私の先祖は会津藩士だったから、新撰組への思いも
格別なものがある。しかし、正直、会津藩としては
新撰組は、正規の侍ではなかったから、「壬生浪」
として一段下に見ていた。新撰組に対抗して、正規
侍による「見回り組」というのがあった。
「坂本竜馬を斬ったのは、新撰組ではなく、見回り組の
佐々木只三郎だった」とは、知る人ぞ知るである。
私の先祖の一人も、名を「松井九郎」と改め、幕臣として
この見回り組に加わった。「見回り組の名簿がある」と
いうことだが、ぜひ見たいものである。松井九郎は、
「白河口の戦いで戦死した」とも、「函館で亡くなった」
とも伝えられ、消息不明で、墓も無い。
いつか、この人を主人公にして歴史小説を書きたいと
思っている。
佐々木只三郎も、元は会津藩士である。佐々木只三郎は
鳥羽伏見で負傷し、和歌山の紀三井寺まで逃れて、そこ
で没した。墓は和歌山市郊外の紀三井寺にある。
私は、30年前、和歌山勤務となり、紀三井寺に詣で、
偶然、佐々木只三郎の墓を見つけた。彼がここに眠って
いるとは知らなかった。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
格別なものがある。しかし、正直、会津藩としては
新撰組は、正規の侍ではなかったから、「壬生浪」
として一段下に見ていた。新撰組に対抗して、正規
侍による「見回り組」というのがあった。
「坂本竜馬を斬ったのは、新撰組ではなく、見回り組の
佐々木只三郎だった」とは、知る人ぞ知るである。
私の先祖の一人も、名を「松井九郎」と改め、幕臣として
この見回り組に加わった。「見回り組の名簿がある」と
いうことだが、ぜひ見たいものである。松井九郎は、
「白河口の戦いで戦死した」とも、「函館で亡くなった」
とも伝えられ、消息不明で、墓も無い。
いつか、この人を主人公にして歴史小説を書きたいと
思っている。
佐々木只三郎も、元は会津藩士である。佐々木只三郎は
鳥羽伏見で負傷し、和歌山の紀三井寺まで逃れて、そこ
で没した。墓は和歌山市郊外の紀三井寺にある。
私は、30年前、和歌山勤務となり、紀三井寺に詣で、
偶然、佐々木只三郎の墓を見つけた。彼がここに眠って
いるとは知らなかった。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。