ラジオで「今この瞬間を生きている人は少ない」と
いうようなことを話していた。
「ご飯を食べている時も、ボーとしているときも、人は
絶えず、過去のことを思い返し、また明日のことを
いろいろ考えている。よそごとを考えていて、その瞬間に
気を集中させることは少ない」というのだ。
そこで 思いだした。「茶道の祖・村田珠光」だ。
「村田珠光」は一休によって「無の心」を体得した。
村田珠光が一休に茶をふるまった時のこと。珠光は
あれこれ「茶」の来歴、効用などを講釈する。そして
いざ茶を喫する時、一休が珠光の手をはたいた。
茶碗を落とし、驚いた珠光に一休は言う。「おまえさん、
今何を考えていなすった?」と。「はて?」。
そこで珠光は、何も考えず、“無心”で茶を喫しようと
していた自分に気づく。“無心”といっても“心が空(から)”
ではない。今この瞬間、茶を喫することだけに、心を
集中する。よそごとは考えていない。
「それそれ、無心とはそういうことじゃ」と。
尺八道もそうだ。「無心で吹く」。一休は、能や茶道、
尺八など、今日「日本文化」とされるものに、すべからく
「禅」の悟りの心を入れたのだ。
いうようなことを話していた。
「ご飯を食べている時も、ボーとしているときも、人は
絶えず、過去のことを思い返し、また明日のことを
いろいろ考えている。よそごとを考えていて、その瞬間に
気を集中させることは少ない」というのだ。
そこで 思いだした。「茶道の祖・村田珠光」だ。
「村田珠光」は一休によって「無の心」を体得した。
村田珠光が一休に茶をふるまった時のこと。珠光は
あれこれ「茶」の来歴、効用などを講釈する。そして
いざ茶を喫する時、一休が珠光の手をはたいた。
茶碗を落とし、驚いた珠光に一休は言う。「おまえさん、
今何を考えていなすった?」と。「はて?」。
そこで珠光は、何も考えず、“無心”で茶を喫しようと
していた自分に気づく。“無心”といっても“心が空(から)”
ではない。今この瞬間、茶を喫することだけに、心を
集中する。よそごとは考えていない。
「それそれ、無心とはそういうことじゃ」と。
尺八道もそうだ。「無心で吹く」。一休は、能や茶道、
尺八など、今日「日本文化」とされるものに、すべからく
「禅」の悟りの心を入れたのだ。