現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

今後の予定

2009-12-10 21:12:43 | 今後の予定
くNHK・FMラジオ「邦楽のひととき」2月1日 11:00~放送予定。
『茶音頭』の録音が、1月20日に決定。三絃は梶田昌艶先生。
これで9回目の放送となる。ありがたいことだ。

その梶田先生からの紹介で、国府宮(こうのみや)神社の雅楽の
琴の演奏を頼まれた。私ではない。鈴花に白羽の矢があたった
のだ。大変光栄なことと、ありがたくお引き受けしたものの、
雅楽の楽箏は糸も弾き方も違う。ヤフーオークションで箏を
入手しておいて良かった。糸を張り替えたばかりだが、楽箏用の
糸に張り替えるのに3万円だと。でもでも、そのくらいの出費は
惜しまないと、鈴花は張り切り、猛特訓が始まった。
1月4日から7日まで4日間、午前中だけだが、私も国府宮神社
の前で虚無僧することになる。来年は正月早々すごい年になりそう。

12月
11(金) 中区平和福祉会
13(日) 朝日邦楽、中電ホール
13(日) 山内社中忘年会
16(水) ブラザー病院・デイサービス
18(金) 吉田病院・デイサービス
22(火) デイサービス春岡
26(土) 一路会打ち上げ忘年会
30(水) 津島酒蔵開き

 1月 
1(金) 熱田神宮奉納吟詠
3(日) 岡崎後藤美智子さん宅にて新年会
4(月)~7(木) 国府宮神社にて奉納演奏
9(土) 中区平和デイサービス
10(日) 関西吟詩・尾張東支部新年初吟会
11(月) 中川生涯学習センター主催「新春尺八の調べ」
12(火) 伊那市○○ホテル?
15(金) 西区比良西幼稚園
17(日) 関西吟詩・連合熱田20周年大会
20(水) NHK・FMラジオ「邦楽のひととき」『茶音頭』の録音
     放送は2月1日(月) 11:00~11:30
24(日) 愛知県吟舞道連盟・初吟会
25(月) ホテル・マリオット

今年1年の総括

2009-12-10 21:11:41 | 虚無僧日記
今年の夏は大分県に行き、『西南戦争』の跡を辿ってきた。

私の母方の曽祖父の家に、「五郎」という若者がやってきて
「警察隊に入りたいので養子にしてくれ」と言う。当時
「警察隊」は旧士族でないと入れなかったので、養子に
してやり、「福島県士族・山室五郎」として彼は西南戦争
に向かった。そして大分県の臼杵で戦死し、大分護国神社
内の墓地に埋葬された。彼の本姓も素性も一切判らない。
護国神社に埋葬されていたことすら知らなかった。135年
もの間、誰一人お参りすることなく、故郷遠く離れて眠る
「山室五郎」なる人に涙の一曲を手向けてきた。

彼は農家の者か、出入りの商人の倅か判らぬが、平民でも
「戊辰の仇」と、薩摩に対する恨みで志願して「西南戦争」に
行ったのかしらんと思っていた。

その隣りの墓を見ると「鹿児島県士族」とあるではないか。
鹿児島人と共に起居し、西郷軍と戦った山室五郎は「戊辰の
仇討ち」が目的ではなかったのではないかと思えてきた。

彼は、明治の世となってもますます困窮する生活から、
生きる糧を求めて「警察隊」に志願したのではないか。
だが、武運つたなく命を落した。ますます憐れだ。


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今年1年の総括 つづき

2009-12-10 20:53:33 | 虚無僧日記
今夏、九州の旅の帰途、京都黒谷の「会津藩墓地」に詣でた。
父方の曽祖父の兄が眠る。

こうして、和歌山県の新宮、京都、大分、青森、そして会津と、
私の先祖供養の旅は一巡した。さらにこの 12月には山口県を
旅した。これで 47都道府県すべて回ったことになる。ただ
熊本は阿蘇山までで、熊本市には行っていない。来年は最期に
残った熊本市だ。

鹿児島、高知、山口に行ったことで、私のこだわりは雲散霧消し、
スッキリさわやかな気持ちになれた。

そのせいだろうか、仕事がどんどんくる。12月はもう無いかと
思っていたら、まだ4件入ってきた。1月は15件もはいっている。
昨年1年間分の件数だ。世の中の景気も上向いてきたか?
不思議、不思議。“怨恨”の心は道を閉ざす。「恨み・妬み・怒り
の心(貪じん痴)」を失くせば、運は開けるのだ。


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Rin’ 解散!?

2009-12-10 10:47:17 | 虚無僧日記
「宴乃さくら」さんから「Rin'は解散しました」とのメールを
いただいた。箏、十七絃、琵琶、三絃に尺八も女性が演奏する
ことで注目を浴びていたバンド。2006年全米デビューをはたした
ものの、今年2月13日解散したとのこと。なんじゃらほい。
新しい邦楽の創造は、やっぱりダメだったか。

ところで、あの「女子十二楽坊」はどうなったかしらんと、検索
してみた。2007年7月の記事で「レコード会社が、自己破産手続き
を進めている」とのこと。「やっぱりィ」だ。負債総額は 約3億
4千万円。過剰な宣伝費で経営悪化とのと。
それでも、中国本土では活動を続けているらしい。


かつて、千代田生命の先輩 加納氏は、保険会社の一営業所長の
器にはまらず、千代田を辞めて「T&K」を立ち上げた。
「歌手は作られるもの」「男なら でっかい夢を」と、あのピンク・
レディを世に売り出したのだ。当時、会社を中退するなど、とても
考えられない時代だった。私は彼の生き方に憧れていた。2、3度
六本木の高級クラブ?に連れていってもらったことがある。

その彼も、4億円の負債を抱えて倒産した。男なら、4億、5億の
金を動かして、でっかいことをやってみたいという夢は、私の中で
まだまだ くすぶっている。悟りきれない虚無僧じゃ。

「年末ジャンボ宝くじ」当たらんかのォ。


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本名と号

2009-12-10 09:38:10 | 虚無僧日記
意外だが、日本人は古来、本名で呼ぶことを避けた。
本名は「諱(いみな) =忌み名」と云って、隠された。
歴史ドラマで「信長どの」「光秀か?」「秀吉め!」「家康どの」
などと実名で呼んでいるが、実名で呼ぶことはなかったのだ。
「右府様」「推任、日向守」「筑前、太閤様」「三河殿」などと
呼ばれていたのだ。

私も本名の「伸一郎」と呼ばれることは好きではない。
10年ほど前から「伸一郎」を縮めて「一路」と称している。

15年来 お付き合いいただいている詩吟の森川氏から、
久々に尺八伴奏の仕事をいただいた。このほどプログラムが
送られて来、見たら「尺八:牧原伸一朗」になっている。

そうか、彼の中では「15年前の私」のままで留まっている
のだ。ギャラも15年前のまま。3万円だそうな。デフレで
諸物価が値崩れしているのだから、まいいか。


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日本人の改名観

2009-12-10 09:33:22 | 虚無僧日記
維新の志士は、ずいぶん名前を変えている。養子になったり、
脱藩して変名、偽名を使ったりと、いろいろ事情はあるが、
ご維新に名前も変えて身も心も一新か。

伊藤博文は、林 利助、伊藤利助、俊輔、春輔、舜輔、春畝。
木戸孝允は、和田小五郎、桂小五郎、木戸貫治、準一郎。
大村益次郎は、村田良庵、村田蔵六。
板垣退助は、乾猪之助、正形。甲州で地元民の支持を得るため板垣と改姓。
高杉晋作は、和助、東一、東行、暢夫、さらに変名は谷潜蔵、谷梅之助、
      三谷和助、祝部太郎、宍戸刑馬、西浦和助と、もうきりがない。

西郷隆盛の本名は隆永、のちに武雄。通称は吉之介、善兵衛、吉之助。
隆盛は父の名だった。明治になって位階を授けられる際に、父親の名と
取り違えられたことから「隆盛」になってしまったそうな。西郷三助・
菊池源吾・大島三右衛門などの変名も名乗っていた。


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私の芸名

2009-12-10 07:53:17 | 虚無僧日記
かく云う某(それがし)も、牧原伸一郎⇒伸一朗⇒一路と名を変えた。
「シンイチロウ」から「シン」を取って「イチロ」と詰めたのだ。
学生時代は「牧原龍生」と名乗っていたこともあった、らしい。

大橋鯛山の名著『岐路に立つ尺八』(1995年邦楽ジャーナル刊) P162に
私のことが載っていた。

 堀井小二朗の名跡を継いだ牧原伸一朗さん。慶応大学は「お坊ちゃん
大学」と云われるように、育ちの良さとか、おしゃれでスマートという
イメージがありますが、牧原さんはその点でも典型的な慶応ボーイです。
多孔尺八の牧原龍生という名前でも知られているでしょう。龍生の由来を
聞いたら「それは、僕が怒りっぽいからだよ」。 「・・・・・・・・・・・」
「牧(ぼく) 原龍生(ハラタツヨ)」。なかなかユーモアもある人です、と。

40年前は 70年安保のさ中。社会に対して、学生仲間に対して、邦楽の
現状に対して、私はいつも腹を立てていた。キレやすい性格だったのだ。
それが今、虚無僧となって、ようやくキレなくなった。

恥ずかしながら、私は大橋鯛山氏とそんな話をしたことも忘れていた。
彼の記憶力はすごい、どころじゃない。スーパーすごい。先日、名古屋に
みえた。とにかく、歴史の話をしても、名前から年号、出典の書物などを
正確に記憶している。同行の香川氏が「友達の結婚式の日にちも、そこで
誰が何を話したかも、全部 知っているからおそろしい」と笑っていた。


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