現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

過去の事績より歴史観を

2008-02-22 17:06:05 | 社会問題
日本史の必修化は是か非か あなたは外国人に日本の歴史や文化を聞かれてちゃんと答えられますか?(ニュース畑) - goo ニュース

歴史で何を学ぶのか? 
もう30年も前、大学教授が「日本史の学生に“源義経”って
どんなお経ですか?と訊かれた」と嘆いていた。戦後教育では
教科書に“源義経”は載っていない。“牛若丸”といっても
若い人は知らない。しかし、“源義経”を知っていても知らな
くとも、外国人との会話には関係ない。過去の事績や人物の
丸暗記だけでは通用しない。
「源氏物語や仏教、とりわけ禅について、あなたの理解する所を
聞きたい」と言ってくる。モスクワで『鈴木大拙』のロシア語訳
の本を手にした若者から「あなたはどう思うか」と聞かれ、
さすがの私も面食らった。
中国、韓国、東南亜細亜では「原爆は“善”」だ。さまざまな
歴史観の理解の上に、自分の意見が求められる。日本では
“歴史観”についての学習は全くなされていない。歴史といえば、
「偏った歴史の詰め込み教育」となっていることに問題がある。

盲導犬の糞の始末は?

2008-02-22 07:53:14 | 虚無僧って?
朝起き会に行く途中の道で、時々犬の大きな
糞がある。いつも決まった場所だ。近所の人
の話しでは、「白い杖を持って犬の散歩をして
いる人だ」とのこと。疑っては悪いが、私も
二、三度見かけたことがある。杖は持っているが、
使わずにスタスタ歩いている。目は見えている
ようだ。弱視なのか。犬も盲導犬ではないようだ。

盲導犬の糞尿の始末はどうしているのだろう。
自分がその場に直面したら、どうするか。こう
いう場面で試されるのだ。

相田みつおの講演でも「町をきれいにと誰でも
判っているが、道に落ちている煙草を拾うことは、
なかなかできない。仏教は頭で理解するのでは
なく、実践して体得するものです」と。はい、はい。
ハイは“拝”と書くらしい。仏の教えに“拝”です。

今日漸く、犬の糞の始末を“してあげる気”に
なれた。いや“させていただいた”。