現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「無心」とは

2011-06-25 04:04:30 | 心の問題
ラジオで「今この瞬間を生きている人は少ない」と
いうようなことを話していた。

「ご飯を食べている時も、ボーとしているときも、人は
絶えず、過去のことを思い返し、また明日のことを
いろいろ考えている。よそごとを考えていて、その瞬間に
気を集中させることは少ない」というのだ。

そこで 思いだした。「茶道の祖・村田珠光」だ。
「村田珠光」は一休によって「無の心」を体得した。

村田珠光が一休に茶をふるまった時のこと。珠光は
あれこれ「茶」の来歴、効用などを講釈する。そして
いざ茶を喫する時、一休が珠光の手をはたいた。

茶碗を落とし、驚いた珠光に一休は言う。「おまえさん、
今何を考えていなすった?」と。「はて?」。

そこで珠光は、何も考えず、“無心”で茶を喫しようと
していた自分に気づく。“無心”といっても“心が空(から)”
ではない。今この瞬間、茶を喫することだけに、心を
集中する。よそごとは考えていない。

「それそれ、無心とはそういうことじゃ」と。

尺八道もそうだ。「無心で吹く」。一休は、能や茶道、
尺八など、今日「日本文化」とされるものに、すべからく
「禅」の悟りの心を入れたのだ。

昨日を惑わず、明日を迷わず

2011-06-25 04:02:42 | 心の問題
SMAPの「草なぎ 剛」くん。公演での裸事件をふり返って、
「人生、いろいろ事件があるから 楽しいじゃないですか。
なにも障害もなく、日々が過ぎていったら、たいくつで、
成長もないでしょう」と。なるほど一理ある。

不幸な事件が起きて、それを乗り越えようと、人間は
たくましく成長していくのだ。「なんでぇ!、どうして?」
と思う 理不尽な事も、その人の成長に必要あって起きるのだ
と思えば、どんなことでも受け入れられる。

事件が起きてしまったら、起こしてしまったら、「ああ
すれば良かった。あの時こうしていれば」と、あれこれ
反省していても仕方ない。ならば、どうしたら良いか、
今、何をすればいいか だけを考えればいい。その結果が
どうなるか、ああでもない、こうでもないと、逡巡して
いる暇はない。即、行動を起こせばいい。

そうやって、前向きに生きていると、解決できない問題
なんて何も無いと思えてくる。

最近、そこまで考えが及ぶようになると、普段から、
「過去のこと、昨日のこと」を 思い返さない。明日の
ことも、心配しなくなった。すると生きるのが「楽」になった。


秀吉は、2畳の狭い茶室に、武将たちを招いて、茶を呈した。
招かれた客人は、えてして不仲の者、かつての敵であった者
同士もいた。

茶室では、過去の遺恨も確執も捨て、その時、その場に
生きる。それが「一期一会」だ。

そしてまた、明日は合戦、命果てるかもしれぬ者も招かれた。
明日のことを憂えず、ひと時、その場、その空間に生きる。

まさに、昨日を惑わず、明日を憂えず。「一期一会」には
そうした深い意味がある。