現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

鈴慕・鈴法・礼法

2008-07-30 18:04:40 | 虚無僧日記
9/23の能楽堂公演に向けて、プログラムを作成中。
曲目解説で、私見を明らかにしたいと思う。

まず「鈴慕」「鈴法」「礼法」「恋慕」について。
「鈴慕」と付ける曲はたくさんある。これは虚無僧が
祖師と仰ぐ普化禅師の“鈴を慕う”という意味だろうが、
“鈴を慕う”なら、漢文的には『慕鈴(ぼれい)』だ。
そこで、「祖師の鈴の法」の意で「鈴法」となったか。

さらには「礼法」というのもある。当て字の好きな日本人
である。それぞれに意味があって面白い。

「虚空鈴慕・飛鳥鈴慕・伊予鈴慕・越後鈴慕・奥州鈴慕・
 九州鈴慕・筑紫鈴慕・流し鈴慕・義経鈴慕・松風鈴慕・
 宮城野鈴慕・陸奥鈴慕・北国鈴慕・葦草鈴慕・」

「伊豆鈴法・京都鈴法・芳谷鈴法・紫鈴法」

「伊予恋慕・歌恋慕・恋慕流し」

「禮法」

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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古伝三曲

2008-07-30 11:07:14 | 虚無僧日記
虚無僧にとって、最も大切な曲は、いつの頃からか、
「虚鈴(きょれい)」「虚空」「霧海篪(むかいじ)」の三曲
となった。
「虚鈴」は、由良興国寺の開祖法灯国師が、鎌倉時代に、
中国から伝えたとか、「虚空」「霧海篪」は、弟子の
虚竹が伊勢の朝熊山に参篭の折、霧の中から聞いた音曲
だとか、伝説が作られている。

しかし、江戸時代初期の『糸竹初心集』には、「れんぼ
流し・京れんぼ」という曲名があって、古伝三曲の名は
無い。
古伝三曲が、文献で確認できるのは、1732の『尺八伝来記』
である。これには「霧海篪(むかいじ)」を筆頭に「虚空」
「虚鈴」の順。その他は現在では聞かれない曲ばかり。
その中に「武田恋慕、鳴渡(門?)恋慕」など〇〇恋慕という
のが16曲もある。虚無僧の流しの曲は、古くは「恋慕」だった
というのが私の考えだ。

「恋慕」では、虚無僧にはふさわしくないとのことで、「恋慕」
が普化の鈴を慕う「鈴慕」、さらには「鈴法」「礼法」と、
それらしく、もったいつけたのであろう。
しかし、虚無僧は、再仕官するまでの仮の姿、未練たらしい
方が似合うと、私には思える。

紫恋慕

2008-07-30 10:55:56 | 虚無僧日記
「紫鈴法」という曲がある。一休作と云われる。
他の虚無僧本曲とは異なる不思議な曲だ。
伝承によって、陽音階、陰音階、陰陽混合の三
通りがあるのだ。この曲名も変である。

紫は京都大徳寺のある地名「紫野」であろう。

一休は、大徳寺の華叟から印可状を受けたが、それ
を破り捨てた。やむなく、兄の養叟が大徳寺を継ぐ
のだが、一休は、この養叟を「禅を金で売る者」と
激しく非難する。
大徳寺の開祖大灯国師は20年、加茂の河原で乞食の
行をして悟りを開いた。しかるに今の大徳寺の僧は、
衣食住なんら不自由せずにのうのうと暮らしていて、
戦乱飢饉にあえぐ人々を救おうともしない、という
怒りだ。

やがて、大徳寺は応仁の乱で焼失する。大徳寺を継ぐ
真の禅者は自分しかいない、との思いが強い一休で
ある。81歳になって、天皇の勅請を受けるカタチで、
大徳寺の住持となり、大徳寺を再建するのである。

そのことを鑑みれば、この曲は、大徳寺とその開祖
大灯国師を恋い慕うという意味で『紫恋慕』とする
べきである。

そして「明にも暗にもこだわることを捨てよ」、と
説いた一休である。明にもあらず暗にもあらずの
陰陽ごちゃまぜの吹き方こそ、一休作とするに
ふさわしいといえよう。
『紫恋慕』は、一休の禅を受け継ぐわが一路会の
テーマ曲である。

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