ケイの読書日記

個人が書く書評

太宰治 「トカトントン」

2020-10-09 16:26:22 | 太宰治
 1947年(昭和22年)「群像」に発表された作品。熱狂の渦に巻き込まれ、自分の精神がすばらしく高揚していく時に、どこからか「トカトントン」という音が聞こえ、一気に熱情が冷める男の話。
 
 その音を最初に聞いたのは、昭和20年8月15日。正午に兵舎の前の広場に整列していた男は、玉音放送を聞き敗戦を知る。上官の若い中尉が「降伏は政治上の事。われわれ軍人はあくまで抗戦を続け、最後にはみんなひとり残らず自決して、もって大君におわび申し上げる。」と宣言するので、男も死ぬつもりでいたら…どこからか金槌で釘を打つ音がトカトントンと聞こえ、それを聞いたとたん、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、どんな感情も何一つわいてこなかった。

 それからも、そのトカトントンは、ここぞという時に聞こえ、きれいさっぱり無気力になる。
 例えば、故郷に戻り勤めながら小説を書き始めた男は、さあ、今夜で完成だという時、あのトカトントンが聞こえ、一気にバカバカしくなって、それ以降、原稿を毎日の鼻紙にした。(原稿用紙で鼻をかめるかという疑問は残る)

 例えば、地域の駅伝競走。地元の青年たちが、地区の名誉のため必死になって力走する姿を見て、男はえらく感動し、よし!自分も!と奮い立ったその時、あのトカトントンが聞こえる。
 このトカトントンの幻聴は、虚無さえも打ち壊してしまう虚無。

 でも悪い事ばかりではない。変な女の毒牙から逃れることができた。男は地元で一軒しかない旅館の女中さんに恋をする。女はなかなかやり手らしく、良いパトロンがいるのか貯金がどんどん増えていく。(男は地域の郵便局員なのだ)
 その女からお誘いが。待ち合わせの海辺に急ぐ男。ああ、この女のためならどんな苦労もかまわないと思った瞬間、あのトカトントンが聞こえて…。

 良かったね。悪い女に捕まらなくて。そうだよ。「トカトントン」が聞こえるのは悪いばかりじゃない。戦争前のミリタリズムの幻影に支配されていた日本人の10人に1人くらいに、この「トカトントン」が聞こえていたら…戦争が防げたんじゃないだろうか?

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