ということなら、許していい資質ということにはならない。
相変わらず「世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、日本です」をバカの一つ覚えとしている。何度唱えたか数えていないが、呪文を唱えれば叶う魔法など現実世界には存在しない。戦争中の「欲しがりません勝つまでは」とか「さあ2年目も勝ち抜くぞ」の呪文は現実には叶うことのない空しい叫びで終わった。
だが、このバカの一つ覚えの呪文は外需依存型産業構造からの脱出宣言でなければならない。日本だけが「世界の中で、最も早くこの不況から脱」しても世界が不況のままではモノは外国に売れない。当然内需型景気回復でなければならないことになる。
内需型産業構造の転換に向けた具体策を提示しての「世界の中で、最も早く」でなければならないということである。提示しないままの「世界の中で、最も早く」だとしたら、最初から口先だけだと分かってはいるが、戯言(たわごと)以外の何ものでもなくなる。
08年12月24日の『朝日』朝刊記事≪崖っぷち「ビッグ3」救済の行方 北米頼みトヨタの苦悩≫に次のようなことが書いてある。
<09年3月期連結決算の下期(08年10月~09年3月)が約1900億円の営業赤字に転落する見通しのホンダ。環境対応車の開発重視で自動車産業の「次の100年」に挑む。しかし、業績へのプラス効果が期待できるのはまだ先。「米国販売が立ち直ってくることが最初にないとだめだ」
スズキの鈴木修社長も「地球の経済が米国中心に動いているのは事実。(米国が)戻ってこないこないと世界が困ってしまう」と、自動車産業の復活には米国景気の復調が欠かせないとの見方を示す。>・・・・・
要するにホンダとスズキの社長が言っていることは「世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、アメリカでなければならない」ということであろう。国内の自動車産業が潰れても日本の経済は大丈夫であると言うなら、話は別である。
多分、麻生首相の認識は大丈夫だと思っているから、「世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、日本です」と言えるのだろう。
だとしたら、麻生首相は日本国民に向かって「そんなことはない。米国が最初に立ち直らなくても、日本は立ち直れる、大丈夫だ。米国が戻ってこなくても、日本の再生は可能だ」と宣言しなければならない。「景気回復には3年かかる」と言っているのだから、「3年以内に日本の産業構造を外需依存型から内需依存型に転換し、輸出に頼らなくても、日本を世界の中で、最も早くこの不況から脱出させてみる」と。
いわば口先だけの安請け合いでない証拠を示して初めて、麻生の楽観主義は信用が置けることになる。
だが、麻生太郎のお粗末な客観的認識は続く。
「振り返れば、日本人は、これまでも、自らの選択と努力によって、日本という国を保守し、変化させながら、発展させてきました。近代に入ってからも、二度の大きな危機に直面しながら、そのたびに、新たな道を切り拓き、驚異的な成功をおさめてきました。
百四十年前。明治の先人たちは、戊辰戦争という内戦の中で、新年を迎えました。しかし、殖産興業を推し進め、欧米列強に屈することなく、肩を並べるまでになりました」――
なぜここで「戊辰戦争」が出てくるのか理解不明だが、明治維新以降、まるで日本一人だけの力で「新たな道を切り拓き、驚異的な成功をおさめてき」たかのように言っている。
日本だけの力だと過信した場合、「アメリカ発の百年に一度と言われる世界的な金融・経済危機」も日本だけの力で回復が可能だと過信することとなって、だから「世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、日本です」と単細胞にも安請け合いできるのだろうが、飛んでもないしっぺ返しを食うに違いない。
大体が外からの力に関係なしに日本だけの力で「驚異的な成功をおさめてき」たのなら、「百年に一度と言われる世界的な金融・経済危機」も外からの「つなみ」ということになって、巻き込まれることはなかった。
明治維新以降、欧米、特に英・仏・独の制度・文化・技術に学び、模倣してきた。欧米先進国の全体像を擬(なぞら)え、マネをし、後進国の有利性を利用して発展してきた。すべて自分の力で技術や知識、制度・資源を用立て、自分の力のみで発展してきたわけではない。その事実を客観的に冷静に認識する能力を欠いていたがために自分の力のみで近代化を成し遂げ、発展した優越民族だと自惚れた結果、勝てるはずもない戦争をアメリカに仕掛けて無残な破滅を味わうこととなった。その無残さを喉元通れば忘れるで、「一文化、一言語、一民族は日本のみ」だと自惚れが止まない。日本だけの力で「驚異的な成功をおさめてき」たと過信して止まない。
麻生太郎の自惚れ・過信はさらに続く。「次に、六十年前、昭和の先人たちは、戦争によってすべてを失い、占領下の新年を迎えました。しかし、その後の革新的な努力によって、世界第二位の経済大国をつくりあげました」
愚かしい戦争とその敗北によって日本が華々しく獲得した国土・産業・国民生活の荒廃はアメリカの経済援助や資金援助、制度移入をスタート台として、朝鮮戦争特需やベトナム戦争特需の恩恵を受け、さらに消費大国アメリカ向けの為替差を力とした貿易黒字で回復可能となり、なお且つ経済大国へと発展していくことができた。
いわば「世界第二位の経済大国」も「地球の経済が米国中心に動いている」「事実」の全面的な恩恵があって可能となった経済発展、「経済大国」であって、決して日本だけの単独能力が可能とした現実ではない。
それをさも戦後連綿と続いてきた自民党政治の手柄のように言う。
また「『日本』は、『日本人』は、その底力に、もっと自信を持っていい。これまでと同様に、日本という国は、ピンチをチャンスに変える。困難を必ず乗り越えることができると、私は信じています」と励ましている「底力」にしても、単独に発揮できた能力ではなく、諸外国との相互依存の中で発揮できた相対的な変数に過ぎない。
だからこそ、アメリカがコケたら、日本もコケる相対関係を取ることになる。このことは世界のトヨタの現状が何よりも証明している。「底力」が日本独力で演出可能な能力であるなら、「世界の」を冠せられている世界的企業なのだから、トヨタは今こそ日本独自の「底力」を発揮して非正規社員のクビを切らずに済ますことができるはずだが、なり振り構わずに人員整理に走っている。
「私が目指す日本は、『活力』ある日本。『安心』して暮らせる日本です。日本は、これからも、強く明るい国であらねばなりません。
五十年後、百年後の日本が、そして世界が、どうなっているか。未来を予測することは、困難です。
しかし、未来を創るのは、私たち自身です。日本や世界が『どうなるか』ではなく、私たち自身が『どうするか』です。」――
客観的認識性を欠く政治家は何も成すことはできない。すべての問題解決は何が問題となっているか、その原因・理由、あるいは状況を客観的に分析し、認識することから始まる。原因・理由、状況を客観的に正確に把えることができなければ、「どうするか」の問題解決の正確な図面を引けるはずがない。
「受け身では、だめです。望むべき未来を切り拓く。そのために、行動を起こさなければなりません。
私は、決して逃げません。国民の皆さんと共に、着実に歩みを進めていきます」――
「私は、決して逃げません」も常套句となっていて何度でも耳にする言葉だが、そう何度も使われると手垢がついた言葉並みに耳慣れして、形式的な「おはようございます」の挨拶とさして変わらなくなる。大体が国民の審判を仰いで支持を獲得し、その支持を背景に強力に政策を推し進めていくべきを政権を手放すことを恐れて総選挙から「逃げ」ているのだから、その程度の政治家に「私は、決して逃げません」と言われても、『狼と少年』の少年の「狼が来た」と同じく、誰が信用するだろうか。自民党議員の中でも、内心「逃げているくせに」と思った議員が多かったはずだ。
昨1月4日の日曜日の朝10時からの麻生首相の「年頭記者会見」でも解散について「まず、基本的には、解散は最終的にだれが決断するか、総理大臣が解散を決断します。すなわち、麻生太郎が決断します」と大見得を切っているが、実体を言うなら、解散の決定を下すのは「すなわち、麻生太郎」かも知れないが、あくまでも解散が必要となる政治状況(=政局)を受けた決定、もしくは「決断」であって、解散の直接的要因は政治状況、すなわち“政局”であろう。
麻生首相が首班指名を受けて麻生内閣を組閣、その後の内閣支持率が自身の国民的人気に比例して高いポイントを獲得すると捕らぬ狸の皮算用を踏んで解散を目論んでいながら、皮算用に反して福田内閣成立時よりも低い支持率に内心慌てて解散・総選挙の「決断」を見送ったのも、低支持率という状況を受けた決定であったろう。
勿論、首相の性格によって把え方・受け止め方の切迫さは異なるだろうが、その時々の政治状況が首相に解散の「決断」を促す主要因となる以上、「麻生太郎が決断します」と大見得を切る程のことはないということである。もしそれが追い込まれ解散と言うことなら、「麻生太郎が決断し」た解散だと言ったとしたら、滑稽なことになる。
自民党内に麻生では戦えないと言う声が圧倒的となれば、新しい総裁を選んでから、麻生の解散宣言で、新しい総裁の下総選挙を戦うという状況もあり得る。要するに“誰が”よりも、解散に至らしめる状況の方がより重要な問題となる。
麻生太郎は兎に角内閣支持率と自民党支持率が高くなる状況を首を長くして待っている。麻生太郎がどう大見得を切ろうと、その「決断」は支持率回復に賭けた状況恃みでしかなく、その程度だから、支持率を回復しないまま総選挙を迎え、自民党敗北ということになったなら、「決断」変じて日和見の謗りを受けるに違いない。
そもそもが自民党政治が麻生も加わって現在の格差・年金不安・医療不備といった狼のいる社会をつくり出したそもそもの張本人であり、その張本人が世界的金融・経済危機を受けたからと狼のいない「『活力』ある日本。『安心』して暮らせる日本」を約束し出した。
その約束を実効性あるもとするには政策の中身と成果に向けたリーダーシップが問題となるはずだが、「年頭所感」でも1月4日の「年頭記者会見」にしても、何度でも口にすることとなる決まり文句の言葉と決まり文句を年頭記者会見で書き初めにした文字を使うことでしか「『活力』ある日本。『安心』して暮らせる日本」を演出できない。見せ掛けの言葉の羅列となっていることの何よりの証明であろう。
≪国民を親船に乗った気持にさせる麻生年頭所感(2)≫に続く
麻生内閣総理大臣年頭記者会見
【麻生総理冒頭発言】
新年、明けましておめでとうございます。それぞれにいい正月を迎えられたことと存じます。今年は、今上陛下即位20年、御成婚50周年、金婚式、誠におめでたい年であって、国民を挙げてお祝いを申し上げたいと存じます。
安心して暮らせる日本、活力ある日本、この思いを年初めの字に込めたいと存じます。
(麻生総理、書初め)
「安心」「活力」であります。年頭に当たって、私は新しい国づくりに向けた決意を新たにしております。私が目指す目標は変わりません。強い決意を持って、この難局に立ち向かい、国民の皆様の期待に応えたいと思っております。国民の皆様の生活を守るために、やり抜く覚悟です。
悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。好きな言葉であり、ある哲学者の言葉です。未来は、私たちがつくるもの、我々がつくる。未来は明るい。そう信じて行動を起こす。そうした意志こそが未来を切り開く、大きな力になるのだと思っております。国民の皆様のために、明るい日本をつくりたい、そう強く考えております。
以上です。
【質疑応答】
(問)
総理、明けましておめでとうございます。
(総理)
おめでとうございます。
(問)
まず、明日召集の通常国会についてお尋ねします。今、総理は国民の生活を守るためにやり抜くとおっしゃいました。昨年末の記者会見でも、来るべき国会は意思決定能力が問われる、経済危機から国民生活を守ることができるか否かを国民は国会に求めているとおっしゃいましたが、第2次補正予算案について民主党は、定額給付金の分離を求めており、審議の行方というのは、まだ見通しは不透明だと思います。
総理の基本的なお考えとして、景気対策を早く実行に移すために、民主党と何らかの話し合いをする意図があるのか、それとも政府案が最善のものだということで、再可決を前提にあくまで正面突破を図るおつもりなのか、そのお考えをお聞かせください。
(総理)
基本的に国会というところは、論議をすべき場所であります。したがって、しかるべき提案が出されたのであれば、それを論議するのは当然なことです。しかし、我々は論議した上で結論を出さねばならない、その結論は、景気対策、金融対策、経済対策、いろいろありますけれども、今の生活者を守るためにいろいろ今、法案を予算の中にもいろいろ出してありますので、そういったものを含めて審議する、プラス結論を出す。その結論が早ければ早いほど基本的に予算が景気対策にはこの予算というのは、最も大事なものだと思っておりますので、論議をするということと結論を出すという基本的なところを忘れないでやっていただくというのが肝心なんじゃないでしょうか。
(問)
総理、今、書初めで「安心」「活力」と書かれました。安心・活力のある日本にするためには、まず景気対策が重要になってくると思います。それに絡めて、少し解散総選挙のことも絡めてお伺いしたいんですが、総理はかねがね2次補正、新年度の予算案、これを成立させて1次補正と合わせて三段ロケットで景気回復をとおっしゃっています。
それは、すなわち新年度の予算と関連法案が成立するまでは、解散総選挙は行わないということを意味するということでいいんでしょうか。また、国会の運営が行き詰ったときに、予算成立のために野党と話し合い解散をすることがあり得るのか。改めて伺いたいと思います。
(総理)
急ぐべきは景気対策、はっきりしています。まずは予算と関連法案を早急に成立させることが重要、それまで解散を考えていることはありません。また、今、国会が行き詰ったときに話し合い解散ということは考えておりません。
(問)
総理は解散の時期について、かねがね御自身で判断するというふうにお話しされていますが、支持率が大分下がっていく中で、与党内には麻生総理では選挙は闘えないのではないかという声も強まっております。それでもあくまでも御自身で解散をするということでよろしいんでしょうか。その場合、どういった争点を掲げて闘おうというお考えでしょうか。
(総理)
まず、基本的には、解散は最終的にだれが決断するか、総理大臣が解散を決断します。すなわち、麻生太郎が決断します。
それから、争点、これはもうはっきりしているんではないでしょうか。国民生活の安定、我々は効果的な経済対策とか、生活対策とか、そういうことを迅速に打つということができるのは政府自民党と確信しております。
また、次に、国の将来に対して責任を持つということも大事なところだと思っておりますが、今、日本としては中福祉というのであれば中負担ということがどうしても必要だということで、私は景気回復の後に、消費税の増税をお願いするということを申し上げました。無責任なことはできない。そういうのが政府自民党だと、私はそこを一番申し上げたいと思っております。
(問)
外交についてお伺いいたします。最初に、イスラエル軍がガザ地区に地上部隊を進攻させましたが、そのことについてどういうふうにお考えですか。それと日本政府としてどんなメッセージを出すのか。
それから、今年1年外交について、総理はどのようなことを重点にお考えになっておられますか。特に、オバマ政権が1月20日に発足しますけれども、アメリカとの外交、アメリカはアフガンの方にイラクからシフトしていくと言われていますけれども、さらなる日本に貢献を求める可能性も予想されますが、その点はどういうふうに対処されるお考えでしょうか。
(総理)
まず、最初に、イスラエル軍のパレスチナ、ガザ地区への進攻の前に、昨年の末、オルメルト、今年、昨日か一昨日、アッバス、それぞれ電話で会談をいたしております。それぞれ、双方に自制を求める旨話をしましたし、人道支援を日本としてはやることにしておりますけれども、それらの医療物資などなど搬入するに当たっては、これはイスラエル軍に阻止されるということのないようになど、いろいろ話をしておりますけれども、この問題は、なかなか簡単な停戦ということに至らないだろうというのは、私も世界中の識者とほぼ同じ意見を持っております。
長い話で、もともとロケットを打ち込まれた話からスタートしておりますので、それに対する報復ということになりますので、そういった意味では、ことのスタートからなかなか話はまとまりにくいであろうと思っております。
地上軍というのが導入されていますけれども、これが話を更に悪化させているということを大いに懸念をしているところです。
オバマ大統領との話がありましたけれども、これは1月20日に発足されますので、その後にどういった時期にという話は、その後に調整をしていくことになろうと思っております。
世界との中の外交の中において、今年間違いなく一番優先順位の高いのは、やはり金融、国際金融、これは明らかに金融収縮を起こしているわけですから、国際金融、それに対して日本は、これに責任を持つIMFに対して10兆円融資、こういったことをしている国は日本しかありませんから、基本的に、こういった大きな額をきちんとしている、そういったものを早目に去年も出しておりますので、こういったことによるきちんとした対応というものを世界の大国として責任を持っていかねばならないということだと思っています。新しい国際金融秩序というのをつくらないと、何となくすべて市場経済、原理主義みたいな話が一時ずっと言っていましたけれども、それの欠陥が出たことだけは今回明らかだと思いますので、そういったことで、こういったものに対して、きちんとした国際的な監視が必要ということに関しては、昨年のワシントンD.C.でも話を提案し日本の案がそのまま採用になっておりますので、そういうものを含めて、我々としてはきちんとした対応がその後なされているのか、そういったことはきちんと世界中でチェックし合わないといけない事態なんだと思いますので、我々としては大事なところは、今、言ったようなことだと思っております。
アフガニスタンにつきましては、これはテロとの闘いをやっているわけなのであって、アフガニスタンと闘っているわけではありません。したがって、テロをいかに未然に防止するかというのは、最善の努力をすべきであって日本が貢献できるところに関しては当然のこととして、テロ防止のために国際的な協力をし続けていく必要があるという立場は変わりません。
(問)
集団的自衛権についてお伺いしますけれども、総理は、去年、国連総会に出席された折に、集団的自衛権を行使できるように、憲法解釈を変えるというふうにおっしゃいましたけれども、いつごろ、そしてどのような手順で解釈を変えるか、お考えをお聞かせください。
(総理)
私の立場は一貫しているんだと思いますが、いわゆる従来から政府は集団的自衛権の行使は憲法上許されないという解釈をとってきている、この立場は、今、変わっているわけではありません。
ただ、一方、これは非常に重要な課題なんでして、これまでさまざまな議論がなされてきたということを踏まえて、これはかなり議論をされる必要があるのではないか。ソマリア沖の海賊の話などを含めて、具体的なことになってきておりますので、そういったものを含めて対応を考えておかないと、我々としては、自衛官、海上自衛官でもいいですが、派遣をして、その派遣した者が派遣はしたけれども、効果は全く上がらなかった、派遣された隊員、非常に危険なことになったということになったのでは意味がない、私はそう思っていますので、こういった問題については、懇談会の報告書も出されていますので、そういったものも踏まえて、引き続き検討していかねばならないと思っております。
(問)
それは、ソマリア沖に派遣する前にということですか。
(総理)
今、既にいろいろな形で検討がなされております。それ以上ちょっと答えられません。
(問)
次の通常国会の予算審議では、自民党の中から予算関連法案の再議決をめぐって造反する可能性が取りざたされていたり、それから、民主党サイドからは、そういったことを期待するような声も上がっているんですけれども、総理は自民党の総裁として、こういった反党行為が仮に起きた場合には、例えば離党を促すだとか、次の総選挙で公認しないだとか、いろいろな対応があるかと思いますけれども、どういった方針で対処されるお考えなんでしょうか。
(総理)
そのような事態は想定していません。お気持ちはわかりますけれども、あなたの質問している側の気持ちはわかるけれども、そういった状態を想定しているわけではありません。
以上です。
最後に「楽観主義」について一言。
麻生は「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」とさも立派そうに言っているが、「楽観主義」は愚かさによって発揮される場合もある。その愚かさは現実を認識する客観的判断能力を欠くことによって生じる。
麻生太郎が自身のことを楽観主義者だと言うなら、意志的な意図を働かせた楽観主義ではなく、客観的判断能力の欠如が仕向けることとなっている楽観主義なのは間違いない。