現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

山口県を旅して

2009-12-08 21:39:18 | 会津藩のこと
今回の旅は実に実に有意義だった。これまで
戊辰戦争は 薩長土と会津 という藩と藩の争いのように
とらえていたが、長州の中でもさまざまな確執、争いが
あったと知る。禁門の変から わずか4年の めまぐるしい
転回は、ほんの一握りの若者の個人プレーだったのだ。

会津と長州は仇敵とされてきたが、意外にも、会津藩の
秋月梯次郎は萩に行き、明倫館で講義をしていた。
そして吉田松陰は会津まで来、日進館を見学していた。

長州の兵学は、会津出身の山鹿素行の「山鹿流」。軍制は
長州も会津も「長沼流」。宝蔵院流槍術でも交流していた。

禁門の変で西本願寺に逃げ込んだ長州藩士を救ったのは
会津の傑僧「善順」。そして「善順」の周旋で、戊辰戦後
の会津の窮状を救ったのは長州の奥平謙輔、前原一誠ら
だった。

明治9年の「萩の乱」では、会津藩士らも呼応して兵を
挙げた。「思案橋事件」である。

こうして、長州と会津。そこは日本人同士。解りあえる
ものがあったのだ。
私の中で、長州に対するわだかまりが一挙に瓦解した。

一昨年は鹿児島に行ってきた。まさに敵地に赴く気持ち。
だが、長州人奥平謙輔に庇護された山川健次郎の妹捨松は
アメリカ留学の後、薩摩の大山巌元帥の妻となった。
維新の志士も多く外国に渡って視野を広め、攘夷の愚かさに
気づかされた。私も、より高い境地に立てたようだ。

これで、47都道府県のうち46まで行った。最後残すは
熊本県のみ。阿蘇は行ったが熊本城はまだ見ていない。
来年は熊本と天草へ行こう。

100年を経て

2009-12-08 11:36:55 | 会津藩のこと
私が慶応の史学科に入学した 1967年は、明治元年(1868)の
戊辰戦争から丁度100年。さまざまな行事が行われたはずだが、
「上野彰義隊の慰霊祭」しか記憶にない。

慶応の史学科では「100年経たないと歴史学の対象とはならない」
などと言われ、近世史の河北教授のゼミも、元治元年(1864)の
「禁門の変」止まりだった。明治時代は歴史学の対象にはなり
えなかった。

それから40年、ようやく明治が歴史の対象になってきた。
あたかも『坂の上の雲』がNHKで放映されている。
司馬遼太郎は、歴史学者に先駆けて、松山藩の秋山兄弟と
正岡子規を中心に、日清、日露までの明治時代を実に詳細に
掘り起こしてくれた。
もっとも「あれは小説ですから」と、歴史学者は相手にして
いないが、現代人に明治の気概を呼び起こしてくれる。

私にとって、明治が今面白い。ああ、明治の頑固爺じいに
なり、ますます現代から取り残されるか。

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『泰西王侯騎馬図』

2009-12-08 11:35:57 | 会津藩のこと
重要文化財『泰西王侯騎馬図』は、4曲一双で2双ある。
全部で等身大の騎馬が8人描かれている見事な屏風絵だ。
1双は神戸市立博物館(南蛮美術館)にあり、一双はずっと
行くへ不明だった。それが私の子供の頃、サントリー美術館に
現れた。「所有者の名を明かさない」という条件でサントリーが
買いとり、美術館に展示された。いわくありげな登場だ。

私は叔父の牧原源一郎から「この絵は、(東京目黒の)私の家で
預かっていたものだ。『 (太平洋)戦争で疎開させる』とトラックが
来て、いずれかへ持ち去られた」と聞いたことがある。

最近になって、「源一郎氏の長女美智子(私の従兄姉)の嫁ぎ先
高瀬喜左衛門氏宅で預かっていた」と知った。美智子さんが
嫁ぐ前のことだから、高瀬家と牧原家は付き合いがなかった。
それで叔父は、どこへ運ばれたのか知らなかったのだろうか。

高瀬喜左衛門氏は、京都帝大の物理学科を出、会津では漆器の
老舗「白木屋」の社長。推されて会津若松市長になった。江戸
時代以来の豪商の家で、明治以降も会津の復興に尽力してきた。

そしてその後「絵」は・・・・? みな口を閉じて話したがらない。
私の父に聞くと「殿様も戦後は生活苦労されてたからな・・・・」。
そしてすぐ「他言無用」と。私がこの絵についてさらに調べよう
とすると「やめろ」と叱られた。

長らくこの絵は、「会津落城とともに、分捕り品として持ち去られた」
と、いかに薩長が横暴で、暴行と略奪の賊だったかを喧伝するネタと
されてきた。前原一誠は「略奪者」との悪いイメージを持たれていたのだ。
それが最近になって、「前原一誠は会津を救った恩人だった」と、
評価が180度変わってきたのである。

歴史というのは、時間の経過とともに明らかになってくるもので
ある。まこと怖いものである。


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