現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

お力いただいたことに感謝

2008-02-16 23:02:32 | 心の問題
松本さんに、日本教本部に連れて行っていただいた。
今日『一節切』が届くか、不安で落ち着かない。藁を
も掴む心境だ。豊玉君の御親講。

交通事故に遇った。『これほどの大事故でよく命が
ありましたね』。それでも、命あって良かったと感謝
できない人は“縁無き衆生”です。

この日本教のすばらしさ、なかなか人には解かって
もらえない。理詰めで話してもダメです。力づくで
連れてきてもダメです。氷は、鋭い刃物でどんなに
細かく砕いても氷のままです。溶かすには温かい
“情”です。“情”は“理にも力”にも勝つのです。

いろいろ言われると心が揺れ動く。大河は、あらゆる
ものを呑み込みます。“呑まれるより呑み込む大きな
心”を、日本教は養ってくれます。

なるほど、そして、本当にすごいお力をいただいた。
帰宅すると欲しかった『一節切』が届いた。奇跡だ。

幻の尺八ついにゲット

2008-02-16 22:32:41 | 尺八・一節切
この10日間落ち着かなかった。2月4日私の誕生日に
Yahooオークションで『一節切(ヒトヨギリ)』が出た。
信じられない。室町時代、一休の時代の尺八だ。私は
「一休と尺八」をテーマに講演を行っているので、偽物
でもいい、欲しい。

だが私は5,000円までしか入札できない。それに一文
無し。この二つの壁で、まず入手不可能。「でもあきら
めない」と以前ブログに書いたとおり、いろいろ難問を
解決して、今日現物が届いた。これは奇跡だ。

新聞紙にくるまれて送られてきた。軽い。取り出して
みると、一見プラスチックのおもちゃ。「ヤラレタか」。
冷静になってチェックする。

不思議な「一節切」だ。たぶん二つと無い代物だ。
これには私にしか判らない仕掛けがあった。私しか
吹けない『一節切』なのだ。

「名器は、それにふさわしい人の手元に納まる」と
いうが、まさに、私の元に来るべくしてきたのだ。




なぁーんでか

2008-02-16 22:32:22 | 尺八・一節切
①入札資格の無い私が、オークションで『一節切』を
 手に入れることができた。
②無一文の虚無僧である私が、200万もするであろう
 室町時代の尺八『一節切』(ヒトヨギリ)を手に入れる
 ことができた。
③この『一節切』は私しか吹けない。

なぁーんでか。それが、これからの講演のネタだ。
これからこの『一節切』をもって全国講演して回ろう。
借金を返すまで。

一節切(ヒトヨギリ)尺八

2008-02-16 22:18:18 | 尺八・一節切
室町から戦国時代にかけて流行した『一節切』。
私の知るところ10本ほどしか現存していない。

京田辺の一休寺に「一休さんの一節切」という
のが展示されている。大徳寺の芳春院にも、ある
ということだが、問い合わせた時「そんなもん、
どこにあるかわからん」とにべもない返事だった。
価値が解らなん人には、ガラクタだ。

小田原城に展示されているのは、ただの竹ずっぽだ。
島原城には「牧覚右衛門の尺八」というのがある。
これも籐巻きがされていない竹のまま。
この他、徳川家康、武田信玄、北条幻庵の一節切
というのが現存しているが、個人やお寺が所蔵して
いて門外不出。写真で見るかぎり、この三本と今回
私が入手した『一節切』はよく似ているので、この
時代の物とみてマチガイナイ!
となると、やはり門外不出。むやみに持出せない。


笠井アナ

2008-02-16 07:16:09 | 虚無僧日記
NHK教育TVで歌舞伎や民謡、邦楽等の番組
の司会をやっていた笠井アナウンサー。

私も平成14年、NHK/FM「人生自分流」で収録
放映された時の司会が笠井さんだった。
「あなたが、初めて虚無僧に立った場所は?」
「金山(カナヤマ)の駅前でした」
「金の山ね」
思わず噴き出してしまった。こうして緊張を
和ませる。そして最後の〆のセリフは
「牧原さんは、尺八を杖にしっかり立っている」と。
両手で尺八をしっかり握り締める仕草をして語って
くれた。
言われてみて「なるほど、その通りだ」と思った。
素人の尺八家を見ていると、尺八の握りが甘い。
尺八への真剣な思いが伝わってこない。それを
笠井氏は、鋭く見つけてくれたのだ。柔和な笑顔にも
アナウンサーとしての仕事に賭ける厳しい目を
もっている人だ。