現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『禅と念仏』

2008-07-12 22:30:32 | 虚無僧日記
7/12『禅と念仏』という雑誌を刊行されている
鈴木忠雄氏が、取材にみえた。

市販されている書籍ではなく、掲載された
寺(人)が購入するような本だ。鈴木氏一人
で取材、編集全部をやっているという。
今時、「ケータイもパソコンも持ってない」
という。「ええーッ?」だが、内容を見ると
結構面白い。

60歳、還暦を期に、過去を捨て、1からスタ
ートと思う私なのだが、結局、過去の話ばかり
聞かれる。学生の時、会社勤めの時、会社倒産
と離婚、虚無僧になった動機だ。もうそんな
こと、私にとってはどうでもいい。未来ある
のみなのだ。

取材のため、リビングと和室の本棚などを全部
北の部屋に押し込んで、部屋に何も無くなり、
サッパり。こんな生活がしたかったのだ。さて、
いつまでこの状態が保てますことやら。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


良寛と一休対決

2008-07-12 21:52:22 | 虚無僧日記
高僧、名僧数々あれど「〇〇さん」と“さん”付けで
慕われているのは、一休さんと良寛さんの二人ぐらいだ。
一休は臨済宗、良寛は曹洞宗。一休は、気骨あって
破戒という悪の面もあるが、良寛さんは善良なお人よし。

私は一休派で、良寛は好きではない。
『禅と念仏』という雑誌を刊行されている鈴木氏から、
「良寛さんを信奉している曹洞宗前館長の板橋興宗師と
一休研究家の牧原一路の対談記事を組みたい」との仰せ。

“トトとんでもはっぷん”である。曹洞宗のホンマモンの
大僧正と、一介の俗人の私が「一休と良寛」の対談、と
いうより対決だ。勝ち目はない。「まだ半年以上先のこと」
と云われるので、半年間で、良寛のことを勉強しなければ
ならなくなった。“飛んでも発奮”である。


自動販売機

2008-07-12 21:22:15 | 社会問題
以前にも紹介した。
『親父(爺)日記』というブログに私のことが
書かれていた。

本文に

 暇つぶしに虚無僧さんまでもを含んだ様々な
 人間ウォッチングができた。

 親爺「さすがは京都の虚無僧。あんなに厚着して
    るのに汗一つかかんとは」
 妻 「嘘よォ、さっき座り込んでタオルで大汗
    ぬぐっているとこ見たもんね」 
 親爺「かぶりもん 取ってか?」
 妻 「ええ、ジュース飲んでたもん」
 親爺「・・・」  


路地裏にはいって人目を避けて飲んだはずが、
しっかり見られていたか。

この暑さ、自動販売機は本当に有り難い。
ところが、困ったことには、最近、「空き缶、
ペットボトルはお持ち帰りください」と、貼紙
があって、ゴミ箱がない所が 増えてきた。

木曽の山中でもそうだった。空き缶をぶら下げて
歩くのはチョッと・・・である。飲むのを断念した。
すると、しばらく行くと「飲める湧水」があった。
これも仏意。

新宮の城址で野宿した時も、ごみ箱はあるのだが、
あちこちに「ゴミは持ち帰るよう、市の条例で
定められています」の貼紙。弱ったが、ゴメンナ
サイして、ゴミ箱に空き缶を捨てた。

早朝、市の職員が見回りにきて、私の捨てた
空き缶一つを回収して、下りていった。本当に
ゴメンナサイである。

日本は、世界一の自動販売機設置国。旧共産圏の
ヨーロッパ諸国には、自動販売機は全く無かった。
法律で禁止されているのだと。たしかに、便利な
反面、ゴミを散らかす元凶だ。なにより、当時は
電気の消費量とフロンガスが問題だった。環境より
企業の利益優先の日本である。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


ペットボトル

2008-07-12 20:38:20 | Weblog
尺八を習いに来るお弟子さんたちのために
熱いお茶を出したり、ぬるくしたり、この
時期なら、冷たく冷やしたり、私なりに
いろいろ気を使う。「おいしいお茶ですね。
入れ方上手ですね」とでも云っていただけ
るとうれしい。お茶ひとつで会話がはずむ。
寺の小僧だった石田三成は、お茶の入れ方
ひとつで、秀吉に気に入られ、仕えるよう
になったのだ。

私に「気を使わせてはいけない」と、自前で
ペットボトルを買って来る人もいる。練習の
合間に、ボトルで飲む。私は気にしない性質
だが、こんな話が聞こえてきた。

ある格式の高いお茶会で、尺八の演奏を頼まれ
た若手の尺八家。演奏の合間にペットボトルで
お茶をがぶ飲みした。それが「品がない、お茶
会にふさわしくない」と、いっぺんに評判を下げ、
私の耳にまで聞こえてきた。ペットボトルのがぶ
飲みはマナー違反らしい。気をつけよう。

最近コンビニで缶ジュースやペットボトルを買う
OLは、ストローを要求するそうな。これは口紅
が取れるのを嫌うためとか。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


ペットボトルの価値

2008-07-12 20:16:20 | 虚無僧日記
檀家廻りをしているお坊さん。「最近はペットボトルの
まま、お茶を出す家がある。最近の若者は、お茶の
出し方も知らない。困ったものだ」と ぼやいていた。

ペットボトルのままじゃ悪いのか? 私には、こんな
思い出がある。

昨年のお盆休みに、静岡の山間部を虚無僧で廻って
いた時のこと。山の上の方の一軒の農家で、小柄な
おばあさんが「虚無僧さん、冷たいお茶でもどうぞ」
と、家に招き入れてくれ、冷たく冷やしてあったペット
ボトルのお茶を半分くらいコップに注いで出してくれた。

炎暑であった。これはありがたいと、私はイッキに飲み
干し、さらに残りの分もコップにあけて全部いただいた。
おばあさんは「今日、息子夫婦が孫を連れて帰ってくる
でね」と、うれしそうに語ってくれた。

その家を後にし、急な山道を下って町へ向かう道のり、
ふと考えた。自動販売機もコンビニもない 山上の家で
ある。おばあさんは、今日孫たちが来るというので、
この急な山道を下りて、町まで買い物に行ってきたのだ。
そして炎天下、帰路2kmの坂道を、ペットボトルやら
食べ物をかかえて、登ってきたのかと。

都会では50mも歩けば、すぐ買えるペットボトルも、
こんな山間僻地では、貴重な飲み物だったのだ。孫
たちのためにと冷たく冷やしてあったお茶を、私が
いただいてしまったことに、申し訳ない気持と、感謝の
気持が一杯になった。

そうだ。84歳になる母も、私が帰る日はいつも、駅前の
スーパーまで、いろいろ買出しに行ってくれていたのだ。
そんな思いがこみあげ、振り返って、その家の方を
向いて、再度 頭を下げたのだった。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking