ケイの読書日記

個人が書く書評

永田洋子 「十六の墓標(上)」 彩流社

2018-01-07 16:13:27 | その他
 1972年に連合赤軍がおこした『あさま山荘事件』は、映画化もされているし、大きな鉄球が山荘を破壊し警官隊が突入するという派手な映像が、繰り返しテレビの特集番組で放送されているので、記憶に残っている人は多いと思うが…その前1971年末~72年初の『山岳ベース事件』は、恐ろしいリンチがあったという記憶が、薄れているんではないだろうか?

 そもそも『あさま山荘事件』は『山岳ベース事件』があったからこそ、起きた事件である。
 山岳ベースで同志をどんどん殺し、皆が疑心暗鬼になっている中、一時的に山を下りていた森と永田洋子が捕まったという情報が入った。このままでは逮捕されると、山岳ベースを捨て新しいアジトを探そうと迷い込んだ先が、あさま山荘だった。
 そのあさま山荘で捕まった5人の犯人たちの自供から、山を掘り返したら、なんと12人もの彼らの同志の死体が埋まっていたのである。そして、12人以前にも2人を殺して埋めていた。

 その大量リンチ死の首謀者とされたのが、永田洋子。連合赤軍は、共産主義者同盟赤軍派と、革命左派との合同による新党の名前で、本当は党のナンバーワンは森恒夫。だがこの人は東京拘置所で自殺しているので、結局、全責任はナンバー2の永田洋子が負う事になる。


 この上巻は、永田洋子の生い立ちから、1971年8月上旬、山岳ベースから脱走した2人の処刑までをあつかっている。(12人の同志のリンチ殺人は下巻に書かれているようだ)もちろん自伝なので、意識するしないにかかわらず、自分に有利に書いてあることは否めないだろうが、それでも死刑判決が出るだろうと予想される中、できるかぎり誠実であろうと努めたのではないか? 永田洋子は、本来、生真面目な人だと思う。


 しかし、田舎の銃砲店を襲って銃を手に入れたって、どうかき集めても数十人しか集まらない団体で、どうやって革命を起こすんだよ! すごく頭の良い人達なのに、可能だと思ったんだろうか? そういった弱小左翼が、当時たくさんあった。『よど号ハイジャック事件』も、この『山岳ベース事件』『あさま山荘事件』の1年ほど前に起こった。
 1970年代の空気が、彼らにそう思わせたんだね。当時12~13歳だった私には、よく分からないけれど。

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