現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

箏曲家 梶田昌艶

2008-02-13 23:33:44 | 筝尺八演奏家
かつて文化庁芸術祭の審査員でもあったN氏が
「毎年順番こで賞を出しているが、僕が本当に
賞をあげたいのは、名古屋のこの人だ」と、私
に紹介してくれたのが梶田昌艶先生。

梶田先生は、およそ筝には向かない小さな手、
そのハンディを克服して、どうしたら良い音色が
響くか、一音一音、爪の当て方、角度、力の入れ
具合を徹底して追及してきた。音の魔術師である。

今その極意を学ぼうとしている人がいる。まず心
構えが試される。「私から学ぼうとするなら、まず
覚悟の程を示してもらいたい。それは、暗譜して
くること。暗譜もできないようでは教えられません」
と手厳しい。

梶田先生も、私同様一切を捨て切って、穏やかな
顔となられたが、筝の前に座れば「芸の鬼」の顔が
のぞく。

若手尺八奏者 岩田卓也君

2008-02-13 10:54:02 | 筝尺八演奏家
『愛知県芸術文化選奨』の「文化新人賞」に
岩田卓也君が選ばれた。おめでとう!とかく
洋楽家ばかりが受賞する中で、尺八家に賞が
与えられたことはうれしい。

筝の岩田京子さんの息子さんで、12歳から尺八を
始め、東京芸大の尺八科に進み、今は東京に住ん
で全国的に活躍している。まだ彼が高校生の時、
舞台で共演したことがあった。今、彼は27歳。
この10年ですごい飛躍だ。従来の型を破る新進
気鋭の尺八家として名が知られるようになった。

この10年、自分は何をしていただろう。過去に
しばられ、こだわっていないか。いや、若者と
競り合っても仕方ない。歳を重ねただけの、
若者には無い世界があるはずだ。それを毎日
模索している。


硫黄島に散ったバロン西

2008-02-13 09:47:57 | わが家のこと
“バロン西”こと西竹一。映画『硫黄島からの手紙』で
少しは知られるようになった。ネットで検索すると、
「1932年馬術でロスアンゼルス.オリンピックの金
メダリスト」とはあるが、その後の1936年のベルリン
オリンピックのことについて、触れている記事はなか
った。
確か小学校の時の教科書で読んだ記憶がある。
そこには、ロスアンゼルスでの金メダル獲得より、
ベルリンでは、障碍を飛べず失格となるや、馬から
降り、愛馬ウラヌスの首を優しくなでていたわった。
馬を叩いたりして、悔しさを露わにする選手が多い
中で、西のこの姿は、観衆の万来の拍手となり、
「これぞ武士道の鏡」と『特別賞』をもらった。
というような内容で、子供心にも深い感銘を受けた。
我家とも遠い遠い縁戚につながると聞かされて
誇りにも思った。

その西竹一が硫黄島で戦死したことは教科書には
書かれてなく、知らなかった。アメリカ制作の映画
『硫黄島からの手紙』で日本人が教えられるとは、
情けない。英語を話しアメリカ通だった西は、同じ
くアメリカ帰りの栗林中将ともども、軍部の上層部に
疎まれ、硫黄島に左遷されたとも知った。

戦争で憎むべきは、愚かな上層部だ。私の父も「戦友会
などで上官の面など見たくもない」と言っていた(らしい)



硫黄島 

2008-02-13 09:38:13 | 地球人類の問題
U-tubeで『硫黄島に散った戦士たちに捧げる』を
見た。バロン西は、アメリカの戦車を奪って戦った
のではないか。「破壊されたアメリカの戦車の中から
二人の日本人の遺体が発見され、その一人の胸
ポケットから西竹一と思われる遺品が出てきた」と
いう証言もあった。西ならやりかねない奇策だ。

アメリカ贔屓でありながら最期まであきらめず命を
全うした戦った西、今なお硫黄島に眠るという1万
9,000柱の英霊に涙、涙。最近涙腺がゆるくなった。

アメリカ兵の死者は6,000だったが、日本兵を上回る
2万人が負傷した。顔を撃たれ醜悪な顔になった米兵
が戦後60年を経て来日。硫黄島で闘った日米両国の
生存者が合同で開催する慰霊祭に出席することに。
「私は日本人の顔を見たくない」と言っていた彼が、
日本人と肩を抱き合い、「これで、私の戦いはようやく
終わった」と、これも涙涙涙。
戦争っていったい何だったのとの思いと、理不尽な
中でも、義のため闘う人間の魂の美しさに涙が溢れる
のだ。


帽子 その3

2008-02-13 07:41:57 | 心の問題
シルクハットに燕尾服、今時、流行らない。
でもそれが似合う場がある。馬術競技だ。
馬術でも障碍ではなく、馬場馬術という地味
な競技。北京オリンピックに出場が決まった
法華津寛氏、66歳史上最高齢というが、髪
は黒々ふさふさ、若い。1964年の東京オリン
ピックにも23歳で出場していたという。
それも驚きである。私も慶応馬術部に所属して
いたこともあり、東京オリンピックの時は15歳で、
テレビ観戦していた。法華津氏は私より6歳
年上だが、23歳と66歳の二度華を咲かせる
のか。脱帽
            

帽子 追記

2008-02-13 07:23:50 | 心の問題
朝起会に来る若者が、室内でも帽子をとらず、
幹部である両親も同席しながら、注意しない
ことに私は少なからずストレスをためていた。
今日、帽子をとらない理由が少し判った。どう
やら茶髪に染めていて、それを恥じているのか、
自分で切って、ザン切り頭になってしまい、
ますますみっともない状態らしい。自分を変え
ようと彼なりに努力している心が判って、温かい
目で見られるようになった。やみくもに注意しな
くてよかったとホッとする。

以前、女性で帽子を深く被ったままの人がいた。
ある時、帽子をとって「自分が癌で、抗がん剤と
放射線治療を受けている」ことを告白された。
その頭はスキンヘッドだった。それをさらけ出して
癌を治すという決意の披瀝に、皆涙を浮かべながら
笑顔で惜しみない拍手を送った。あれから3年、
その人は今は黒々とした髪を取り戻し、毎日笑顔を
振りまいている。だが、闘病はまだまだ続いている
らしい。その苦しみを表に出さない姿に感動する。