現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

お筝の笹野大栄さんのこと

2008-02-06 22:49:58 | 筝尺八演奏家
お筝の笹野大栄(ともえ)さん。物怖じしない度胸は
「あんみつ姫」のニックネームがよく似合う。

3月20日(木祝)宗次ホールでのランチタイムコンサート
に出演を取り付けたという。宗次ホールとは、カレーの
CoCo一番の社長が、「一流の音楽家を招いて、年間500公演
する」との意気込みで造ったクラシック専用のホールだ。
「一流のクラシック演奏家」であることが条件のはずだが、
それがどう売り込んだのか、邦楽の演奏で許可されたという。
宗次ホール主催コンサートとしてである。失敗は許されない。
評判を落とすような事になったら、二度とここでは演奏でき
なくなる。私としても登竜門だ。今、二人で毎週、猛特訓に
励んでいる。こんな緊張感は久々だ。“一流”と認定される
までには、乗り越えなければならない壁は高い。  

新興宗教

2008-02-06 11:01:24 | 虚無僧って?
仏教にもいろいろある。厳しい戒律にしばられた
修行を一義とする宗派。山伏の修験道と合体した
密教系の宗派。有髪妻帯も飲酒も厭わず、この世
に快楽を求める宗派も、嘗てあった。日本の歴史
の中で、どんどん変化枝別れしているのである。

新興宗教団体に多額の金を注ぎ込む人を見ると、
「騙されている!」と非難する人が多いが、だが
待てよ、既存のお寺には、やれ仏具の購入、修理、
お堂の修復、建て替え、お墓の建立、永代供養と、
何百万円も喜捨することには非難がない。

今確実に、既存仏教寺院は、力を失いつつある。
東京では、もう4割が、坊さんを呼んでの葬儀を
しないという。どこの宗派、寺にも属さない新世代
が増えたからだ。

ここで、時代とともに新しい宗教が生まれるのは
必然である。「無常=未来永劫変わらぬものは
何もない」が仏教の根本理念ではなかったか。

;霊感商法の功罪

2008-02-06 09:52:24 | 虚無僧って?
霊感商法の摘発で、超能力者や霊媒師が出演するTV
番組は自粛を余儀なくされ、細木数子も降板とか。

私は観念的には“前世や来世”“霊”等を信じないが、
予知能力や、“通視”で、科学やトリックでは説明でき
ない事例があることは、認めざるを得ない。

生来迷信など信じない母も、40年前、乳癌に苦しん
でいた時、知人に連れられて行った霊媒師から、
「胸を手術した事、父親が亡くなったばかりの事、
100年前、家は焼け没落したこと。家に刀があること」
まで、見事に言い当てられ、
「父親(私の祖父)が、背後霊となって守ってくれて
いる。家にある刀が女の血を吸っているので、その
怨念が“障り“になっている。刀の供養をするように」
とのご託宣を得て、驚いたという。まさに当家は会津
藩士で幕末に没落している。“黙って座ればピタリと
当てる”である。

その刀は、初め母の実家にあったのを、祖父の形見にと
貰ってきたのだった。そういえば実家の兄嫁も胆石の
手術を受けた。刀が来てから、わが家の犬まで(犬は
安産のはずだが)難産で帝王切開する羽目になった。
そして母も、乳癌による3年の闘病生活だった。

母は、医者から「3年の命」と告知されて、救いを求めて
行ったのだろう。霊媒師のご託宣で、不思議と母は快復し、
以来40年、84歳まで一度も病院に行っていないのだ。

父の死後、その刀を貰い受けたら、会社は倒産するし、
私は、自己破産寸前に追い込まれ、やむなく先祖伝来の
刀を売って、弁護士費用に充てることにした。
刀を売りに行った先の刀屋さんで、経緯を話したら、
一笑に付された。「刀が祟りするなら、私ども生きては
いられませんな」と。
刀を手放してから、私は自己破産することもなく済み、
今私は十分幸せの絶頂にある。さて、信ずる信じない
は、あなた次第。






寒修行

2008-02-06 07:39:33 | 心の問題
真如苑で行っている寒修行に20年欠かさず
取り組んでいる。今年も大寒の1/20から2/3の
節分まで、全日参加できた。

でも何か物足りない。
教祖伊藤眞乗が、寒30日、氷を割って百度
百杯の水行に取り組まれた昭和13年当時は、
東京でも零下7~8度だったという。70年で
15度も暖かくなっているのだ。
今年は一度もコートを着ることなく、スーツ
でも寒くなかった。なにか張り合いがない。

と感じていたら、ラジオで 「三重県名張市の
赤目四十八滝で、3/30日に“滝みそぎ”をする
人を募集している」と聞いて、早速応募した。

そして、今から準備と、部屋の暖房を止め、
風呂場で水を浴びて、終日裸で過ごしたら、
テキメン風邪をひいた。たいしたことはなく、
3日で回復したが、滝みそぎまで毎日緊張
である。

長縄さんの妹さん逝く

2008-02-06 07:38:38 | 虚無僧日記
2月4日、私の誕生日に一つの命が消えた。
「長縄さんの妹さんが亡くなられた」との
知らせ。障害を負って生まれてきて、50余
年を生きた。幸せだったのだろうか。家族に
支えられての一生は幸せだったのだろう。

私の祖父は養子で、先妻との間に生まれた
娘を連れて入籍してきた。その連れ子は、
脳性小児麻痺を患って障害児だった。

私が子供の頃、墓参の時「正子」と書かれた
小さな墓が気になって、「これ誰の墓?」と
訊ねても誰も教えてくれなかった。ある時、
叔父から教えられ、父に話したら、父は
「誰から聞いた!」と、めずらしく声を荒げた。

口うるさい田舎の旧家のことである。正子は
広い家の奥座敷でひっそりと、誰の目にも触れ
ることなく生かされ、18歳まで生きたのだろう。
親戚の誰からも無視されてきた小さな墓だった。

ある時、霊媒師から「あなたの背後に、若い
17・8の娘さんの霊がついて、あなたを守って
くれています」と告げられたことがあった。
正子だと感じた。
この世で存在意義が無くとも、霊界で守って
くれているのだ。どんな命も尊い。


それって不幸?

2008-02-06 01:04:04 | 虚無僧日記
「私の家、この5年間ずっと不幸続きなんです。
父が亡くなって、叔母も亡くなって、母が交通事故に
遇って、私もガンで入院して」と、暗い顔で訴える
Iさん。でもお母様もIさんも快復されておられる様子。
何が不幸なの?

わが家も、父は亡くなり、母は昨年暮れ二度も転んで
大怪我したが、誰も“不幸続き”なんて思っていない。

母は40代の時、乳癌で3年も入退院をくり返した。
「あの時は、いろいろストレスがたまっていた。それからは
ストレスがたまらないよう、気持を切り替える生き方が
できるようになった」と。以来84歳の今日まで40年間
一度も病気したことなく、医者に行ったことがない。

父はパーキンソン病で、11年も母が自宅で看病した末、
80歳で亡くなった。「母は十分手を尽くした。お父
さんも感謝してくれていることでしょう。今は私の事を
守ってくれている。お父さん感謝ですよ」と、11年も
介護させてもらったことに感謝している。

昨年、渋谷駅で転倒して、顔面血だらけとなり、救急車が
来る騒ぎになった。「死んでも医者に行かない」と言って
いた母だが、病院を体験できてよかった。今後、いざという
時の参考になった」と、みんなハッピーにとらえている。

明ととらえるか暗と見るか、すべて心の持ちようひとつ。
“大変”という言葉は私の辞書には無い。“大変”はみな
“大切”に変換されるのです。子育て、入院、介護、みな
あなたにとって、私にとって“大切”なことだったのです。