現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

優良(有料)テレビって?

2011-06-27 18:02:16 | 虚無僧日記
スターキャットの人が、電波の受信状況を検査しに
みえた。「はて、それを口実に上がりこんで・・・」と
警戒心にもなるが、なんでも受け入れる私。
この際、いろいろ聞いてみた。

このマンションは CATVの契約はしているので、
各戸、アンテナ無しで地デジは見れるが、「有料
番組」は、別途、個別に契約しないと見れない
とのこと。

つい先日、スターキャットから取材が来て、私の
ことが放映されたのだが、見れなかった。「優良」
番組は 見れないのかと思っておったぞ。

ついでに、「電話をCATVのアナログにするといい」
との説明で、言われるままにサインした。

そこで「銀行印を」と云われて、銀行印が見当たらない。
あらためて来てもらうことにして、屋探しをしたら、
「防災グッズ」の中に入っていた。「非常の際、すぐ
持ち出せるように」と言われて、防災グッズに印鑑を
しまいこんだのを、すっかり忘れていたのだ。








読み方知らず

2011-06-27 16:19:11 | 虚無僧日記
ラジオで「元 外務省の○○局長」という人が、
「中国には『国際法の遵守(そんしゅ)』を求めて
いかなければ」と。

女性ゲストは「団塊(だんこん)の世代」と。
若い女子アナは「笑う門(もん)には福来(く)る」と。

「何卒(なにとぞ)」は、パソコンでも「なにそつ」で
変換できるから、今や「なにそつ」で定着してしまった。

元総理でさえ、めちゃくちやなのだから、最近はもう、
漢字の読み間違えは恥ずかしいことではないらしい。

「読み間違えて恥ずかしい」と思うランキングは、
「Wi-FiなどIT系用」や「ビジネス用語」の読み間違い
だそうな。

節電で注目の「LED電球」を「レッド(赤)い電球と
思っていた」という笑い話も。

「地デジ」を「じでち(痔で血)」と読んでいた私。

SC(スターキャット)の人が来て あれこれ説明して
いったが、さっぱりわからない。

なんでも、私のマンションは、ケーブルTVなので、
アナログ・テレビのまま、あと1年は見れるとのこと。

なんだ7月24日、テレビが映らなくなる瞬間を見るのを
楽しみにしていたのに、ざんねん。「血で痔」対応の
テレビを買わなくてもいいそうな。



6/26 みずがめ座12位

2011-06-26 04:17:50 | 虚無僧日記
6/12 本日「みずがめ座12位」 最低。
なんてことだ。今日は久しぶりに「詩吟の大会」の
尺八伴奏で 張りきっとった。

「豊田市市民文化会館の30周年記念事業」つまり、
市民文化会館主催行事なのだから、すごい大会なのだ。

「落ち込んでしまいそうな日です。アテにしていたことが
うまくいかず、先見性のなさ、人を見る目のなさを悔や
むかも!?」

ふむふむ、心当たりある。たぶん 今日は、私の芸が、
まったく発揮できない状況になる。抑えた伴奏しかでき
そうにない。

「それはそれ、これはこれ と 割り切って、控えめで
いけば良い結果」とか。「張り切りすぎ、力みすぎ」に、
少し水をさしてもらった。

「アドバイス」は「誠実さを大切に」。OK!
そして「ラッキー・アイテム」が「日本の伝統芸能・
音楽」というのだから、おどろき。ぴったんこ。

行ってきま~す。




仏教の功罪

2011-06-26 04:02:26 | 虚無僧日記
中日新聞連載の五木寛之『親鸞』。

多くの迷える民、救いを求める人々に、念仏は、
どうやって応えることができるのか。人を救うとは
どういうことなのか。仏教の核心に迫ってきた。

仏教は「因果応報」を説く。不治の病、障害に苦しむ人に、
仏教者は「前世の報いだ」と にべもなく切り捨ててきた。

私の子供の頃は、見世物小屋というのがあった。
「親の因果が子に移りぃ~」と、障害者が見世物に
されていた。「人権問題だ!」と非難する人に、その親
たちは言う。「この子は、こうでもしなければ、食べて
いけないのです」と。

いまわしい時代だった。私の小学校の先生は、「見世物
小屋」を例に「仏教がいかに、人々を苦しめてきたか」を
説き、戦後の合理主義、科学万能教育の中で、宗教は、
否定されるべきものだった。

それでも、宗教は無くならない。新興宗教をいかがわ
しいとする声もある一方、盲目的に入信する人も多い。
いかがわしい宗教でも信ずる人にとっては救いの神なのだ。

「この世で 罪を犯しても、来世で救われればいい」と
いう「極楽浄土思想」は、信ずる者と信じない者 相半ば
する。「死後の極楽往生」か「現世の安楽」か。懊悩する
五木「親鸞」の 答えを早く知りたい。

「無心」とは

2011-06-25 04:04:30 | 心の問題
ラジオで「今この瞬間を生きている人は少ない」と
いうようなことを話していた。

「ご飯を食べている時も、ボーとしているときも、人は
絶えず、過去のことを思い返し、また明日のことを
いろいろ考えている。よそごとを考えていて、その瞬間に
気を集中させることは少ない」というのだ。

そこで 思いだした。「茶道の祖・村田珠光」だ。
「村田珠光」は一休によって「無の心」を体得した。

村田珠光が一休に茶をふるまった時のこと。珠光は
あれこれ「茶」の来歴、効用などを講釈する。そして
いざ茶を喫する時、一休が珠光の手をはたいた。

茶碗を落とし、驚いた珠光に一休は言う。「おまえさん、
今何を考えていなすった?」と。「はて?」。

そこで珠光は、何も考えず、“無心”で茶を喫しようと
していた自分に気づく。“無心”といっても“心が空(から)”
ではない。今この瞬間、茶を喫することだけに、心を
集中する。よそごとは考えていない。

「それそれ、無心とはそういうことじゃ」と。

尺八道もそうだ。「無心で吹く」。一休は、能や茶道、
尺八など、今日「日本文化」とされるものに、すべからく
「禅」の悟りの心を入れたのだ。

昨日を惑わず、明日を迷わず

2011-06-25 04:02:42 | 心の問題
SMAPの「草なぎ 剛」くん。公演での裸事件をふり返って、
「人生、いろいろ事件があるから 楽しいじゃないですか。
なにも障害もなく、日々が過ぎていったら、たいくつで、
成長もないでしょう」と。なるほど一理ある。

不幸な事件が起きて、それを乗り越えようと、人間は
たくましく成長していくのだ。「なんでぇ!、どうして?」
と思う 理不尽な事も、その人の成長に必要あって起きるのだ
と思えば、どんなことでも受け入れられる。

事件が起きてしまったら、起こしてしまったら、「ああ
すれば良かった。あの時こうしていれば」と、あれこれ
反省していても仕方ない。ならば、どうしたら良いか、
今、何をすればいいか だけを考えればいい。その結果が
どうなるか、ああでもない、こうでもないと、逡巡して
いる暇はない。即、行動を起こせばいい。

そうやって、前向きに生きていると、解決できない問題
なんて何も無いと思えてくる。

最近、そこまで考えが及ぶようになると、普段から、
「過去のこと、昨日のこと」を 思い返さない。明日の
ことも、心配しなくなった。すると生きるのが「楽」になった。


秀吉は、2畳の狭い茶室に、武将たちを招いて、茶を呈した。
招かれた客人は、えてして不仲の者、かつての敵であった者
同士もいた。

茶室では、過去の遺恨も確執も捨て、その時、その場に
生きる。それが「一期一会」だ。

そしてまた、明日は合戦、命果てるかもしれぬ者も招かれた。
明日のことを憂えず、ひと時、その場、その空間に生きる。

まさに、昨日を惑わず、明日を憂えず。「一期一会」には
そうした深い意味がある。

少しの辛抱とたくさんの創意工夫

2011-06-24 20:39:20 | 虚無僧日記
「断捨離」の「やましたひろこ」さんのメルマガ

「少しの辛抱とたくさんの創意工夫の節電」。
いわば、電力消費行動の断捨離!
どんなことでも、面白がって愉しめる人が、
 人生の達人なんでしょうね、きっと。

私は、その「どんなことでも、面白がって愉しむ」性格だ。
「節電」は、効果が「金額」で出るから愉しい。

蛍光灯は半分に減らした。24時間風呂はやめた。こう暑いと
シャワーでいい。エアコンも、部屋を仕切って、一台だけで
すませるようにした。洗濯機は 2日に一回。

「断捨離」は、「生き方」の改善だ。

「お金の無駄、モノの無駄、心の無駄、時間の無駄」
一切の無駄を捨て、今、この瞬間を無駄なく生きる。

「過去のこと、昨日のことを クヨクヨ 思い返さない。
明日のことにも、心を惑わさない。悩まない。」これで
毎日がイキイキ愉しくなってくるから不思議だ。







私は「ダンシャリアン」

2011-06-24 10:40:55 | 虚無僧日記
「断捨離をすると どういう訳か 人は素直になっていく。
誰に対して? 他でもない 自分自身に対して 一番に」。

と「やましたひでこ」さんから「ダンシャリアン」向けの
メルマガ。

良い人と、思われたい・・・
良い人で、いたい・・・
良い人で、ありたい・・・

悪い人と、思われたくない・・・
悪い人で、いたくない・・・
悪い人で、ありたくない・・・

ならば「断捨離」。
とにかく理屈抜きで「断捨離」は 気持ちいい。

地震がきたら、本棚などは倒れて危険だ。
そんなものは要らない。昨日 4つ捨てて すっきり。

本なんて、なんで買ったのだろう。一度読んだだけで、
いや、一度も読まずに積んである本もたくさんある。
売るにも売れない。捨てるのもストレスになる。
もう買うのはやめよう。

ベランダで栽培していたアロエ。増えて増えて困っていた。
「Wikipedia」で「アロエからは、養毛、育毛の成分は検出
されず」とあって、余計ストレスの元となった。髪が増えない
ならば無用だ。全部捨てて、ベランダもすっきり。見晴らしも、
風通しも良くなった。

東日本大震災の避難所生活を思ったら、テレビも要らん。
布団もいらん。24時間風呂もいらん。「無一物」。

私の住まいは「断舎利庵(だんしゃりあん)」。「舎利」とは
「お釈迦さまの お骨」のこと。「仏も断つ」。

なんかカッコええ。自分も「無用の人」に思えてきた。

「断捨離」とは、もてなし。

2011-06-24 10:04:15 | 虚無僧日記
「断捨離」の「やました ひでこ」さんのコラム
『断捨離とは おもてなし』。


誰だって、大切な友人をお招きするとき、家を片づけ、
気の利いた器で、美味しいお茶を用意しようとするで
しょう。

断捨離は、それを、自分で自分に提供していくこと。
断捨離とは、自らが、自らをもてなしていくこと。
自分で、自分を愉しませ、喜ばせていくこと。

そして、その「ごきげん」の輪が、家族、友人、地域へと、
自然と広がっていくのです。

身を整え、場を整える者には、 良き出逢いは 必然となると、
感じる次第であります。

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ホントにそうだ。まずは、住空間を整えて。

本棚が 10もあって、そのうち4本を、今日 ようやく捨てた。

買った時は、4階まで一人で持ち上げたはずだが、
すっかり非力となった。とても一階まで降ろせないから、
「粗大ゴミ」に出せないのだ。

そこで、3カ月ほど、ベランダに野ざらしにして、
ボロボロになったところで、解体して、30cmほどに
切り刻んだのだ。これで可燃物として出せる。

「解体」するのもひと苦労。もう二度と「買いたい」
とは思わなくなった。

山本八重子と山川捨松

2011-06-24 09:09:04 | 会津藩のこと

山本八重子は欧米には行っていないが、古都京都で、
洋装で出歩き、寝室は日本初のベッド、人力車に
乗る時は、レディファーストで 夫 新島襄より先に
乗るなど、日常生活すべて欧米スタイルで過ごした。

そこで、よく混同されるのが「山川捨松」である。
捨松は、会津藩家老「山川大蔵」の妹。山本八重子
よりは 15歳年下。兄の「山川大蔵」は、慶応2年
(1866年)にロシアからヨーロッパ諸国を外遊している。

そして、戊辰戦後の1871(明治4)年、アメリカへ派遣
される女子留学生5人の中に「捨松」も加わった。

次兄の健次郎もエール大学で物理学を学んでいたので、
時々は会っていたようである。

捨松は バァッサー大学に進学。卒業後、看護学の
勉強をし、甲種看護婦の資格を日本人で初めて取得
した。

1882(明治15)年、捨松と津田梅子は11年ぶりに帰国。
時は「鹿鳴館」時代。薩摩出身の陸軍大臣・大山巌
(42歳)に見初められて、後妻となる。捨松24歳。

大山は旧敵 薩摩人で、戊辰戦争では鶴ヶ城を砲撃した
将校である。山川家はじめ会津側は大反対であった。
 
その反対を押し切って、捨松は結婚を決意する。
陸軍大臣夫人となった捨松は「鹿鳴館の貴婦人」と
呼ばれた。 

捨松は、我が国初の看護婦学校設立に関わり、日本
赤十字社に働きかけ篤志看護婦人会を発足させている。
山本八重子も篤志看護婦として日清・日露に従軍している。

大山巌が日清戦争では第二軍司令官、日露戦争では
満州派遣軍総司令官になって活躍。捨松は、アメリカの
週刊誌や『ロンドンタイムス』に寄稿し、日本の立場を
世界に訴え、後の講話条約を有利にするのに貢献した。

しかし、徳富蘆花の小説『不如帰[ほととぎす]』の
「継母」のモデルとされ、世間から「悪妻」と中傷された。

山本八重子も 徳富蘆花の兄「徳富蘇峰」から「頭と足は
西洋、胴体は日本という鵺(ぬえ)のような女」と非難
された。

徳富蘇峰・蘆花兄弟は「会津人」への差別と偏見が
あったようだ。

捨松の次兄「山川健次郎」は 京都帝大の総長にもなって
おり、同志社の「山本覚馬」との接点もあったと
思われるが、さて、NHK大河ドラマでも「山川捨松」は
登場してくるかしらん。