現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

喪中はがき

2009-12-11 20:16:25 | 今後の予定
梶原しげるの「プロのしゃべりのテクニック」 梶原しげる:【85】年賀状を出した相手から、喪中ハガキ。さあ、どうする?(日経ビジネスアソシエ) - goo ニュース

今年も喪中ハガキが 20枚ほどきた。年々多くなる気がする。

喪中ハガキをいただいた方へは、年賀状を出してはいけない
らしい。そういう習慣になっている。しかしである。
喪中ハガキというのは、当人が「喪中につき年賀の挨拶を欠礼
させていただきます」というのであって、こちらから出すのは
差し支えないではないか。とはいっても、「おめでとうございます」は
さすがに失礼だから、私の年賀状は、「迎春」だけ、あとは私の
演奏活動のご案内になっている。案内状だから喪中の方にも
出している。それでもいかんかのぉ。

そもそも「喪中」というのは、仏教でのことだから、仏教徒でない
我が家は、父が亡くなった年、喪中ハガキは出さなかった、
どころか、例年どおり年賀状を出した。

父の葬儀に坊さんは呼ばなかった。通夜から告別式まで3日間、
父の遺品や写真を並べて展示し、親戚だけで、ワイワイがやがや、
生前の父のことを語り合い、実に にぎやかな葬儀だった。

東京では坊さんを呼ばない葬儀がもう4割に達しているとか。
こんな話、名古屋の人が聞いたらビックリする。名古屋はまだまだ
信心深い。だから虚無僧で食べていけるのかも。ありがたいことです。
なむあみだぶ、なむあみだぶ、?! いつから念仏宗になった?

虚無僧でありながら、僧であって僧でない私であります。


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幕末の密航者

2009-12-11 19:43:46 | 幕末の留学生
吉田松陰は 21~ 23歳の間に 九州から東北まで全国を旅している。
他所を旅して見聞を深め、視野を広げることは大切だ。

吉田松陰は海外への密航に失敗したが、高杉晋作は24歳の時、上海に
密航し、欧米列強に植民地化された中国を見て、日本の行く末を案じた。
晋作は上海でピストルを2丁購入し、1丁を坂本龍馬にプレゼントして
いる。龍馬はピストルをどこで購入したのか不思議だったが、晋作から
もらった物だった。

長州では藩主の黙認のもと、藩から5千両もの資金を得て、伊藤博文・
井上馨・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助の 5人がイギリスに密航していた。

薩摩藩でも、慶応元年(1865) 藩主の密命を受けて 19名がイギリスに渡った。

新島襄も、元治元年(1864)函館から密出国し、アメリカに渡っていた。
明治5年(1872年)アメリカ訪問中の岩倉使節団と会い、使節団の一員と
なって、ニューヨークからヨーロッパへ渡り、フランス、スイス、ドイツ、
ロシアを歴訪し、明治7年(1874)に帰国している。海外生活 10年だった。

彼等幕末期の留学生は 約150人もいた。福沢諭吉もそのひとり。

明治に入ると、官私費留学生は 約 2万4,700人もいたという。
著名な留学者として、伊藤博文、井上馨、桂太郎、津田梅子、大山捨松、
森鴎外、夏目漱石、中江兆民、小村壽太郎、東郷平八郎、高橋是清、
湯川秀樹、朝永振一郎らがいる。


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