現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

6/26 みずがめ座12位

2011-06-26 04:17:50 | 虚無僧日記
6/12 本日「みずがめ座12位」 最低。
なんてことだ。今日は久しぶりに「詩吟の大会」の
尺八伴奏で 張りきっとった。

「豊田市市民文化会館の30周年記念事業」つまり、
市民文化会館主催行事なのだから、すごい大会なのだ。

「落ち込んでしまいそうな日です。アテにしていたことが
うまくいかず、先見性のなさ、人を見る目のなさを悔や
むかも!?」

ふむふむ、心当たりある。たぶん 今日は、私の芸が、
まったく発揮できない状況になる。抑えた伴奏しかでき
そうにない。

「それはそれ、これはこれ と 割り切って、控えめで
いけば良い結果」とか。「張り切りすぎ、力みすぎ」に、
少し水をさしてもらった。

「アドバイス」は「誠実さを大切に」。OK!
そして「ラッキー・アイテム」が「日本の伝統芸能・
音楽」というのだから、おどろき。ぴったんこ。

行ってきま~す。




仏教の功罪

2011-06-26 04:02:26 | 虚無僧日記
中日新聞連載の五木寛之『親鸞』。

多くの迷える民、救いを求める人々に、念仏は、
どうやって応えることができるのか。人を救うとは
どういうことなのか。仏教の核心に迫ってきた。

仏教は「因果応報」を説く。不治の病、障害に苦しむ人に、
仏教者は「前世の報いだ」と にべもなく切り捨ててきた。

私の子供の頃は、見世物小屋というのがあった。
「親の因果が子に移りぃ~」と、障害者が見世物に
されていた。「人権問題だ!」と非難する人に、その親
たちは言う。「この子は、こうでもしなければ、食べて
いけないのです」と。

いまわしい時代だった。私の小学校の先生は、「見世物
小屋」を例に「仏教がいかに、人々を苦しめてきたか」を
説き、戦後の合理主義、科学万能教育の中で、宗教は、
否定されるべきものだった。

それでも、宗教は無くならない。新興宗教をいかがわ
しいとする声もある一方、盲目的に入信する人も多い。
いかがわしい宗教でも信ずる人にとっては救いの神なのだ。

「この世で 罪を犯しても、来世で救われればいい」と
いう「極楽浄土思想」は、信ずる者と信じない者 相半ば
する。「死後の極楽往生」か「現世の安楽」か。懊悩する
五木「親鸞」の 答えを早く知りたい。