「坂の上の雲」を読んで、驚くのは情報収集力のすごさだ。
日本の陸軍がドイツ式を採用したにもかかわらず、秋山好古は、
フランスに留学したことで、ドイツ、フランスの双方の騎兵術を
学び、その長短を知りえたことに始まり、諸氏をアメリカ、
フランス、ドイツ、イギリス各国に留学して、戦術を学ばせて
いる。
広瀬武夫が5年以上もロシアに滞在し、ロシア語も完全に
マスターしていたとは知らなかった。そしてロシアの軍事力、
将兵の気質、そのネック(弱点)まで調べつくしていたのだ。
片やロシアは、東洋の小国日本を「猿」と呼び、「日本が
ロシアに追いつくには100年かかる」などと完全になめきって
いた。
たしかに、ロシアにとっては、つい30年前まで帆船しか持たな
かった日本が、世界最強の戦艦を持ち、その操作操縦術、海戦の
戦略戦術まで、諸外国から徹底的に学んでいたとは、考えも及ば
なかったのであろう。帝政ロシアの将官は、みな貴族だった。
バルチック艦隊の出撃にあたって、ニコライ皇帝は、各艦長に
戦略ならぬ“ピアノ”をプレゼントしたという国である。
孫子の『敵を知り己れを知れば百戦危うからず』である。情報
収集力の差が、日露戦争の勝利をもたらしたと、あらためて知る。
ところが、太平洋戦争では、アメリカは日本のことを徹底的に
調べ尽くしていたのに、日本はアメリカを侮っていた。英語教育
さえ禁じた。明治期、陸奥宗光などは「日本の国語を英語に
改めよ」とさえ公言していたのにである。
マッカーサーも日露戦争を観戦していた。そして「日露戦争の時の
将官はみな立派だったのに、太平洋戦争時の軍部の上層部は劣悪
だった」と回想している。
童門冬二のコラムに「平家は平家によって滅び、源氏は源氏に
よって滅びた」とあった。徳川も身内から滅びた。日本も先の
大戦では、身内から負けたのかもしれない。
すべては「おごれる者久しからず」。
日本の陸軍がドイツ式を採用したにもかかわらず、秋山好古は、
フランスに留学したことで、ドイツ、フランスの双方の騎兵術を
学び、その長短を知りえたことに始まり、諸氏をアメリカ、
フランス、ドイツ、イギリス各国に留学して、戦術を学ばせて
いる。
広瀬武夫が5年以上もロシアに滞在し、ロシア語も完全に
マスターしていたとは知らなかった。そしてロシアの軍事力、
将兵の気質、そのネック(弱点)まで調べつくしていたのだ。
片やロシアは、東洋の小国日本を「猿」と呼び、「日本が
ロシアに追いつくには100年かかる」などと完全になめきって
いた。
たしかに、ロシアにとっては、つい30年前まで帆船しか持たな
かった日本が、世界最強の戦艦を持ち、その操作操縦術、海戦の
戦略戦術まで、諸外国から徹底的に学んでいたとは、考えも及ば
なかったのであろう。帝政ロシアの将官は、みな貴族だった。
バルチック艦隊の出撃にあたって、ニコライ皇帝は、各艦長に
戦略ならぬ“ピアノ”をプレゼントしたという国である。
孫子の『敵を知り己れを知れば百戦危うからず』である。情報
収集力の差が、日露戦争の勝利をもたらしたと、あらためて知る。
ところが、太平洋戦争では、アメリカは日本のことを徹底的に
調べ尽くしていたのに、日本はアメリカを侮っていた。英語教育
さえ禁じた。明治期、陸奥宗光などは「日本の国語を英語に
改めよ」とさえ公言していたのにである。
マッカーサーも日露戦争を観戦していた。そして「日露戦争の時の
将官はみな立派だったのに、太平洋戦争時の軍部の上層部は劣悪
だった」と回想している。
童門冬二のコラムに「平家は平家によって滅び、源氏は源氏に
よって滅びた」とあった。徳川も身内から滅びた。日本も先の
大戦では、身内から負けたのかもしれない。
すべては「おごれる者久しからず」。