ケイの読書日記

個人が書く書評

志賀直哉 「清兵衛と瓢箪」

2020-07-24 15:50:52 | その他
 「小僧の神様」でもそうだが、ラストにちょっとしたサプライズがあって、ユーモラスな短編。この作品で志賀直哉を好きになる人も多いんじゃないだろうか?

 ところで皆さんは、瓢箪をご存知だろうか? ひょうたん池なんていう名称がある、あの瓢箪。昭和33年生まれの私ですら、めったに現物を見た事がないので、現代の皆様がよく分からないのも無理はない。そうそう、蕎麦屋の七味唐辛子入れに、たまに小さな瓢箪が使ってあったりする。
 しかし本来、中国の古典にも出てくるように、水や酒を入れる水筒のような入れ物なのだ。

 
 清兵衛という子供は、瓢箪づくりに夢中になっている。瓢箪のなかの種やわたを出して、茶渋で臭みを抜き、父親の飲み残しの酒を入れ、しきりに磨いた。瓢箪は、大昔には酒や水を入れて使っていたんだろうが、だんだん実用というより、観賞用のモノになる。
 今でも、田舎の古びた宿屋や商店の片隅に、大ぶりの瓢箪がずらっと並んでいることがある。いやあ、大きいものは本当にでかいの! そして冗談みたいに高価! 盆栽のように手をかけお金をかけ、立派な素晴らしい瓢箪を作るブームみたいなものが、たびたび起った。

 清兵衛は夢中になって、他の子供とは遊ばず、瓢箪の手入れをしていて、親は彼をほかっておいた。
 ある時、担任の先生に見つかり「とうてい将来見込みのある人間ではない」と罵られ、瓢箪を取り上げられる。そして親に「家庭で取り締まってほしい」と言われる。担任の先生が、どうしてそこまで瓢箪を目の敵にするのか分からないが、とにかく気に入らなかったんだろう。
 清兵衛の両親は恐縮し(なにせ明治か大正の話)子どもを叱り、残りの瓢箪を壊して捨ててしまった。

 教師は取り上げた瓢箪を小学校の用務員さんに渡し、処分するように伝えるが、用務員はこの瓢箪が少しでも金になればと骨董屋に持ち込み…
 この先は、読んでください。

 瓢箪への夢を断たれた清兵衛は、今は絵に熱中しているようです。

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