1996年、アルゼンチンの刑務所から殺人罪で14年の刑期を終えた受刑者が、
出所した1分後に所内備品のCDプレイヤーを所持していたのがバレて、
逮捕されて刑務所に舞い戻ることに。
懲りないと言うか、病気と言うか、あり得ない愚かな所業ですね。
なので何らかの理由で14年間過ごした刑務所の外の世界に出ることに
不安に感じて意識的なのか無意識的なのか分かりませんが、
あえて捕まえてもらうために起こした行動かとも考えたりもします。
私の大好きな映画の一つ「ショーシャンクの空に」の中で、
50年間服役したブルックスに思いがけない仮釈放が認められ、
交友のあったアンディとレッドに祝福されて
一般社会で働き始めたのですが馴染めずに自殺するシーンがあります。
自殺する前にブルックスが、アンディとレッドに手紙を書きます。
「夜は寝付けない。時々どこにいるのかさえ分からなくなる。
おそらく銃を仕入れて仕事場を襲ったら、刑務所に戻れるだろう。
マネージャーも撃てる。ボーナスのようなものだ。
ただ馬鹿をやるには年を取り過ぎた。ここの生活は、嫌だ。
おびえながら暮らすのも疲れた。だから死ぬことにしたよ。」
このシーンは、数ある印象深いシーンの一つで、
このような心境は、刑務所といった特殊な環境に限らず、
引きこもりで社会から長く隔絶した環境にある場合も、
同じ心境になるようになるのではないかと思われます。
引きこもりの人を擁護したい訳ではありませんが、
上のような心境になった人を外の世界に出ることに強く圧力をかけて
擁護者であるはずの家族を攻撃してしまった事件を時折目にします。
これは擁護者であるはずの家族を攻撃し、壊してしまうことが
自分の居場所を壊してしまうことになると言う、
当たり前の思考が働かなくなるほど追い詰められたのかも知れません。
燃え盛る部屋の中に留まると100%の死が訪れるけれども、
それが10階であろうとも窓から飛び出す方が
生き延びる可能性が高いと飛び降りるようなものかも知れません。
なので個人的な考えとしては、小説家のような
閉じこもっていても生計を立てられる才能が
あるに越したことはないのですが、
まずは傷が深くなる前に息子と対決をして
外の世界と触れ合わさせることだと思うのです。
しかし、ショーシャンク的な心境に至っている人には、
一旦、最後まで引きこもりでいることに許可を与えるのと同時に、
物理的な限界がやがてくることも諭し、その時のために
何らかの改善に取り組み外に出るための準備をしておく提案をするのも
一つの方法かと思います。
改善がなされれば、最後まで待たずとも
自ずと外の世界に一歩ずつ出るようになるかと思うのです。