現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

宴の桜さん

2008-07-01 21:14:29 | 筝尺八演奏家
『宴乃桜』さんから、二度も丁寧なコメントをいた
だきました。『宴乃桜』とは気になるネーミング
です。検索してみたら、松山で筝の先生をされて
おられる方。文章からも上品なステキな方のよう
です。ブログを読ませていただきました。

小中学生も教えており、自流派(正派)にこだわ
らず、各流派のプロの邦楽家と交流を結んでおら
れるようで、その活躍の幅の大きさに関心します。

四国遍路のアイドル?月岡祐紀子さんとも親交が
あるとのこと。月岡さんの父君も尺八家で、東京
の私の家のすぐ近くですので、何度かお会いした
ことがあります。三味線抱えての歩き遍路をもう
何回もされている祐紀子さんの話も聞いておりま
した。8月盆休みには、私もいよいよ四国遍路に
行ってみよう、との思いが強まりました。








印籠の効力切れ

2008-07-01 14:49:22 | 虚無僧日記
Tさんには、いつもいつも頭が下がります。
「注意をする時は、あれこれ考えて・・・・。
御身が大切ですから」のコメント。その通り
ですね。腹を立てたら、自分が損するだけと、
判っているのに、こらえ性がない。

今までは、「“ガキ”と同じ、若いね」なんて
冷やかされ、いい気になっていましたが、この
歳になると、「キレる老人の仲間入り」と云われ
るのですね。

「過去の私を知らないか!印籠が効かなくなって
鬱憤が出てしまうのですね」とのコメント。正に
その通りと反省です。私も古臭い古典を破壊し、
新しい古典の創造を目指してきたつもりですが、
それさえも、現代には通用しなくなっている、
その閉塞感、苛立ちが溜まっているのです。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


邦楽は“間”の芸術

2008-07-01 07:30:37 | Weblog
「尺八は“ノーリズム”と云われるが、決して“自由”
ではない。それより長くても短くてもいけない絶対的な
“間”がある」とは、尺八の大家横山勝也氏の言葉だ。

「侍と侍が真剣をもってわたり合う。それ以上踏み込ん
だら切られる。離れれば、相手を斬ることもできない。
真剣勝負での絶対許されざる“間”こそ尺八の“間”」
だという。

私も、横山勝也氏の尺八に惚れこみ、そのレコードを
何百回と聞き、氏の“間”を体に沁みこませた。

その弟子だという若手の中村明一氏が、古典本曲の
CDを出している。彼は循環呼吸法を会得して、全曲、
初めから終わりまでノーブレス(息継ぎ無し)の超絶
技巧で、話題を集めている。私もCDを買ったが、
“息継ぎの間”が無い音楽は、聞いていて息が詰まり
そうである。ところが、一部の音楽評論家や学者先生方が
絶賛しているのである。

現代社会はシンセサイザー大流行り。シンセは連続音
で途切れることはない。それに馴らされた人の耳には、
途切れる=無の空間が 奇異に聞こえるのだろうか。

音楽の好みは、その人の育った環境で大きく左右される。
こうまで感性が違ってくると、音楽はもはや、人と共有
できない媒体になってきた。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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ムードメーカー

2008-07-01 07:17:08 | Weblog
ムードメーカー。「その場の雰囲気を盛り上げる人」、
和製英語らしい。ムード作りは、何も陽気に明るく
盛り上げるだけではないと思うのだが。

能を観に行って、開演前にポップスやレゲーが流れて
いたら、皆どう思うだろう。一つの演目が終わるたびに、
合間にソウルミュージックが流れたら 「オー!ノー!」
である。同じように、クラシックコンサートでもそうだ。

筝や尺八の会でもそうだろうと思うのだが、最近、休憩
時間に洋楽を流すのが、新鮮な試みとして行われてきて
いる。「さぞかしお疲れでしょうから気分転換に」という
主催者の配慮だという。私には「筝や尺八、まして詩吟
などは音楽ではない」と、否定されているような気になる。

以前、尺八のCD録音の時も、始まるまで、スタジオで
ガンガン洋楽が流されていた。今から尺八モードに入って、
気を充実していきたいのに、若いオペレーターは、そんな
ことおかまいなしだ。その時は冷静にお願いして、音を消
してもらったが、彼は「なぜ?」と顔をして不機嫌になった。

そうしたKY(空気読めない)、ムード作りのできない人が
多くなったことへの苛立ちが、一昨日 爆発したのだ。

やがては、能楽堂でも洋楽が流れるようになるのだろう。
まずは、創作狂言などから、新趣向として始まるのかも
しれない。時代の流れか。